ビーチ・ハウスの進化は止まらない
ドリーミーなふたり組が堕落と攻撃性を加えた7作目のアルバムを語る
- インタビュー: Bijan Stephen
- 写真: Brad Ogbonna

1日の中で他の時間よりも神秘的な時間がある。世界の自然なリズムによって、色彩が鮮やかになる時間だ。そのふたつの時間の名前は、「マジックアワー」と「魔女の時間」だ。マジックアワーは、1時間程度のあたたかく、黄土色に輝く午後遅くの光に満ちた時間で、1日を無事終えた満足感を与えてくれる時間だ。魔女の時間は、静寂に包まれ、世界が銀色に変わる午前3時か4時頃、歴史的には、祈りが唱えられなかったと言われる時間である。
ビーチ・ハウス(Beach House)の作る音楽は、このふたつの時間のためのものだ。ヴィクトリア・ルグラン(Victoria Legrand)とアレックス・スカリー(Alex Scally)は、2004年にボルチモアのインディー音楽シーンで出会って以来、デュオとして音楽を作っている。これまで7枚のスタジオ アルバムをリリースした。そしてつい先週、ただ『7』と題した最新アルバムの発売が開始された。ビーチ・ハウスのサウンドはこれまで「ドリームポップ」と表現されてきた。このジャンル分けを、彼らは悪意とは受け取っていないが、歓迎しているわけでもない。とはいえ、彼らの音楽には目が回るような、心地よい酩酊感がある。私がそれに名前をつけるとすれば、おそらく「グノーシス派ポップ」、あるいは「黄昏時のマジック」だ。

だがヴィクトリアの考えはもっとシンプルだ。「私は『オルタナティブ』が単純に私たちの音楽にはふさわしいと思うわ。だって、その方が幅広く受け入れられる可能性があるでしょ」と彼女は言う。「サイケデリックにもなれるし、ポップ風にもなれるし、ロックの曲を歌ってもいいじゃない? その方が、もっと色々とできる余地があるわ」
バンドの最新アルバム『7』は、そうした空間を自由に放浪するものだ。「前よりも泥臭くて、汚くて、それに—」とアレックスが説明を始めると
「歪んでる」とヴィクトリアが言葉を継ぐ。
「…そして混乱があって、もっと —」
「夜の雰囲気」
「…もっと、夜っぽくて、前よりもっと…」
「もっと攻撃的」
「そう。頬と頬を合わせて挨拶するキスじゃなく、ディープキス、みたいな」
頬と頬を合わせて挨拶するキスじゃなく、ディープキス
ふたりは互いの考えを、こうして順々に補い合っていく。アレックスはとりとめのない言葉で、ヴィクトリアは直接的な言葉で。ここ、ザ ルドロー ホテルのロビーにあるカフェの奥で、午後の光が乱反射する中で見ると、彼らの服装ですらお互いに補い合っているようだ。アレックスは、フーディ、ウィンドブレーカー、タートルネックと全身を黒で包み、青いブーツを履いている。一方、ヴィクトリアは、青い大きなYves Saint Laurentのウィンドブレーカーに、ゴールドの指輪とプラチナのチェーン、黒のペインターパンツ、スイセンをあしらった青のソックス、黒のローファー、そしてLeSportsacのウェストポーチといった姿だ。彼らの立ち居振る舞いもまた、ふたり並ぶことでうまく機能している。アレックスはひたむきで物腰柔らかく、ヴィクトリアはもっと激しく、かたくなだ。彼がコーラを飲む一方で、彼女はウォッカ ソーダをちびちびと飲んでいる。ふたりとも、とても穏やかだ。


