リン・ティルマンが男たちへ向ける想像力
アートライターが最新小説でイメージが過剰供給される時代のジェンダーを問う
- インタビュー: Whitney Mallett
- 写真: Heather Sten

「一枚の写真があるとする。そこには何かが記録されている。でもイメージはそれとは別のものなの」と、リン・ティルマン(Lynne Tillman)は主張する。彼女は、ニューヨークのロウアー イースト サイドにあるフランス料理レストラン、Lucienのボック席にいる。作家の背後の壁は、この店を訪れた有名人の額入り写真で埋め尽くされている。ジョーン・ディディオン(Joan Didion)からライアン・ゴズリング(Ryan Gosling)まで、あらゆる有名人が並ぶ。しばしば深々と帽子をかぶり、プライベートなスナップ写真の著名人たち。見慣れた姿とは異なる彼らの様子に驚かされる。同時に、完全には誰なのか確信が持てない写真もある。あれはボノ(Bono)なのか、またいとこの叔父さんなのか。そして、これこそがティルマンが言わんとしていることだと気づく。イメージと写真の区別である。これはまた、家族写真の研究に人生を捧げた38歳の学者の視点で描く架空の回想録、というスタイルで書かれた彼女の最新刊『Men and Apparitions』の中心的なアイデアにもなっている。
この午後、ティルマンの姿は、ダウンタウンにいる知識人のイメージそのものだった。濃紺のジャケットに太いフレームのメガネ。そしてその奥の底知れぬ黒い目は、常に好奇心で輝いている。私たちは、彼女がミュージシャンのデヴィッド・ホフストラ(David Hofstra)とシェアしている、家賃値上げ規制のかかったアパートから数ブロックの場所にいた。1970年代に、彼女が初めて、キャシー・アッカー(Kathy Acker)が本を読んでいるのを見かけたのもこの場所だ。ここ数十年間、ティルマンはこのロウアー イースト サイドでは馴染みの顔になっている。彼女は15冊もの本の著者であり、現代美術の雑誌『Frieze』のコラムニストで、グッゲンハイム フェローに指名され、過去2度、フィクションと批評のジャンルで全米図書賞の最終選考に残っている。あるいは、ニューヨークのダウンタウンで頻繁に読書会やオープニングに顔を出していれば、ティルマンの姿をよく見かけるはずだ。カーリーヘアで小柄な彼女を、誰かと見間違えるのは難しい。

新しい小説を書いたきっかけについて、ティルマンはこう説明する「私たちはもうずっと、イメージが過剰に溢れた世界に生きていると言われ続けているでしょ。私は、それを物語にするにはどうすればいいだろうって考えたのよ」。グラフィックの氾濫する時代について、物語を通して熟考するために彼女がこの世に送り出したのが、エゼキエル・フーパー・スターク(Ezekiel Hooper Stark)と名付けられた視覚文化人類学者である。「人々は、ノンフィクションを読めば『本物の』真実に出会えると信じていて、小説が真実を伝えられるとは、もはや信じていないのよ。それって、とても寂しいことだと思うわ。想像力は本当に重要だもの」と作家は主張する。亡くなった親戚や愛情の問題、映画スター、拾った写真などに取り憑かれた「家族写真専門の民族誌学者」という架空の人物を通して、ティルマンは、私たちの溺れる儚いイメージの海から生み出される概念を捉える。彼女の本の中で、特に関心をもって取り上げられるのが、若い男たちが解釈する自分自身のイメージだ。「男たちは自分のイメージをとても意識しているの」。それから彼女はこう付け加える。「少なくとも私の知っている男たちはね」


インタビューを受ける側にしては、ティルマンは質問が多い。彼女が愛情を込めてジークと呼ぶ、エゼキエル・フーパー・スタークについて、また彼が写真について語る方法についての私の考えをティルマンは知りたがる。私が、この『トリストラム・シャンディ』っぽい民族学者は、普段からかなり滑稽で、特に彼が真剣になろうとするときはおかしいと言うのを聞いて、彼女は面白がっている。「確かにおかしいときがあるわね」とティルマンは認める。「書きながら私も笑ってたもの」。そしてこう説明する。「私の文章では言い回しがとても重要なのよ。真剣さとユーモアと自虐、そして少しのプライドと傲慢さ。私は、彼が文化人類学や写真について繰り返し語るときでも、彼の言い回しが感銘を与えるものであってほしいの」
カーダシアン家のロバートとキムについて、子ども時代に飼っていたカマキリのミスター・ピーティーの思い出について、ジークの遠い親戚という設定の、19世紀の写真家でヘンリー・ジェイムズの友人であるクローバー・フーパー・アダムスの伝記について、ジークはあれこれと思いを巡らす。この本を読むことは、ジークの声を頭の中で聞くことだ。
「アメリカの法廷番組『ジャッジ・ジュディ』は、公共の場での屈辱を求める人物の心に訴える」
「先祖ビジネスのブーム。ルーツは君」
「冗談」
「冗談じゃない」

