高橋盾のUndercoverを読み解く
ブランド設立25周年の記念出版で振り返る、日本の脱構築主義者のウィットと反逆の歴史
- 文: Suleman Anaya
- 画像提供: Rizzoli

高橋盾のブランドUndercoverは、稀有な野獣である。ストリートウェアのカルトスターとして、また、パリコレクションを賑わす常連として、等しく崇敬を集める同ブランドは、まるでSupremeとChannelが渾然一体となり、そこに東京アンダーグラウンドのエッセンスが注入されたような存在なのだ。事を複雑にしているのは、ブランドの始まりから、両義性がUndercoverの美学を特徴づけてきたことだ。高橋がブランドを立ち上げたのが、ちょうど日本経済のバブル崩壊が始まった頃と重なるからであろうか、彼のクリエーションは、力強さや独創性と並行して、常に、おぼつかない不安定を感じさせる。今日の不確かな世界情勢にあって、高橋が見事に混ぜ合わせるカオス、不屈、儚さ、平和、そしてユーモアの要素は、かつてない関連と必然をもって立ち現れる。ブランド設立25周年を記念してRizzoliから出版される新書が、この比類ない創造性に富むクリエイティブな土壌を、あますところなく見せてくれる。


霧深い森の中を駆ける高橋盾の写真と、スージー・メンケス(Suzy Menkes)が寄せた心温まる簡潔な序文は、ビジュアルを中心に構成された率直なブランド史の雰囲気を象徴している。ブランドが始まった1989年(もしくは1990年。高橋盾本人もはっきりと覚えていない)以降のほぼすべてのコレクションが、200以上の写真で丹念に記録されている。それらの写真は、圧倒的に奇抜な高橋の創造世界を十分過ぎるほどに垣間見せると同時に、さらに多くを知りたい欲求をかき立てる。
Undercoverを立ち上げたとき、高橋はまだ文化服装学院の学生だった。スニーカーオタクからアイコンと崇められブランディングに天賦の才を発揮する、A Bathing Apeのニゴー(Nigo)と早くから交流を深め、1993年、東京にショップNowhereを共同で立ち上げる。それは、高橋の才能を世に知らしめる、最初の場となった。それから20年以上を経た今、ジャパニーズ ファッション第二波の震源地となったNowhereの慎ましい店頭写真、そして、まだあどけなさの残る高橋のスナップショットは、見る者の心を打つ。髪を金髪にブリーチした高橋は、カメラにしかめ面を向けている。当時、ロンドンの不良に憧れ、パンクバンドのボーカルを務めていた彼が、しかし将来、小規模ながらも多大な影響力を持つ国際ファッション ブランドを率いるようになるとは、はたして誰が予想しただろうか。
Undercoverに関して、「パンク」という言葉は、いささか乱用され過ぎだ。もちろん両者の明らかな繋がりはあるものの、ダークで艶っぽく、反骨精神たっぷりの、そして往々にして異様な高橋のイマジネーションは、「パンク」の一言で括るには大きすぎる。その気配は、1994年に発表された初めてのランウェイ コレクションで、すでにはっきり現れていた。例えば、単体ではルーズでグランジなシルエットのロングスカートを、縮んだB-3フライト ジャケットで引き締めたスタイル。馴染みの定番ウェアが、個性的なファッション アイテムへ変容している。


