DRAMの笑顔はまだ消えない
自分で起こした波に乗ってスターの座に辿り着いたラッパー兼歌手
- インタビュー: Rebecca Haithcoat
- 写真: Sandy Kim

イドニットはハッピーじゃない。シャーベット色の夕暮れの光が、ロサンゼルスのブティック ホテルのジュートラグに暖かい陽だまりを作っているというのに、ゴールデン レトリバーとプードルの血を引いたDRAMの愛犬は、そんなものを楽しむ気はまったくない。ロフト タイプのスイートの別の部屋へ小走りで去ったかと思うと、すぐに戻ってきて、首をかしげ、何かを訴えるように短く吠える。撮影の準備ができる合間に、DRAMはベッドに浅く腰かけ、イドニットをなだめようとする。手のひらに褒美をのせて、芸をさせようとする。イドニットはイライラした様子で中途半端な芸をして、飼い主が諦めて褒美をくれるのを待っている。私は小さな分からず屋の耳に手を伸ばし、縮れた毛の下側にあるシルクのような柔毛に触れようとする。ところが、イドニットは身をよじって逃れ、物問いたげに私を見たあと、面と向かって甲高い声で吠える。
この子犬を喜ばせるのは無理だ。

DRAM着用アイテム:スニーカー(Gucci)、ジャケット(Wheir Bobson)、パンツ(Wheir Bobson) 冒頭の画像 着用アイテム:スニーカー(Gucci)、ジャケット(Wheir Bobson)、パンツ(Wheir Bobson)
実を言うと、飼い主もちょっと苛立っているようだ。これには驚いた。バージニア生まれのラッパー兼シンガー ソングライターDRAMは、2015年、『スーパー マリオ ブラザーズ』のサンプリングで一度聞くと耳から離れない「Cha Cha」をリリースして、初のバイラル ヒットを放った。新しいサウンドを「ハッピーなトラッピー」と名付けたのはDRAMだが、以来、彼自身も、言うなれば「ラッキーなハッピー」ボーイを象徴する存在になった。大手レーベルからリリースされたデビュー アルバム『Big Baby DRAM』で名乗ったDRAMは、「Does Real Ass Music」の頭文字だ。カバー ジャケットでは、1950年代のホーム コメディに登場した近所の若者さながら、DRAMが明るい無邪気な笑顔を見せている。アルバムに収められた「Broccoli」にはリル・ヨッティ(Lil Yachty)も参加して、まるで大きなボールが弾んでいくようにヒットした。『ニューヨーク タイムズ』紙は『Big Baby DRAM』を「楽しい」の一言で表現した。要約すれば、それがおそらくいちばんふさわしい形容だろう。
だが、スターの座は、DRAMの生きる歓びを多少損なってしまったらしい。『Big Baby DRAM』がリリースされた直後の1年前にインタビューしたとき、DRAMは陽気なサンタみたいな雰囲気だった。今日カメラの前で、彼はいつものペルソナどおり、はしゃいでいる。だがシャッターの音が途絶えると、気難しいイドニットや、電話や、『Justified』と『Vice Principals』に出演しているウォルトン・ゴギンズ(Walton Goggins)を見かけたという噂話に気をとられる。写真の撮影を続けるため、ついでに待ちくたびれたイドニットに散歩をさせるため、首輪に紐をつけて階段を下りていくときでさえ、喜んでいるのは犬だけらしい。
自分が野心より大きくなり過ぎないこと。野心が自分より大きくなり過ぎないこと。難しいのはそのあいだのバランス
クリエイティブな業界で成功する…それに関して語られないのは、一度回し車に乗ったハムスターは下りられないことだ。確かに消耗するが、回し車が空になった途端、喜んで飛び乗ろうというハムスターは山ほどいる。インターネットは貪欲な獣であり、特にラッパーは新しい歌やミックステープやアルバムの餌を与え続けることが要求される。キャリアがスタートしたとき、DRAMは家電量販店「ベスト バイ」で働く20代半ばの若者だった。だから、回し車を下りた後に残される選択肢は承知しているし、それを選ぶ気はない。それよりはストレスを選ぶ。
「未来が見える水晶の玉を持ってるみたいに、ここに座って将来起きることを予測してみせる気はないけど、ずっとこの仕事を続けることだけは分かってるんだ。普通の生活には絶対戻らない」。DRAMは語る。「ずっとずっと築き続けるんだ。自分が野心より大きくなり過ぎないこと。野心が自分より大きくなり過ぎないこと。難しいのはそのあいだでバランスをとることだ。バランスの問題さ」
「Broccoli」で歌っているとおり、特別な才能があると言われたとき、シェリー・マーション・マッセンバーグ・スミス(Shelley Marshaun Massenburg-Smith)は5歳か6歳だった。その後バージニア州ハンプトンで成長しながら、将来スポットライトを浴びる日が来るのを疑うことはなかった。
「それだけがオレの唯一の本当の願いだった」。インタビューで初めて、高揚した声でDRAMは言う。「自分でこれと決めたことは何でもやれるって、かなり自信もある」
ザイオン バプテスト教会の聖歌隊の一員として、また親族が集まって芸を披露する「舞台」で、早くからマイクを手にした。10歳になったとき、自分をいちばん応援してくれる人が自分の才能の源でもあることを理解した。米軍に所属していた母も歌が上手かった。
「長いあいだ、家族はオレとママだけだった。ママは、オレにとっては母親と父親の両方さ。本当に強いんだ。すごく自己主張するし、説得力があるし、何に関しても単刀直入。オレがママから受け継いだものはたくさんある」
