アンジェラ・ディマユガの食べる政治

文化と世代をレシピで表現するシェフと、韓国風チキンスープを料理する

  • 文: Kevin Lozano
  • 写真: Liz Barclay

料理することと食事を出すことを、アンジェラ・ディマユガ(Angela Dimayuga)は政治的な行為だと考える。それらは、彼女にとって、口に入れた食べ物が引き起こす感覚や食器の上の盛り付けよりはるかに複雑な視点の結合だ。彼女の料理は、どのコースでも例外なく、アイデンティティ、歴史、文化、食べ物の力に対する理解がしっかりと伝わってくる。

ディマユガをもっとも有名にしたのは、ロウアー マンハッタンにあるレストラン「ミッション チャイニーズ」でエグゼクティブ シェフを務めた5年間だ。大胆不敵な「ミッション チャイニーズ」は、意表をつくアジア料理、あるいはディマユガが皮肉を込めて呼ぶところの「新アメリカ料理」ばかりでなく、進化を続けるアートとコミュニティのスペースとして広く知られている。メニュー作りのためにディマユガがコラボレーションしたエリック・レン(Eric Wrenn)は、現代美術雑誌『Artforum』、Eckhaus LattaHelmut Langらと仕事をしたことがあるアート ディレクターだ。ディマユガは、グレース・ヴィラミル(Grace Villamil)がポリエステル フィルム「マイラー」で制作した、光の反射で頭がクラクラするような「宇宙空間の洞窟」をはじめ、さまざまなアーティストに依頼した一連の野心的なインスタレーションを、順次、ダイニング ルームに登場させた。接客スタッフのトレーニングには、クィア理論とジェンダー理論を応用した。アメリカのどこを探しても「ミッション チャイニーズ」のようなレストランは他にない。それほど特殊なスペースを創り出した影の立役者がディマユガだった。

ほとんどを舞台裏に徹した5年間だったが、昨年、イヴァンカ・トランプ(Ivanka Trump)のサイトから、特集記事を載せたいという取材依頼を受けた際、それを断る返信として強烈なトランプ非難をインスタグラムに投稿したところ、それが瞬く間に拡散して大きな注目を集めた。言い換えれば、どんな役割がシェフに期待されているにせよ、ディマユガはすでに新たな境界線を引き直したということだ。彼女の経歴を見ると、そもそもシェフという職業は、クリエイティブ ディレクター、キュレーター、理論家、活動家、その他諸々でありうる存在として再考する必要があるのではないかと考えさせられる。

さて、キャリアの次の段階を模索すべく、彼女が包丁をまとめて「ミッション チャイニーズ」を後にしたのは約5か月前のことだ。現在はいわばフリーランサーとして、アーティスト、ギャラリー、ファッション ブランド、非営利団体、レストランではないありとあらゆる種類のスペースとコラボレーションを続けながら、食事が単に綿密に構成された一連の料理以上のものであり、コンセプトや理念を表現する媒体となれることを示している。例えば、近々予定されているジュネーブ ビエンナーレのディナーでは、アーティストのメリエム・ベンナニ(Meriem Bennani)とコラボレーションして、移民と未来志向にインスパイアされた料理を作る。『The Cut』マガジンの紹介記事で、ディマユガは、レストランを「アイデアが誕生する交流の場」と表現している。どうやら彼女の新たな使命は、食べ物を通じて、まさに「アイデアが誕生する交流の場」を、従来のレストランという枠組みにとらわれず実現させていくことのようだ。また、先日新たに公表された、スタンダード インターナショナル ホテル グループの食と文化のクリエイティブ・ディレクターとしても、彼女はこのコンセプトを探求している。ここで彼女が携わる仕事の詳細はまだ計画段階ではあるが、ディマユガは、最近のインタビューで、「料理人として接客産業に関心を持つ良い機会」だと話しており、料理に限らずアートや音楽など多数が盛り込まれたプログラム作成の監督をサポートする予定だ。

