レジー・スノウの深淵を覗き込む
未来を紡ぐラッパーが過去を振り返る
- インタビュー: Nazanin Shahnavaz
- 写真: Angelo Dominic Sesto

レジー・スノウ(Rejjie Snow)はこのところ、ずっと自分の内面と向き合っている。待望のデビュー作、『Dear Annie』は公開されたばかりで、ラッパーは、ロンドンのスタジオで自らの良心と格闘していた。「がんばったから、今は楽しもうとしてるんだ」と、低く穏やかな声で言う。サッカーの奨学金を得てフロリダで暮らしている間、この若きMCはいくつかのトラックをYouTubeにアップした。そして、そのゆったりとしたジャジーでミニマリストなビートとは裏腹に、目もくらむような速さでファンを獲得した。本人も何が起きているのか飲み込めないうちに、スノウはレーベル300 Entertainmentと契約し、ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)やマドンナ(Madonna)の前座を務めることになっていた。だが自分の音楽になると、満足感を得るには程遠かった。「これにはどれも大きな責任が伴う。だからうまくバランスを取る必要があるんだ。いつスイッチをオンにして、いつオフにするのか、知らなきゃ」と彼は言う。「ずっとやってると、何もかもおかしくなってくるからさ」。スノウは睡眠不足のせいで少しぼんやりしている。名声を得れば得るほど周囲の期待は高まり、それに応えることで頭がいっぱいだ。慢性的に引っ込み思案な24歳には、この成功は予想外の軌道を描いているように感じる。そして、それは否応なしに、彼をダブリン北部の郊外から世界の表舞台へと押し上げたのだった。
ナザニン・シャーナバズ(Nazanin Shahnavaz)
レジー・スノウ(Rejjie Snow)
ナザニン・シャーナバズ:子ども時代はどのようなものでしたか。
レジー・スノウ:ダブリンで育ったけど、かなり普通の子ども時代だった。多くの時間を外でサッカーをして過ごしてた。問題児だった。イタズラばっかりしてたんだ。それに、たくさん歌ってた。ジョージ・マイケル(George Michael)とクイーン(Queen)を聞いて育って、おふくろのために、「トップ・オブ・ザ・ポップス」の真似をしたりした。
子どもの頃はナイジェリアの親戚の所に行ったりもした。自分のルーツを自分の目で確かめるのはいいことだったよ。たくさんのことを学んだ。美しい所で、ナイジェリアの精神からはインスピレーションを受けてる。食べ物も美味しいし、雰囲気もいいし、音楽もいい。20代のうちに、もう一度あそこに戻る日が待ちきれないよ。それで、何もかもすべてを吸収するんだ。
アイルランドのヒップホップ シーンはかなり小さいと思うのですが、そこでの経験はどのようなものでしたか。
すごく小さいし、俺は、自分の居場所があそこにあると思ったことはない。子どもの頃、音楽を作るための場所なんてほとんどなかった。俺はいつも自分ひとりでやってたんだ。友だちは違うタイプのハウス ミュージックを聞いてたし、レイブにもよく行った。ヒップホップを作ってた人たちって、俺たちから見ると、ちょっと陳腐な感じがした。トラックをネットにアップし始めたのはアメリカの学校にいるときだったから、アイルランドのシーンにどっぷり浸かったことがないんだ。
では自分自身について、どのように位置づけていますか。
地元ではみんなに崇められてて、すごいプレッシャーがあるんだ。俺がアイルランド人で黒人だから、違うカテゴリーに入れられてるんだと思う。俺は、皆に、自分がそれだけじゃない、個人としての人間性が重要だってことを示せるようなミュージシャンになりたい。これまでと同じ伝統に、ただ従うんじゃなくてね。

Rejjie Snow 着用アイテム:スニーカー(Reebok Classics)、フーディ(Palm Angels)、トラウザーズ(Gosha Rubchinskiy) 冒頭の画像 着用アイテム:ハット(Christian Dada)、シャツ(Calvin Klein 205W39NYC)

