アキーム・スミスとダンスホールの女王たち
アーティスト兼スタイリストがみずからの華麗なるルーツに捧げる「No Gyal Can Test」
- インタビュー: Deidre Dyer
- 画像提供: Akeem Smith

本記事はSSENSEが年2回発行するマガジンの第3号に掲載されています。
「今だにGold Barに入り浸ってた生意気なガキみたいな気がする」。アキーム・スミス(Akeem Smith)は2009年に私たちが初めて出会ったときのことを振り返る。ニューヨークはノリータ地区、その金ぴかなラウンジで私が数人の友達と踊っていると、アキームが孔雀のように登場した。透明なビニール素材のトレンチコートをまとい、背中にはちっちゃなミニサイズのバックパック、フィンガー ウェーブのかかったテカテカの髪にクリスタルのかけらをきらめかせていた。そこここで誰かと鉢合わせし、振り返るたびにウォッカ & ソーダがちょっぴりこぼれるような、よくある夜のことだった。アキームはまだ高校生だったが、どういうわけかその着こなしはクラブで一番決まっていた。
その頃も今もだいたい同じだが、デニムにキトンヒール姿かどうかにかかわらず、スミスはある種の自信と無敵の存在感を漂わせて世間を闊歩する。上から下まで完璧に装うときはなおさらだ。室内の視線をまともに浴びても、ドラマチックでありつつ、気負いを感じさせないというこの才能は、スミスにとってほとんど天性のもの。彼はニューヨークとジャマイカのキングストンを行き来しながら成長した。視線のあるなしに関わらず、部屋を悠々と横切っていくスミスを育てたのが、90年代のダンスホール シーンを飾った華麗なる女性たちである。
スミスの名は、Hood By Air、Helmut Lang、Yeezy、The Rowのランウェイ コレクションに命を吹き込む、独創的なスタイリストとして最もよく知られているものの、本人はずっとアーティストとして制作を続けている。具体的には、彼のルーツ、ダンスホールにみずからを結びつける作品づくりだ。
スミスをダンスホール シーンに導いたのは、名付け親のポーラ・アウチ(Paula Ouch)と、そのお仲間である派手やかに着飾ったアウチ クルー(Ouch Crew)の女性たちだ。ポーラはキングストンのファッション ブランド、Ouchとそのブティックを率いる怖いもの知らずのデザイナー。元海兵隊員で、1990年代にニューヨークのファッション工科大学で学び、ジャマイカのダンスホール シーンにインターナショナルな風を吹き込んだ。OuchのスタイルはSMプレイのエロスをアクセントにした宇宙時代のメタリックで、そのムーン ブーツはイーストビレッジのセント マークス アベニューに並ぶパンク ショップから仕入れたものだ。アウチ クルーは独特な色使いや、風をはらんだようなヘアスタイル、ほとんどコスチューム的ともいえる統一感のあるテーマへのこだわりで、スパイス ガールズ(Spice Girls)によく喩えられた。彼女たちの着こなしは、ジャマイカの各紙の誌面で微に入り細に入り取り上げられた。言ってしまえば、アウチのスタイルはリアーナ(Rihanna)とニッキー・ミナージュ(Nicki Minaj)が本気でキメた西インド諸島ルックのルーツにあたる。
ビデオの照明がダンスフロアを照らし出すとき、「No Gyal Can Test」は鑑賞者をジャマイカのダンス パーティーの最も刺激的な瞬間へと誘い込む。カメラを意識するすまし顔。冷めた無関心。ひたすらうんざりした顔。レンズの中央にとらえられた一人ひとりの女たちは、金属的なフラッシュの閃光と隙のないヘアスタイル、肌もあらわなドレスに切り分けられる。彼女たちは注目をしぶしぶ受け入れ、突然鼻であしらうように冷笑する。スミスはリピート再生や極端なズームを使い、こうした夜のさまざまな刹那をつぎはぎして、新たな物語へと縫い合わせていく。「パーティーを丸ごと見せるわけじゃない」とスミスは言う。「それはアーカイブのフィルム映像を使って僕が作り上げた新しい物語なんだ」
このスミスによるユニークな作品は、古いダンスホールのビデオや写真の、新しいメディアを通した解釈が主題だ。しかし、スミスの作品を単純にアーカイブのキュレーションと呼ぶことは、彼がこのプロジェクトに命を吹き込むために注いだ根気と決意を見くびることになる。スミスがキングストンに少人数のチームを送り、VHSテープを探し出し、ネガフィルムを修復しなければ、アーカイブはまったく存在しなかったのだから。それらはダンスホール シーンの記録者である、かぼちゃの蔓のように絡み合う家族の緊密なコミュニティをたどって発見された。構想、リサーチ、発掘に12年をかけ、「No Gyal Can Test」は今秋、Red Bull Artsによって公開され、北米を巡回する。途中立ち寄るのはニューヨーク、デトロイト、ロサンゼルスだ。スミスはこの何時間も延々と続くビデオのフィルムと写真を、ソーシャル メディアの初期形態だと考える。誰が何を着ていたか、誰がダンスホール シーンに現れたかを記録する、セルフィー以前のメディアだ。「僕の展覧会は、今、生きてる僕たちのためのものじゃない」とスミスは言う。「文字通り2131年の人々のためのものだ。これは誰かのひいひいおばあちゃんかもしれない。そして、子孫たちは彼女たちがどんな姿をしていたのかを見るんだ。『見て、ほらおばあちゃんのセルフィー』なんて、妙な感じだろうな」このダンスホール カルチャーの宝の山を築くまでの長い道のりを、スミスが語ってくれた。