ジークは、ティルマンが「Shoot the Family」という写真展のカタログのためにキュレーターのラルフ・ラゴフ(Ralph Rugoff)から依頼を受けて書いた作品から生まれた。彼女が、男性の主人公に第一人称で語らせるのは、これが初めてではない。「『Cast in Doubt』に出てくるホレスは」と、彼女の1992年の小説に出てくる主人公の作家について話す。「だいぶ私とは違うタイプだったわね。65歳のゲイの男だったから」。女性作家が男性の声として語ることについて尋ねると、彼女は少しうんざりして見えた。「知ってると思うけど、『私』というのは変化するものでしょ」。とはいえ、彼女の試みが、ジェンダーの問題を強く意識しているのは間違いない。
『Men and Apparitions』の大部分は、架空の人物であるジークの回顧録であり、最後の60ページは、彼の最新の研究成果「Men in Quotes」となっている。これは、ティルマンが25歳から40歳までの30名の男性を対象に、実際に行ったメール調査に基づいたものだ。「エゼキエル・フーパー・スタークという私の作ったキャラクターは、この研究を自分自身に関するある種のケース スタディだと考えているの」とティルマンは言う。「彼は文化人類学者で、自分自身を研究しているのよ。その後、彼は自分と同世代の若い男性を研究するようになるの」。このテーマは、ティルマンが若い男友達が多くの不安要素を抱いているのを観察していて、ひらめいたものだ。「フェミニズムの名の下に生まれてきた若い男たちは混乱しているわ。地勢が大きく変化するのを私は見ていた。そこを彼らがおぼつかない足取りで歩いていた」


この点は、今日でも十分な議論がされていない。フェミニズムについて語るとき、私たちは大抵、女性について語っている。だがティルマンは、男性と女性の両方の側について語ってきた。そして、ジェンダーの語り口がここ数十年の間にどのようにして変化してきたか、特に、流布されるイメージがこれらの変化にどのような影響を与えてきたかに対して、彼女は鋭い目を向けてきた。ティルマンは若い頃、ジェンダーとイメージ、自己表現の問題に取り組んだことで知られるアーティスト、キャロリー・シュニーマン(Carolee Schneemann)の下で働いていた。例えば、1963年の写真シリーズ「Eye Body」において、シュニーマンは被写体とそのイメージの制作者の両方となることで女性のヌード写真の伝統について問いかけ、後世のアーティスト、ハンナ・ウィルケ(Hannah Wilke)やシンディ・シャーマン(Cindy Sherman)、エイドリアン・パイパー(Adrian Piper)などによる自己表現の実験に影響を与えた。「ブレイクスルーは70年代に起きたの」とティルマンは言い、この頃になってアートの世界が、写真やアプロプリエーションの作品を制作する女性アーティストを真面目に取り上げ始めるようになったことを示唆する。写真は、当時まだ新しい表現手法だった。そして「芸術」として認められるまでの産みの苦しみを経験している最中だったため、急成長中のジャンルでの、女性アーティストの影響が認められたのだった。

この点は、今日でも十分な議論がされていない。フェミニズムについて語るとき、私たちは大抵、女性について語っている
だが、このような評価にもかかわらず、女性アーティストは、当時も今も、まだ制度的な偏見に直面している。最近『Frieze』に書いたコラムで、ティルマンは、年配の女性アーティストが「発見される」現象を追った。カッコつきの「発見される」という言葉に、彼女の皮肉が滲み出ている。「彼女たちはずっと作品を発表し続けていた」と彼女は書く。「だが、言ってみれば、彼女たちの作品は人目につかず、大した評価も得られたなかったのだ」。この女性に対する語り口は、当然ながら、男性に対する語り口へとつながっていく。女性の存在が表に出てこなかった原因がその偏見にあるのなら、男らしさという考えも一新する必要がある。ティルマンの小説は、この切迫した問題に対処できるという希望にあふれている。小説の最後で彼女が調査を行なった実際の男たちは、自分たちの受け継いだ男らしさという考えに批判的な目を向けるが、それは、安定したイメージなど存在しなことを明らかにする、ティルマンの文章形式を通じて示される。
小説全体を通して、ティルマンの写真の描写は揺らめいている。写真を言葉に変換することで、彼女はイメージがどのような閾値を占めるのかを示す。それは、事実であると同時にフィクションでもあり、記憶であると同時に予測であり、語りであると同時に幻影でもある。さらには、そのような詩とユーモアに溢れる言葉こそ、唯一、その複雑さを捉え、それを想起させることができる言葉なのだ。そしてそれが、人びとが若い男性に対して抱いているイメージの再考に不可欠な、物語の寛容さなのだ。
小説について話すために腰を下ろす前、レストランにいるティルマンのポートレート写真が撮影された。写真のために店の前でポーズを取っていると、レストランの2階のアパートに通じる出入り口から若い男が現れた。レストランのオーナーの息子で、レストランの名前の由来にもなっている。階下に仕事に向かうところだった彼は、店内の壁に加える写真のため、ティルマンと一緒に写真に写った。ネイビーブルーの服を着たふたりが一緒に並ぶと、いい感じに見えた。何百とある他の写真と一緒に、その写真が掛けられたところを私は思い浮かべた。


- インタビュー: Whitney Mallett
- 写真: Heather Sten
- ヘア&メイクアップ: Rachael Ghorbani:CHANEL Palette Essentielle 使用