無国籍のモーゼス・サムニー

LAを拠点とするミュージシャンが、意味を定めないことの重要性と複雑なコーチェラを語る

  • インタビュー: Meredith Graves
  • 写真: G L Askew II

モーゼス・サムニー(Moses Sumney)が部屋に足を踏み入れると、挨拶をするかのように、自然と光が彼に注ぎ込む。まるで彼は、外から光まで持ち込んだかのようだ。2メートル近くある身長に軽業師のような身のこなし、大きくて澄んだ力強い目。彼には精神的な奥行きが感じられる。その心はよく共鳴し、充実している。だがロングドレスのように、ボリュームの割に重さは感じられず、際立った優雅さがあるばかりだ。

肘掛けのないイスに座った何気ない姿勢は、ロダンの彫刻を思わせる。彼は物静かに語りかけるが、ひとつひとつの言葉が耳に入ってくる。空中で「S」のような曲線を描くと、まるで彼の音楽そのままのように見える。落ち着いた会話の間に16分音符で瞬きする目、強調するための休符、折り重なる思考、全ての動きに対する考察、そしてその間の出来事。

2017年の下半期にリリースしたサムニーのアルバム『Aromanticism』は、愛の反対は憎しみではなく無関心であるということ、そして、その無関心が愛そのものに向けられた結果、愛がコモディティや制度のようなものでしかなくなったとき、何が起きるのかを表現した作品だ。サムニーは、この作品を通して「言い表せないと思えるものを言い表そうとしている」のかもしれないと打ち明ける。だが、「言い表せない」という気持ちは、幽霊のように彼にまとわりついている。2014年にアルバム『Mid-City Island』でのデビュー以来、彼は永遠に手の届かない言葉を必要としているようだ。サムニーの何層にも重なった柔らかなボーカルや、心を奪うストリングスのアレンジを表すとすれば、「バロック ポップ」や「エキセントリック ソウル」という言葉が近い。だがラジオから流れてくる彼の音楽は、どちらにも当てはまらないような、その中間のどこかだったりする。ジェフ・バックリー(Jeff Buckley)やヘラド・ネグロ(Helado Negro)のように内向的な気怠い音楽に聞こえることもあれば、ビョーク(Björk)がグレイス・ジョーンズ(Grace Jones)のために書いた曲のように聞こえることもある。ちなみにサムニーはグレイス・ジョーンズと誕生日が同じだ。

つまり、彼を定義するのは難しい。だが、物ごとを定義したいというこの人間的な欲求こそ、非ロマンチックな愛情に特有のものだ。今回、この既知と未知の間のグレーゾーンに悠々と身を置き、アルバム制作を終えて次のアルバム制作を目指し、コーチェラでライブを行う週末の最中、モーゼス・サムニーに話を聞いた。

メレディス・グレイヴス(Meredith Graves)

モーゼス・サムニー(Moses Sumney)

メレディス・グレイヴス:過去のインタビューをいくつか読みましたが、子供の頃にクラスメートの前で歌うせいでいじめられて、自分が将来ミュージシャンになることは確信していたものの、人前でパフォーマンスすることに自信を持てなかったとおっしゃってました。今は、もう不安を感じていませんか。

モーゼス・サムニー:もう不安はないね。今は本当の自分を出せてると思う。自分の生まれ持った使命を全うできているって感じるよ。僕の中の、人とは違うある種の特異性を、自分自身、前より理解できてる気がする。グレイス・ジョーンズやニーナ・シモン(Nina Simone)のような人たちのことを僕が好きなのも、そういう部分なんだ。ビョークもそう。変わった人たちだよ。彼らを見ていると、僕たちが信じている人間の限界を超えて、何かを生み出すことができる人たちだと思うし、その上で、ありのまま偽りがなく自然で、それが生まれ持った姿なんだとも感じる。言葉では言い表せないね。

