アンナ・VRとポップのネオクラシック時代

ベルリンを拠点とするミュージシャンと、新作ミュージックビデオ「ROME」を巡る対話

  • インタビュー: Theresa Patzschke
  • 写真: Alex de Brabant

アンナ・ボン・レゾン(Anna von Raison)は、音楽界のクリシェを一蹴するポップ ミュージシャンだ。9歳からクラシック ピアノを学び、14歳で初めてハービー・ハンコック(Herbie Hancock)を目にして、他に類のないジャズピアノの魅力を体感する。彼女の才能は誰の目にも明らかであったから、青少年の助成機関から支援を受け、アムステルダム音楽院でジャズ ピアノを学んだ。その後ベルリンに移り住んで間もなく、「プレイリストの原理が一般的になった」現状を考慮したポップ ミュージックの制作を始めた。彼女の作品は、ジャズ ピアノからDJのカルヴィン・ハリス(Calvin Harris)やバロックの芸術家ベルニーニ(Bernini)の彫刻が自由にぶつかり合える外延的風景の中で、途切れることなく機能する。
映像作家アレクサ・カロリンスキ(Alexa Karolinski)と共同制作したミュージックビデオ「ROME」の発表を機に、ポップスを制作する重要性、自由、孤立した音楽の消費について、テレサ・パチェカ(Theresa Patzschke)がアンナと対話した。

テレサ・パチェカ(Theresa Patzschke)

アンナ・ボン・レゾン(Anna von Raison)

ポップとは何でしょうか?

ポップは、いろんなものを意味するわ。音楽的には、ポップはミニマリズムと言えるわね。ジャズのクラスターは三和音になるし、複雑なメロディーはシンプルな童謡になる。これは私にとってとても本質的なことなの。つまり、シンプルさの中に答えを見つけること。さらに言えば、ポップは時代を反映する。私にとっては、今のこの瞬間を切り取ること、「今現在」が、ポップのいちばん魅力的な機能なの。「今ってどんな感じ? それはどんな音?どう音に変換したらいい?」って真剣に問う。答えはもちろん人によって千差万別だけど、重なる部分もあると思う。ブランカ・ペイショヴァ(Blanka Pejsová)という素晴らしい先生に教わったことがあるんだけど、先生が言うには、ポップ カルチャーのそもそもの概念は、実のところとってもシンプルだったの。つまり、焚き火のまわりでみんなが踊って、誰かがドラムを叩いて、集団でエクスタシー状態に浸る。その話は、今でも印象に残っているわ。

でも今では、みんなで火を囲むことはなくなりました。ひとりでコンピューターの前に座っています。

そうね。音楽を聴く習慣や音楽業界も含めて、すべてが変わったわ。みんな、FacebookのアルゴリズムとかSpotifyのプレイリストから音楽を手に入れてる。プレイリストの原理が一般的になったわ。みんなもう、特定のアーティストの曲を聴かない。その時の気分に合ったプレイリストを流してる。絶えず音楽が流れ続けるストリーミングは延々と続く消費の反映じゃないかって、時々感じることがあるわ。別に、そのことに反応したいわけじゃないけど。私の曲にも、プレイリストと相性が良い曲があると思うわ。それより私にとって大切なのは、夢中にならずにいられない曲を作ること。必ずしも知性に訴えるわけじゃなくて、身体的なレベルでね。ちょっと焚き火の時のドラムみたいに。

あなたの音楽はとてもシンプルだというふうに聞こえますね。

それは、リスナーであるあなたが決めることよ。でも、本当のところ、私はアヴァンギャルドのエリート主義からは距離を取りたいと思ってるの。もっと大衆的になることを目指している、って言えばいいかな。ジャズを勉強しているときに私が聞いたり演奏したりしてた音楽は、まるであっちへ飛んじゃってたの。すごく複雑で、知的な環境に支配されてた。アメリカの状況はそこまで悪くなかったけど、ヨーロッパの知識人は、はるか遠くから自分の超知性を見せつけなきゃ気が済まなかったのよ。そんなことに大した価値はないってことに、気付きもしないの。

絶えず音楽が流れ続けるストリーミングは延々と続く消費の反映じゃないかって、時々感じることがあるわ

質の良いポップミュージックは、必ず、多少アヴァンギャルドでもあるんじゃないですか?

