コーディー・シェーンでいる秘訣

19歳、シンガー兼ラッパーは自分の世界をまっしぐら

  • 文: Lakin Starling
  • 写真: Kevin Amato

コーディー・シェーン(Kodie Shane)はのんきな性格だが、自分の作品には真剣だ。彼女は、今まで音楽しかやってこなかった。ジョージア州アトランタ出身、本名コーディー・ウィリアムズは、幼稚園のときに、彼女が言うところの「パクリの」タレント ショーで初舞台に立った。「そのショーのために、人生がかかってるみたいに、必死で練習した。本番はすごくうまくいったわ」と彼女は言う。この恐れを知らぬ才能にもかかわらず、年齢が若すぎたため、コンテストは予選敗退に終わった。だが、がっかりしたくらいで彼女はへこたれなかった。そしてスターの座を求める彼女を、幅広い音楽家の家系が後押しした。

Kodie Shane着用アイテム:スニーカー(Moncler C)ジャケット(Prada)カーゴ パンツ(Rick Owens) 冒頭の画像 着用アイテム:ジャケット(Thom Browne)

シェーンの父親、ダニー・ウィリアムズ・ジュニア(Danny Williams Jr.)は、80年代のR&Bシンガー ソングライター トリオ、リック、ラン&ダン(Rick, Ran, and Dan)のメンバーだった。姉のブランディ・ウィリアムス(Brandi Williams)は斬新なガール グループ、ブラック(Blaque)のメンバーだ。彼女によると、このグループは母親でマネージャーのホープ・シャンパート(Hope Shumpert)の協力で、自宅のリビングから始まったのだった。シェーンも、自分のキャリアで家族が特別な役割を果たしていることを認識している。「すごく感謝してる。私とママは本当にいい関係だけど、多くの人がこんないい関係にあるわけじゃないから。みんな、ママがいつママで、いつマネージャーなのかわからないのよ」と彼女は言う。キャリアを本格的にスタートさせる前、すでにシェーンは歌やサビを思いつくことがあったと言う。ある日、それを大声で歌っているのを耳にした母親がその曲について尋ね、そこから彼女のキャリアは始まった。15歳のとき、母親が自身の録音スタジオを始めた際に、シェーンは自身のアイデアを実現するチャンスを得る。だが、当初スタジオに篭ることになったのは、シェーンが学校で問題を起こしたためだった。「10日間の謹慎処分を受けたの。それで、ママから罰として毎日[スタジオに]行くように言われたの」と振り返る。とはいえ、実際には彼女は強制される必要などなかった。

その年、シェーンは初めての曲となる「Crown Me」を書き、レコーディングを行った。その当時、彼女のMCネームはザ・ドン(The Don)だった。この頃から、ジェンダーロールを拒否する姿勢や、ティーンエージャー特有の自信が認められる。まだ、後に彼女が掘り下げていく屈折したメロディーによって覆われていない、火を噴くようなラップのフロウの中で、彼女は豪語する。「私に話しかけてるの?/ 私に話しかけるときは、舌を噛みな/ 近づいてくるときは、頭を下げな/ 私が最高のパンク クラウン 私がクイーン」。今改めて見直しながら、彼女はこの曲を笑う。「Soundcloudにあるんだけど、誰にも言わないでね」と彼女は言う。「陳腐な歌だったわ」

