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ヒップ ホップ アーティストが、アートとパフォーマンスの政治を語る
- インタビュー: Eva Kelley
- 写真: Jonas Lindstroem



突風が吹く夜。ハンブルグの港。エルベ川の河口に新しくオープンした音響の素晴らしい市立コンサートホールElbphilharmonieに、ゼブラ・カッツ(Zebra Katz)がいる。ガラス張りの建物の中で観客は陶然となり、会場全体がダンスの熱気と汗がほとばしる圧巻のクラブ ナイトへと引き込まれていく。このジャマイカ系アメリカ人シンガーがステージで演じるペルソナは、クラブのビート、話し言葉、ボールルームのヴォーギングの魔法をミックスして、ゼブラの名にふさわしいスタイリッシュで大胆な雰囲気を盛り上げる。
ステージを下りたペルソナは、オジャイ・モーガン(Ojay Morgan)。パフォーマンス アートの経歴から分身が生まれた。2012年に、ブレイクのきっかけとなったヒット曲「Ima Read」をリリース。時を同じくして登場したクィア ヒップ ホップの一員として分類され、ミッキー・ブランコ(Mykki Blanco)のような流動的ジェンダーのアーティストたちと前後して有名になったものの、ハーレムのボールルーム文化を連想させるもうひとりのクィア アーティストという安易なカテゴリー分けに、ゼブラ・カッツは抵抗する。ジェンダー云々よりも先ず、彼をセクシャリティの分類に閉じ込めようとする批評家に対して、彼は異論を唱えてきた。デビューから5年、リック・オウエンス(Rick Owens)から、バスタ・ライムス(Busta Rhymes)、最近ではゴリラズ(Gorillaz)などと輝かしいコラボーションを積み上げてきたカッツは、単純なステレオタイプにあてはまらない幅広いアーティストであることを立証してきたのだ。
ショーを控えた楽屋で、エバ・ケリー(Eva Kelley)がゼブラ・カッツと腰を下ろし、ステレオタイプを生み出す業界内の駆け引き、ドイツへの移住、そして恋について対話した。


エバ・ケリー(Eva Kelley)
ゼブラ・カッツ(Zebra Katz)
エバ・ケリー:ゼブラ・カッツが誕生した経緯を教えてください。
ゼブラ・カッツ:カレッジの卒論で、いくつかキャラクターを書いた中のひとつが、ゼブラ・カッツだった。カレッジを卒業して、チッペンディールズっていうストリップ集団でちょっと働いた後、衛生局で働き始めるキャラクター。YouTubeの中に住むオンラインのキャラクターを何人か作って、それぞれがどう成長していくか、見たかったんだ。作品のタイトルは「Moor Contradictions」。どのキャラクターも僕自身の断片でね、ダンスホールの女王様もいるし、大学生のダンサーもいる。ウィッグや小道具や動作も全部考えた、すごく現実的なキャラクターだったんだよ。2007年の春だったな。
ということは、10年前ですね。
あー、カレッジ時代! いまだに学費の借金を払ってるよ。
ブレイクのきっかけは、2012年のパリのファッションウィークで、リック・オウエンスがウィメンズウェアのショーに「Ima Read」を使ったことでしたね。彼のファッションについては、どう思いますか?
大好き。名前を知っているデザイナーのひとりだったんだ。あのコラボレーション以来、リックとミシェルがますます好きになったよ。初めて彼に会うために「Dazed」マガジンが僕をパリに行かせたんだけど、初めてのパリだった上に、すごく豪華だった。彼の家に行って、シャンペンを飲んで、ゼブラ・カッツとしてのキャリアに一役買ってくれた本人とお喋りしたんだ。かなり緊張したけど。彼の友情はすごく嬉しい。なんせ「ビッチ」って言葉を80回以上使ってるあの曲を使ってくれたんだから、大きな借りがあるね。


