タイ・ダラー・サインの
ビーチ ハウス
L.A.出身のR&Bシンガーは大ブレイク寸前
- 文: Rebecca Haithcoat
- 写真: Andrew Arthur

Smartfoodブランドのポップ コーン チェダー味 (1袋)
Lay’sブランドのケトル クック ポテトチップ ハラペーニョ味 (1袋)
Stacey’sブランドのピタ チップ どれでもOK (1袋)
フムス ディップ 当然フムス味 (1パック)
Doritosブランド 当然ドリトス味 (1袋)
Clifブランドのエネルギー バー各種 (これは誰も触るべからず。この間は、誰かが無断で持っていったので、念のため注意しておく)
カンタロープ メロン、ハニーデュー メロン、パイナップルなど、好みの果物(2パック)
人参、セロリ、グレープトマトなど、好みの野菜 (1パック。セロリはドレッシング無しには食べられないから、少量のランチ風味ドレッシング)
Oreoブランドのチョコ サンドクッキー ダブル クリーム (1皿。瞬く間になくなる筈)
ペットボトル入りの水
テイクアウトのチキン ウィング
タイ・ダラー・サイン(Ty Dolla $ign)がツアーの際に出すリクエストは、小学生が友達の家お泊りする場合と比べても、慎ましい。花の香りがするファブリック、特別な種類の牡蠣、7つの楽屋なんていう、ロック スターの馬鹿げた注文とは無縁だ。工業倉庫が立ち並ぶ、ロサンゼルスのダウンタウンの一角。金曜日の午後。32歳のシンガー兼プロデューサー兼マルチ プレーヤーは、いつもどおりの質素な服装だ。すなわち、お決まりの白いTシャツ、裾を切り落としたチノ パンツ、そして Vans。ヘア担当のスタッフが、タイの胸の中ほどまである髪の一部をより合わせて編み込み、一部の髪は束のままフォイルに包んでブリーチの途中だ。チキンが配達されると、タイはするりとヘア スタイリストの手の下からすり抜けて、何本かのウィングを口に放り込む。
ツアーのために届けられたものの中でもっともデカダンスを感じさせるのは、限定版ドン フリオ アネホ テキーラ1942だ。すでに栓は抜かれている。もうひとつ、柔らかな手触りが売り物のウェット ティッシュも注文した。「いちばん気取った」注文だと、タイは言う。「クソの後始末をする羽目になったときに使うんだ」
ここで彼は手渡された琥珀色の高級テキーラを少し口に含んで、沈思黙考する。
「トイレの紙。クソ。あれも、もう少し贅沢していい頃だな。リル・ウェイン(Lil Wayne)なんか、スケート パークまで作らせるっていうもんな」。テキーラをすすった後で、タイは言う。氷を思わせるグリーンの瞳がキラリと光る。「オレなら、スタジオの装備一式を注文するな。スピーカーに、キーボードに、ギターに、その他諸々。マイクもいちばん値の張るいやつ。3本注文して、気に入ったのを選ぶ」

Ty Dolla $ign着用アイテム:ジャケット(Sacai) 冒頭の画像:着用アイテム:フーディ(Maison Margiela)、ジャケット(NUDIE JEANS)

着用アイテム:ジャケット(Sacai)、ジーンズ(NUDIE JEANS)

