冷徹の人、ブレット・イーストン・エリス

文学界の永遠の反逆児が政治を語る

  • 文: Robert Grunenberg
  • 写真: Christian Werner

「デイヴィッド・ホックニー(David Hockney)と写ってた君のインスタグラムを見たよ」。よく晴れた春の午後、ウェストハリウッドにあるブレット・イーストン・エリス(Bret Easton Ellis)のアパートメントで、彼は私にそう話しかける。「どんな感じだった?」ホックニーやロサンゼルスに住むアーティストの話をしながら、エリスは私を仕事場へ案内する。カジュアルな服を着た53歳のベストセラー作家兼脚本家は、裸足。どんなミーティングでも、馴染みのある気楽な場所を好む。私たちはアイスコーヒー飲み、世間話がインタビューに変わり、ヤシの木とイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」について話す。「ホテル・カリフォルニア」は、エリスが月に一回やっているポッドキャストでも、度々話題になる名曲だ。「イーグルスはロサンゼルスの過去を歌った素晴らしい曲を作ってるけど、僕が作家になるときに考えてたロサンゼルスと、ぴったり重なるんだ。暗くて、悪夢がつきまとう荒廃の地で、映画産業の傍にある場所」。カリフォルニアで生まれたエリスは、ジェネレーションXの恐怖と欲望を描いた成長物語「レス・ザン・ゼロ」でデビューし、80年代アメリカ文学界の「恐るべき子供」として知られるようになった。20代初めに名声を手にした経歴について、質問した。

ローベルト・グルーネンベルク(Robert Grunenberg)

ブレット・イーストン・エリス(Bret Easton Ellis)

キャリアを振り返ったとき、若くから成功と名声を手にするのは重荷だと思いますか?

ブレット・イーストン・エリス:有名になると、いろんな意味で、ひとつのイメージに閉じ込められてしまう。美貌の女優であれ、有名なフットボール選手であれ、作家であれ、その時に封じ込められてしまう。僕の場合、問題児の作家だった21歳から抜け出せない、今でもそういう風に見られてる、と感じることがよくある。作品は全部若さがテーマだと思われて、それが僕のカラーになる。ある意味で、それが僕のブランドなんだ。80年代に成人した同期の作家と僕を比べてみると、なんだかもう、誰も残ってないんだ。

ゲイ作家としてカミングアウトしたことは?

僕は自分をゲイと定義したことはないよ。たまたまいろんなことに興味があって、その内のひとつが男性だった。身長185cm、髪の毛はこの色、こういうライダー ジャケットを持ってる、こういうタイプの映画が好き、こういうタイプの男性が好き、こういうタイプの車が好き。僕にとって、ゲイってそういうことだったんだ。けっして、僕自身を規定するものじゃない。僕が関わるもののひとつに過ぎなかった。カミングアウトするために苦悩した、なんてこともなかったし、両親にもわざわざ言ったりしなかったよ。ただ、自分流に生きてきただけ。確かに、僕がいた場所がゲイには住みやすかったけどね。ロサンゼルスのビバリーヒルズは、例えばアーカンソー州なんかよりずっと寛容だったから。80年代の初期、エイズがやって来る前、バーモント州のベニントン大学でセクシュアリティを試すのは別にどうってことない話だった。でも、名が知れてくると、それほど簡単な話じゃなくなった。僕はゲイ作家にはなりたくはなかったんだ。単に作家じゃなくて、ゲイの形容が付く作家になってしまう。80年代から90年代にかけては、そういうふうに事態が進行したから、特にどっちとも明言しなかった。ガラス張りのクローゼットさ。みんな何となく知ってるけど、僕は認めなかった。だけど、隠したわけでもない。ガールフレンドがいるふりもしなかった。

なるほど。アイデンティティの大きな部分を占めてたわけではなかったんですね。

ゲイだという理由で、政治的になったことはないよ。エイズに関しても、当時は若すぎて、政治的な要素と結び付かなかったしね。80年代から90年代、2000年代の初めにかけて、何十年も僕は書くことに没頭してたんだ。2005年にニューヨーク タイムズ紙のインタビューで公にカミングアウトしたけど、大したことだとは思ってなかった。「ルナ パーク」を亡くなった僕のボーイフレンド、マイケル・カプラン(Michael Kaplan)に捧げる、っていう会話の流れだったから。そんなこんなで、ゲイ カルチャーは膨らんでいくゲットーみたいな感じだった。ゲイの男たちが押し込められたエリアとかゲイナイトクラブなんて、僕は欲しくなかった。そんなものには魅力を感じたことがない。

今日のゲイカルチャーについて、どう思いますか?

