A-Trak訪問

ロサンゼルスの新拠点で、DJと再創造の倫理について対話する

  • 文: Reva Ochuba
  • 写真: Hannah Sider

DJを依頼されると、「存在」という名の島から追い出される瀬戸際のように感じるのは、どうしてだろう? これは音楽業界の人間に共通した感情だ。だが幸運なことに、アレン・マクロヴィッチ(Alain Macklovitch)はそんな不安とは無縁だ。彼の自宅に足を踏み入れると、想像しうる限り最高のプレイリストの中へ迷い込んだような気がする。文字通り、音楽が壁から跳ね返ってくる。スピーカーがどこにあるのか、見当もつかない。トラックからトラックへ切れ目なく続く音楽が、空間を満たす。曲を重ねるごとに、ますます雰囲気が盛り上がる。決して誇張じゃない。神でさえ歓喜の声をあげたくなるような、素晴らしい選曲の数々だ。

A-トラック(A-Trak)の名で知られるアレンは、弱冠15歳の1997年、史上最年少でDMCワールドDJチャンピオンシップを制した。35歳の現在、モントリオールから登場したかつての新進スクラッチ アーティストは、音楽業界の名声ある立役者へと完全なる変貌を遂げた。アランによると、成功に大きく貢献するのは、新しいテクノロジー、新しい音、新しいシーンの要求に応える柔軟性だ。彼にとって、変化はチャンスだ。未発掘の才能を見出すチャンス、新しいソフトウェアを学ぶチャンス。だがそんな適応の能力を、アイデンティティを過剰に気に病む恐怖症の類と勘違いしてはならない。多才なキャラクターの裏側には、決して自己意識を手放さないと深く決意した男が潜んでいる。

アランの自宅は、自己への忠誠を率直に表現している。20世紀中期のモダンな住居は、綿密に計算されているが、同時に自由な解釈の余地を残している。ハリウッドヒルに美しく佇み、豊かに生い茂る青々とした植物に隠されて、全景はつかめない。内部の居住空間はミニマルで、同じく20世紀中期モダン様式のブラジルとデンマークの家具だけが配されている。家具を選ぶのは、主に兄のデイブ・マクロヴィッチ(Dave Macklovitch)だ。ちなみにデイブは2人組のエレクトロ バンド「クローメオ」(Chromeo)のメンバー。どうやらキャビネットに凝っているらしい。その他にはバウハウスを中心とした絵画があちこちに飾られ、警備付き住居の上にはあり余る土地が広がっている。

長い1日を終えた夕暮れ時、前庭に据えた暖炉のそばに腰を下ろして、A-Trakは寛いでいる。そして、方向転換の重要性と再創造の倫理について、リーバ・オチュバ(Reva Ochuba)と対話した。

リーバ・オチュバ(Reva Ochuba)

A-トラック(A-Trak)

リーバ・オチュバ:今から72時間のスケジュールは?

A-トラック:明日はL.A.。「あらゆることを片付ける」日なんだ。普通の人間であろうと努力しつつ、18の案件を同時進行させる日(笑)。金曜日は、ラジオのインタビューで、クエヴォ(Quavo)とリル・ヨッティ(Lil Yachty)が参加してくれた新しいシングル「Believe」のプロモーションがあるから、朝7時の便でサンフランシスコへ飛ぶ。その後、夜は兄貴と一緒にDJ。ブラザーズ・マクロヴィッチ(Brothers Macklovitch)という名前で、年に何回かショーをしてるんだ。土曜日は、カナダの西の方へ行って、シャンバラ フェスティバル(Shambhala Festival)でパフォーマンス。場所は、人里離れた山の中なんだけどね。

のんびりする時間はあるんですか?