着用アイテム:ジャケット(Sacai)、ジーンズ(NUDIE JEANS)
確かに、タイはもっと派手な注文もつけてきた。2005年あたりから、ロサンゼルス生まれの本名タイロン・ウィリアム・グリフィン・ジュニア(Tyrone William Griffin, Jr.)は、現代ポップ ミュージックのサウンドを形作る極めて重要な存在だ。デュオ グループのタイ&コリー(Ty & Kory)として2008年にリリースした「Raw & Bangin」は、現代にふさわしく不道徳なアティチュードでラップとR&Bを融合し、R&B新時代の幕開けを告げた。同年、地元の若手ラッパーYGと出会い、プロデューサーのDJマスタード(DJ Mustard)と共に、「ラチェット」ミュージックの新しい高まりを築くミュージシャンの先駆けとなった。バトンルージュのストリップ クラブで使われ、強烈にベースを効かせたリズムがストリッパーたちの卑猥な動きと完璧にマッチした音楽、それがラチェットだ。2012年にはミックステープ「Beach House」を発表し、二日酔いの朝のようなかすれ声で歌ったウェービーな「My Cabana」がヒットして、タイの名はアメリカ全土で知られるようになった。その後立て続けにヒットを飛ばし、どんちゃん騒ぎとやりたい放題のセックスが訪れた。クリス・ブラウン(Chris Brown)の「Loyal」やオマリオン(Omarion)の「Post To Be」での共演や共同作詞、2015年に初めて大手レーベルからリリースしたデビュー アルバム「Free TC」の高い評価によって、タイは、10年来のもっとも優秀でもっとも一貫したヒットメーカーのソングライターという名声を確実なものにした。独特の歯切れのいい早口と軽やかなコーラスのおかげで、フィフス ハーモニー(Fifth Harmony)の「Work From Home」は2016年最大のヒット シングルになった。カニエ・ウエスト(Kanye West)にも飛行機で招かれてセッションに参加し、「The Life of Pablo」でボーカリストを務めた。
間もなく、タイはおびただしい量の新しい音楽を発表し始めた。例えば、2番目のLP「Beach House 3」。このアルバムにはそうそうたる顔ぶれが並ぶ。数分前にちょっと挨拶しようとスタジオに立ち寄ったスクリレックス(Skrillex)、タイが「クレージーなバケモノ」と形容するジョン・メイヤー(John Mayer)...。アルバムと同時に制作されたショート フィルムは、プリンス(Prince)の「Purple Rain」に触発されたといい、タイがファンに向かって直接語りかける。実は「Free TC」を制作していたときにタイはオーケストラをリクエストしたが、レーベル側が二の足を踏んだため、自分のポケットから6万ドルを出した。そこで今度は、ショート フィルムだけのために「途方もない予算」が与えられた。
すべてが好調だったが、タイが成功を実感する目標はまだ達成されていなかった。リリースされたばかりの「Beach House 3」に、もう少し違う名前をつけなかったのは、タイトルのアイデアが尽きたからではない。実は、本物のビーチ ハウスを買うことが、ずっとタイの秘かな目標だった。
「『Beach House』は、正真正銘、成功の象徴さ。まだ小さかった頃、お袋はオレと弟と妹をよくビーチへ連れて行ったんだ。いつか浜辺に自分たちの家を建てるつもりだった。『オレの部屋はここ、プールはここ』ってな具合。その後お袋と親父は別れちまったけど、オレはずっと忘れなかったんだ。ずっとあの夢を捨てなかった」
今は、かつてなく、夢に近づいている。「『Beach House 2』にはスクリレックスのサンプルを使った。『Beach House 3』には、本物のスクリレックスが参加した。それまで一生懸命頑張ってきたことが落ち着くべきところに落ち着き始めて、オレも波に乗り始めたんだ」とタイは言う。
だがビーチ ハウスの扉の鍵を手にするまでは、夢は夢のままだ。
「なんとなく上手くやれてるけど、人生、決して思い通りにはできないんだ。どう転ぶか分からんし、そいつを絶対忘れちゃだめさ。成功もあれば失敗もある」

着用アイテム:ハット(Études)、セーター(Raf Simons)

着用アイテム:セーター(Loewe)

