スノー・アレグラ 哀しみのロサンゼルス
イラン系スウェーデン人歌手がプリンスとの友情の中で得た安らぎを語る
- インタビュー: Nazanin Shahnavaz
- 写真: Elijah Dominique

ウェスト ハリウッドにあるプティ エルミタージュ ホテルにスノー・アレグラが現れると、人々は必ず振り返る。180cm近くある身長に、黒い髪、そして人を魅きつける顔立ち。均衡が取れ、彫刻のように威厳があり、見る人を捉えて離さない印象的な容姿だ。このイラン系スウェーデン人歌手には、生まれながらの気品があり、それが、経験からくる重厚な雰囲気をうまく補っている。アレグラのうずくようなソウル バラードと同じで、彼女の立ち居振る舞いには、美と悲しみが寄り添って同居している。彼女が語るのは、愛と苦悩、そして孤独との闘いの物語だ。それには、疎遠になっていた父の死が大きく関わっている。家族の不幸の渦中にありながら、今年、その活躍が最も期待される女性アーティストになるという功績は、ただ事ではない。その悲しみの片鱗は、彼女がやることすべてにおいて見て取れるし、聞いて取れる。彼女は、元気をくれる相談役のような人で、昔からの友人のような温もりを醸し出している。その上、稀にみる誠実さで他者を受け入れることを恐れない。そんなスノー・アレグラが、愛と喪失、そして自身のアイドルでありメンターでもあるプリンス(Prince)との関係について、ナザニン・シャーナバズ(Nazanin Shahnavaz) に語った。