だが、シェーンは何かに気づいていた。2015年、彼女は自分で書いたトラック、「In Ya City」の動画を公開した。すると、アトランタのラップ界の指導者的存在で、ミーゴズ(Migos)やリッチ・ザ・キッド(Rich The Kid)のキャリアを導いた人物でもあるコーチK(Coach K)の目に止まった。彼の同僚のラップ プロデューサーであるマティーP(Matty P)が動画に出演していたからだ。彼はマティーとシェーンのチームに連絡を取った。こうして、先見の明のある2人は毎日スタジオに通い始めるようになり、駆け出しのアーティストのレコーディングを見守った。シェーンが16歳になると、コーチは彼女をラッパー、リル・ヨッティ(Lil Yachty)に紹介した。「初めて一緒にスタジオに入ったときに「Sad」をやったの。私たちは自然と息が合って、それ以来ずっとそんな感じよ」とシェーンは言う。その後すぐに、彼女は公式に、ヨッティの協力者やラッパー仲間の集まる彼が愛してやまないクルー、セーリング・チーム(The Sailing Team)の「ファーストレディ」となった。「彼らはペトラ・コリンズ(Petra Collins)と一緒に、『FADER』のための動画を製作中だった。彼女が私にも入って欲しがっていたから、ヨッティが私も参加するように言ったんだと思う」と彼女は話す。「あの動画で、女の子だって男たちと一緒に走れるってことを、みんなに示したのよ」。シェーンは、頭角を現し、グループに迎えられる間も、全力で自身の音楽に取り組んだと断言する。「自分の音楽が常にいちばん大切。セーリング・チームのメンバーでいるのはその一部でしかない」

シェーンの歌は自己認識と感傷の間を行きつ戻りつする。そして心に響く抑揚によって、一つ一つの曲がさらに深い味わいを増す。公式に編集された楽曲ではない彼女のSoundcloudには、「Kissing Pink」や「Start a Riot」などのシングル曲が散りばめられており、そこで、彼女は自分の声域に幅をもたせ、音の限界を押し広げようと努力しているのがわかる。彼女のプロジェクトはそれぞれが大きく異なっており、キャリアを積むにつれ、自身のアイデンティティの多様な側面を明らかにし続けている。「私は成長してるの。真剣な交際も始めたし、自分のセクシュアリティにも気づいた」と彼女は言う。「今までためらったことなんてない。これは、私が若者たちに向かって伝えようとしていることのひとつ。怖がることなんてないのよ」

2000年代初めに立てた、ラッパーとして認められたいという目標に固執するのではなく、シェーンは、この先、ひとつのジャンルにとらわれない音楽を作ることも視野に入れている。「曲のいくつかはもっとR&Bになるだろうし、ただラップしてメチャクチャやるような歌も作ると思う。でも全体としての私のサウンドはポップスよ」と彼女は説明する。「みんなロックスターになりたがるでしょ。私はポップスターになりたい」

足元のおぼつかないティーンエージャーとして人生を切り開いていく方法を学ぶ中で、シェーンは、同世代の若者に人生の指針を与えることを煩わしいと思ったことはない。彼女は人々に尊敬の眼差しで見られることを歓迎する。さらに、彼女はより攻撃を受けやすい方向に向かっても働きかけ、また別のレベルの深みと透明性を自分の歌につけ加える。このことが、彼女の恋愛体験について語る際に、癒しにもなったと彼女は言う。「私がやることは何でも恋愛に影響を受けるの。それはただの恋愛だけじゃなくて、多くの友達との関係が壊れることも含まれてる」 と彼女は言う。「成長して、同時にいろいろ卒業するのね」

シェーンは自らのリリックの中で、少女たちとたまにやって来る男の間の厄介な恋愛関係のダイナミクスを、臆面もなく表現する。たとえば、4ヶ月前に公開された最高にカッコいい1曲、「Bounce Back」では「あの女の子は信用できない。だって仲間にあんな嘘をつくんだもの/ 私が彼女が欲しいときはいつだって、そう、向こうからやって来る。そういうものだと思ってた」と歌われる。このミュージック ビデオでシェーンの恋愛対象として登場するのが、実生活での恋人でもある19歳のR&Bシンガー、スカイ・モラレス(Skye Morales)だ。シェーンは、なぜ他の若者たちも堂々とオープンになれるように感じるべきかについて、率直で屈託のない考え方を持っている。「私が考えるのは、みんな人間で、ジェンダーなんて関係ないってことよ」と彼女は言う。「アメリカでは隠し事ができる人なんて、カイリー・ジェンナー(Kylie Jenner)くらいしかいないのよ。だったら、自分以外の誰かになる理由なんてないでしょ」

  • 文: Lakin Starling
  • 写真: Kevin Amato
  • 写真アシスタント: Salim Garcia
  • スタイリング: Kevin Amato
  • ヘア&メイクアップ: Amanda Young