着用アイテム:ブーツ(Saint Laurent)、セーター(Loewe)
タイロン・ウィリアム・グリフィン・シニア(Tyrone Griffin, Sr.)は、息子がまだよちよち歩きだった頃、その才能に気付いた。スタジオ ミュージシャンであり、ファンク バンドLakesideのツアー メンバーだったタイロン・シニアは、ある時ジャーメイン・ジャクソン(Jermaine Jackson)の曲を練習していた。トイレに立って戻ってくると、4歳のタイがキーボードで父親のパートを弾いていたのだ。
タイによると「いつだって耳から入るんだ。C#だって体で知ってた。ギターやピアノに触る前に、頭の中で分かってる」
ロサンゼルスで成長したタイは、音楽に囲まれていた。ミュージック ストアのオーナーだった父親には、アーティストの知り合いが大勢いた。タイはそんな環境を利用して、目の前に現れるすべてを学習し、演奏できるようになった。ひとつのことが次のことへと、どんどん繋がっていった。年上の友達がビートの作り方を教えてくれると、父親がMPCとエンソニック社のTS 10キーボードをくれた。シーケンスを勉強していると、シンセサイザーのギターは本物のギターの音色と違うことに気付いたから、本物のギターを使い始めた。ミスタ・グリム(Mista Grimm)の「Indo Smoke」をキーで演奏しようとすると、欲しい音ではなかったから、欲しい音にするためにベースを勉強することにした。
ラップとR&Bのレコード、とりわけDeath Row、Mos Def、J Dilla、Lauryn Hill、D’Angelo、The-Dreamのレコードから影響を受けた。だが、タイの耳はパンクにも反応したから、Bad Brainsのようなバンドがタイのポップに挑発の要素を加味した。
「みんながオレにやって欲しいってことは、一度もやったことがないね。生憎だな。ガールフレンドも、みんなのタイプとは違ってた。パンク ロックを聴いてた。ギターを弾いた。スケートボードもやった。地元の仲間は誰もそんなことをしてなかったけど、オレはオレさ。それに、オレはオレであることでハッピーなんだ」。タイは語る。「だけど、ニガーに立ち向かうこともできる」

着用アイテム:セーター(Loewe)
そんな中で、17歳のときに母親に家から追い出された。18歳になった頃にはどうにかアパートも借りることができたが、その後数年は貧しい生活を強いられた。だが、ゆっくりとではあったが、確かな土台も築き始めていた。タイ&コリーの活動も始めたし、Sa-Ra Creative Partnersとも仕事をした。ちなみに、地元ロサンゼルスのオルタナ ヒップホップ グループSa-Raの中心メンバーだったオマス・キース(Om’Mas Keith)、タズ・アーノルド(Taz Arnold)、シャフィーク・フセイン(Shafiq Husayn)はカニエ・ウェストにも影響を与え、彼のレーベルGOOD Musicと契約を結んだ。
2009年にリリースされた「Toot It & Boot It」は、ナンパを歌った、不品行で風船ガムのようについて離れない一曲。今やラチェットの不朽のクラシックだが、もともとはタイのオリジナルだった。だが、タイがYGと出会った2005年頃、当時ロサンゼルスで人気のストリート ラッパーだったYGに「Toot It & Boot It」はぴったりの曲だった。やがて「Toot It & Boot It」に勢いがつき始め、ついにタイのキャリアも日の目を見始めた。
ところが時を同じくして、プロデューサーだった親しい友人が撃たれて、死んだ。
「あれでオレは打ちのめされて、完全に殻にこもったんだ」。DJマスタードはなんとかタイを引っ張り出そうとしたが、とてもそんな気持ちになれなかった。「あの時期も、YGとのショーは続けてた。YGはオレとマスタードに400ドルでDJさせて、自分は何百ドルも懐に入れてた。その後『Toot It and Boot It』がヒットしたけど、YGの曲ってことになってた。タイ・ダラー・サインの名前はどこにもなしさ」
タイは気を取り直して、最初のミックステープ「Hou$e on the Hill」を制作して 2011年にリリースし、アトランティック レコードにライターとして拾われる。さて、2012年にトレイ・ソングス(Trey Songz)がLP「Chapter V」をリリースしたが、その中の「Fumble」という曲のライターがタイだということを知ったとき、タイに2度目の幸運が訪れた。時を経ずして、アトランティックはタイとレコーディング契約を結んだ。2012年の「Beach House」からドミノを倒すように人気が広がり始めた。1年後にはウィズ・カリファ(Wiz Khalifa)のTaylor Gang Recordsと契約して、「Paranoid」をリリースした。マスタードが遊び心を発揮した制作、そして耳にこびりついて離れない音楽を作るタイの才能のおかげで、「Paranoid」は当たりに当たった。国中のラジオ局からのべつ幕なしに流れた。タイには期待に応える用意が整っていた。