家庭に父の姿がない代わりに、祖父がいてくれたのは幸運だった。DRAMが名前を貰った祖父は、暮らしを安定させる定点だった。祖父のおかげで家族としての結束が生まれた。
「祖父ちゃんは親族全員を守ってくれたし、道を踏み外さないように導いてくれた。絶対動かない彫像みたいな存在だ」。DRAMは続ける。「オレは祖母ちゃん子。死ぬほど祖母ちゃんが好きなんだ。今思うと、ちゃんと躾られたことをすごく感謝してるんだ。今のオレは、大いにそのおかげだ」
ほかに方法もないし、どうしようもないから、インターネットに上げてみた。後は音楽がひとりでに歩き出した
ケンタッキーでカレッジに通い始めたがうまく行かず、家に戻ってからは、ビートをいじったり、地元のショーに出演し始めた。そして、プロデューサーのゲイブ・ナイルズ(Gabe Niles)と出会った2014年、ローファイなトロピカル風の2ステップ「Cha Cha」を録音した。DRAMはヒットを確信した。
たったひとつ問題があった。まったく業界にコネがなく、インターネット上のフォロワーもいなかったことだ。
「何とかチューブでも何でもいいけど、オレはインターネットで大した話題になってなかったんだ。オレたちはきちんとした正規の音楽作りの手順を踏む人間だったからな」。DRAMは言う。「だけど、『とにかくインターネットに出してみろよ。絶対聴くやつがいるから。いい音楽だったら、絶対評判になるんだ』って言われて、ほかに方法もないし、どうしようもないから、インターネットに上げてみたんだ。後は音楽がひとりでに歩き出した」
ハンプトンは小さな町かもしれないが、バージニア生まれの人間には根性がある。ファレル(Pharrell)、ミッシー・エリオット(Missy Elliott)、ティンバランド(Timbaland)など、もっとも斬新とされるミュージシャンには同郷の士が顔を並べている。彼らに刺激を受け、「Cha Cha」への反応に勇気付けられ、DRAMは「ベスト バイ」でのコンピュータ修理の仕事を後にしてニューヨークのCMJフェスティバルへ向かった。
「仕事を辞めたとき、もう絶対戻るつもりはなかった。あの瞬間から、1つの方向しかなかったんだ。オレはそれに全身全霊を注ぎ込む。『見てろよ、オレたちはやってやるからな』って気概がある」
DRAMが作るサウンドは、彼が見せる笑顔と同じように、人へ伝染していくことが立証された。1年後には、クイーン ビー(Queen Bey)ことビヨンセが「Cha Cha」に合わせて踊る動画をインスタグラムにアップロードしたことで彼女からお墨付きをもらい、大手のレーベルと契約を結び、リック・ルービン(Rick Rubin)との付き合いも始まった。ちなみに、ルービンとのコラボレーション第一作「Check Ya Fabrics」は、先月リリースされた。だが、キャリアがスタートしたときにDRAMはすでに25歳を超えていた、つまりラップ年齢ではすでに中年だったことを考えれば、一夜にして成功を掴んだというわけではない。
「爆発的じゃなくて、着実に波に乗ってきた感じだな。それが良かったと思ってる。徐々になじめたから」
とはいえ、生活は劇的に変化した。家族や友人たちと過ごす平凡ではあっても居心地のいい日常は、見慣れない街と、例外なくDRAMから何かを得ようとする大勢の人間に取って代わられた。去年は、多くの夜をツアー バスのベッドで眠った。暇な時間は過去のものになった。その上、躊躇うことなく他人の成功を利用して自分の成功を企む恥知らずなアーティストが、必ずひとりはいる。文字通り盗んだわけではないが、トロピカルな香りとピナコラーダ風味を感じさせるハワイアンな「Hotline Bling」で、ドレイク(Drake)が、DRAMが作りだした波に只乗りしたことは確かだ。リリースされた当初は、「Cha Chaリミックス」というタグまで登場した。
「正直言って、音楽はルールなしの無法状態さ。インターネットがそれをものすごく助長した。今じゃ仲間と自分たちの『自分たちならではのこだわりがある』サウンドを作るんじゃなくて、自分の公園や広い土地を構えて、『受ける』サウンドを作ってもやっていける時代なんだ」。DRAMは続ける。「俺に分かってるのは、自分のサウンドの力を世界へ放って、世界がそれを耳にして、すごく大きな存在に成長したら、真似することを考える人間が出てくるってこと。みんながみんな、自分で新しいものを作れるわけじゃないからな」
DRAMがちょっと素っ気ないのも無理はない。とはいえ南部の作法と教会の日曜学校の教えは簡単に消えるものではない。
「善き人であれ。善き行ないをせよ。主は偉大なり、主は善なり。善き行ないをするとき、汝は主の光のうちを歩むを知る。善き行ないをせざるときも、主の光のうちを歩むを知る」とDRAMは暗誦する。礼儀正しさの中に、わずかに強く苛立ちが滲む。なんと言っても、最近はハリウッドで過ごす時間がとても長いのだ。「あとどれくらい、質問が残ってる?」
Rebecca Haithcoatは『LA Weekly』の元アシスタント音楽エディター。『The New York Times』『GQ』『The Guardian』『Playboy』『Billboard』『SPIN』『 Pitchfork』その他でも記事を執筆している
- インタビュー: Rebecca Haithcoat
- 写真: Sandy Kim
- スタイリング: Fatima B.
- ヘア: Erinn Courtney
- 制作: Emily Hillgren
- 撮影場所: The Freehand Hotel