あなたがそれを「無国籍状態」だと書いているのを見たことがあります。

そう、まさに無国籍。肉体的であれ精神的であれ、絶えず動いていたり旅していたりするような状態。でも、中心となるものを持っていない状態だ。

それは、人々があなたの音楽に注目して、あなたをどう物語化しようかとあれこれ選別しようとしていることに気付いたとき、対抗策として深く関わらないことに決めた、ということのようですね。「自分が何歳なのかわからない」と言っているように。Tumblrでのあなたの回答はどれもお見事です。どうしてそれほど人目を避け、中心から外れることにしたのでしょうか。

今の時代、自分の音楽に注目してもらうのはとても難しい。他に気になることがたくさんあるし、いろんな話題で溢れ返っているから。特に自分のイメージを打ち出す際はなおさらだ。言うまでもなく、ソーシャルメディアやインターネットのせいで、僕は早い時期から個性的であるように強いられ、自分のイメージについて考えるように強制されていると感じていた。こんな話を僕にとって重要な撮影の合間にしているなんて皮肉だよね。でも、僕にとっていちばん大切なのは音楽だ。

みんなが音楽と繋がってほしいと僕は思っている。彼らにとってどんな意味でもいいから、そこから何かを感じてほしいんだ。音楽を聴いて「これが私にとって大切なものなんだ」って感じて欲しい。もし僕のプライベートや内面とあまりにも繋がり過ぎると、それがすべてになってしまう。音楽のもつ意味とは真逆の個人崇拝になってしまう。

そういう意味では、インタビューを受けたりするのも、個人崇拝的な風潮から距離を置くことの助けにはならないですよ。

ならない、わかってるよ。でも、絶えず波に乗っているようなもんだ。常に綱渡り状態で、いつどの瞬間でどちらに落ちるかわからない。

落ちたら終わりですか。

落ちたら命取りになる。

あなたがメディアの中で自分のアイデンティティを確立してきたやり方というのは、他人の考えを通じてあなたの個性を見せるというものですね。最新アルバムでは、アリストファネスを見つめ直すことから始まり、アルバムにも「Stoicism(禁欲主義)」という曲があります。ギリシャ神話やギリシャ哲学に関心を持つようになった経緯を教えてください。

アルバムを見ると、それが僕の深い関心のように見えるからおかしいよ。でも、それはアルバム制作の終盤になって姿を現したものなんだ。僕はこのアルバムを、現代という時間軸を越えるようなものとして位置付けたかったんだ。

僕たちは、かつてないほどに人々が自分探し、あるいは自己同定をしているような時代にいる。それを人々はとても現代的だと感じている。特に保守的な人たちはね。僕は自己同定というものを、常に存在してきた行為として表現したかったんだ。僕たちは、ずっと自分自身を規定し、表現する方法を探してきた。自分の感情に文化的な意味を持たせる方法を探していたと言ってもいい。だから、僕が今考えいることは、実はずっと前から存在してきたものだと示すために、僕たちが生まれてきた時代という枠組みを越える必要があったんだ。

自己同定に関して言うと、アリストファネス自身は喜劇作家でした。あなたの音楽は限りなくシリアスなものですが、コンセプトとしての『Aromanticism』やアルバム自体におかしさみたいなものがあると思いますか。

思うね。「おっもしれー」って思うよ。アルバムの1曲目は「Don’t Bother Calling」という曲で、これは実に過剰なほどドラマチックなんだ。「電話するな。オレが電話するよ」、「君と恋に落ちたいけど、今は太陽のこと、月のこと、星のこと、我が銀河系の並びについて考えることで精一杯なんだ」っていう曲だ。こんなのどう考えても言い過ぎだし、ドラマチック過ぎるだろ。これを書いていたとき、僕はキャラクターを演じていて、できる限りドラマチックにしようとしていたんだ。本質的に滑稽だよ。

そして、本質的にギリシャ的ですね。それが演劇の起源でもあります。古代ギリシア人にとって演劇とは悲劇か喜劇のことだった。そして、そのどちらもないとなると…

共存するしかない。そういうこと。本質的に悲劇的なものは何でも、本質的に喜劇的なんだ。それが、今の世代で僕がほんとに好きな部分だ。毒のあるユーモアに取り憑かれているところ。