『7』において、ふたりはかつてないほどに共鳴し合い、自分たちの周りの世界で起きていることに調和している。そのため、たまにどちらが何を歌っているのか区別するのが難しいことがある。「ひとりでいるのはつまらないよ」とアレックスが言う。「突き詰めれば、遊び相手よね」とヴィクトリアが続ける。最近のますます顕著になり切迫しつつある、社会の緊張を表現したアルバムの中でも、後半の楽曲、「Black Car」ではこうした力学が特に際立っている。
冷たい所へ
私たちは入って行きたい
そこは墓地のようであり
掴まっていられるようなもの
それが終わる前
その時に
静けさがたわむ
私は石を跳ばした
それは底へと落ちた
夜に歩くときはいつも、私は目を閉じることができない
抑えられたシンセ、激しいバスドラム、そして二重に重なった中性的な声が内包されているのは、平和への希求である。決して激しいとは言えない。だが、それは確かにそこにあり、ギリギリのところを攻めている。
「言葉は息苦しくて窮屈なものにもなりうると思う。馬鹿らしいわ」とヴィクトリアは言う。「でも、近頃の暴力的な言葉は常軌を逸してる。人々がある馬鹿げた考えを思いついて、それで何もかも終わってしまうのよ? この混沌や狂気や闇のような感覚があるから、人は自分の持っているものに深く感謝するんだわ」とヴィクトリアが言うと「それによって僕たちの感情もまた刺激を受けてるのだと思う」とアレックスが言葉を継ぐ。「アーティストは皆それぞれ」とヴィクトリアは、私が正確に彼女の言葉を書き取っているのを確認しながら話す。「様々なレベルの傷を負っているのよ」

ふたりは『7』で、ビーチ・ハウスがバンドとして活動を開始して以来、14年間で一度もできなかったようなことを、いくつか実現できたと話す。「『Lemon Glow』で出せた感じ、ビートや雰囲気やエネルギーっていうのかしら」とヴィクトリアが言う。楽曲はなめらかでシンプルだ。思うに、そこでは名前を知らぬ美しい誰かと一緒に、マジックアワーと魔女の時間を交互に生きているような感覚が表現されている。
あなたがやっていること
これが私を救う
私は力を取り戻す
あなたは夜通しそこにいる
あなたがやっていること
これが私を救う
私は力を取り戻す
あなたは夜通しそこにいる
「私たちはやっと何かを掴み始めたところだと思うの」とヴィクトリアが続ける。「こんなこと言うなんて、すでに7枚もアルバムを作ったことを考えれば、正気じゃないわよね。でも、あなたは私たちがキャリア半ばにいると言ったけれど、私は、実際、ビーチ・ハウスがキャリアのどの辺りにいるのかわからないのよね。でしょ? この先7枚のアルバムができるかもしれないし、3枚かもしれない」。アレックスはこの「楽観的な」視点が気に入っている。