そういうこともあるかもしれない、間接的には。でも、私にとって大きな違いは、アヴァンギャルドは時代を先取りしようとすること。むしろエリート的発想なのよ。ポップは、今現在、すべての人のため。でも多分、カテゴリーに分ける必要はないんじゃないかしら。私はティム・ヘッカー(Tim Hecker)が好きで、特に「Virgins」というアルバムをよく聴くの。彼の音楽はむしろ複雑なんだけど、とにかく聴く人を夢中にさせる。曲を理解するとかいうレベルじゃなくてね。だけど、カルヴィン・ハリス(Calvin Harris)みたいな人も大好きなの。「How Deep Is Your Love」なんて大ヒットよね! あの曲を好きにならない人はいないわ! 彼を好きになりたいとも思わないし、ああいう世界と付き合いたいわけでもないけど、事実として、音楽関係の友達や音楽に無関係な友達と一緒にクラブに行ってあの曲が流れると、みんな腕を上げて叫び出すのよ。そうなっちゃうのよ。 今まででいちばん刺激的だったミュージシャンとの出会いのひとつは、ジャズを勉強してたとき、Jason Moran(ジェイソン・モラン)と出会ったことね。ラッキーなことに、何回かニューヨークでレッスンを受けられたの。ジェイソンはとてもアヴァンギャルドなジャズ ミュージシャンだし、ビジャイ・イヤー(Vijay Iyer)やクレイグ・タボーン(Craig Taborn)以外に、私が納得できる方法でジャズの境界を押し広げている数少ないミュージシャンのひとりよ。恐れないで、自分が関連を感じるものを全部結び付けるの。ヒップホップ、R&B、それからブラームス(Brahms)もね。他のアーティストとも共作するわ。例えばパフォーマンス アーティストのジョアン・ジョナス(Joan Jonas)とか、コンセプチュアル アーティストのエイドリアン・パイパー(Adrian Piper)とか。そういうジャンルを超えたアプローチが私は大好きなの。

あなたの音楽は、何を表現しているのでしょうか?

私がやってることの大部分は、究極的には、自由についてなの。必ずしも最大限の自由を達成するって意味じゃなくて、二元論。誰もが罠にハマってる、それはそれでいいのよ。最大限私が言えるのは、誰でも何かしらの被害者だってこと。少なくとも、自分自身の執着や情熱の被害者。情熱の本質は苦しみよ。どうしてそれを認めないの? 実際の生活で、自分のあらゆる執着やエクスタシーへの欲求を行動に移すことはできないわ。そんなことしたら耐えられない。だから、私はそれを音楽で体現するほうがいいわ。音楽は、私の執着の捌け口なの。それ以上に、私の音楽にははっきりした自由への欲求があるわ。私はひとつのジャンルに屈服しないし、そういう基準が音楽の中で完全に溶けて無くなったときが最高の気分なの。ジャズ、ヒップホップ、R&B、クラシック、EDM。私はただ、サウンドの世界とビートの世界を作りたいだけ。最終的にジャズから離れたのも、サウンドを愛するから。ジャズではそれが許されないから。ジャズのフォーカスやの複雑さって、それとは別のところにあるのよ。

ポップは、今現在、すべての人のため

あなたの歌詞には、熱烈に恋する女性がよく登場します。現在活発に論議されているフェミニズムの文脈で、男性を恋い慕うことを女性が認めたがらないのは問題であるように思います。にも関わらず、男性がそうすると、すごく詩的であるという。

私たちがこうしていられるのは、本当に、アリス・シュヴァルツァー(Alice Schwarzer)をはじめ、私たちの権利のために戦った素晴らしい女性たちのおかげよ。でも、それと同時に、ある種の厳格さが生まれた。私たちは、もう一歩先に進めると思うの。私たちはもう、男と女という二元論が引き起こす矛盾を恐れる必要はないのよ。何でも自分で決定したいという欲求がある一方で、守られたいという思いもある。それと向き合いましょうよ。男性も女性も、このふたつを同じ程度に望むのよ。そのことを利用してフェミニストを攻撃するべきじゃないわ。これもまた、私にとっては自由の問題なの。この二元論を認めて、結果的にたぶんそれを乗り越えられる自由。この問題に関しては、東ドイツの方が先を行ってるわ。私が育ったのは、バルト海に面したシュヴェリーンという素敵な住宅中心の街なの。社会主義が崩壊した直後の混乱期。私に全く馴染みがなかったのは主婦のイメージだったのよ。東ドイツに主婦はいなかった。仕事に関して男性と女性の違いはなかったし、仕事を離れても同じことを感じてたわ。私の母はラジオの司会者だったの。ところで、母は音楽の趣味がすごく良かったのよ。私がミュージシャンになったのも、確実にその影響があるわね。