Top image credit : Akeem Smith, 2019. Photo by Paul Sepuya. Akeem Smith, Untitled, 2020 (still). Multi-channel video installation with sound.

Akeem Smith, Untitled , 2020 (still). Video with sound.

Akeem Smith, Dovecote , 2020 (detail) Wrought steel, paint, video with sound(10min 22sec)110” w x 89” h x 18 1/4” d.
ディードリー・ダイアー(Deidre Dyer)
アキーム・スミス(Akeem Smith)
ディードリー・ダイアー:ご家族のことを話してくれる? ジャマイカの子ども時代のことを聞きたい。
アキーム・スミス:なかには本当のことを話すと暴露しすぎになりそうな事情もあるし、必ずしも僕が真実を打ち明ける立場にない話もあってね。だから、いろんな人たちに育てられたとだけ言っておくよ。あちこち点々としたけど、悪い意味でというわけじゃない。ジャマイカには以前から父親と住んでいた。名付け親のポーラ[・アウチ]が帰ってくることにしたのは、当時、ダンスホール シーンがすごく弾けてたからだった。僕は昔から女性のそばにいるとか、こっそり観察してるのが好きなんだ。女性のおしゃべりとかそういうのに耳を澄ませるのがね。だから、今でも女性たちと一緒にいるほうがいい。特にポーラとね。この展覧会の仕事を通じて、[こうした女性たちに]知らないうちに、僕の社交術とか、テイストみたいなものを育ててもらったのがわかってきた。
ファッションに関するあなたの一番古い記憶は?
めちゃくちゃかっこいい服を作ってたドレスメーカーや仕立て屋かな。Biggie Turnerは、かっこいい服を作ってた。Larger Rodneyもヤバかった。カーリーン(Carlene)の服はここが作ってたんだ。Gracieっていうドレスメーカーもある。でもなぜ彼らなのかというと、彼らがジャマイカ生まれのニューヨーク育ちで、食器メーカーのAmerican Atelierの製品みたいに、外国の文脈でどう勝負するかを他の店より心得ていたからなんだ。彼らはそういうバイブスをジャマイカに持ち込んだ。だから、ただの地元の洋品店には見えなかったな。ショップでは、コンタクト レンズに、ニューヨークのセント マークス アヴェニューで仕入れたアクセサリーに、パンク ルックを扱ってた。そういうのはただの服作りとは違ってた。
頭のてっぺんからつま先まで、ライフスタイル丸ごとを扱うショップね。
全身をコーディネートするスタイルだった。で、パトリシア・フィールド(Patricia Field)がそういう服を買いつけてたよ。僕は彼らのやり方を見てきたんだと思う。よくある小さい家族経営の店とは違ってた。早いうちから、そのことは確実に気づいてたな。

Photographer Unknown, chromogenic print, date unknown, OUCH Archive, Bequeathed to Akeem Smith.
それは面白い。ダンスホールはとても没入的なカルチャーだから、たぶん単なるファッションには見えなかったのかも。こうしたものやそれを作ることの芯にあるのが創造力だって気づいたのはいつ?
だいぶ後になってからだと思う。12歳でニューヨークに戻って住むことになった頃かな。誰もかれもみんなクリエイティブだと感じた。毎日、同じ格好なんかしてない。ドラァグみたいだったと言ってもいいくらい。みんながどこかしら光ってた。今だって日常生活のなかに自分だけのスタイルを持ってる。
もっと真剣にファッションに打ち込むようになったのは、もう少し大人になって遊びに行くようになってから。自分の外見の演出にもっと努力したくなったんだ。で、気づいたのは、そこにあるのは努力であって、必ずしも創造性じゃないってことだった。僕が努力って言うのは、たいていのスタイリングは、それ自体では最高にクリエイティブなわけじゃないって気がするんだよね。自分が思い描いた通りにスタイルを[創造する]努力。それがわかってすごくよかったと思う。
ジャマイカの文化、特にダンスホールが、当時流行ってた他の欧米のファッションをどう消化したのかがわかりかけてきたんだ。ジャマイカでもパンクっぽいスタイルはするけど、なんかパンクには見えなくて、やっぱりダンスホール ルックなんだよね。そうやって流行を消化するサイクルにすごく興味を持った。パリで流行ってるものがジャマイカまで滴り落ちてくる。そこが面白い。
ファッションの点で、アウチ クルーは何が有名だったの?
僕にとって、彼女たちのシンボルはあの強烈なヘア スタイルだったかな。昔はジャマイカのスパイス ガールズとか、そんなふうに呼ばれてた。クルーのメンバーの女性はみんな個性があったから、たしかにスパイス ガールズっぽくはあったね。

