レディ・レイーシャは音楽に語らせる

グライム界のMCの女王が
キャリアとカミングアウトを語る

  • インタビュー: Nazanin Shahnavaz
  • 写真: Vicky Grout

数ヶ月にわたるメールと電話のやり取り、スケジュール変更を経て、ようやく今、私はロンドンの日光の差し込む写真スタジオで、レディ・レイーシャ(Lady Leshurr)を待っている。きちんとアイロンのかかったデザイナーウェアが壁面のラックに並び、少し離れたところには、パウダーやクリームの置かれた化粧台が輝いている。そして、レッドカーペットのように、撮影用のバックペーパーが広げられ、英国のラップの女王がフレームの中に収まるのを待っていた。1時間が経過し、来ない可能性が濃厚になるにつれ、私は落ち着かずキョロキョロと部屋中に視線を泳がせていた。突如、私の携帯が鳴る。グライム界のファーストレディが到着したのだ。レイーシャが隣のエレベーターから出てくる。彼女は小柄で、ナチュラルメイクで、全身から内気さが滲み出ていた。威勢のいい歯に衣着せないMCとは完全に対照的だ。彼女の毒舌は、非常に個性的なディスと痛烈にカルチャーに切り込んでいくYouTubeのQueen's Speechシリーズでよく知られている。今回、私たちは、自尊心、カミングアウト、そしてイギリスのグライム シーンの限界を破壊することについて話した。

ナザニン・シャーナバズ(Nazanin Shahnavaz)

レディ・レイーシャ(Lady Leshurr)

ナザニン・シャーナバズ:若い頃にバーミンガムで音楽を作っていた頃について、どんな思い出がありますか。

レディ・レイーシャ:子どもの頃は、大半を家の中で過ごしていたの。基本的に私は引きこもりMCだったから、毎日、一日中ずっと家の寝室に篭って、ひたすらリリックを書いてた。普通の子ども時代じゃなかったわ。外に出て遊んだりしなかった。私の寝室はピンク色で、プレイボーイの壁紙を貼ってあって、母は私の邪魔をしたことなんてなかった。ご飯を作って、部屋の外に置いておいてくれたものよ。それくらい私はただ書くことに集中してた。それからユースセンターにあるスタジオに行って、リリックを録音して、また寝室に戻って、Logitechのウェブカメラでミュージックビデオを撮影して、それをYouTubeに投稿した。

今では自分でユースセンターをオープンし、レディ・レイーシャ ラップ大学も立ち上げていますが、あなたにとってユースセンターはとても重要なものだったようですね。

ユースセンターのおかげで今の私があるから。もしユースセンターがなかったら、今みたいなことをやっていたか、わからない。イギリスにはもうあまりユースセンターが残ってないのよ。ほとんどが建て壊されてしまった。これまでのところ、インフィールド区にひとつオープンしたけど、小さな男の子がすぐ近くで刺されたせいで閉鎖されたの。建てるのに100万ポンドかかったのに。あそこにはスタジオ施設も完備してたから、本当に腹が立ったわ。ストラトフォードにもひとつオープンして、これは主にメンタルヘルスの問題を抱える若者ためのセンター。多くの若者は、話す相手すらいないか、人と話すのが恥ずかしいと感じている。地域によっては、メンタルヘルスに対して恥と感じる風潮が強くて、若者は孤立している。こういう若者が支援を得られて、音楽を作ったり、友達に会ったりできるようなスペースを、今年はもっと建て直したいと思ってる。子どもの頃、私には友達はいなかったけど、ユースセンターがあって、私が誰かみんな知ってた。「あれが例の子よ、あのMCの女の子よ」って知ってたの。ユースセンターは行き場のない人々にとって、必要不可欠な場所だわ。

あなた自身がメンタルヘルスの問題で苦しんできたようですね。

世間の目にさらされていて、裏では不安や鬱に襲われていた。精神的に大きな打撃を受けたわ。私は不安に打ち克ったけれど、それは毎日が過ぎていくペースがとても速くて、周りからのプレッシャーがあったせい。でも、自分がどう感じていたかは誰にも言ってなくて、すべて心の中にしまっていた。何度か、自分で自分を傷つけて、文字通り、終わりにしちゃおうとしたことがあるの。そこまで追い詰められてた。誰も私を理解してくれない気がしていた。人は、こんな音楽はすごく簡単にできると思ってるけど、実際には、私はその中で死んでいきそうな気持ちだったのよ。