チョーカーが好きなんだけど、それは単純に首が好きで、見た目も好きだから。最近になってようやく呼吸しにくいって気がついたわ。でも、それもチョーカーのひとつの魅力ね、きっと

積極的に境界を飛び越えようとするあなたの姿勢や、言うなれば逸脱する傾向は、音楽だけでなく服のスタイルにも反映されていますね。例えば、あなたのBDSM的なセンスのように。

ここ数年、こういうのがすごく好きなの(笑)。自由と不自由を巡るゲームよ。でもファッションに関して、私はとても守備範囲が広いのよ。Helmut Langの大ファンだし、Issey Miyakeのような男っぽいパンツ スーツやグラフィックなスタイルも大好き。それに、遊び心のあるフェミニンなドレスも好き。Valentinoみたいな、イタリア的なスタイルね。何かひとつのスタイルだけに統一する日は、絶対に来ないと思うわ。チョーカーが好きなんだけど、それは単純に首が好きで、見た目も好きだから。最近になってようやく呼吸しにくいって気がついたわ。でも、それもチョーカーのひとつの魅力ね、きっと。

最近リリースした「ROME」についてひと言。

この曲のインスピレーションはベルニーニの彫刻なの。「ペルセポネ(ギリシャ神話中の農業の女神)の強姦」という作品。一見ふたりの恋人のように見えるんだけど、正確には、神が女性に暴行してるところなの。すごく緊張感があって、欲望と暴力の狭間の領域に関していろんなことを示唆してる。この彫刻が見る人を引きつけるのは、執着の表現なの。手は女性の太ももに伸びているわ! ベルニーニは、完全に取り憑かれていたのよ! ある意味、ベルニーニによって、私自分の存在が認められているように感じるの。ベートベン(Beethoven)もそう。27歳で「ピアノソナタ第8番」を書いたとき、彼は間違いなく悲劇的な恋に落ちていたか、何らかの内面的な葛藤に苛まれていたはずよ。私たちが心を打たれる作品の多くは、実現できなかったものの捌け口を作らざるを得なかった、取り憑かれた人たちの表現だと思う。

作曲から制作、ビデオに至るまで、すべてひとりでやったのですね。

映像は、YouTubeのビデオとパオロ・ソレンティーノ(Paolo Sorrentino)の映画「追憶のローマ」の断片をアイフォンで撮影して、それをアレクサ・カロリンスキと一緒に編集したの。作っているあいだ、クリストフ・シュリンゲンズィーフ(Christoph Schlingensief)の「Inselohne Hoffnung」やシプリアン・ガイヤール(Cyprien Gaillard)の「自然が反乱を起こす場所」の美学が、ずっと頭にあったの。音楽的なことを言えば、「ROME」は全部自分でプロデュースをした曲のひとつよ。いつものように、Clavia Nordのシンセサイザーとコンピューターに入れてるLogic Pro Xを組み合わせて使ったわ。私は、よく他のアーティストたちと共同作業するの。あなたと「Je t’aime」 の作詞でやったように。ここ2年は、アルバムを完成するために、ベルリンを拠点にしてるプロデューサーのセバスチャン・クレイス(Sebastian Kreis)とよく一緒に仕事をしたわ。コラボレーションって、私には、ポップカルチャーの重要な一部なの。アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)と彼のファクトリーは、私にとって大きなロールモデルよ。

  • インタビュー: Theresa Patzschke
  • 写真: Alex de Brabant
  • スタイリング: Ella Plevin
  • ヘア&メイクアップ: Marianna Serwa、Tony Lundström、Charlotte Hermann