Photo Morris (1939 - 2016), chromogenic print, date unknown; Bequeathed to Akeem Smith / No Gyal Can Test Archive.

Photo Morris (1939 - 2016), chromogenic print, date unknown; Bequeathed to Akeem Smith / No Gyal Can Test Archive.
ポーラのことを聞かせて。
すべてはポーラが始まりだ。彼女の家族はここにすでに店を持ってて、彼女とデビー(Debbie)はもうデザインを始めていた。そのうち二人はジャマイカに行くことにした。いや、ポーラはFIT (ファッション工科大学)に行ったんだっけ。彼女は海兵隊から除隊したときに、お母さんに何をやりたいのかって訊かれて、「今だってもう、おしゃれしたり、遊びに行ったり、ダンスホールに浸かってるんだから、それを仕事にしちゃえばいいんじゃない?」って答えた。それが始まりだ。間違いなくね。
このアーカイブのキュレーションの方法は? それに、どうやって見つけたの?
この展覧会の構想は、12年前に思いついた。手持ちのアーント ピーチズ(Aunt Peaches)やワイニー ワイニー(Winey Winey)のコレクションからアウチの画像を集めることから始めた。ポーラもアウチ関係の写真や新聞の切り抜きをかなり集めてたしね。でも入れたのはアウチだけじゃないよ。ここに写ってるのはかつて着飾って集まっていた人たちの小さなコミュニティなんだ。アウチの写真を撮っていたモリスさん(Mr. Morris)って知り合いがいて、特に重要な写真やネガを全部持ってた。僕がジャマイカに行ったとき、小さいチームを雇って一緒に来てもらった。ネガの保存方法を知らないからさ。みんなでジャマイカの僕の家に滞在してそこで作業した。言っとくけど、金は全然なかったんだよ。仕事で稼いだわずかな金を全部、それにつぎ込んだ。そういう作業をずいぶんやったな。たぶん年に2回くらい。
フィルムを集める過程で、面白い人にも出会ったんじゃない。西インド諸島の人たちって結構疑り深いから。「何が欲しいんだ? これをどうするんだ?」とか。
カリブの人たちはだいたい、眉つばの話にすごく敏感だと思う。なぜみんなが僕を信用してくれたのかは、正直さっぱりわからない。説明できればいいんだけどね。もちろん、お金はかけたよ。写真の保存のために白人の男二人を雇ってきてもらうぐらいだから、確かにいろんな人に現金は渡した。
透明性の問題なんだよ。僕はいつも思いっきりスケスケだったから。みんなに言っちゃうんだ、自分でもこれをどうするつもりかわからないって。単純に、なくなったらほんとにもったいないから、救出して保管すべきだと思うってね。僕は、黒人の歴史に一人称のストーリーがほとんどないってことをすごく意識してる。あのギャラリーはちゃんと評価して保存してくれるからすごいよ。だから僕はこういう文脈で展覧会を開けるんだし、自分ではもうすでにアートだと考えているものを、さらに芸術として磨き上げようとしてるんだ。
そういうものを取り戻そうとしているわけじゃないよ、僕は僕だから。その手のアイデンティティの危機はない。どっちかと言えば、位置づけするとか、存在を知らせるとか、そのなかで人々に声を与えるとかのほうが近い。僕は女性たちに何を着るべきかアドバイスするゲイの男たちには興味がなくて。そうやって生計を立ててはいるんだけど、それは僕の求めるものじゃない。僕がやりたいのは、たぶんエッセンスを抽出することかな。いや違うか。そんなこと言ったら気持ち悪いよね。
その作品で彼女たちの芸術性に光を当てているのよ。あれはクリエイティビティだった。まさにマルチメディア的で、360度どこから見ても文化的な。きれいにまとめて、島のパーティーだって片付けることもできるけどね。それはクリエイティブだったし、商売だった。
間違いなく、夜の経済だったとは言える。みんなカリブの女たちをもう少し理解するつもりでその場にやってくるんだろうけど、さらに困惑するだろうな。

