メンフィス デザインを代表する10のオブジェ

デジタル世代の多様性を予見した、過剰なデザイン運動の内側に迫る

  • 文: Gianluigi Ricuperati

デザインオブジェは詩ではない。むしろ、勢いで作られた出来の良いポップソングに近い。嫌味なまでに詩的で、ミューズに産み落とされる。誤解を恐れずに言えば、詩人のSylvia Plath(シルヴィア・プラス)というより、むしろ偉大な作曲家Cole Porter(コール・ポーター)だ。ミラノ生まれのデザイナー集団Memphis(メンフィス)は、1980年代のビジュアル文化に変革をもたらしたオールスターバンドである。完璧なポップソングと同じように、メンフィスはあらゆる火急の製品の外観を、3分足らずで変えてしまった。考えてみるに、David Bowie(デヴィッド・ボウイ)が遺した1980年代のヒットシングル「Ashes to Ashes」と似ている。

文筆家でありアーティスト、メンフィスの熱狂的なファンでもあるDouglas Coupland(ダグラス・コープランド)は、きっぱりと言う。「メンフィスは1970年代と対極の存在だった。それを目の当たりにするのは、懲役期間が短くなったような気分だった。もしDuran Duran(デュラン・デュラン)の家に行けば、メンフィスの家具があることがわかっていた。さらに言えば、メンフィスは、その単純化された形状と二次色を基調にした色使いで、僕個人の視覚的な病理と結びついたんだ。人々はメンフィスの製品をデザインと認識していたけど、僕はアートとデザインが半々に混じり合った作品だと思っていたし、今もそう思っている。時間が経つにつれて、メンフィスはデザイン運動というより、むしろ、現実性のない見せかけの機能性だけを持った高価なマルチプルアート作品を制作した存在、そう再評価されているように僕は思うんだ。メンフィスは、部屋の中に置くと、一気にその空間を自分のものにしてしまう。つまり、部屋の中でそれにしか目がいかなくなってしまうんだ」

メンフィスという名前は、デザイナーEttore Sottsass(エットレ・ソットサス)のお気に入りの1曲だったBob Dylan(ボブ・ディラン)の「Stuck Inside of Mobile with Memphis Blues Again」からの拝借であり、ロック批評家なら「スーパーグループ」と形容する存在だった。Alessandro Mendini(アレッサンドロ・メンディーニ)、Andrea Branzi(アンドレア・ブランツィ)、Michele De Lucchi(ミケーレ・デ・ルッキ)、Nathalie Du Pasquier(ナタリー・ドゥ・パスキエ)、Arata Isozaki(磯崎新)、Barbara Radice(バーバラ・ラディーチェ)、その他多数の友人や共同制作者たちに至るまで、このバンドのメンバーは、将来的にデザインミュージアムを埋め尽くすような作品を作り続けた。メンフィスは史上最大の影響力を持ったデザイン ムーブメントであっただけでなく、インテリア デコレーションからテキスタイル、そしてビジュアルアートに至るまで、様々な領域と関連しえた、多彩かつ伝達的なナイス トリップだった。木工と色彩におけるポストモダニズム派、原始的形状にまで思考範囲を拡張した哲学だった。このデザイン集団は、家具市場を上から下まで、完全に変えてしまった。しかし、それと同時に、ワールド・ワイド・ウェブの登場以前に、世界的なヴィジュアル言語を作り上げたのだ。2016年はメンフィスの解散から30周年にあたる。今の時代にあって、彼らのオブジェは、インターネット以前に存在した脳の理想的プレイリストのように見える。かつて我々の脳は、自由、キッチュ、複雑、華やかに色塗られた別世界から生まれる奔放な連想で満たされていたのである。いや、もしかすると、これが想像しうる最もインターネット的な光景かもしれない。そして、現代の風景を巨大なiPhoneへと変えてしまった「less is more」的な美学から逃れる、ちょっとした息抜きなのではないだろうか。

ナタリー・ドゥ・パスキエ、エスペランス ボックス(エレクトロニクス時代のためのオブジェ)1984年

1983年から1984年にかけて作られた「エレクトロニクス時代のためのオブジェ」シリーズは、フルーツボウル、花瓶、時計、箱を含む23点で構成されている。一部、デザイナーのGeorge J. Sowden(ジョージ・J・ソーデン)と共同制作されたこのシリーズは、くつろいで楽しげな幾何学模様を特徴とするNathalie Du Pasquier(ナタリー・ドゥ・パスキエ)の詩的表現の典型例だと言える。このプロジェクトはメンフィスを意図したものではないが、他の公式作品よりメンフィスの時代精神をよく象徴している。個人的には、Marshall McLuhan(マーシャル・マクルーハン)の『エレクトロニクス時代』の概説に捧げたオマージュであると考えたい。「照明のような棚のようなフルーツのようなシンボル フォントでで書かれたオマージュだ。

