ラリー・ホワイトの解放と希望の教え
急進的な反刑務所活動家が語る、自由になり生きること
- インタビュー: Sophia Giovannitti
- 写真: Naima Green

ラリー・ホワイト(Larry White)が解放のための闘いを降りることはないだろう。10代の頃から刑務所を出たり入ったりしてきた彼は、1976年、最後の判決を受けてグリーン ヘイヴン矯正施設に収監され、以来数十年の歳月をにらむように過ごしてきた。25年の最低服役期間付き終身刑を宣告されたホワイトは、2007年に72歳で仮釈放された。彼はすべてのメールに署名とともに「Struggling(あがき中)」という言葉を記す。
塀の中で過ごした32年のあいだに、ホワイトはある運動―、現在の刑務所廃止運動の土台を築いたThe Non-Traditional Approach to Criminal and Social Justice(刑事司法および社会正義に対する非伝統的アプローチ)を率いるひとりになった。グリーン ヘイヴンは、黒人であることと貧困が犯罪に結びつく傾向が高いことを研究し、それを問題視する「シンクタンク」の本拠地だった。1979年、ホワイトと仲間のリーダーたちは、画期的な「7地区の研究」を発表し、白人の看守が配置されたニューヨーク州刑務所で服役する主にアフリカ系とラテン系が占める受刑者のうち、75%がニューヨーク市のわずか7つの地区の出身であることを明らかにした。

同時に、ホワイトは生涯にわたる収監がもたらす心理的影響の研究を始めた。彼が唱える終身刑囚の「希望の理論」の要は、「一刻も早く自由の身になる」という決意だ。ホワイトに言わせると、自由になるという目標を持てば、その目標に有利に働く行動の一つひとつが自己を解放する行為になる。仮釈放の改革を求めるロビー活動、数々の過酷な扱いを甘んじて受け、刑期が上乗せされるような規則の違反をしないこと、集団的交渉力を得るために、刑務所内で働く受刑者たちの組合を組織すること、外の活動家たちと手を結ぶこと。彼は長期の禁固刑を言い渡された男たちを一世代にわたって育ててきた。司法制度のなかの終身刑囚でホワイトの名を知らない者はいなかった。刑務官たちは彼が受刑者の組織化に成功すると、それを脅威とみなし、彼を繰り返し別の施設へ移送した。だがどこに送られても、彼は同じことを続けた。
2020年夏、アメリカでは警察がアフリカ系米国人に対して振るう致死的な暴力の蔓延に終止符を打つことを要求して、全国的な運動が起こった。それに関連して刑務所や警察の廃止という考え方も大きく広まった。改革主義者に非現実的だと片隅に追いやられた以前とはうって変わり、メインストリームのメディアが廃止運動を主導する思想家のプラットフォームになりはじめ、政治活動家アンジェラ・デイヴィス(Angela Davis)が雑誌『Vanity Fair』の表紙を飾ったりもした。
その間、アメリカの刑務所では新型コロナウイルスの感染者数が急増していた。高齢受刑者の釈放を求めるRelease Aging People in Prison(RAPP)や、コロナ拡大阻止を目指して受刑者の釈放を訴えるCOVID Bail Out NYCのようなグループが、保釈金を支払い、恩赦を求め、刑務所内の過密を解消するため精力的に活動しているものの、彼らの前に立ちふさがる試練は、規模の点でも人権軽視の点でもモンスターそのものだ。今も高齢の終身刑囚は、非常に高いリスクにさらされたままでいる。
ホワイトは高齢の終身刑受刑者―、後に残してきた仲間たちを何よりも気にかけている。パンデミックが襲うまではニューヨーク州の刑務所で、クエーカー教徒の組織であるAmerican Friends Service Committeeのプログラム「Hope Lives for Lifers」の一環として、自分のカリキュラムを教え続けていたからだ。
私は2013年にホワイトに出会い、彼の編集助手になった。それ以来、ずっと親しくしている。彼は陽気さと謹厳さを等しく備え、誰に会っても温かな笑いを浮かべて挨拶する。だが会話をすると、話題は心にのしかかる重苦しい現実に向かうことが少なくない。ブラジルの哲学者パパウロ・フレイレ(Paulo Freire)や作家のカルロス・カスタネダ(Carlos Castaneda)の教えを何気なく引用し、仮釈放なしの終身刑を宣告された者たちの惨めさをしばしば語る。だが彼はまた、彼にしかないエネルギーと喜びをくれる。赤いパプリカを食べたあとの種を蒔き、アパートで苗を育てていて、それに私が気づくと、ひとつだけなった実をさっと差し出した。彼は人々に命を与える。ためらうことなく。
以下に記すやりとりは、進行中の対話の一部だ。それは塀のなかで闘い続ける刑務所反対派の活動家たちの、ほとんど日の目をみることのなかった長い歴史を記録する作業でもある。
ソフィア・ジョヴァニッティ(Sophia Giovannitti)
ラリー・ホワイト(Larry White)
ソフィア・ジョヴァニッティ:初めて刑務所的な施設に送られたのは、いくつの時ですか?