Photographer Unknown, chromogenic print, date unknown, OUCH Archive, Bequeathed to Akeem Smith.
そういえばあなたの映像作品「Lexus, Benz & Bimma」を2019年にMartos Galleryで観たの。目元のカットとか、舌打ちとか、撮影用の照明に浮かんだところとか、カメラの前で気取った顔とか、そういうもののモンタージュだけで、カリブの女性たちを理解しようという意図がすごく難しい。画面に映る、ああいった瞬間の彼女たちは、ただもっと捉えどころがなくて。しかも…
異質。
そうそう。演じるキャラがすごくいっぱいあるの。さっき言ってたスパイス ガールズとの相関みたいに。パーティーでのカメラや撮影ライトの重要性について、あなたはどう思う?
正確には、必ずしも撮影ライトじゃないけどね。でも[ダンスホールのビデオ]は、ソーシャル メディアの先祖だと思ってる。ある意味、グリーティング カードみたいなものだったんだよ、だってべつの場所にいる人々が、そうやって自分の姿を見るわけだから。自分で自分のビデオを撮影できる今とは違って、昔は、そうやって楽しんでる姿とか、ダンスがうまいところを見せたんだ。グリーティング カードと同じと言ったけど、カメラの中ではみんな、自分をよく見せようとするよね。奥さんを持ち上げたり、奥さんは夫をほめたり。自分の子の父親だから。
そうだ、BCAT(ブルックリン コミュニティ アクセス テレビジョン)でビデオを観てて、誰かの誕生日の最後のクリップが映ると、「バースデー ガールだから褒めちゃう。あんたのダンスめっちゃいい!」ってよく言ったっけ。
ダンスホールはとっかかりとしてぴったりなんだ。すごく狭いのにほんとにビッグな世界のカルチャーが詰まってるから。僕がいつか探求したいと思っている一部のカルチャーと比べてもね。ダンスホールのおかげで僕は幅広く注目してもらえる。共感されやすいし、届く範囲が広い。それは音量のせいだよ、一人ひとりの音量のね。
はじめてあなたを見かけたときのことを覚えてる。Gold Barだったよね。シースルーのビニール素材のトレンチ コートを着て、髪にフィンガー ウェーブをかけて、ちっちゃなキラキラをちりばめてた。
たぶんまだ高校生だったんじゃないかな。2009年頃。
あなたを見て思ったの。「なんだ、こいつ?」って。あの頃すでに、あなたは全身でコーディネートするフル ルックのエネルギーを放出してた。ヘアスタイルも、靴も、アクセサリーも、あれもこれもって。
そうだね、全部が大事だから。ペディキュアに至るまで、ひとつ残らず。僕はスタイリングとかそういうことにめちゃくちゃこだわるんだ。たとえば、ペディキュアにホワイトじゃなく、エッグシェルを指定するような人間なんだよ。エッグシェル ホワイトね。白は白でも色味が違う。こういうのは才能ともいえるけど、呪いでもある。
アウチのメンバーのその後は?
ダンスホール シーンがもう前とは違うと思ったとたん、「あら、じゃあ一般人になればいいわ、ファビュラスな一般人になって、郊外で暮らしましょ」って。そういうのもキュートなんだよね。でもポーラは時々、現れる。そしてダンスホールにちょっとした謎を残していくんだ。わかるかな? そういうのが面白いと思う。
それが伝説よ。レガシーってやつ。
そうだね、霧みたいにね。彼女たちはそれでいいんだ。でも僕にしたら、あんたたち、すごい可能性があったかもしれないのにって思う。だって、あれが本物のビジネスになったとしたらって想像してみてよ。Frederick’s of Hollywoodみたいなビジネスに発展したかもしれない。だったらすごかったよね。ダンスホール ハウスが、そこらじゅうで売れる商品を作るブランドになってたかもしれない。そういうふうに成長した可能性はあるんだ。デザイナーのアイザック・ミズラヒ(Isaac Mizrahi)がホーム ショッピング ネットワークでやってるみたいにね。もしアウチがほんとにもっと垣根を越えて、ファッションに集中してたらすごいことになったと思う。でもどう見てもそうじゃなかった。あのカルチャーと同じだよ。全部がセットだったんだ。

Photo Morris (1939 - 2016), chromogenic print, date unknown; Bequeathed to Akeem Smith / No Gyal Can Test Archive.

Photographer Unknown, chromogenic print, date unknown, OUCH Archive, Bequeathed to Akeem Smith.
Deidre Dyer はニューヨークを拠点とするライター、編集者、ブランド コンサルタントである
- インタビュー: Deidre Dyer
- 画像提供: Akeem Smith
- 翻訳: Atsuko Saisho
- Date: September 23, 2020