どのコースでも例外なく、アイデンティティ、歴史、文化、食べ物の力に対する理解が伝わってくる

僕たちが待ち合わせた5月初旬の1週間前、ディマユガは短期間で東京、パリ、サンノゼ、ロサンゼルス、その他の都市をまわる世界ツアーを終えた。ロサンゼルスでは、ボイル ハイツにあるギャラリー「356 ミッション」のアーティスト イン レジデンスとして、ジェニファー・シア(Jennifer Shear)とのコラボレーションによるイベント「戌の年」を開催した。会場では近隣の子供たちに料理の実演をしてみせ、食べ物と楽しく遊べることを教え、ご飯で犬や漫画のキャラクターを作る方法を指導した。彼女は知的で野心的なイベントを行なうが、同じ程度に気取らない遊び心も発揮する。

ディマユガの話によると、10歳のとき、幻だか予兆だか、シェフとして仕事をしている自分の姿が見えて将来を確信したという。ニューヨーク シティで、待ち合わせの場所に選んだユニオン スクエアのグリーンマーケットの外側に現れたディマユガには、今もそれと同じ情熱と率直さがある。僕たちは料理に使うアシュワガンダの根を探しに来た。アシュワガンダは、「ムーン ジュース」や「サン ポーション」といった健康志向のカフェや店で販売され、サプリメントとして人気が高まりつつある適応促進剤だ。癒し効果があることから、万能薬として重用される東洋の薬草の一種である。アシュワガンダは、アーユルヴェーダ 、インド、ユナニといった伝統医学に登場する。薬効はストレスおよび痛みの軽減。ディマユガは、医学的な目的のためにアシュワガンダの根を使うことに反対ではないが、非常に苦味の強いフレーバーをなんとか宥め和らげて、僕のために作ってくれるチキン スープに上手く生かすことのほうにもっと関心がある。

ニューヨークの春にしては少し肌寒い日だから、暖かいスープのご馳走はとても魅力的だが、産直農家のスタンドにあるアシュワガンダの根を目にした途端、どういう心構えでいればいいものか、気持ちが揺らぐ。「捻じ曲がった」...それが最初に頭に浮かんだ形容詞だ。これがギレルモ・デル・トロ(Guillermo del Toro)の映画だったら、アシュワガンダのゴツゴツした木質の指が動き始めて、足首を掴まれ、どこか暗黒の世界へ連れて行かれるところだろう。ディマユガはなかでも特別肉厚のひとつを取り上げて、付け根を僕の鼻の下に差し出す。目を閉じて、息を吸い込む。嗅覚は瞬時にして、森の中で躓いて顔から地面に突っ込んだときの子供時代へ僕を連れ戻す。味蕾と鼻毛のすぐそばで、湿った土とミミズがうごめく。

今日のためにディマユガが考えているレシピは、チキンと朝鮮人参のスープ「サムゲタン」から思い付いた。ソウルで初めて出会ったスープを、彼女は「力が付く」と表現する。朝鮮人参の代わりにアシュワガンダを使うのは、薬草としてのフレーバーが似ているし、ニューヨークではアシュワガンダのほうが手に入りやすいから。今日作るのはサムゲタンが土台だけど、「本物じゃなくて」、インスピレーションのもとになったローカルな文化とインターナショナルな文化の一種のコラージュ、と指摘することをディマユガは忘れない。

ベッドフォード スタイベサント、通称ベッドスタイにある彼女のアパートへ向かいながら、現在フィリピン料理に対して高まりつつある関心、そして家族のルーツをもっと深く掘り起こしたいと願う燃えるような欲求を抱えた第一世代としてその渦中にいる気持ちについて話す。「エキサイティング」の一言。自分が料理として差し出すのは「私的なアイデンティティ政治」であり、ある程度は何世代にもわたって形作られたものだと、ディマユガは繰り返し語っている。ディマユガの家族は、驚くほど、アメリカとフィリピン双方の文化に深く織り込まれている。父はマクドナルドのエクストラ バリュー メニューの考案者、曽祖父はフィリピンの現代大衆音楽「クンディマン」を誕生させた先駆者のひとりだ。

