ロレンツォ・センニ:情熱の規律
イタリア人のミュージシャン、ハードコア類型学の魅力を語る
- インタビュー: Philip Sherborne
- 写真: Piotr Niepsuj

ここ数年にわたって、私は世界のあちこちでイタリア人エレクトロニック ミュージシャン、ロレンツォ・センニ(Lorenzo Senni)に出くわすことがあった。ポーランドのクラクフ、バルセロナ、ベルリン。そして会うといつも、彼はふかふかの黒いボンバージャケットを身に着けていた。写真の中であっても、彼は必ずそれを身に着けている。ボンバージャケットは、過去2〜3年間で至るところで目にするようになったが、センニのボンバージャケットに対する思い入れは流行などよりもずっと深い。それは、彼の青春に影響を与えたふたつのサブカルチャーを象徴しているのだ。つまりハードコアパンクとハードコアテクノ。平日には、生まれ故郷チェゼーナのストレートエッジのバンドでプレイし、週末になると、ハードコアテクノのジャンルのひとつ、ガバ繋がりの友達と、リミニ近くの巨大なクラブへレイヴに出かけた。このふたつのシーンの行き来は、彼にとって自然なことだったとセンニは言う。お酒の飲めないティーンエイジャーは、レイヴ仲間から運転手として指名を受けひっぱりだったことも一役買った。おそらくボンバージャケットは、そのどちらの世界の扉も開いてくれる、合い鍵のような機能を果たしているのだろう。
「その通り!」と、最近、電話で話したときに彼は言った。「僕がいつもボンバージャケットを身に着けているのはそれが理由だよ。これがホントの僕なんだ。例え14歳に見えたとしてもね」と彼はクスリと笑う。「たぶん、それは僕が大人になりたくないだけかもしれない。でも僕にとっては自然なことなんだ。これが僕のやり方だよ。『The Shape of Trance to Come』という曲を作ったのも、僕がパンクバンドのリフューズド(Refused)が好きだから。彼らにも『The Shape of Punk to Come』という曲がある。僕はただ単に楽しんでいて、僕を刺激し続けるものすべてと戯れてるだけなんだ」
センニのアーティストとしての活動は、ジャンルの内側と外側にいる人間として過ごした日々に深く影響を受けている。ダンスミュージックに対する彼のアプローチは、センニが「レイヴの覗き見」と表現する通り、見事なまでに分析的である。何年も前、コンピューター ミュージックと音楽学を学ぶ中で、トランスの定番曲から自分の好きなビルドアップするという、「感覚民族誌学的」ともいえる音楽プロジェクトに乗り出した。エネルギーのみなぎる間奏部分でドラムの音が止み、シンセがクライマックスに向けて走り出す。そしてそれらが、目眩がするほど高く渦のように盛り上がっていくタワーのようにひとつになっていく。この独自の試みによって、彼はトランスによる感情の揺れに支配されることなく、トランスが持つ秘密を解読する道を進むことができたのだ。