あなたは歌詞の中で、ずいぶんディスってますよね。ふざけながらですけど。ああいうディスりは、何に対して、誰に対してですか?
いろんな人。「まぁ、あんたはそんなビッチなの? そんなビッチになるつもり? それとも、私がそんなビッチなの?」って態度ね。それがリスナーの心に響いたんだ。
ボールルームに影響を受けていますか?
ボールルームに影響されてないとは、言えない。「Ima Read」が世に出たタイミングが、奇跡的に、ちょうど「パリ、夜は眠らない」の20周年の年だったんだ。僕は必ずしもボールルームに関わってたわけじゃないけど、黒人でニューヨークのクィアとなると、みんな参考になるものを持ち出してきて、僕がやっていることを理解しようとするんだ。ヴォーギングだって、そういう感じで押し付けられたようなもの。ヴォーギングは好きだけどね。ユーチューブでボールルームのビデオも見るし、ボールにも顔を出したこともある。2012年にMaseratiというボールでパフォーマンスしたし、DJのMikeQのファンだし。ヴォーギングは、2012年にすごく広がったんだ。「アメリカン・ダンスアイドル」や「アメリカズ ベスト ダンス クルー」に出たり、ペプシのコマーシャルに使われたり、いたるところに登場してた。
「パリ、夜は眠らない」は好きですか?
すごく好き。象徴的な映画だよね。出演してたドラッグクイーンのドリアン・コーリー(Dorian Corey)の言葉は「Ima Read」とすごく関連してる。「皮肉っぽい侮辱(shade)は、面と向かって人をけなす行為(read)から生まれたんだけど、元々はreadから始まったの」ってね。僕は仲間うちで「read」っていう言葉をいろんな風に使うのが好きなんだ。けなすってことは、要は誰かを教育すること。「ビッチ」もよく使うよ。文脈が分からないと、軽蔑だと思う人が多いけどね。

人にいろいろなものを
恵んでくれるのは
宇宙だけだからね。
でも、僕が欲しいものを
くれるわけじゃなくて、
他のちょっとした
何かをくれる
あなたの「ビッチ」という言葉の使い方は、面白いですね。シンボルに対する、アーティストのジョナサン・ミース(Jonathan Meese )の考え方を思い出します。ミースは、あらゆるのシンボルがニュートラルになるべきだと言うんです。人間が意味を詰め込んで、過負荷になってしまったから。あなたの言ってることは、それと似てますよね。あなたの場合は歌詞、という違いはありますが。
確かに、「ビッチ」や「ニガー」という言葉に関しては、ヒップホップはすごく評判が悪いよね。ほとんどは愛情表現として使ってるんだけど、聞きたくないって人もいる。「ビッチ」は、すごく奥の深い言葉なんだ。「ビッチ」と言えば、僕はいつもミッシー・エリオット(Missy Elliot)の「She’s a Bitch」を思い出すよ。あの曲とビデオは象徴的だよ。ミッシーは、「ビッチ」という言葉でエンパワメントしてる。裏に隠されたアティチュードやスタイルには圧倒される。正直言って、「Ima Read」がここまで大きくなって、きちんと座って真面目にその意味を話す日が来るなんて、思ってもみなかったな。現実じゃないみたい。
ところで、説明の中に、こっそりA Tribe Called Questを忍ばせましたね。
ヒップ ホップについては、本当にたくさん学んだよ。ヒップ ホップ業界で曲をたくさん作ってる人たち、そして僕を認めてくれる人たちにも、大勢会った。僕のトラックに参加してくれたバスタ・ライムス(Busta Rhymes)とか。「うわ! あんな人が僕の曲を聴いてくれてる!」って感じ。誰が僕の音楽を聴いてくれてるのか、あるいは頑張れって応援してくれてるのか、マジで実際に見えてきた時期だった。僕みたいな体つきで、マスコミでああいう取り上げ方をされると、「え、そんなことってあり? クィアでラップもするなんて。これについて深く議論してみる必要があるな」ってことになる。だけど実際、そんなに話すことなんてないの。分かる? もちろん、僕が日常的に受ける不当な扱いについて延々と話すことはできるけど、そんなことより、楽しくてノリのいいダンスミュージック、僕のハートに触れる音楽を作ってるほうがいいから。人が気付いてないことを教えるために皆が聞きたがる話をするより、僕自身が人と共有したい話やパフォーマンスをしたい。面白いよね。僕は自分を変えることはできない。だから、自分自身と付き合っていくしかないし、セクシャリティとか人が僕をどう受け止めるかってことは、ひとつの道具だと思う。
セクシャリティについて、いつも関心が集中するのは変ですよね。
すごく馬鹿げてる。でも、こういうのって、波があるよね。今注目されてるのは、人種とジェンダー。セクシャリティも、注目されたりされなかったり。「クィア ラップって何ですか?」みたいなメールばっかり来た時期もあった。「知らねえよ。こっちが知りたいくらいだ!」って感じ。大体、僕が作っているのはラップじゃないんだし。ただ僕の肌が黒いからってだけで、そういうことを言われる。僕は音が好きなの。アーティストは、カテゴリーやジャンルを超えて、はるかに多くのことを表現すると思う。僕たちは、自分たちの前に置かれたどんな境界線だって破っていくし、どんなレッテルも受け付けない。それを証明し続けてるだけ。すごく大変なことだよ。
とても正直な受け止め方ですね。あなたは、クィア ヒップ ホップの流れに分類されて困ってる、と読んだことがあります。そもそも、そのジャンルの他のアーティストたちとは、音楽的な共通項もないのに、すごく奇妙な偽善ですよね。
特定のアーティストだけにそういうことが起きたのは、残念だな。ヒットを出したアーティストの中で、ああいう分類をされたのは僕たちだけだもの。肌の色やセクシャリティのせいだと思うんだ。
僕がいちばん腹を立てたのはそこ。こういう疑問を口にすると、脅してるみたいに聞こえる。根っからの人種差別主義ってわけじゃないんだよね。僕が言いたいのは、自分が何を言っているのか、誰に向けて言っているのか、それを考えるべきだってこと。もし本当に関心があって、僕たちがやっている音楽の進歩をサポートしたいと思うんだったら、軽く見たり型にはめたりしないようにするべきだよ。僕はいろいろと実験するし、僕の仕事を見て、何かを学んで欲しい。「いったい誰だ、このゲイのアーティストは?」じゃなくてね。そんなの、どうだっていいじゃない! 他の音楽のジャンルで「クィア」が見出しになること、ある? ピッチフォークがキッズたちに売り込むために使う、ただのクールな目新しいスタイルだよ。あの人たち、そういう言葉を考え出すのが好きだから。そもそも、そういうアーティストをサポートしてるとは思えないけどね。ピッチフォーク フェスティバルに、クィア ラップがいったい何人出演した? iTunes やSpotifyに、クィア ラップのプレイリストがいくつある?