アパートへ戻ると、ディマユガはあっという間にチキンにもち米を詰め、香り付けの材料や細長いアシュワガンダの根と一緒にスープ鍋へ入れる。チキンの脂、ニンニク、ネギの馴染み深い匂いと、間違えようのない、だが不慣れな土臭いアシュワガンダの匂いがぶつかり合う。片づけをしているディマユガに、僕はとても抽象的な質問をしてみる。つまり、どの辺りで料理はアートに似てくるのか? 「自分が何を見つけようとしているか、自分にとって料理することにどんな意味があるか、それ次第じゃないかしら」とディマユガは言う。「自分がやってることがアートだと感じていない人が沢山いるけど、料理は最終的にアートなのよ」。 そのことを説明するために、彼女は祖母のことを話す。

100歳を迎えて間もなくの先月、ディマユガの祖母は亡くなった。最後の息を引き取るのを、病室で看取ったという。葬儀で弔辞を頼まれたディマユガは、祖母の料理を中心に話した。どういう風に大切な家伝のレシピを教えてくれたか、いかに味覚を育てられたか。彼女の祖母は、家族だけでなく、暮らしていたフィリピンのパンパンガ州、メチーコで隣近所の子供たちにも食事をふるまったそうだ。薬剤師だったから、店の棚にフィリピンの薬草の治療薬も並べていたともいう。親類縁者の弔辞でも、祖母の料理が語られた。「食べ物にどれほど力があるか、よくわかったわ」。ディマユガは言う。「たとえ質素な食事でも、人を感動させることができる。そういうふうに食べ物にまつわる力学を理解することは、必ずしも、『料理は重要だ』っていうヨーロッパの考え方と同じではないの。私の料理に染み込んでいるのは、私自身のアイデンティティだから」。祖母が伝授したコミュニティを愛する心と暖かい思いやりが、そのアイデンティティの一部だ。「私が料理するのは、人に振る舞ってもてなす行為だからよ。人を驚かすのは楽しいわ」

食べ物にまつわる力学を理解することは、必ずしも、「料理は重要だ」っていうヨーロッパの考え方と同じではないの。私の料理に染み込んでいるのは、私自身のアイデンティティだから

ここ何年もアーティストの友人たちとコラボレーションしてきたディマユガだが、長い間、自分自身を同じアーティスト仲間と考えることはなかった。「私が作るタイプの料理は、たいして見た目が派手じゃないから。もしビジュアルな料理を作ったとしたら、それは色々試した結果そうなっただけ。綺麗な写真を撮った後、さあ味はどうかな、っていうのとは正反対よ」。ディマユガの理念は、一般に創作料理から連想される妙技の類とは逆方向を向いている。テクニック志向のシェフとは異なり、人間の食べ物をきめ細かな泡に変えたり、映りばえがよくソーシャル メディアで拡散しやすい「技」を披露することに、ディマユガは無関心だ。彼女の視点は、もっと不可思議で、もっと賢く、もっと感性豊かで、もっと思慮深い食文化の提唱に根ざしている。

ディマユガのアートは、生み出すアートだ。一緒にいると、素晴らしい食事によって世界がもっと良い場所に見え始めることを実感する。たとえ地味でも、食べ物によって創造的な実践を持続させる空間を作れることを、彼女の料理は提示する。賢く組み合わせた料理は強力に脳を活性化すること、啓蒙と滋養の両方を同時にもたらすことを、ディマユガは知っている。 論より証拠。あれこれ言うより、チキン スープの試食だ。

スープが出来上がった頃を見計らい、ディマユガはスプーンすくって味見をさせてくれる。今回も僕は目を閉じて、来るべき瞬間に備える。プルーストほどではないが、それに近い。知っている気がするけど、確かに未知のフレーバーが混ざり合った液体を受け入れて、ニューロンが電気信号を散らし、味覚受容体が反応する。これまでに味わった美味しいチキン スープの特徴は、すべて揃っている。微妙な脂分と香り。だが全体に、茶褐色に積み重なった枯葉の上に顔から突っ込む体験を蘇らせるフレーバーが染み渡っている。地球と深く結び付いた味覚だが、僕はほんの一瞬、その上の宇宙空間を浮遊しているような気がする。

Kevin Lozanoは、ブルックリンを拠点とするライターであり、エディターである。『Pitchfork』、『Artforum』、『GQ』、『Bookforum』、その他に記事を執筆している

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