ラリー・ホワイト:ウォリックに入ったのは12のときだった。不良のガキが入る施設でね。盗みとかもそうだが、俺たちが新しい服を着てうろついてると、警察に調べられたもんなんだ。このときは、学校の校庭で不良仲間で暴れてて捕まった。
判事は俺の母親に、出頭してくる回数が多すぎるから、もうこの子は少年院に入れると言った。少年院はブロンクスのでかい建物でね。そこでしばらく暮らしてカウンセリングを受けるんだよ。俺もそこに入った。ときどき一時帰宅しながら。あるとき週末に家に帰って、仲間で店に押し入ったんだ。それで少年院からエルマイラの少年刑務所に行く羽目になった。
でも、まず貧困という概念について話そうか。貧困は、単なる経済的な状態じゃない。社会的状態でもあるんだ。俺の住んでた地区のガキだって、イースターが来ればイースター用のよそゆきが欲しいわけさ。イースターの日に外に遊びに出ると、みんなスーツとかそんなのでめかしこんでる。俺はボロを着てるのにな[笑]。
そういうのは俺だけじゃなかった。そんな身の上の若い連中が寄り集まってね。ダウンタウンに行って、みんなで店に飾ってあるスーツを見るだろ。そのうち仲間の誰かが押し入って盗んだり、そういう服を買う金を盗んだりする。それは、イースターの休暇に他の人間と社会的に平等になろうとするプロセスなんだ。単なる盗みの問題というよりも。問題は他のみんなが持ってるものを手に入れることだから。で、俺はそいつらと同じやり方では手に入れられなかった。
自分はいつか長い刑期を宣告されるだろうと思ってました?
昔よく座り込んで仲間内でそんな話をしたな。何人かは30過ぎまで生きちゃいないだろうと思ってたよ。誰かが警官に撃たれたとか、牢屋に放り込まれるとか、しょっぴかれた連中の噂をよく聞いた。「何年食らったって?」「最低15年、長けりゃ30年」って具合に。俺たちがもっと大人になるまでそいつの顔を見ることはない。出てきても15年後とか、30年後だから。
子どもは、自分は無敵だと思っているもんだ。まだガキのうちは、そんなの楽勝だと思う。出てきてまたやってやるってね。いいほうに成長する人間だってなかにはいる。ドラッグストアで働いたり、ハイスクールを卒業したり、あっちこっちの誰かに雇われたり。そいつらは、そんなふうに上へ向かって進んでいく。だが俺が住んでた界隈にはそんな仕事は全然なかった。だから犯罪のステージを登っていく。空き巣から強盗へ、ドラッグの売人へってな。子ども用の施設から少年用の施設、大人の刑務所に移っていく。そういうのを「国のすねかじり」って言うんだ。国の施設で育てられるから。


人間は、人生に意味を見つけるために、信じられるものを持たなきゃいけない。
政治や社会の問題を意識するようになったのは、いつですか?
昔から俺には反逆精神があってね。ムショに入るたびに、初めて入ってきた奴らに「この状態は間違ってる」って教えたよ。でも今回は我ながらほんとに成長した。今度、俺が関わったのは刑務所だけの話じゃない。刑務所と自分の出身コミュニティのつながりを理解しはじめたんだ。
昔よく思ったよ。牢屋に入るたびに、会う奴みんな知り合いなのはなぜなんだろうって。そのうちだんだん気付いてきた。待てよ、俺たちは外では少数派だ。人口の15%にもならないのに、刑務所のなかでは多数派なのはなんでだ? どういう仕組みだ? って。何しろずっと、俺たちみんな、黒人は犯罪者だと思ってたからな。俺たちには、コミュニティから足を洗った手本がいなかったんだ。
でも今度ここで、本気で読書を始めた。本を読めば読むほど、わかってきたよ。文章を書くことも始めた。俺たちは制度の薪なんだってことがつくづく理解できた。火を燃やし続けるためにくべる、あの薪だ。奴らにとって、俺たちは焚き付けだったんだ。俺たちは個人の問題だと思ってたけど、ほんとはそうじゃなかった。黒人なら誰でもいい、そこらへんの誰でもいいんだ。そこから、俺には人種という大きな問題が見えてきた。いちばん下っ端の役を誰に演じさせるかを決められる力という問題がね。
いつか、祖母に言われたことが忘れられないんだ。ばあちゃんは、庭の花の前で泣いていた。花は枯れかけてて、10月で、もう1輪しか残ってなかった。ちっぽけな紫色の花だった。俺は、何で泣いてるんだって聞いた。ばあちゃんが泣いてるところなんて見たことなかったからね。いつも笑ってたから。するとこう言うんだ。「あたしのバラをご覧」って。俺が「バラなんかねえじゃん、みんな枯れちゃったよ」と言うと、ばあちゃんが、「ちゃんとご覧、ほら、ほら見るんだよ!」って言う。だから見たよ。その小さい紫色のやつをね。他は全部赤で、枯れていた。みんな雪が降る支度をしてるのに、そのちっぽけなバラはこれから花を咲かせようとしてた。ばあちゃんは言った。「こういうのを、遅咲きの花って言うんだよ。あんたは遅咲きなんだと思うのよ。あたしの孫たちのなかで一番心配なのはあんたなの。あんたが誰かに殺されちゃったりしないかと思うと、心配でしょうがない。でもこのバラを見てごらん。他の花がみんな咲いて散っちゃったのに、ほらこの通り、咲こうとしてる。あんたはきっとこうなるよ。あんたの花が咲くのは年を取ってからだろう。そこにたどり着くまで、いろんな大変な目にあうだろうけど、あきらめるんじゃないよ。あたしが言ったことを覚えておいで。年をとればとるほど、あんたは花を咲かせるんだからね」