コーチェラについて聞かせてください。ロサンゼルス生まれのあなたとしては、これほど重要な場所でありながら、同時に、毎年何かと批判の対象になるフェスティバルで演奏することに、どのような意味があるでしょうか。女性のヘッドライナーの演奏を近くで聴くにはすごい数の列をかき分けていかなければならない一方で、フェスティバルを運営しているあの人[編集:コーチェラのオーナー、フィリップ・アンシュッツ(Philip Anschutz)]は…2017年に20万ドル近くを反LGBT団体や銃支持派の政治家に寄付していました。

確かにムカつくよ。彼が寄付した先についてはどれもね。でも、コーチェラはその男より重要だとも思う。有色人種の僕がコーチェラに出ることや、出演しているすべての有色人種のアーティストを見ること、そこで演奏することになった女性アーティストや性別にとらわれないアーティストを見ることは、彼らに渡るお金を見ることでもあるんだ。僕の言いたいことわかるかな。抑圧の最大の指標ってお金だろ。だから、抑圧と戦うためにいちばん有効な手立ては、マイノリティにお金を回すこと。僕にとっては、コーチェラで演奏することは、それでもとても重要なことだった。僕には自分の権利を主張する必要があったんだ。「おい、オレはここにいるぜ。お前もオレと同じ中道左派の、変な黒人なら、同じことができるんだ」って。

でも、リベラル派の人たちのああいう話も、ほんとに残念だと思うんだ。だって、抑圧的なものに近いフェスティバルでアーティストが演奏すると、まず問題にされるのはマイノリティなんだから。僕が聞かれたみたいに、「どうしてそこで演奏するんですか?」ってね。

着用アイテム:シャツ(Saint Laurent)

着用アイテム:シャツ(Saint Laurent)

それが、今の世代で僕がほんとに好きな部分だ。毒のあるユーモアに取り憑かれているところ

じゃあ、誰ならばそこで演奏できるの?ってことですね。

そういうこと。正直に言って、僕の責任じゃないって感じだね。感情的にも、肉体的にも、金銭的にも、持てるすべてを使ってこの問題に対処していくつもりだよ。でも、最初に問いただすべきなのは出演している白人の男性連中だよ。何も僕には聞くなと言いたいわけじゃない。そうじゃなくて、説明責任があるのは、恩恵を受けている人の方だと言いたいんだ。説明責任というのは、抑圧から生まれたものを享受している人たちにも及ぶ必要がある。報酬を少しカットされても、他の人たちにまで光を当てようとしている人たちではないはずだ。僕はいつも「ああそれは良いね、でもそれについては皆、エミネム(Eminem)に聞けばいいんじゃない」って感じだよ。彼は今、社会問題に対する意識が高いようだからね。

私は、何もかもアーティストに求める人たちのことを大いに懸念しています。このフェスティバルで演奏して得たギャラをすべて手放せって言うの? そして、音楽は全部無料でストリーミングしろって? という話です。

まさにそう。僕も稼がないといけないんだ。それに、正直に言うけど、コーチェラで演奏しても何の儲けにもならないよ。あのレベルにまでショーをまとめ上げるには相当なお金がかかる。僕たちが私腹を肥やしてるなんて思わない方がいい。カーディ・B (Cardi B)はコーチェラに出て一銭にもならなかった。その話は聞いたことがあると思うけど。

ビヨンセ(Beyoncé)は全てのギャラを彼女のバンドに回したのではないかと思います。 マーチングバンドのような、巨大な演出でした。

巨大な演出だった。そういうバンドに出ていた人たちにお金を回そう。そういう話をしようってことだよ。難しい話だけど。

Meredith Gravesはミュージシャン兼ジャーナリストであり、現在は、Kickstarterのミュージック ディレクターも務める

  • インタビュー: Meredith Graves
  • 写真: G L Askew II
  • スタイリング: Michael Cioffoletti
  • ヘア: Dreece Copeland
  • 写真アシスタント: Wray Sinclair
  • デジタル技術: Patrick Gonzales
  • 制作アシスタント: Alexis Hunley