ラップ界の奇才ゼイトーヴェン

現代のアトランタ ラップを牽引する大御所プロデューサーと語る

  • インタビュー: Meaghan Garvey
  • 写真: Cam Kirk

ゼイトーヴェン(Zaytoven)の愛犬、厳ついフレンチブルドッグが私のことをじろじろと煙たそうに見回している。愛犬のヨーダ(Yoda)という名前はおそらく、彼がアトランタ郊外にある飼い主の地下室をうろつき回りながらゼーゼーと吐き出している、映画の同名キャラクターのごとき荒い鼻息に由来しているのだろう。外では、敷地の奥に大きなプール デッキやジャクジーなど、ありとあらゆるものが並び、犬が数匹、所在なげにうろついている。中に入ると、シルバーのマティーニ バーには昨晩からの残りであるリトル シーザーズのピザの箱、そしてトーストチーのピーナツバター クラッカーが見える。しかし、この空間で最も目を引くものは間違いなく、鉄でできた音符の飾りと数々のビルボードの表彰盾の間に挟まれて鎮座するガラスドアだ。そこには金色の手書き文字で「ZAYTOVEN STUDIOS」と書かれている。あのドアの後ろで、これまで考えられないほど多くの、2010年代を決定づけるラップソングが制作されたのだ。そして今まさに、この38歳をむかえるプロデューサーは撮影のために衣装に着替えている最中だ。スピーカーから爆音で流れている音楽は…

「この曲って、もしかして…?」。私は寝袋ほどの大きさのVetementsのパーカーに身を包んだ、ゼイトーヴェンことザビエル・ドットソン(Xavier Dotson)に訊ねた。

彼はニコッリ笑う。「そうだよ。これは『Beast Mode 2』さ」

Zaytoven 着用アイテム:ジャケット(Vetements) 冒頭の画像 着用アイテム:スニーカー(Fear of God)トラウザーズ(Off-White)シャツ(Off-White)

その言葉を聞いた瞬間、この日は突然にして人生最高の日となった。21世紀のアトランタ ラップ界において、間違いなく最も影響力のあるプロデューサーの地下スタジオで、待ちに待っていたフューチャー(Future)と彼の共作、至高のフルアルバムの続編が聞けるなんて。(ネタバレ注意:アルバムは最高の出来だ。) フューチャーの返り咲きは、2014年に発表されたミックステープ『Monster』によって始まったと、多くのファンたちは信じでいる。ドラッグに「YES」を唱え、ダンジョンファミリー(Dungeon Family)の後継者である彼が、「トラップ界のタウンズ・バン・ザント(Townes Van Zandt)」としての地位を確立させたミックステープだ。しかし、フューチャー・ハイブが再びアーティストとしての信用を完全に取り戻したのは2015年のミックステープ、『Beast Mode』によってである。ゼイトーヴェンのお家芸である技巧的なピアノプレイに導かれ、心の痛みや記憶をソウルフルに追い求めた9曲。氷のように冷淡で優雅なこのレコードは、とりわけ冬に聴きたくなる1枚だ。「その通り! そんな音楽だね」と彼はそう同意してくれる。「フューチャーとの仕事は、それ自体がアート作品みたいなんだ。『Beast Mode』のようなアルバムを聞いていると、まるでよくできた絵画でも眺めてる感覚になる」。彼は少し笑ったが、彼の言わんとしていることはよく理解できる。それは、カラヴァッジオの絵画を見ている時に白い大理石をこだますバロック音楽のような、言うなれば現代のミュージアム ミュージックなのだ。

着用アイテム:ジャケット(Vetements)

ゼイトーヴェンは、最も初期のグッチ・メイン(Gucci Mane)とのレコーディングに始まり、今日のSoundCloudに見られる復興主義者の分派に至るまで、トラップ ミュージックが歩んで来た軌跡の全てに携わってきた。彼の実家の地下をDIYで改装したスタジオで、超のつくカリスマであるラドリック・デイビス(Radric Davis、グッチ・メインの本名)を口説き落とし、レコーディングを開始した。グッチ・メインの初シングル曲であり、リアルなトラップをラジオに届けた名曲、 「Icy」に彼はずいぶんと奇天烈なビートを提供した。それからというもの、OJ・ダ・ジュースマン(OJ Da Juiceman)からミーゴス(Migos)に至るまで、彼は各アーティストのキャリアを揺るぎないものにするヒット曲を量産し、アッシャー(Usher)やニッキー・ミナージュ(Nicki Minaj)との仕事によって、ポップ寄りの世界でも引けをとらない存在であり続け、21サヴェージ(21 Savage)やリル・ウージー・ヴァート(Lil Uzi Vert)といった後継のアーティストたちにバトンを引き継いだのである。悦に浸ることも時代から取り残されることもなく、ゼイのように今日にも通用する存在でい続けられるプロデューサーを私は他に知らない。