服役した年月を考えると、怒りは湧きますか?
ひでえ目にあったからな。ほんとにクソひでえ目にあった。けど、出てくるまでそれがわかってなかった。思った以上に悪かったんだ。人に説明しようとしても、ほんとのところ、説明することもできない。
ずっと、いつか出られると思っていましたか?
もう無理だと思った頃もあった。そんな時にミュラー(Muller)牧師が来て―、俺は刑務所を移動させられたんだが、わざわざクリントンまで来てくれた。で、こう言ったんだ。「あの手紙を読んだが、まったくくだらん」って。「出られないなんて絶対に思うんじゃない。絶対に、絶対にだ! あんたは自分は出られると信じなきゃならん。出られると信じなかったら、出るための努力をやめるじゃないか」とね。だが俺は考えてた―、もし家に帰らせてもらえたら、困るって。
どういうこと?
家族と一緒に暮らすわけにいかなかったからさ。家にも帰りたくないし、家族と暮らしたくもなかった。こんなふうになっちゃった手前ね。「俺は家にも家族のところにも帰りたくないんだ」と言った。仮釈放の係官に、「ほんとに? 家族のところに帰りたくないのか?」と聞かれたから、俺は「そうだ」と答えた。係官たちがなぜかと訊くから、俺は「他の囚人たちと一緒に中間施設に行く」と答えたよ。あいつらは俺を理解してくれる。でも、家族は理解できないだろうからな。俺がこの32年間、延々耐えてきたクソをさ。
刑罰の下で生き延びなきゃならん人間にとって、長い時間が経つと罰がもう罰じゃなくなる。なんか別なものになるんだな。その人間も別人になる。俺が言わんとするのはこうだ、そういう罰に堪えて生き抜くしかない人間には、年月が過ぎるうちに、罰が我慢できるなにかに変わるのが分かるんだ。その人間にとってけっこう悪くないものにね。刑務所で起きることってのは、ある日突然降ってくるわけじゃない。それが起きてからずいぶんたって、ようやくそういうことが自分に起きていると気づくことだってある。
刑務所で夜中に目を覚ますだろ、そういうときがほんとにつらかった。ここから俺は生きて出ることは絶対ない、ここで一生過ごさなきゃならないんだと思ったね。それは何を意味するのか。怒ってみたって始まらん。だが、その意味は何なんだろうってね。
まず俺が考えつかなくちゃいけなかったのは、自分の回りのものを一新する方法だった。まずベッドから始めた。ベッドを外に出す。マットレスを床に置く。それで十分なんだよ。自分の好きなように床で寝たい。床で寝て、それがどんな感じか知りたい。だってそのベッドで寝るのがどんな感じかもう知ってるからな。同じことをずっとやってりゃ退屈する。退屈したら、別の方法を見つけるんだ。俺の言う意味がわかるかい? 新しい感じ方、新しい自分でいる方法を探すんだよ。
誰にも言わなかったけどな。大概の奴は、俺の気が触れたと思うから。でも俺にはそれしか正気を保つ方法がなかった。毎日目を覚まし、目を開け、まず見えるのは鉄格子だ。全部同じ場所にある。だが鉄格子だって、同じに見えなくたっていいんだ。鉄の棒の違いを探せばいい。全部が寸分たがわず同じはずはないからな。違いを探すのさ。俺はいつも新しいものを探すんだよ。そうすれば、毎日、新しい状況にいられる。
箱、つまり懲罰房に入ったときは、こうこう、こういうことが起きたら、あるいは誰それがこういうことをやれば、俺はここから出られるんだってよく考えた。そしてみんなが俺のためにやれることをいろいろ想像する。1ドルもかからないのに誰もやってくれないことをな。やってくれねえからそうやって、苦しい格好させられてそこに入ってるわけさ。だから俺は毎日、金をくれてやるんだ。電車で1ドル恵んでくれという奴がいたら、渡してやる。そいつが嬉しそうな顔をするだろ。そういう嬉しそうな表情を、俺もあのときに浮かべられたらよかったと思うよ。


希望は計画や行動であって、単なる概念、頭のなかにあるものじゃない。希望はプロセス、つまり実践だ。希望は生きる行為なんだ。
刑務所制度についてあなたがこれまで発言してこなかったことで、言いたいことはあります? 今、人々に注目してほしいことは何ですか?