エットレ・ソットサス、ウェストサイド アームチェア、1983年

20世紀デザインの「Diamond Dog」へようこそ。Ettore Sottsass(エットレ・ソットサス)は、メンフィスのリーダーであったが、当時すでに建築家、理論家、政治運動家、そして知識人として、様々な生き方を実践していた。Sottsass特有のおもちゃのような形状と派手な色使いは、1980年代ポストモダン デザインの流れを変えた。原色の派手な色調がオランダのデ・ステイル運動を想起させるウェストサイド ラウンジチェアーは、まるで工業用レンガを組み合わせたようであり、変更、再構築、改造が可能だった。

倉俣史朗、バーグドルフ・グッドマン内Issey Miyake店インテリア,ニューヨーク、1984年

メンフィスは商取引をいつも見事にこなしていた。だから、ショップや商空間と見事にマッチすることには何の驚きもない。倉俣史朗は、ファッションデザイナーのイッセイ・ミヤケや、建築家の磯崎新、映画監督の黒澤明とともに、戦後の集合的な想像力を変革できた当時の日本人若手クリエイター世代に属する。メンフィスに関連して厳格という言葉を使うこと自体が少し可笑しなことだとしても、倉俣は伝統的な装飾美術の洗練とモダン デザインの厳格さを融合させた。

マイケル・グレイブス、スタンホープ ベッド、1982年

多くは、さらに多くを要求する。これは、映画『ウォール街』の主人公Gordon Gekko(ゴードン・ゲッコー)の時代のための家具である。決してそれを忘れてはならない。歴史上、最も影響力のあった建築家のひとりに数えられるアメリカ人のMicael Graves(マイケル・グレイブス)は、ポストモダン建築のルールを変えた。1982年、メンフィスのために制作したこのスタンホープ・ベッドは 、ミニマリストの沈静を打ち砕く風変わりに突き出た形を主張して、彼の作品の最高峰となった。

ハンス・ホライン、化粧台、1982年

ウィーンのHans Hollein(ハンス・ホライン)は、壮麗な建築、とりわけ店舗や非常に知的な展示構成のデザインで知られている。彼は、極めて自由でありながら、皮肉な方法で形と戯れるのが好きだった。この化粧台は代表的な作品である。同時に、グループ全体による文化的抵抗、すなわち、低俗な作品に対する改革を代表する作品でもあった。

アレッサンドロ・メンディーニ、カラモビオ、1985年〜1988年

悪戯好きなポストモダン デザインのフロントマンことMendini(メンディーニ)は、名前と形でしくじることがない。カラモビオは、イタリアの家具メーカーZanottaのために制作した、9台限定の連番およびサイン入りのタンス シリーズである。それぞれに、キャビネット右側に色の並びが異なる木のはめ込み細工が配置されているのが特徴だ。Mendiniは、完璧な木のソナタの作曲に夢中になった由緒正しい達人なのである。

エットレ・ソットサス、アショーカ テーブルランプ、1981年

Sottsassは、文人であった。他のメンバーよりも多くを読み、多くのことを知っていた。そして、しばしば風変わりな本からアイデアを引き出してきた。このアショーカ テーブルランプは、特に1960年代にインドを訪れた後、Sottsassが抱いた古代の言い伝えや儀式への憧れに由来する。その後は、精霊やサボテンのモチーフが頻繁に登場するようになった。アショーカとは、古代インドの帝王の名前であった。

元Karl Lagerfeld(カール ラガーフェルド)所有、モンテカルロの通称メンフィス アパートメント、1983年

Karl Lagerfeld(カール・ラガーフェルド)は常に粋の目利きであり、トレンドとスタイルという蜜を製造する生み出す直感的な養蜂家であった。80年代後半、彼はモナコにある自宅をHelmut Newton(ヘルムート・ニュートン)のヌード写真、David Hockney(デヴィッド・ホックニー)の絵画、そしてメンフィスの作品で飾った。これらすべてのコレクションは、後の1991年、サザビーズのオークションにかけられた。

Christian Diorオートクチュール2011年秋冬コレクションとAldo Cibic(アルド・シヴィッチ)のキャベツ ティーポット、1985年

復活の儀式に関心が集まる時、常に最前列を占めるのがファッションだ。この場合は、Christian Diorの2011年秋冬オートクチュール コレクションが、スーパーグループが遺したレガシーの良き証人となった。ショーには、メンフィスのパターンをあしらったガウン、Ettore Sottsassが1981年にデザインしたタヒチ ランプを彷彿とさせる、鮮やかなピンクと黄色のハイヒールが登場した。

Christian Diorオートクチュール2011年秋冬コレクション

Ettore Sottsassが1981年にデザインしたタヒチ ランプを彷彿とさせる、鮮やかなピンクと黄色のハイヒール。同じランウェイ ショーより。

  • 文: Gianluigi Ricuperati