ビジョンを行動するトミー・ジェネシス

フェティッシュ ラップの女王にかしずく

  • インタビュー: Reva Ochuba
  • 写真: Amanda Charchian

バンクーバーのインディー アート シーンから現れたラッパー、トミー・ジェネシスの作品には、パフォーマンス アート、詩、ファッションが緊密に混在している。自らのジャンルを「フェティッシュ ラップ」と名付けたトミー・ジェネシスは、気取りのない甘い声を使い、型にはまった女性ボーカル パフォーマンスの意図的汚点となり、女性エンパワメントに独自のスタイルを構築しつつある。揺るぎない自信が支えるジェネシスの音楽は、自分であることの認識がもたらす開放的な道を進み続ける。セカンドアルバム「World Vision 2」は、暗い闇が漂う反搾取の領域への降下だ。自らの意志という玉座に座るジェネシスは、美しく、優美で、いかなる干渉も許さない。

リーバ・オチュバがLAのガーメント ディストリクトへ会いに行ったとき、ジェネシスは、SSENSEの撮影に備えて、辛抱強く椅子に座っているところだった。ヘア スタイリストとメイクアップ アーティストが作業を進めるあいだ、オチュバとの対話を通じて、ジェネシスのアイデンティティの由来と自己創造に伴う境界が明らかにされる。

リーバ・オチュバ(Reva Ochuba)

トミー・ジェネシス(Tommy Genesis)

あなたは、よく孤立について語りますね。アーティストとしての制作に、孤立は直接的な影響を及ぼしていますか?

本当に孤独なわけじゃないの。孤独は感じない。どちらかというと、倦怠だわね。感情じゃない種類の孤独。なんか、落ち着かない気分の孤独。感情面に関しては、たいてい、自分で何とかできるの。カナダという国で育つと、孤独って、自分がそこに属していなくて、自分の目的がよく分からなくて、どうして何かを作り出すのか、どうして満足しないのか、っていう感覚なのよ。クリエイティブな人には、そういう子供時代を過ごした人が多いんじゃないかしらね。そうやって自分自身の基盤を築くわけだから、ある意味では、クリエイティブなプロセスって言えるかもしれない。

そういう落ち着きのなさとか、帰属感の欠如というのは、カナダ的な内向と大きく関わっていると思いますか?

カナダ人には、世界のほかの場所の人より楽な生活を送ってる人が多いから、ある程度、甘やかされてるのよ。何でも簡単に手に入ると内向するの。そして、謙虚になる代わりに、良い人になろうとする。いろんなことが昔ほどじゃなくなったけど、いいところは、大きな可能性があることだわ。自分がなりたいと思う人間になれる。音楽を作れる、アートできる、学校に行ける。

その自由が、詩作からラッパー「トミー・ジェネシス」への移行を後押ししたのでしょうか?

音楽は私の脚になるの。音楽だけに限る必要はないと思うわ。アートだって、ファッションだっていいんだから。ファッションが音楽になりうるし、音楽もファッションになりうる。全部がひとつなの。私にとって、オブジェやインスタレーションは、コミュニティの枠を超えなかった。面白かったし、悪くなかったんだけど、ある時期から、組織的にオーディオ作品を作り始めたわ。自分の声を活用したの。同時進行で詩も書いていたから、両方をいっしょにすると音楽になった。そういう具合に始まったの。私、ラップは聴かないけど、音楽は私の生活の一部よ。わたしがそうしたいから。

SoundCloudは、本当に、いたるところに存在してますね。 立派なグローバル コミュニティです。あなたにとっても、手の届かないところへ接触できるという点で、役に立ちましたか?