マルチタスクは僕のためにある言葉さ。高校時代にDJを始めて、昼間は学校、夜はDJの練習、週末にライブを押し込んでたからね。そうやっていろんな領域に関わっていたから、今、プロデューサー兼リミキサー兼「Fool’s Gold」レーベルのオーナー兼ブロガー、おまけにレーベルの裏でカルチャー キュレーターの仕事もこなせてるんだ。Fool’s Goldの「Day Off」みたいなイベントを運営するのも、仕事の大きな部分を占めるようになってる。僕の私生活をどうにか仕事のリストに合わせなきゃいけないんだけど、頭がおかしくなるラインすれすれになることもある。

観客としてフェスティバルに参加することはありますか?

自分がパフォーマンスしなくても参加する唯一のフェスティバルは、コーチェラ(Coachella)だけ。都合がつく限り、毎年行ってる。ニューヨークのガバナーズ ボール(Governor’s Ball)もそう。だけど、フェスティバルにいるときは、大抵、自分がプレイするためだな。DJしない所へ行くことは、滅多にない。言うなれば、ショーの出演を中心にして生活を組み立ててるんだ。

A-Trakとしての活動も、ほぼ20年ですね。あなたほど長いキャリアのミュージシャンは、そう多くありません。これほど息の長いキャリアを、どうやって築いたのですか?

間違いなく重要なのは、あまり大きな方向転換を感じさせないで、音楽の変化に自然に対応していく方法を見つけることだな。長年の進歩や方向性を、急激な方向転換のよう受け取られたくはないよ。自然に感じられて、元々の自分のアイデンティティを示すものが残ってなきゃだめだ。だけど間違いなく、新しいものを受け入れたり、新しいサウンドやシーンに興味をひかれるときがある。例えば、ヒップホップ好きのキッズとしては、片足をヒップホップに、もう片方の足をエレクトロニックに突っ込んだトラップ ミュージックは、当然の進化だと思った。だけど、エレクトロニック ミュージックがインディーの世界から巨大なEDMの商業的ムーブメントになってしまったときは、自分のやり方、同時に自然なやり方をみつけるのがいちばん難しかったな。

常にフレッシュであり続けることは、美徳ですね。

選曲に関しても、そうさ。2000年代の初めには、まだ、箱に詰めて持ち込んだレコードでDJしてたんだ。僕の場合、ライブには大抵2箱持って行ったな。中身の一部は、何年も同じだった。お決まりのセットを組んで、半分くらいを少しずつアップデートしていくような感じ。で、2003年か2004年だったと思うけど、まだ94年から97年頃のヒップホップをかけてることに気が付いたんだ。「やれやれ、僕は10年も前のレコードをかけてるのか…こんなことやってちゃダメだな」と思った。その当時、音楽シーンはすごくエキサイティングだったんだ。ネプチューンズ(The Neptunes)とかティンバーランド(Timbaland)みたいなミュージシャンが、ヒップホップだけでなく、ポップスの定義も作り変えてた。僕としても、DJのセレクションを客観的に見直す必要があった。習慣になってるものを払い落として、もっと音楽シーンの最前線へチャレンジしなきゃいけなかった。そういう間違いは、一度犯したら一生忘れないし、もう2度と繰り返したくないね。

2003年に、まだ、レコードを箱に詰めてライブへ持って行ったんですか?

そうだよ。でもここ数年、劇的な地殻変動みたいに変化した。デジタル音楽のライブラリーがあればイギリスだってフランスだって行けるし、新人プロデューサーとUSBメモリーを交換することで、一気にコレクションが完成するんだ。音楽ライブラリーが増えれば、以前は使えなかったジャンルも含めて、もっとエキサイティングなセットをプレイできる。テクノロジーのお陰で、そういうことがずいぶん簡単になった。

Napsterに始まり、iTunesやSpotifyといった巨大なストリーミング サービスが続いていますが、音楽にアクセスする次の段階は何だと思いますか?