ベルリンは、
僕が生まれた頃の、
見たことのない
ニューヨークを
思い起こさせる

そうですね。セクシャリティで一括りにされているのは、このジャンルだけです。つまり、ヒップ ホップは基本的に異性愛の音楽と思われていて、そのために「クィア ヒップ ホップ」が非常に対照的ということなんでしょうか?
その外側に目を向けて、アートの他の形態を考えてみると、黒人のアート ムーブメントがあって、ニュー ウェーブがあって、テクノがある。そういう言葉は「クィア ヒップ ホップ」みたいに軽くない。僕は自己嫌悪する人間じゃないけど、そういう言われ方をすると軽く見られているように聞こえるし、自分にとってすごく大事なことなのに、あんまり話したくないって気分になってしまう。僕の音楽や体が、すごく孤立しちゃうんだ。友達が僕を座らせて、言ってくれた。「君は気付いてないかもしれないけど、今から10年後、君の中に自分と同じアイデンティティを見る若者がいるはずなんだ。そして、できないとか、やっちゃいけないって周囲から言われていることを実践している人間がいることを知るんだ。それが君なんだ」。その言葉を聞いて僕は勇気付けられたし、その言葉を理解するようになった。子供の頃、僕が尊敬できるのは、リトル・リチャード(Little Richard)とアンドレ・レオン・タリー(André Leon Talley)しかいなかったもの。身近に感じて、自分を投影できたのはね。自分を代弁してくれる人があまりいなかったから、僕が今、そんな人になれるんだったら喜んでなるよ。これまでに、僕が自己嫌悪を感じていると思った人がいたら嫌だな。だって、全然そうじゃなかったんだから。僕は自分のやっていることに誇りを持ってるし、他のみんなにも、ジャンルに関係なく、自分のやっていることに誇りを持って欲しい。
あなたは15年間ニューヨークで暮らして、ベルリンに移住されましたね。どうしてベルリンを選んだのですか?
ベルリンは、僕が生まれる前のニューヨークを思わせるから。ベルリンには友達もたくさん住んでるし、あのエネルギーと雰囲気が好きなの。ニューヨークでの15年間も良かったけど、今はベルリンに根を下ろしたい。
最後に、恋をしてますか?
恋に恋してる。デートという面では、ベルリンのほうがずっといいんじゃないかな。恋することで頭がいっぱいだけど、恋はしてない。だから誰とも付き合っていないんだと思う。だって、宇宙は何もかも恵んでくれるわけじゃないから。
僕が欲しいものをくれなくて、他の何かをちょっとくれる。待たなきゃいけないし、焦らずに待たなきゃいけない。友達がいつも言うのは「愛を探すことなんてできない。愛は、思いがけないときに起こるんだ」。聞かされるのはそればっかり。僕にしたら「目があるのに、探さないなんて無理!」。僕の恋愛運は変わっていくと思う。今は前ほど恋について考えてないから、近いうちに、キューピッドが何かを持ってきてくれるんじゃないかな。
恋に落ちるには、ベルリンはいいところだと思いますよ。
待ちきれない! 誰かいい人がいたら、僕に電話するように言ってよ。
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