私のアートを見せるいちばんパワフルな方法は、ライブよ。Soundcloudじゃないわ。ライブは直感の世界だし、リアルだし、人間と人間が関わりあう。生のエネルギーよ。叫びたければ叫べるし、歌うのを止めることだってできる。ただ歌って、そこにいる、ってことに興味はないわ。私はパフォーマンスしたいの。オンラインはあらゆるものが、きっちり組み立てられて、管理されてる。でも、ショーでは完全に思いのままにできる。アドレナリンが湧き出してくる。それが一番楽しいことだわ。

あなたは、音楽を通じて、色々な人になれますね。

まるでトランスフォーマーよ。この腕が演じる、この腕がラップする、この脚はこうしたい。音楽の周辺を回ってるだけで、全部がまとまってくるの。すごく楽しいわよ。こんなふうにモデルをやるチャンスだってくるし、好きなことに首を突っ込めるんだもん。

自分の音楽のスタイルを「フェティッシュ ラップ」と呼んでいますね。

そう、私が作った名前。私、いつでも、セクシーすぎるって思われてるの。わざとそうしてるわけじゃないんだけど、自然にそうなっちゃうのよね。いろんなものにフィティッシュだし。それに、スポットライトを浴びてる女の子たちもフェティシズムの対象だと思うのね。だから、「フェティッシュ ラップ」って呼ぶことで、「ちゃんと分かってるわよ」って伝えてるわけ。私が露骨だってことも分かってるし、性的に妄想されてることも分かってるし、私がモノ化されてることも分かってる。でも、言葉としても可愛いでしょ。セクシーな小説の主人公がラッパーになったみたいで。サブジャンルとかサブカルチャーて、すごく色々あるじゃない。だから、私も自分のサブジャンルを作ったのよ。私がやっていることにぴったりのものがなかったし。

自分の客観性を積極的に認識することには、パワーがありますね。あなたは、意図して、性的な探求を擁護するメッセージを送っているのですか?

私自身としては、とっても正直なメッセージを送ってるつもり。ネガティブな気分のときもあるけど、ネガティブとか、怒りとか、攻撃的な状態がポジティブな変化につながることもあるのよ。欲望が複雑に入り組んでて、自分を表現する方法を切実に欲しがっている人がたくさんいる。私は、何も新しいことをしてると思ってないわ。隠れているはずの性的な要素が表面に這い上がってくるみたいだから、ショックを受ける人もいるけど、本当は、いつだってそこにあったものよ。私のセクシャリティのおかげで、やってこられた時期もあったわ。私は、自分自身のいちばん純粋な、いちばん正直なかたちであろうとしてるだけ。何をするとハッピーになれるか、それが何なのかは、私自身が成長するにつれて変わると思うわ。

あなたの個人的なスタイルはその表現ですか? たいてい、短いトップとミニスカートで、アニメの女生徒ルックだそうですが。

私の場合、洋服は本当にエンパワメントの源よ。ヨーロッパに行ったときだけど、3日もバッグが行方不明になったことがあるの。だから、空港で貰った白いTシャツしか着替えがなくてね。飛行機の中では、スウェットパンツとセーターを着てたんだけど、到着したらすごく暑くて。そこで、「はい、Tシャツをどうぞ」って渡されたの。それまで自分が着るものやファッションを気にするなんて思ってなかったんだけど、 自分の着たいように服を選べなかったら、自分じゃないみたいな気がする。お祖父ちゃんやお祖母ちゃんに会いに行くときは、露出しないで、きちんと隠していくから、全くもう別人。

でも、そうね、アニメのプリンスのスタイルは好きよ。私、アニメに登場する女の子たちのキャラクターに夢中なの。楽しいことが大好きで、スカートで跳びまわって。地獄の口が開いて、世界が崩れ落ちてるときでも、好きな男の子を見ると、目がハートになっちゃうみたいな。それで、好きになる男の子はワルなのよ。ハートがバブルガムみたいで、なにも侵入できないの。ま、私はそう感じるわけ。自分の着たいものを着てるときは、何も気にならない。「世界は終わりかけてるけど、私はダンスに行くもんね」って気分。

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