Snoh Aalegra 着用アイテム:ドレス(Rosetta Getty)、イヤリング(Charlotte Chesnais) Top Image: 着用アイテム:ドレス(Helmut Lang)
ナザニン・シャーナバズ(Nazanin Shahnavaz)
スノー・アレグラ(Snoh Aalegra)
ナザニン・シャーナバズ:ロサンゼルスは、どこか寂しい街ですね。
スノー・アレグラ:とても寂しい街よ。毎日太陽は昇るけれど、その奥底には常に闇がある。人々は何を企んでいて、どこに隠れているんだろうって思う。私はテンポの速い都会が好きだけど、それはストックホルムやロンドンやニューヨークみたいに、街が生き生きしていると感じられる場合よ。LAではみんな自分の車の中にいる。
あまりのびのびとした感じがしませんね。
私は今でも徒歩で移動しようとするんだけど、みんなに「何やってるの?」という顔で見られるわ。
あなたにはイランとスウェーデンの血が流れているということですが、生活はLAとスウェーデンの半々で過ごしておられますね。このふたつのライフスタイルはどう違いますか。
いくつか明らかな違いあるわ。LAはファンタジーの場所なの。奇妙な所よ。ここに引っ越して来て、この街があまりにLAのステレオタイプそのままなので驚いたわ。ここで今まで知り合った中で最も素晴らしい人たちに出会ったし、最悪の人たちにも出会った。誰もが有名になりたがってる。たとえ有名になることと無関係の仕事をしていても、有名になりたいのよ。それに対してスウェーデンでは、人はもっと謙虚ね。そういう野心むき出しなところがアメリカの好きな点でもあるけれど。どんなアイデアも大きすぎることはない。このアメリカン ドリームの国民性には、ほれぼれするところがあるわ。ここで暮らすことが私にとって幸せなのかはわからない。でも、何かを作るにはいい場所よ。
大勢の人からどこから来たのか尋ねられることがあるでしょうね。
ほぼ毎日聞かれる。口を開いた途端、「あら、訛りがあるけれど、どこの出身?」ってね。複雑よ。私自身、自分のアイデンティティには混乱してるから。私にはイランの血が流れている。知ってると思うけど、イランの文化は「多ければ多いほどいい」って感じなの。何もかもがゴージャスで、何もかもが余計。ここより大家族だし、暖かくて、詩的で、ロマンチック。そういうところが大好きよ。私自身、そういう人間なの。でも同時に、音楽ではメランコリックなものや短調の響きも好きで、これは暗いスウェーデンの冬からきている。
若い頃は、音楽的には誰を師と仰いでいましたか。
家族で集まると、母はペルシャ音楽をよくかけていて、全員でそれに合わせて踊ったものよ。彼女はジャズやソウル ミュージックもたくさん聴いていたわ。母はシャーリー・バッシー(Shirley Bassey)やホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)のような力強い歌声の歌手が好きだったから、私もそれに影響を受けたわ。マイケルやスティーヴィーやホイットニーやプリンスといった偉大なミュージシャン全ての影響を受けてる。
ではプリンスとの交友関係について聞かせてください。
プリンスは、こういう人だろうと私が想像していた通りの人だった。想像通りでもあったし、それ以上でもあった。彼は物語に沿った人生を送って、伝説を生きていた。 彼に会って、私の人生は変わったわ。Sonyと契約した翌日に、彼のマネージャーがレーベルに連絡をして、私について詳しく尋ねていたの。どうも、Facebookで私に連絡を取ろうとしたようなんだけど、どういうわけか私はメッセージを見てなかった。Sonyから電話があって、私の連絡先を教えてもいいかと聞かれたときは、「やった!」って思ったわ。 その後、プリンスから連絡があって、会いたいって言われた。自分の中で一番だと思ってるアイドルが、私のことを知っていてくれたなんて、信じられなかった。当時、私はまったくの無名だったのにね。インターネットで楽曲を2曲、公開してたんだけど、彼はすでにそのことも知っていたわ。彼はずっとコンピューターに噛りついて、新しい音楽を探していたから。
彼はどのような人物でしたか。
今まであった中で一番楽しい人のひとりだった。いつも冗談を言ってた。彼からよくいたずら電話がかかってきたものよ。以前、朝の4時に私のホテルにやって来て、そのままドーナツを食べるミッションに行ったことがある。またある時は、彼の自家用ジェット機の中で眠ってしまって、起きたら彼にポップコーンを投げつけられていたり。音楽に宗教にメイクについてまで、何でも話した。アイライナーを比べっこしたこともある。ひとつ忘れられない出来事があるの。彼にLAで会っているときのことよ。彼はいつもビバリーヒルズ ホテルに泊まってたんだけど、あの1階のバーNineteen 12で他のお客を閉め出しちゃって、私と彼で二人きりになったの。そこで彼は、私のことをすごく信じていて、私が『Don't Explain』を完成させたら、アルバムを一緒に作りたいと思ってると言ってくれた。それからピアノのところまで歩いて行くと、ピアノを弾き始めたの。私は「これは現実じゃない」って思ったわ。彼に言われて、私は彼とジャムセッションをしたんだけど、あれは決して忘れられない思い出よ。
それはまた強烈ですね。目もくらむような友情関係というか。あんな風に突然の最期を迎えることになって残念です。あなたは、自分の人生では、家族にしても仕事にしても恋愛にしても、ドラマチックなことが多いと言っていましたね。
小さい頃に両親が離婚して、私はいつも延々と続く意見の衝突の間で板挟みになっていた。それで父とは何年も話していたなかったの。でもようやく連絡を取り合うようになったときは、すでに手遅れだった。彼は病気に伏せていて、そのあと間もなく亡くなった。私は死がとても怖いの。死に対して、とても心穏やかではいられない。キャリアで言えば、思い出せる限りずっと、私は音楽をやってきた。そして今も格闘中よ。音楽のおかげで私はより強い人間になれたし、より良いアーティストになれたわ。でも音楽のせいで少し冷酷にもなった。常に人々の批判の目に晒されていて、本心を表に出すのが難しくなったの。それから最後に恋愛ね。恋愛に関しては、私の選択はベストとは言い難いわ。でも、当然、歌詞のインスピレーションにはなってる。恋愛すると、人生で最高の高揚感も最悪に凹んだ気分も味わえるから。

着用アイテム:Tシャツ(6397)、イヤリング(Alexander Wang)
最後に失恋したのはいつですか。
昨日、今日、そしておそらく明日も。私は失恋しながら生きているの(笑)。でも冗談はさておき、実際にそうだと思うわ。残念ながら、私って心で誰かを好きになるタイプで、頭で好きになるタイプじゃないのよ。そっちに行くべきではないとわかっていても、私はどうもそっちに行ってしまう。私は、どうしようもないロマンチストで、不幸な恋をしてばかりよ。
これらすべての苦難も、あなたの創造性には明らかにプラスに働いていると思います。
音楽を聴くと、とても感動するの。初めてホイットニー・ヒューストンの声を聞いたときのことを、今でも覚えてる。霊的なレベルで気持ちが通じたように感じた。音楽は愛よ。力強いエネルギーのやり取り。私の音楽からも、みんなが何かを感じてくれたらいいなと思ってる。
- インタビュー: Nazanin Shahnavaz
- 写真: Elijah Dominique
- スタイリング: Nazanin Shahnavaz
- ヘア&メイクアップ: Cherish Brooke Hill
- 撮影場所: Petit Ermitage
- 制作: Emily Hillgren