センニの音楽の源は学問的ですらあるにもかかわらず、そこから溢れ出る彼の音楽は活気とユーモアに溢れている。そして、トランスに対する予備知識がなくても、『Quantum Jelly』や『Persona』のようなアルバムの、目の回るような弾んだ音を楽しむことができる。「取扱説明書を読まなくても、僕のやっていることを楽しんでもらえるってことが大切だっていつも思ってた」と彼は言う。「コンセプトを理解していなくても、そのメロディや音は楽しめるんだ」
Warp Recordsからリリースされたばかりの彼の最新のプロジェクトは、カタールの大富豪を描いたユリ・アンカラーニ (Yuri Ancarani)のドキュメンタリー映画『The Challenge』のサウンド トラックである。曲をオーケストラに合わせるため、センニは作曲家のフランチェスコ・ファンティーニ(Franceso Fantini)とコラボレーションを行った。アルペジオは木管の優美なメロディへと変わり、トランスのスタブサウンドは荘厳なホルンの大音となり響き渡る。それは、何もかも金ピカな映画のテーマに負けず劣らず過剰で、破天荒で、魅惑的だ。
フィリップ・シャーバーン(Philip Sherburne)
ロレンツォ・センニ(Lorenzo Senni)
フィリップ・シャーバーン:『The Challenge』はカタールの極めて裕福な鷹匠についての映画ですが、このプロジェクトに参加するようになった経緯を教えてください。
ロレンツォ・センニ:ユリはイタリアの僕と同じ地域の出身なんだ。僕の街から10キロしか離れていない所で彼は生まれた。僕より少し歳上だけど、アート、演劇、音楽の世界に共通の友達がたくさんいる。いっしょに仕事をするのは今回が3回目になるね。ユリはカタールで2〜3年かけて映画の撮影をしていて、それが終わると「完成した映画を君に見せたいんだ。君が協力してくれたら嬉しいけど、この映画にぴったりの音楽を既に他で見つけてあるんだ」って僕に電話をくれたんだ。それは、モーツァルト(Mozart)だとか他にはエレクトロニックミュージックの類だった。ユリは音楽をたくさん知っているから、彼といっしょに仕事をするといつも喧嘩になるんだよね(笑)
僕はそのとき、あるミラノでのプロジェクトのためにフランチェスコ・ファンティーニといっしょに僕の楽曲を何曲か編曲し直していたんだ。だからリハーサルの録音をユリの音楽と差し替えて彼に送ったら、「スゲー、ぴったりハマってるじゃん!」って返事が来たんだ。
音楽のセレクションには、映画のテーマがどのように影響しましたか。
ユリの作品は僕の作品に似ている。彼はいつもいろんな意味に解釈できるようなやり方でものごとを見ているから。彼自身の考え方はなかなかわからない。それは僕がトランスでやっていることでもある。
あなたは「トランスが良い」とか「トランスは悪い」ということを言いませんね。ただ、ポンと世に出しているようなものです。
そうだね。「あなたはトランスのエキスパートだね」なんて言われるけど、そんなんじゃない! トランスはここ数年で発見したものだから。もしほんとにトランスが好きなら、ちゃんとしたトランスを作ってるよ。


『ニューヨーク・タイムズ』紙のレビューで、「この映画は伝統的なドキュメンタリーの手法よりも、『感覚民族誌学』と呼ばれることもある、没入体験型で反解釈的な様式」に重きを置いていると書かれていました。それを読んで、私はあなたのやり方と非常に似ているなと思いました。例えば、「レイヴの覗き見」というあなたの考え方のように。
お互いに扱うメディアが違っても、ユリと僕にはたくさんの共通項がある。グイド・グイディ(Guido Guidi)がその理由だとも思うよ。彼は僕らと同じ地域の出身で、イタリアのもっとも優れた写真家のひとりであり、素晴らしい知識人だ。彼の存在は、僕たちの作品をつなげる重要な役割を果たしている。彼はアートがどのように表現されるべきかという明確な考えを持っている。彼は建築写真、風景、ポートレートからスタートしたけど、それを独自のやり方で、しかもとても系統立ったやり方でやっているんだ。彼が自分の作品をどう考えていたのか理解するため、僕は彼の家に何年も通った。彼のおかげで、僕は自分の仕事に対する考えや構想を練ることができるようになったよ。
パンクバンドのドラマー出身の僕には、部屋でひとりコンピューターをいじってるなんて、まるで科学者かハッカーになったような気分だった
トランスを分解するあなたのプロジェクトは、とても系統立ったものです。あなたは、トランスをバラバラにできるメタファーの連なりとしてアプローチしていますよね。ここはブレイクダウン、ここはビルドアップ、そしてここにスネアロールが来るというように。
パンクとハードコアを経て、僕はコンピューター ミュージックを学んだんだ。大学で勉強を始めたときは音楽学を勉強していたけれど、仲間の多くはコンピューターで音楽を制作していて、自分のソフトウェアをプログラミングしていた。僕はエイフェックス・ツイン(Aphex)に影響を受けて始めたわけじゃない。フロリアン・ヘッカー(Florian Hecker)、デイヴィッド・チューダー(David Tudor)、クセナキス(Xenakis)、そういう人たちを見て始めたんだ。そこではソフトウェアのプログラミングのされ方が問題になる。パンクバンドのドラマー出身の僕には、部屋でひとりコンピューターをいじってるなんて、まるで科学者かハッカーになったような気分だったよ。
僕がトランスの構成に興味を持つようになって、特に興味を持ったのがビルドアップの部分なんだ。アーティストが自分自身を表現できる、曲の中でいちばんの音楽的な部分として、僕はビルドアップに魅了された。より上品に表現するアーティストもいれば、ミニマルなアーティストもいる。あるいは、雄大に表現するアーティストもいる。そういう人たちは音楽的な教育を受けているのがわかる。彼らはハーモニーを駆使したりするから。簡単にできることじゃないからね。僕は最初、自分の音楽を作ってさえいなかった。ただビルドアップを収集していただけだった。
そのあなたのアプローチには、少し、ベルント&ヒラ・ベッヒャー夫妻(Bernd and Hilla Becher)による建築物の類型学を思い出させるところがありますね。
その通り。わかってるね。僕は目の前に彼らの本を置いているよ。彼らとは違ったメディアを使っているけど、僕はそれを参考にしている。100%意識的ではないにしても、グイド・グイディのおかげで、僕はベッヒャーを何時間も眺めていたんだ。