その生みの親が持つミニマルなピアノと全身がとろけるようなオルガンの演奏には、言葉では言い尽くせないソウルともいうべき、他人には到底まねできない何かが宿っている

レックス・ルガー(Lex Luger)の仰々しい表現や、808 マフィア(808 Mafia)が持つ不気味さ、メトロ・ブーミン(Metro Boomin)の映画のような世界観の下地を作ってきたゼイが、もしトラップの最重要プロデューサーなのだとすれば、その守備範囲の広さを見るにつけ、彼は文句なしに現代のラップ界における最も影響力のあるプロデューサーであることを示しているのではないだろうか。00年代半ばにおいて、彼とグッチの音楽はニッチな存在だったかもしれないが、近年では揺るぎないメインストリームだ。良いか悪いかはさておき、テイラー・スウィフト(Taylor Swift)の最新アルバムには、リズムマシーン「808」のドラム音とフューチャーによるバースが使われている。YouTubeをちょっと検索してみれば、すぐに数千の「ゼイトーヴェンっぽいビート」が見つかるが、その生みの親が持つミニマルなピアノと全身がとろけるようなオルガンの演奏には、言葉では言い尽くせないソウルともいうべき、他人には到底まねできない何かが宿っている。

「俺たちがあの頃に作った音楽が、未だに力を持っているなんて、たまらないね」。伝説のストリップ クラブMagic Cityを見下ろし、Peewee Longway(ピーウィー・ロングウェイ)の写真と、悲しみの聖母のスタイルで描かれた21サヴェージの威厳ある油絵が壁に飾られた写真スタジオで、彼はそう思いに耽る。「でも、俺が未だに今のシーンと結びついていられるのは、新しく出てくるヤツらが、俺とグッチが昔作った音楽から生まれて来ているからだと思うよ。ヤツらは、わずかに自分たちのフレイバーを上乗せしてはいるけど、同じものから生まれて来ている。わかるよ。なぜキッズたちが、そういう音楽に魅了されるのかは理解できる。例えばグッチはビートに合わせることができなかった。彼のリリックは時々何を言っているかわからない。そして、キッズたちが今やってるのはそういうことなんだよ」

彼の名前の由来となった18世紀の偉人のように、ゼイトーヴェンもまたドイツ生まれだ。正確に言うと、陸軍所属の父親が駐屯していたフランクフルト生まれである。彼はその時代のことをほとんど覚えていないし、彼の家族は頻繁に引越しを繰り返していた。フランクフルトの後はミシシッピ州、そしてサンフランシスコのベイエリア、最終的にはアトランタへと行き着いた。ゼイの父親は牧師でもあり、母は聖歌隊の指揮者だったことから、彼や彼の兄弟は教会で多くの時間を過ごし、そこで自分たちが楽しむ方法を模索していた。ゼイは6歳になるとドラムを叩き始め、オルガンやキーボードへと移って行った。「俺がまだすごく小さかった頃、両親は俺をレッスンに通わせようとしたんだけど、2週間で辞めちまった」と彼は振り返る。「年取ったばあさん先生の家でレッスンを受けていた。年寄りの意地悪なばあさんだったよ。指が正しい形になっていないと、鉛筆を取り出して指をひとつひとつ突っつくんだ。だから『こんなのやってられない』と思って俺は独学で学び始めたんだ」

着用アイテム:シャツ(Études)

ベイエリアいた頃、ゼイはサンフランシスコのラッパー、JT・ザ・ビッガ・フィッガ(JT the Bigga Figga )と音楽制作を始め、最初期のビートは彼の1999年発表のアルバム、『Something Crucial』のタイトル曲として使われた。「俺の初期のビートは、どれも当時ベイで流行っていた音だった。モブ ミュージックだね」と彼は言う。「『Icy』でさえもベイエリアっぽい感じの音だった」。その西海岸のエネルギーをまとったゼイの作品は、引っ越し先のアトランタでは、明らかに「浮いて」いた。ただ、中にはそれが好きなラッパーもいたのだ。当時まだラッパーではなかったグッチもそのひとりだ。「グッチは小さな甥っ子のために曲を書いていた」。ゼイはそう回想する。「グッチが小さな甥っ子に何をするべきか教えるため、何度もブースの中に行ってラップするのを見て、俺は『お前、やるじゃないか』って感じだった。そうやって彼は毎日スタジオに来るようになったんだ」。当時、ゼイはストーンクレスト モールで理容師として働いていた。彼はそこで客の髪を切りながら、自分の曲をプレイしていた。そして、その店で「Icy」がかかってから1年が経った頃、アトランタのラジオで1位を獲得したのだ。