着用アイテム:ジャケット(Loewe)、ジーンズ(NUDIE JEANS)

着用アイテム:ジャケット(Loewe)、ジーンズ(NUDIE JEANS)
今夜の写真撮影のために、タイのスタイリストは高級デザイナーの服やファッション誌で紹介された服を準備した。だが日常生活では、白いTシャツにカーキ パンツにVanという「ありきたりなLAスタイル」のほうが好きだとタイは言う。そういう定番スタイルをとても信用しているから、まとめ買いする。だから、洗濯が間に合わないことはない。賢いスタイルだ。世慣れた選択だし、良識もある。引っ張りだこのアーティスト、そして12歳の娘の父親である彼にとっては理想的だ。しかし、いちばん印象的なのは、快適性を考えて服を選んでいるにもかかわらず、タイがトレンドに影響をおよぼしていることだ。
「そこらのキッズがみんなこんな格好してるのは、なんでだと思う? 裾を切ったパンツ、ハイソックスとVans、財布にチェーン。誰が始めたと思ってんだろな?」
これまでタイによって音楽やポップ カルチャーの方向が変わったことが、いかに多いか。過去10年を遡ってみれば、おのずと気づく。タイがラチェットを作り出したわけではないが、ラチェットが再度スポットライトを浴びたのは、タイによるところが大きい。ネイト・ドッグ(Nate Dogg)も下卑た歌詞を甘い声で優しく歌ったが、タイはさらに発展させてブランドにした。Sa-Raと一緒に歌を書いていたときには、エリカ・バドゥ(Erykah Badu)の2008年のアルバム「New Amerykah Part One (4th World War)」を手がけたが、その中の一曲「Master Teacher (I Stay Woke)」は2017年の人気キャッチフレーズになった。
「オレはトレンドとは無関係。ほかの奴らがやってることには、まったく関心がないね。自分のやることをやるだけ。その結果どうなるかは、誰にも分からんさ」
だが、サウンドであれムーブメントであれ、最初に編み出した人間には不利も働く。先頭走者の呪いとでも言おうか。バイブを作りだした創造者は、往々にして、その功績を認められることがない。大体のところ、タイはそれを笑い飛ばす。
「オレたちの昔のサウンドをやろうとしてる奴らがいっぱいいるようだけど、他人の真似をするんだったら、何を差し出せるんだ?」 テキーラを飲み干しながら、タイは言う。「オレはいつだってオリジナルだし、いつだって成功させてみせる。自分を生きることだ。可能な限りベストな自分になることさ」
なるほどと思わせる良いアドバイスだ。これを実践すれば、タイはビーチ ハウスを手に入れるかもしれない。
レベッカ・ヘイスコートは、過去に「LA Weekly」でアシスタント・ミュージック・エディターを務め、「The New York Times」「GQ」「The Guardian」「Playboy」「Billboard」「SPIN」「Pitchfork」等にも寄稿している
- 文: Rebecca Haithcoat
- 写真: Andrew Arthur
- スタイリング: Mike Comrie
- 動画: Gabe Shaddow
- 制作: Rebecca Hearn
- 制作アシスタント: Dante Darko
- ヘア&メイクアップ: JC Hammons