今は、刑事司法制度のことを話すにしても、コロナウイルスのせいで、どうすべきか決めるのは難しい。コロナの前は、25年とか30年の最低服役期間付きの終身刑を食らったら、25年勤めたら出られるって話だった。だが今は、どうなるかわからない。ウイルスが広がってきたら、そいつらは二度と出られないかもしれん。俺がここにいて[自分を指す]、あそこにいる誰か[部屋の向こう側を指す]がウイルスを持ってたら、そいつは俺からたった30室しか離れてない。ウイルスがこっちに来るのを止めようがないだろう? それもそいつが悪いわけじゃない。だから今は、俺も仮釈放なしの終身刑の奴と同じ立場だと思ってる。ウイルスのおかげで何もかも変わっちまった。
だが、仮釈放なしの終身刑で服役中の奴は話が別だ。ウイルスで変わったことは何もない。奴らは、はなっからウイルス、つまり死と向き合ってきたんだから。今、コロナになる前に囚人を牢屋から出してやれとか言ってるだろう。だが、それは仮釈放なしの終身刑の奴らのことじゃない。俺が助けたいのはそういう連中だ。
どうやって?
俺は死ぬまで刑務所暮らしの連中に、生きるプロセスを教えようとしてきた。人間は、必死で求める何かを持つことが大切なんだ。俺たちはそいつらに信じるものを何も与えられてない。だが人間は、人生に意味を見つけるために、信じられるものを持たなきゃいけないんだ。
自然死するまでの禁固刑っていうと、みんな仮釈放なしの終身刑と同じだと思う。生きて外に出られないって意味だ。するとそれを食らった人間は絶望の刑に処せられたってことになる。だが、変えるべきなのはこの考え方だ。
だって俺は、仮釈放なしの終身刑が、判決を受けた人間にとって、一生牢屋暮らしの宣告とも限らないことを知ってるからね。ニューヨーク州だけとったって、釈放への道は少なくとも3つある。判決に対する控訴、刑を変える法改正、それに恩赦だ。つまり、まったく可能性がゼロの、自由が絶望的な状況でもないってことだ。釈放への道は自由になる可能性だし、それは希望をくれる。すると終身刑囚の毎日は、自由になるために真剣にあがくことの連続に変わる。
「希望」という言葉は何かを願うって意味だとみんな思ってる。「あれが手に入りますように」とかね。だが、希望は願いや欲以上のものだ。心の目でそれを見つめて、自分が願っていることは、たとえ5年、10年かかっても必ず実現すると信じなくちゃならん。俺は刑務所から出たいと希望する。きっとそれを実現できると信じてる。俺はどんな結末を求めてる? 自由だ―、そんなふうでなきゃいけない。
刑務所では、希望の定義は具体的で囚人の生活をじかに左右する。それは計画や行動であって、単なる概念、頭のなかにあるものじゃない。希望はプロセス、つまり実践だ。夢見たり、追い求めたりするものを、実践を通して実現する。希望は生きる行為なんだ。
終身刑を宣告された人間は全員、人生をかけて自由のためにあがかなくちゃならん。そういうあがきってのは、俺に言わせれば、絶対に勝つと覚悟を決めて、敵を克服することを一番の目標にすることだ。俺を牢屋に押し込め続けた奴ら―、それが俺の闘いの相手だ。こういうことをやるのは自分のためだけじゃない。俺と一緒に闘ってきた他の連中も、ひとり残らず外に出すための闘いだ。だからそれが運動になったんだ。
Sophia Giovannittiはニューヨーク在住のライターであり、アーティストである
- インタビュー: Sophia Giovannitti
- 写真: Naima Green
- 翻訳: Atsuko Saisho
- Date: December 17, 2020