カニエが「The Life of Pablo」をリリースして、その後2週間もバージョンを変更し続けたとき、いろんな意見が飛び交ったよ。だけど、リリースした後もミックスに手を入れ続けることで、「The Life of Pablo」は生きた作品になった。世界中のみんなのために、リアルタイムでアップデートされ続けた。これからは、アーティストが同じことを試せるんじゃないかな。

SpotifyとかApple MusicとかTidalみたいな合法ストリーミングは、すっかり根を下している。Spotifyは新しいラジオだ。ラジオ局は、Spotifyのチャート インをチェックして、自分たちがオンエアする曲を探すんだから。合法ストリーミングは、今後も長く生き残ると思うよ。ストリーミング人気のおかげで、レコード産業は15年ぶりに黒字に転じたし、ストリーミングは、音楽の聴き方を良い方向に変えたと思う。

こうしたあらゆる変化は、あなたのミュージシャンとしての成長に、直接的な影響を及ぼしたでしょうね。

ほんの数ヶ月前、10年間の僕のリミックスを集めた「In The Loop」というリミックス集を出したんだ。トラックを見返すのは面白かったよ。それぞれのトラックで、当時マスターしなきゃいけなかったスタジオでの技術とかトリックとかを、まざまざと思い出すんだ。リミックスってのは、上手くいくことが保証されてるDNAを、最初から少しばかり貰ってるんだ。すでに曲の中に成功のDNAが存在してるわけだからね。で、そういう部分を取り出して、周囲に構造を作り上げる。僕は、色んなジャンルの曲をミックスして、マッシュ アップを作るようになって初めて、本当の意味で音楽作りに興味を持ち始めたんだ。デジタル革命でいいなと思うのは、知らず知らずのうちに、音楽を作る手段が誰にでも使えるようになったこと。僕と兄貴が崇拝してたビート メーカーが使ってるサンプラーを買うために、ふたりでいっしょにニューヨークへ行ったのを覚えてるよ。マシンをニューヨークで買って、カナダへ持って帰って、それを使ってビートを作り始めたんだ。まったく大仕事さ! ここ10数年で、居ながらにして、レコーディングもプロデュースもミックスもエンジニアリングも、ごく普通にこなせるようになった。アイデアさえあれば、誰だって曲が作れる。結局のところ、良い音楽を作って、自分を売り込んで、自分のオーディエンスを作ることに尽きるんだ。

あなたは、アイデンティティをとても大切にしますね。

自分のアイデンティティを知ってなきゃダメだ。アーティストやミュージシャンがごまんといる中で、自分は何者なのかという明確なメッセージを発信しないといけない。例え複雑なメッセージでもね。何千人ものアーティストを差し置いて、君を選ぶ理由を示さなきゃいけないんだ。アイデンティティが広く浸透して初めて、長いキャリアや再創造が可能になる。

あなた自身のファッションについて教えてください。音楽との関連で、どんな風に発展してきましたか?

音楽と同じで、大体いつも、過去の特定の時期を反映してるな。DJバトルの世界に飛び込んだ90年代は、機能的なアウターウェアやオーバーサイズの服やキャップが多かった。2000年代半ばは、セットの幅が広がって、ファッションのスタイルもそれに倣った感じ。フーディ、バーシティ ジャケット、NikeのBo Jackson ベースボール キャップ、ダンク、ジョーダン3、4、5。ミレニアル世代のストリートウェアはすごくカラフルだけど、ある意味、初めて本当のA-Trakスタイルが生まれたんじゃないかな。徐々に、色使いを増やしたりクリエイティブなものを表現することに、興味が湧いてきたんだ。自分は何者か、自分は何を表現するのか。そういうスタンスが明確になるほど、遊びの余裕も広がる。アーティストであることには、自分を楽しめる能力も含まれてるんだ。そのためには先ず、自分自身を知らなきゃいけない。

  • 文: Reva Ochuba
  • 写真: Hannah Sider
  • スタイリング: David Macklovitch、Rebecca Hearn
  • 制作: Zach Macklovitch