本当に知るべき10棟のブルータリズム建築
イタリアのドムスアカデミーの
Gianluigi Ricuperati (ジャンルイジ・リクペラッティ)が、
デジタル世代に愛される建築運動に迫る
- 文: Gianluigi Ricuperati

ブルータリスト建築は、私たちの生きるデジタル時代において、なぜ美学的な流行を見せているのだろうか。著名な建築批評家であるAlice Rawsthorn(アリス・ローソン)は、その理由を、それらの建築が持つ「ピクセル化された」ような面に帰している。さらに、物事はいまだ粗野でありながら、賃金のバランスは保たれ、中産階級の家族が色鮮やかに大きな夢を持つことができた時代へのノスタルジーを、もうひとつの理由として指摘する。いずれにせよ、彼女自身のインスタグラムにポストされたブルータリスト建築の写真が、他のどんな建築様式よりも高い注目を集めている事実に変わりはない。
コンクリートの正面。一切省かれた装飾。厳格な社会的倫理。低コストと迅速な効果。1950年代から1970年代の間、ブルータリズムは、世界中のコミュニティーや市町村行政にとって、都市計画における特効薬であった。これによって、地方自治体は、限られた予算と文化的な賛意のもとに、公営住宅や公共建築を建設することができた。すべての建築家にとってゴッドファーザー的存在であるLe Corbusier(ル・コルビジェ)は、「ブルータルな物質」が持つ美しさや、一般論として、コンクリートの背景に映える色や形の美を明確に強調した。さらに、戦後西洋に訪れた工業化の黄金時代の中、拡大し続ける市街地に大規模な公営住宅を建設する必要に対して、コンクリート構造の建設はより簡便かつ経済的で、しかも機能面でも優れていた。数十年にわたり、こういった建物で暮らした家族やオピニオンリーダーたちは、ブルータリズムのオフセット角や灰色の汚らしい雰囲気に、複雑な心境を抱き続けていた。ところが、デジタル最盛の現在、10代の若者も当惑の世代である50代の人々も、ネット上で見つけるあらゆるコンクリート建築の画像を、熱狂的にクリックしているのだ。
ブルータリズムの灰色の建物を訪ねる旅は、現代なお関連性を保持している。なぜなら、それは倫理と美学の完璧な融合であったとともに、一般大衆の問題を解決するという明確な大志を抱いた革新的な知識人たちが、革新的な素材を、革新的な方法で用いた、おそらく最後の時期であったからだ。ブルータリズムは、興味深い真実を私たちに投げかける。すなわち、支配階級と知的エリートが、今ほど「一般市民」の求めからかけ離れたことはない、と。なぜなら、事実として、現代的な美しさは、実際に、日常レベルで、アパートという単位で、世界を救うことができるから。
コルビジェからSmithsons(スミッソン夫妻)まで、もしくは知られざるソビエトの天才から、計算によってこの巨大な構造物の建設を可能にしたエンジニアまで、もしブルータリストの建築家たちが今も存命ならば、誰もがSNSのニュースフィードで神聖化されていたことだろう。私たちは、この至極シリアスなコンクリートジャングルに、『いいね』を押し続けてしまうのだ。

ル・コルビジェ、ラ・トゥーレット修道院、 リヨン近郊、1960年
20世紀の神のひとりとも言える建築家が設計したこの美しい宗教建築の天窓を見れば、興味本位の見物人ですら、ブルータリズムの概念や実践の全てを理解できるかもしれない。フランスの巨匠は、1923年に出版された自著『建築をめざして』の中で、「建築とは、野獣のように荒々しい物質から、感情的な関係性を確立することである」と書き記している。ここでは、基本的な形状、そして、祈祷や瞑想の空間に神々しい光が差し込む、荒々しい打ちっぱなしのコンクリートの窓を目にする。この作品で、いわゆるブルータリズムの基礎が確立された。良心においても、現実においても、安全確実に。

02.Ernő Goldfinger(エルノ・ゴールドフィンガー)、トレリックタワー、ロンドン、1966~1972年
ハンガリー人の建築家は、活気溢れるロンドンの中心地に、ブルータリストの概念そのものを最も明確に示す建築を設計した。象徴的な渡り廊下と、さらに有名な二重構造を備えた公営住宅である。この建物は、ジェームス・ボンドの生みの親Ian Fleming(イアン・フレミング)に忌み嫌われた。どのくらい嫌っていたかというと、007の永遠の敵役の名前を探していた時に、この建築家の名前をとって「ゴールドフィンガー」と名付けたほど。

Rista Sekerinski(リスタ・セケレンスキ)、カラバーマの住居建築、ベオグラード、1963年
セルビアのベオグラードは、ブルータリスト建築を愛するものにとっては、常にお気に入りの場所である。一般的に、東欧共産圏の国々は、元々は人類の為に、コンクリートの未来的かつ簡素な巨大建築物を大量に生み出した。このタワーは、有名な三角柱のチョコレートの名前をとって「トブラローネ」と呼ばれることが多い。聳え立つ獣の非対称なフロアでは、J.G. Ballard(J・G・バラード)のディストピアを容易に想像できる。