あなたはストレートエッジをプレイして育ちました。手の甲にバツ印を書いたり、コール&レスポンスがあったりと、これまた非常に特有の考えを持ったシーンです。ネーミングでさえも独特です。あなたが在籍していたバンドはOut of Bounds(境界線の外)という、ストレートエッジのバンド名としてはYouth of Today(現代の若者)やChain of Strength(力の鎖)と並ぶ、お手本のような名前ですね。ハードコアにどっぷりハマったことで、音や音楽的なサブカルチャーに類型学的アプローチを取ることに興味が向くようになったのでしょうか。
そうだと信じてる。僕よりも少し歳上の彼らが、次のコンサートのためのスニーカーやシャツやフライヤーを選ぶときに取ったアプローチというのは、あらゆる点に注意を払うということだった。そうした非常に生真面目な行動が、僕に多大な影響を与えたと思う。ストレートエッジは時々、極端で非寛容な、良くない方向へ向かうことがあるから。表層、規律という言葉は使いたくないんだけど。でもやっぱり、情熱の規律かな。それがこの、外からもわかるような一貫性を作品にもたらすんだ。
あなたのレーベル、Presto?! からガバ・エレガンザ(Gabber Eleganza)というアーティストのリリースが控えていますね。これを見て、私は大衆の意識の中にガバが突然戻って来たことについて考えさせられました。ベルリンのクラブ、Berghainでは大きなガバナイトが催され、オランダのレーベル、Thunderdomeはハードコア25周年のアルバムをリリースし、KappaのロゴやVetementsのトラックスーツ、Gosha Rubchinskiyなど、ガバファッションまでがリバイバルしています。
僕にとっては、それは数年前から始まっていたことだよ。でもガバは、ファッションに強く訴えるという点でハードコアとは全然違うね。それに、ガバに合わせてダンスすると解き放たれた気分になるってこともある。初めてパンクのレコードを聞いたときの「これこそ僕がずっと待っていたものだ!」って感じに似ている。


マニアたちのためにあるものだけど、その美学は外部の人間にもアピールするという点で、ガバは少しヘヴィメタルのようでもありますね。言うなれば、カニエ・ウェスト(Kanye West)が突然ヘヴィメタルを取り入れるということもありえます。あなたは自分のレーベルについて「文化的カニバリズム」という観点から話をしていましたが、ガバの昨今の流行は、どれほど文化的な食い合いを象徴しているのでしょうか。
まさにその通りで、スキンヘッドのヤツらに惹かれないなんて無理だよね? それはユースクルーだってストレートエッジだって同じ。彼らの美学はブレることがない。人の頭の上を飛んでいる写真のレイ・カッポ(Ray Cappo) に惹き付けられないなんてありえる? 写真に収められたレイ・カッポは完璧だよ! 視覚的な美学が強烈な場合は、そのシーンはやや閉鎖的になるけど、外の人間からはとても魅力的に見えるんだ。とてもはっきりしていて、これかこれじゃないかのどちらか。明確な、独特のボキャブラリーを作り上げる。ガバがそうだよね。すぐに虜になってしまって、どうにかしてその美しいものに関わりたくなる。そういうものじゃない? 僕の場合、それはアーティストに対しても同じだ。自分が心から敬意を払い、惹き付けられて止まないものを見たとき、それになりたいと思う。でも、人間は何にでもなれるわけではない。だから、それと繋がりたいと思うようになって、共有する方法を探すんだ。
自分が心から敬意を払い、惹き付けられて止まないものを見たとき、それになりたいと思う。でも、人間は何にでもなれるわけではない
レーベルがそれを可能にするということですか。
そう。レーベルだと、自分の作品に妥協することなくそれができる。ガバ・エレガンザ(Gabber Eleganza)のアルベルトはいつも僕にガバの曲を送ってくれるんだ。僕の曲の中にガバのテイストを入れるのはけっこう難しいけど、そうやって送ってくれて嬉しいよ。レーベルでは、アーティストとしての自分の個人的な制作の他に、自分の興味やキュレーターとしての側面を見せられるようになるからね。