着用アイテム:フーディ(Palm Angels)
16歳でフロリダに引っ越したわけですが、アメリカで暮らしてみて、いちばん驚いたのは何でしたか。
あそこに存在する人種差別。俺の言う意味わかるかな、本当に不安定な場所なんだ。人々は俺がアイルランド人であり、かつ黒人であることにショックを受けてた。それまで考えたこともなかったけど、アメリカでは、それが話題になるんだ。繰り返しになるけど、これは、あそこの人々にきちんと教えるべきことだ。俺がその役割をやるしかないんだから、これでいいんだ。
今日の音楽の役割とはどのようなものだと思いますか。
音楽はアイデアをひらめかせるもの。音楽は革命を起こす。アメリカの警察の残忍性を歌った「Crooked Cops」っていう曲を作った。あそこにいて、緊張が肌で感じられたから。そういうときにこそ最高の音楽が生まれるんだ。経験を通して、人生の中で生まれる。音楽はいつだって、世界で起きているあらゆる出来事のサウンドトラックだった。
社会問題に関心のあるミュージシャンがどんどん出てきていると思いますか。
だとしても、そういうミュージシャンは注目されてないと思う。今では何もかもがメインストリーム寄りだから。いい音楽を探り当て、プロモーションして、シェアして、吹聴してまわるばかりだ。音楽の消費のされ方も、もう以前とは違うものになってる。ファーストフードみたいなんだ。

どうやったらアルバムがあんなに次から次へと出てくるのか、想像もつきません。
俺にもわからない。自分のアルバムを作るのには時間がかかったから。俺には本当に語るべきものが必要なんだ。この意味わかるだろ。共感できるようなテーマがいる。ありがちに聞こえるだろうけど、これもすべてファンのためだ。いい音楽を作って、ファンに提供する。そしたら、それがあいつらの音楽になって、他の人にもそれを見せてくれる。
どんなことをしてリラックスしますか。
たくさん本を読む。絵を描く。昔は、よくスプレーで絵を描いた。電車や壁にグラフィティを描いてた。グラフィティの存在を知ったときから、完全に病みつきだった。誰が描いたかわからない絵が、こんなにも破壊的で政治的になりえるっていう考えがすごく気に入ったんだ。人生の大部分がグラフィティだった。

着用アイテム:Tシャツ(Balenciaga)
ダブリンのグラフィティ カルチャーの重要性はどのような点ですか。
ダブリンのグラフィティ カルチャーは本物の裏社会なんだ。そうやって俺は音楽の世界にも足を踏み入れた。ずっと仲間に入りたいと思ってたけど、当時はまだ若すぎたから、実際に中に入れてもらえることは決してなかった。「オモチャ」だったんだ。何も知らずに、バカなことを言って、グラフィティをやってる人間をそう呼ぶんだよ。見え見えだった。俺はいつもアウトサイダーだった。みんな超すごい人たちに見えて、その人たちに興味津々だった。あんなに彼らと知り合いになりたいと思っていたのに、大人になってみると、当時想像してたことが、現実ですらなったということに気づいておかしかったよ。
手が届かないと思っていた場所に到達してみたら、想像していたのとは違ったという感じでしょうか。
そう、実際には存在しなかった。年齢が上がると、こういうことに気づくことが増える。
今日のあなたはとても内省的ですね。
今この瞬間を生きてる感じがしないんだ。マドンナのツアーもやったけど、やっと今になってそれに気づいた感じ。色々話してるだけで、何かと考えてしまうんだと思う。人生でいろんなことが立て続けに起こってたから。今は前より自分の年齢も意識するようになった。もっと賢くなってるような。世界中を巡って、たくさんの面白い人たちに会った。アルバムも発売されて、こういう様々な感情のすべてが押し寄せてきた。
人生がこれほど充実している中、何がモチベーションとなっていますか。
より良い人間であること、今やっていることがもっと上手になること、いちばんうまい一人になることかな。少なくともおふくろのために。色々と大きな計画があるから、もっと時間が必要だ。いつか子どもを持って、俺が何かを成し遂げたってことを子どもたちに見せる様子を想像するんだ。有名になれるなんて思ってもみなかったから。繰り返しになるけど、俺のプラットフォームで人気が出たって感じなんだ。だから、俺をそれをポジティブなことに使おうとしてる。愛が広がるように。1日の終わりには何もかもがポジティブになるような、そういうものが人々に影響を与えるんだ。それが音楽制作のインスピレーションになってる。とてもシンプルでも他の人にとっては多くの意味を持つようなことが、どうすればできるかを考えながらね。自分はいつか死ぬってことも感じるけど、これはいいことだと思う。死は別に怖くない。ただ死に対して意識的なだけ。死を常に感じるのに、死ぬのが怖かったら最低だろうな。
これまでのところ、あなたの旅路はどのようなものだったと思いますか。
忍耐に次ぐ忍耐、ってとこかな。 今の自分に至るまでの間は、何よりも辛い時期だった。レジー・スノウになるのはかなり大変だったね。
- インタビュー: Nazanin Shahnavaz
- 写真: Angelo Dominic Sesto
- 写真アシスタント: Jack O’Donnell
- スタイリング: Nazanin Shahnavaz
- ヘア: Portia Ferrari