Undercoverのコレクションは、時を経るにつれて、洗練の度を増した。ブランド初期に見られたいかにも原宿風セックス・ピストルズ(Sex Pistols)に代わり、女性らしさやテーラリング中心のコンセプトを、狡猾に、想像力豊かに、探求していった。川久保玲(初期高橋の仕事を熱心に支持した)や渡辺淳弥といった日本の異端児と同様、高橋もまた、伝統的なドレスメイキングの手法を自分の思いのままに分解し、上下をひっくり返し、再構築してて、唖然とするほど現代的な効果を生み出した。器用なマッシュアップ技術にかかれば、シンプルなシャツの襟やカフスが、あたかも軍隊の万能装備や王侯貴族の衣裳のようなランジェリーに生まれ変わる。
しかし高橋の世界には、おそらく他の脱構築主義者たち以上に、美の概念が不変に存在している。圧倒的で、露骨で、ロマンティックですらある叙情性の下には、高橋のウィットが水脈のように流れている。それは、崇高を覆し、不吉な暗黒を晒す才能だ。この才能と奇妙な要素が相互に作用すると、素晴らしい詩的世界が現出する。例えば、女性の膝に妙に気になる形の傷口があって、固まった血のかさぶたに覆われたイメージ。Undercover にとって初のパリ コレクションとなった2002年のランウェイへの招待状に登場した写真だ。ちなみに、コレクションのテーマは「かさぶた」
究極の美と腐敗への不気味な執着の繊細なバランスは、2005年の秋冬コレクションで発表された、頭蓋骨形にカットアウトした無数のフェルト片のコートにも見て取れる。非常にエレガントでありながら、死を連想させるおぞましさ、そして紛れもない可笑しさ。まさに芸術的才能のなせる妙技である。同様に、長きにわたり高橋のプレゼンテーションの象徴だった仮面もまた、精巧に作られた洋服の尊さと、争いが絶えない現代感覚を均衡する役割を果たしている。高橋は、単に綺麗なだけの洋服を作りたいわけではない。彼は、文化を自分なりに解釈することに関心があるのだ。
Rizzoliのモノグラフからは、その他にも多くの視点を与えてくれる。中でも特筆すべきは、「ノームコア」という言葉が生まれる随分前から、高橋がそのスタイルに手を出していたことだ。2009年、高橋は、他の誰でもない、ドイツにおけるインダストリアル デザインの父Dieter Rams(ディエター・ラムス)に捧げたメンズウェアを、フィレンツェのピッティ・ウォモ(Pitti Uomo)で展示した。そのときの特集ページは、まさにハイライトである。夢のような雰囲気の屋外ショーで披露されたミニマルなウィンドブレーカーや流線型のバックパックは、現在に至るまで、不変の必須アイテムである。





本書の大部分は、Undercoverが辿って来たウィメンズウェアの進化に割かれているが、そのほかに、メンズウェアがテーマのセクション、NikeやSupremeからUniqloやハローキティに至る多数のブランドと行ってきた一連の強力なコラボレーションのセクション、スペシャル プロジェクトの数々を紹介する興味深いセクションもある。
ここで、「Graces」について知ることができる。高橋が考案した、謎めいた人形のような「生き物」。捨てられたテディベアを使い、バイクのライトを目に見立てて、高橋が手作業で作る代物だ。この魅惑的でどこか恐ろしいぬいぐるみが、はたして敵対的なのか友好的なのか、定かではない。確かなのは、彼らが『Gila』という秘密結社に属していること。高橋を理解するには、このような架空のキャラクターとその物語が、Undercoverの不可欠要素であることを理解しなくてはならない。ランウェイに送り出すハイエンド ラインや、日本にある多数のショップで販売している手頃なストリートウェア ラインと、同程度に重要な要素なのだ。ブランドの軌跡を詳細に調べれば、映画的で、包括的な高橋のプロジェクトが浮かび上がる。探求する要素が、シーズンからシーズンへ、繰り返されている。高橋は、同業のファッション デザイナーたちと共通項を持つと同様に、映画監督Guillermo del Toro(ギレルモ・デル・トロ) や写真家Tim Walker(ティム・ウォーカー) 、アーティストMatthew Barney(マシュー・バーニー)とも多くの共通項を持つ。
本書の補足部分で、単なるブランドではなく、ひとつの世界観としてのUndercoverが明確に示される。パリで長きにわたってデザイナーとしての存在感を示していることを含め、ファッションにおける高橋の実践は、単に表現の手段でしかない。引用や年代や素材や媒体が一切合切自由に混在する、無限とも思えるアイデアの宝庫に生命を吹き込む、ひとつの手段に過ぎないのだ。数多くのUndercoverのコレクションや出版物に登場し、まるで日本の70年代の特撮番組から飛び出してきたような「時空を超えてやってきたメランコリックなアンチヒーロー」こと、Undermanを見てみるといい。
本書冒頭に収録された長尺のインタビューで、高橋は、自らが成長期をともに過ごした70年代のポップ カルチャーからの影響を認めているが、詳しく述べる機会は与えられていない。豊かな結実を示す多くの価値ある証拠が提示されているにも関わらず、全ての背景にある精神、そのメカニズム、恐れ、希望、そしてインスピレーションに対して、ほぼ考察が及んでいないのが残念でならない。それでもなお、Rizzoliによる本書は、徹底した視覚的記録によって、今日のファッション業界で活躍する特異な声を理解させる非常に重要な参考文献と言える。 メンケスが謝辞で断言しているように、高橋盾は決して私たちを落胆させることがない。

- 文: Suleman Anaya
- 画像提供: Rizzoli