「重要なのは何かを見つけたことに感謝しながらも、決してわかったとは思わないことじゃない? 常に貪欲でいなきゃならないもの。私たちにとっては、ただずっと忙しくて、でも音楽できて幸せだっただけだしね。たまに消耗していたときもあったけど。でも、他の方法ではやりようがなかったとは思うわ」とヴィクトリアが言う。「これまでのすべての実験の結果、私たちの考えが広がったのは確かよ」
その他の成果として、『7』にはこれまでのアルバムと違った感じがするという点がある。同じ温もりがあり、同じシンセの音ではあるが、テーマはよりダークで、ビーチ・ハウスにしてはだいぶ実験的だ。ヴィクトリが言うには、それは、視覚的には「間違いなく白黒で、スモーキーで、鏡があって、おそらく、タバコの煙も漂っているような、そんな感じ。とても濃い固形マスカラ、イーディ・セジウィック(Edie Sedgwick)みたいな。ウォーホルね。でも同時に未来主義的な何かにも突き刺さるような」。こう彼女が言うことで、おそらく燃料が溢れ、一気に加速する。「僕に言わせれば、『砂丘』の爆発シーンみたいな感じだな」とアレックスは言う。
未来に身を投じるとき、私たちには常に過去がつきまとっている
映画を見たことがない読者のために言っておくと、ここで彼が言うシーンとは、1970年のアントニオーニの映画のクライマックスのことで、砂漠の奥深くにある豪邸が爆発し、それがピンク・フロイド(Pink Floyd)の「Come In Number 51, Your Time Is Up」のサウンドと共に、何度も何度も繰り返しスローモーションで映される場面のことだ。カラフルで、何ともつかない爆弾の破片が、矢車草のような青空を背景に、紙吹雪のように空中に飛び散る。「私が言いたかったのはまさにそれ」とヴィクトリアは同意する。「それに少し終末の直前のような感じも。あるいは、夜の世界を想像で描いた風景みたいな。そこに見える唯一の色は緑色レーザーで、郊外にあって、がらんとした世界」。彼らの世界観はぴったりと一致する。「未来に身を投じるとき、私たちには常に過去がつきまとっているのよ」とヴィクトリアは付け加える。
「レコードを出すたびに、これらの変化が起きるの」と続ける。「世界は様変わりしてしまった。ネットも変わった。私たちも変わった。そして私たちのライブに来る人も変わったわ」。初めてのツアーの最初の数回はライブに来る人は多くなかった、とアレックスが思い出す。「バンドを始めた頃の3〜4年は、いつもライブに来る人全員が、僕たちよりも年上みたいだった」と彼は言う。「それが年齢を重ねるごとに、見にくる人たちが、どんどん若くなっていったんだ」


インタビューが終わると、タイミングを見計らったように、それまで近くで静かに作業をしていた若い男が、緊張した面持ちで私たちのいるテーブルに近寄ってきて、ビーチ・ハウスのファンだと言った。彼は、バンドが好きで、最近この街であったライブも見たと言う。アレックスとヴィクトリアは面白がると同時に光栄に感じて嬉しそうだ。ちょうど私たちはファンについてと、フルタイムで音楽を作り続けることができて、ふたりともどれほど幸運だと思っているかについて話していたところだったのだ。それを可能にしたファン、自分なりのちょっとした行為でふたりの夢を叶えてくれた人が現れたのは、まさに「こうやって音楽を続けているのには、何か理由があるに違いないわ」とヴィクトリアが言い、「自分たちのやっているこれが一体何なのか、とことん理解し続けていくしかないよ」とアレックスが語っていたときだった。若い男はセルフィーを撮ってもらえないか尋ねる。「ごめん、写真は撮らないようにしてるんだ」と、アレックスが心底申し訳なさそうに言う。青年はまったく気を悪くしていなかった。ふいにちょっとした神様と対面したかのように、浮き浮きして見えた。
それを見て、私はアレックスとヴィクトリアが少し前に話していたことを思い出す。「結果を見てうまくいったと感じるとき、すごくワクワクする」とアレックスが言ったことだ。「今夜9時にライブがあるんだ。ステージに立って、この新しい作品に命を吹き込まないといけない」
「まるで電流が走るみたいなの」とヴィクトリアが言う。「それはいわば —」
「あらゆるものに意味を与えるようなものだ」とアレックス。
「最初の方のいくつかのライブって、最初の月でもそうだけど、とにかくアルバムに命が吹き込まれる感じが本当にするのよ」とヴィクトリア。
そしてふたりして、そこに至るまでは、アルバムは分析的で魂がこもっていないのだと言う。「心を欠いている感じなんだ」とアレックスが言う。「だから、心が戻ってくるのが楽しみだ。それは、サウンドや、感情や、汗や、熱気やアルコールや、何でもいいけど、そういうものすべてにかかってる。そういう感覚に向き合う準備はすっかり整ってるよ」

Bijan Stephenは雑誌『The Nation』の音楽批評家。『The New Yorker』、『The New York Times』、『GQ』など多数に執筆を行う
- インタビュー: Bijan Stephen
- 写真: Brad Ogbonna
- ヘア: Shideh Kafei