どうやって切り抜けたのですか。

恐怖と向かい合わなければならなかった。いちばん大きかったのは、私がすごく引っ込み思案で、自分の本当の考えを表に出さなかったことね。でも、自分の健康状態を考えなきゃいけないところまで来ていた。だから人々との関係を絶って、害になるような人間関係を終わらせたの。そうやって、少しずつ、また自分で自分の人生をコントロールできるようになっていった。そのことが回復に間違いなく役に立ったわ。こういう経験ができたことはありがたいと思っているの。このおかげで、私はいつでも音楽を通じて、ネガティブなことをポジティブに変えられるから。それがどんなことでもね。

着用アイテム:ドレス(Opening Ceremony)

「Queen's Speech」を通じてどのようなメッセージが伝わればいいと思いますか。

目標は達成できるっていうことね。どんな肌の色でも、どんな性別でも、出身がどこでも。私は黒人だし、女だし、バーミンガムの訛りもある。10年前ならこんなことは起こりえなかったわ。「Queen's Speech」のメッセージは、自分のなりたいものになるために裸を見せる必要はないってことよ。

確かに。あなたが再生数を稼ぐために決してセクシャリティを利用しなかったことは素晴らしいと思います。

私は音楽に語らせているから。2011年に、私にもっと露出の多い服を着せようとした人たちがいたんだけど、私は拒否したの。そのせいでいくつかのチャンスを失ったけど、誠実であることは、この世界で最善の選択だと考えてるわ。自分に対して誠実でありながら、自分の好きなことが何でもできるなら、最高の人生を生きているってことよ。人が私に魅力を感じるかどうかなんて気にしない。私はそのためにやってるんじゃないもの。結局いつもみんなが私に譲歩して、「仕方ない、彼女はテコでも動かないから、彼女に合わせるしかない」って感じだった。主導権を握るのっていいわよ。

YouTubeに、インタビュアーがあなたの性的指向について、しつこく探りをいれている動画がありました。もしあなたが男なら、そもそもそのような質問をすること自体、そのインタビュアーは考えただろうかと、思わずにはいられませんでした。

それはそうね。グライム シーンでゲイやバイセクシュアルであることは大変なの。だから、私もすぐにはカミングアウトしなかった。昔から自分が女の子も好きだってことはわかってたけど、カミングアウトしたら聴衆がどういう反応をするか心配だった。グライムの聴衆はすごく若くて、ナイーブで、場合によっては無知なのよ。自分たちが聞いているミュージシャンがゲイだなんてことは、聞きたくないと思ってる。私が知って中では同業者にもゲイはいるけど、その人たちは絶対にそれを言わないわ。そのせいで、キャリアに影響が出かねないから。私は毎年エイプリル フールになると、Twitterに「みんな、私はゲイよ」ってツイートしたものよ。反応が嫌な感じだったら、後で「冗談よ」と言って取り消せると考えてたせいかも。それでも毎年やったのは、それほど伝えたくて仕方なかったからよ。

今はどうですか。

今はみんな知ってるし、私はそれで満足よ。でも実際、「ああ、この人は私は地獄で焼かれるかAIDSになるって思ってるんだ」って考えずにはいられないようなツイートを送りつけてくる人がいたわ。最低よ。でも、今はカミングアウトして良かったと思ってる。私は自分自身の人生を送れてるし、誰かのために生きてるんじゃないから。

あなたはきっと多くの人のロールモデルになっていますよ。

たくさんの若い子たちから、「あなたがカミングアウトしてくれてすごく嬉しい。私も怖くて、お母さんにどう言えばいいかわからないから」っていうようなメッセージをもらったわ。彼らに声をかけるための時間はいつでも用意してる。だって、あの子たちがどれだけ辛い思いをしているか、わかるから。若いときは、それが世界の終わりみたいに思えるものよ。苦しんでいる子たちが大勢いる。学校にいて、苦しんでいる。私は、彼らにアドバイスをして、大丈夫ってことを示してあげられるような人になりたいの。

  • インタビュー: Nazanin Shahnavaz
  • 写真: Vicky Grout
  • スタイリング: Nazanin Shahnavaz
  • 写真アシスタント: Dom Fleming
  • ヘア: Edmund Bossman / Wig London
  • メイクアップ: Portia Williams