現在、アート、音楽、ファッションが一か所に集約してきています。あなたはLN-CCのパーティで演奏しましたね。Raf Simonsは、自分のデザインのためFactory Recordsの昔のアートワークを使い倒しています。またカニエとYeezyの関係もあります。このアート/ファッション/音楽の世界の中で、あなたはどこに自分を位置付けますか。
僕はいつもアートの世界と繋がってきた。エレクトロニック ミュージックを作り始めた頃、僕はインスタレーションをやっていて、ステージ上でプレイする以外のことも探求してみたかったんだ。10年前にミラノに引っ越したとき、2年間は廃工場のオフィスにいた。僕たちは7〜8人のグループで、みんなそれぞれスタジオを持っていて、Emeralds、Wolf Eyes、Aaron Dillowayといったノイズ系の違法コンサートをやる地下室があった。コード9(Kode9)もそこでアフターパーティをやったよ。あれはミラノにとってとても大切な時間だったね。
そして、ミラノに引っ越して僕はファッションを発見したんだ。ファッション ブランドが作るビデオに音楽を付けることで僕は生き延びてた。ミラノで出掛けるときは、10ユーロすら持っていなくても、見た目が少しでもクールならファッションパーティに行くんだ。必要なのは招待状だけ。僕らはなかなかクールなルックスだったからね。ネズミみたいにどこでも紛れ込んだ (笑)。ミラノでは、まず人に出会って、そこからすべてが始まるんだ。「やあロレンツォ。君は音楽をやってるの?」って。すると次の日にメールを受け取って、NikeやDieselやCamperのための仕事をすることになるかもしれない。それで僕たちの8ヶ月分の生活費はまかなえる。こうやって僕たちはミラノで生き延びていた。

『Quantum Jelly』から『Superimpositions』、『Persona』、「The Shape of Trance to Come」まで、あなたの作品は連続しているように感じます。ですが、飾り気のないドライな初期の作品に比べ、より表現豊かな作品へと移行しているようにも思えます。この変化について、自分ではどう思いますか。
『Quantum Jelly』と『Superimposition』の後、僕は同じようなアルバムを10枚だって作ることができたよ。それをどうやって作ればいいのか、僕にははっきりわかっていたからね。ループさせるメロディを見つけて、たまにループはそれほどはっきりしないかもしれないけど、延々と楽しんで聞いていられる。カノンやフーガみたいな感じだよ。それをやるのはとてもシンプルで簡単だった。でも、自分の表現の幅に少しずつ新しい音を加えたかったし、自分が学んだもので実験をしたかったし、ヴァースやコーラスのある曲みたいなのを作りたかった。みんなが言うことだけど、僕は自分自身に挑戦したいんだ。そうして一貫性を持たせることで、自分が何をやっているのかがわかるようになるから。それが、劇的に変らずに自分の作品を発展させていく方法なんだ。僕が発表するものは、過去にやったものと完璧に合致している必要がある。いつだって、何かしらやり方はあるものだよ。
Philip Sherburneはフリーランスのライターであり、『Pitchfork』の寄稿編集者。『New York Times Magazine』、『Wire』、その他多数の雑誌でも原稿を執筆している
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