「 過去のことで1つだけ恋しいのは制作のプロセスだね。昔は、自分の家の地下で制作のすべてを一度にやっていた」。私が、彼と彼の友人たちがメインストリームで成功したことによって何らかの代償があったかと聞くと、ちょっとした懐かしさをのぞかせてゼイはそう語る。「ちょうどRed Bullとドキュメンタリーを作ったところなんだ。その中で、俺が地下室でグッチやヨー・ガッティ(Yo Gotti)やロッコ(Rocko)、フューチャーたちといる古い映像がたくさん使われているよ。あの時代が懐かしいよ。俺たちは、自分たちが何を作っているのかわかっていなかった。俺たちはまず何よりも、ただ自分たちが楽しむために曲を作ろうとしていたんだ」。彼らの過密スケジュールを考えると、このミュージシャンたちを同じ部屋に集めるのは、今では至難の業だ。それに加えて、昨今の業界のペースはほぼ休むことのないアウトプットが求められる。「一つのことにこだわることができないんだ」とゼイは言う。「俺たちは、もっと、さらにもっと、って多くを求めて、満足することがない。例えば、確かに先週にやったこの曲はカッコよかった。で、次はどんなの?みたいな感じでね。これでは、いつか音楽そのものに悪影響を及ぼすと思うよ。でも、それが、今俺たちが生きている世界なんだよ」

はたしてゼイトーヴェンには、ただ純粋に音楽を作りたいからという理由で音楽制作に取り組む日はあるのだろうか。自分とピアノだけの世界で、外野の騒音や業界の要望からはいっさい切り離されて音楽を作ること ― 実は、彼にとって、日曜日がそれにあたるのだそうだ。彼は毎週、地元の3つの教会の礼拝で演奏をしている。街にいないときは、彼がいなくても聖歌隊が歌えるようにと、ピアノとストリングスだけのゴスペル曲を録音している。そこでは、彼は等身大のセレブリティでいられる。「みんな、俺をかけがえのない人として接してくれるんだ。たとえ、演奏ができる人なんて、他に100万人いるとしてもね」と彼は笑う。

彼がこんな気持ちになるのも無理はない。なぜなら、今、ゼイはかつてないほどあちこちに露出しているからだ。今週映画を観に行くのなら、Director X(ディレクター・X)が手掛けたアトランタを舞台にした映画、リメイク版『スーパーフライ』の予告編でゼイを目にすることができる。彼はこの映画のサウンドトラックに大きく関わっている。この映画が6月に封切られた後、間髪入れず『Beast Mode 2』がリリースされる予定だと彼は言う。そして彼のファーストソロアルバム『Trap Holizay』は今月末にリリースされる。このアルバムには、OJ・ダ・ジュースマンから、クエヴォ(Quevo)に至るまで、この10年間で関わったアトランタのラッパーほぼ全員が参加している。そして、どういうわけか、ゼイはこれっぽちも燃え尽きてはいないのだ。「音楽はいまだに息抜きなのさ。例えこれでお金を稼いだとしても、俺にとっては趣味なんだ」と彼はいう。「夫であり父親であることが俺の一番の優先事項だからね」

例えばリル・ウージーやリル・パンプなんかと仕事を始めたのは、俺の息子が彼らの音楽を聴いていたからなんだ。フューチャーやグッチは息子にとってオールドスクールだからね

ゼイには8歳になる娘と11歳の息子がいる。ゼイが学校に迎えに来ると、彼らは誇らしげに顔を輝かせる。実際、自分の息子を感動させたいという思いこそ、彼が今でもラップ界とつながりを持ち続けるモチベーションなのだ。「例えばリル・ウージー(Lil Uzi)やリル・パンプ(Lil Pump)なんかと仕事を始めたのは、俺の息子が彼らの音楽を聴いていたからなんだ。フューチャーやグッチは息子にとってオールドスクールだからね!」。YouTubeで“Lil Zaytoven”(リル・ゼイトーヴェン)と検索すると、ゼイの息子が4歳の頃から地下室で父親であるゼイに付き添われて、完璧なまでの冷静なフロウでこんな風にラップをしている動画が見られる。「父さんは熱くなれと教えてくれた。だから俺はビートの上でそれを表現してるんだ」。その何年か後、リル・ゼイが10歳の誕生日に「Hotline Bling」の洗練されたカバーを披露し、MPCでドラムをプログラミングする方法を理論整然と説明する様子を収めたビデオもある。リル・パンプはこの子の電話番号を手に入れた方がいいかもしれない。

ゼイに、今までのキャリアで最も誇らしいの実績について尋ねると、彼は謙遜して躊躇したものの、すぐに答えを教えてくれた。そして、それは全てが始まった地点に立ち戻る。「それは今も変わらず『Icy』だね」と彼は認めた。「それと『Make The Trap Say Aye』。これは今現在もラジオでかかっている、「本物」のトラップ ミュージックだよ。『Versace』は、もう一度 『Icy』の時のような気持ちにさせてくれる。再出発のような気持ちさ。そして、 『Too Much Sauce』に関しては、すごく誇らしい気持ちになるんだ。なぜなら、これは俺と息子との接点になったからね」。彼のにこやかな笑顔は昔を懐かしみながら未来を見据えていた。太陽が私たちの背後にあるMagic Cityに沈む。そこでは、今まさに彼のビートが流れていることだろう。

Meaghan Garveyはシカゴを拠点とするフリーランスのライター/イラストレーター。彼女の作品は、PitchforkやRolling Stone、The Faderなどで見ることができる

  • インタビュー: Meaghan Garvey
  • 写真: Cam Kirk
  • スタイリング: Maddie Ivey