Chamberlin, Powell, and Bon(チェインベリン・パウエル・ボン)、バービカン・エステート、ロンドン、1966~1976年
無数のバルコニー、池、スタジアムのような曲線、そして古典的なコンクリート意識の流れで登場したこの空想的複合体は、おそらく私たちがブルータリスト建築へ寄せる愛情の大きな源のひとつと言えるだろう。過去二世代を代表する知性であるRem Koolhaas(レム・コールハース)、 Zaha Hadid(ザハ・ハディッド)、 ブラジルトロピカリア音楽の巨匠Tom Zé(トム・ゼ)、ポーランドの画家Tadeusz Kantor(タデウシュ・カントル)などが、この場所で作品を展示した。それによって、世界中の人々が、偉大な『arc-brut』(ブルータリスト建築とArt Brutとかけた略語)と偉大なアイデアに高潔な関係性を見出すことができた。

Huig Maaskant(ヒュー・マアスカント)、スヘルトーヘンボスの連邦政府庁舎、スヘルトーヘンボス、オランダ、1971年
オランダのブルータリスト建築に見られる屋根のディテールは、郊外のスケーターの白昼夢あるいは十代の若者たちの野生的パルクールに、完璧なストラクチャーである。Rem Koolhaasが、Maaskantが設計した別の建物に建築事務所OMAを置くことを決めたのも、偶然ではない。建築家にとって、空間を見つけることは、歴史的時間を解釈することに他ならない。

Alison and Peter Smithson(アリソンとピーター・スミッソン)、エコノミスト社屋、ロンドン、1962~1964年
なぜ私たちはこれほどまでにブルータリスト建築を愛するのか? なぜならコンクリートは、他のどんな建築表面とも違って、私たちの肌に似ているからだ。完璧でありながら、ダメージを受けている。そこに宿る美は、私たち人間が自己自身を知覚する曖昧さと精確に呼応する。私たちは、基本的に、存在する全てにデジタル的レタッチを施す時代に生きている。それは、滑らかさと傷、自然と人工、白黒とあふれる色彩が同時に存在する世界だ。コンクリートの硬く脆い固体性は、タフで不安定な私たち自身の写し鏡というわけだ。

Alison and Peter Smithson(アリソンとピーター・スミッソン)、ロビン・フッド・ガーデンズ、ロンドン、1972年
白黒の庭園に対して、なんと魅惑的な名前だろうか! これを見ると、人は思うことだろう。「どれだけの小説や映画が、『コンクリート・ジャングル』というタイトルを冠しているだろう。」と。ブルータリズムは、清澄な明快さで、陳腐な常套句に含まれたコンクリート的暴力性を明るみに出す。近代都市の景観についての一般概念を、断定的に否定する。それはまた、期待によって干渉しない正直なアプローチである。垂直な川のように整列したガラスでもなく、木やその他の伝統的素材による民族的な雰囲気でもない。技術的再現性が満開の時代である。灰色に広がるユーバー的都市観である。スミッソン夫妻は、素晴らしい理論家であったと共に、プロとしての実践を通じて、最高のブルータリズムを代表する建築家であった。

Le Corbusier(ル・コルビジェ)、輝く都市、マルセイユ、1947~1952年
「brutal」という形容詞には、意外と良い含みもある。つまり、本来の意味とは反対の暗示である。ブルータリスト建築には、多義性と攻撃的な要素が並存する。それぞれの建築を共鳴させ、クリスタル化する何か。「brutalist」という語を高速でタイプすると、キーボードは「neutralist」と打ち出すかもしれない。実のところ、それこそが、ブルータリストの叙事詩が私たちの時代で成功する本当の鍵なのだ。すなわち、中立主義の時代におけるブルータルな情熱である。

Alberto Linner(アルベルト・リネール)、コスタリカ社会保障省中央ビル、サンホセ、コスタリカ、1962年
メソアメリカに、ブルータリズムが刻印された場所がある。連続的な形状と威圧的で反美的な雰囲気が、60年代から70年代にかけての白熱した性質と危急の社会政治的危機に完璧に融合した場所である。

Giuseppe Perugini(ジュゼッペ・ペルギニ)、アルベーロの家、フレジェネ、イタリア、1971年
ブルータリズムは、戦後の大きな社会的政治的問題に関連しただけではなかった。それは、実験的な遊技場でもあった。イタリア人建築家Giuseppe Perugini(ジュゼッぺ・ペルギニ)が海沿いに建設した、風変わりな家が体現しているように。オフセット角は宇宙時代のイメージに取って代わられている。この建築は、コンクリート的悪夢かもしれないが、明らかに月への遊泳に出かける準備は整っている。
- 文: Gianluigi Ricuperati