ひどいもんだ。作家のテネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams)が言ったことだけど、ゲイに起こりうる最悪の出来事はストーンウォールの暴動だったね。ストーンウォールによって政治化される前、ゲイとしての生き方は自由に参加できる楽しい秘密だったんだ。セックスができる方法、パートナーと出会う方法を必ず見つける、男たちの巨大な秘密結社。それが惨めな政治問題になるやいなや、ゲイには自動的にたくさんのレッテルを意味するようになった。そのとき、多くの男は楽しみを失ったんだ。危険とか、タブーの味とか、神秘的な雰囲気も無くなってしまった。そういう失われしものが、僕は懐かしいよ。ゲイのアーティストは、かつてはラディカルな先駆者だったもんだけど、現在の文化では見る影もない。残念だ。テネシー・ウィリアムズやロバート・メイプルソープ(Robert Mapplethorpe)のような人物はもう出ないだろうね。ゲイのアーティストには、社会や環境によって強いられた激しさのようなものがあったんだ。

ドイツ人映画製作者ローザ・ヴォン・ブラウンハイム(Rosa von Praunheim)は、社会の指針とは異なるセクシュアリティと人間関係の新しいライフ スタイル、それを実践する機会をゲイ コミュニティは逃してしまったと言っています。一夫一婦制、結婚、家族など、既存を受け入れて、解放ではなく適応の道を選んだと...。

ニール・パトリック・ハリス(Neil Patrick Harris)が僕たちの代弁者を演じるのは、そんなに素晴らしいことなのかな? ああいう親切で、善良で、性を感じさせないゲイを、僕たちの代弁者にするのか? ここ10年、僕が注目してるゲイ世界でもっともラディカルな存在は、ゲイ ポルノのスターたちだ。特に、自分の製作会社を持って、肩肘張らずにやっているゲイ。ゲイの権利や自由獲得がいかに大変かを描いたダスティン・ランス・ブラック(Dustin Lance Black)の「When We Rise」なんてドラマより、ずっと関心がある。「When We Rise」みたいなタイプのアートや考え方には我慢できないんだ。ポリティカル コレクトネスは、その他あらゆる面を損なってしまった。今でも、セックス パーティをやっているゲイたちの秘密の組織はあるさ。完全に消えて失くなったわけじゃない。ただ、残りの世界に溶け込んだんだ。ラスベガスのようになった。グローバル化だ。商品だ。

ジャーナリストのマイロ・ヤノプルス(Milo Yiannopoulos)に対する意見は?

マイロ・ヤノプルスはまさに好例だ。ブライトバート・ニュース・ネットワーク出身で、ゲイで、アジテーター。素晴らしいと思った。ゲイの世界にはいろんな声が必要だ。「中傷と闘うゲイ&レズビアン同盟(GLAAD)」みたいな良い子だけに、僕を代弁して欲しくはない。僕が知ってるゲイの圧倒的大多数は、だらしなくて、肥満で、理想の男らしさなんか無視してる。今の文化が助長してる可愛くて綺麗なゲイ ボーイになる気もない。ポリティカル コレクトじゃないし、ゲイの生活は悲惨だと思ってる。同時に、現在の文化では多くの意味で許されない方法で自分を表現する手段を持ってる。そういう意味で、マイロ・ヤノプルスは素晴らしいと思ったんだ。異なる視点だから。ゲイであることに誇りを持ってるし、大いに、それもちょっと卑猥にセックスについて発言するし、非常に賢い。だけどストレートの世界が彼を破滅させたんだ。いつか戻って来ると思うけどね。

オルタナ左翼とオルタナ右翼の動きのように、アメリカの政治で両極のグループが増加していることをどう思いますか?

オルタナ右翼もオルタナ左翼も、メインストリーム層の中道に欠けてる情熱があるんじゃないかな。怒り、アナーキーな態度、遊び心、いたずら心がある。どちらの側も、いたずら心の源は現状打破の欲求だ。体制はまやかし、メディアはまやかし、ハリウッドはまやかし、クリントンはまやかし、オバマはまやかし、トランプはまやかしだと信じてる。自分たちにに情報を供給するルールを嫌ってる。数週間前の「ニューヨーカー」に面白い記事があったんだ。オルタナ右翼の若い記者、つまり20歳や21歳あたりの大学生が、ホワイトハウスの記者団に参加を歓迎されてるそうなんだ。定石通りのオバマ政権じゃ絶対ありえなかったことだよ。オバマには、大統領にふさわしいルール、記者会見での対処に関するルールがあったから。それがトランプで吹き飛んだ。もうゲームからルールは消えたんだ。恐れてる人も多いよ。論理に真実があるって信じてる僕のボーイフレンドも、恐れてる。真実は作られる、でたらめな奴らがでっち上げる嘘だと考えてる人もいるけど、僕のボーイフレンドみたいに、真実で安心する人間もいるんだ。だから、トランプが選挙に勝ったやり方に安心できない。ルールを破ったから。トランプはルールに火を付けて、燃やしてしまった。それが人を恐がらせるんだ。

若者の中に、メディアでのリベラルなエリートの言説やポリティカル コレクトネスと手を切ろうとする欲求があるようです。理由は何でしょうか?

ミレニアル世代の道徳的な優越感、社会正義的な思考。そういうもので過激化した若者たちの、見当違いな選り好みじゃないかな。一種貴族的な権威。何事についても、自分たちが絶対正しいと思ってる。あらゆることに確たる真実があると信じている。それが君たちの世代の問題で、ある程度左派の破壊に繋がってると思う。そういう道徳的優越性が、今回の大統領選があんな結果になった原因のひとつだ。嘆かわしいことだ。「相手がレベルを落としても、私たちは品位を高く保つ」という民主党の発言が、投票者間の格差を決定的に広げた。民主党は、ある意味、以前とは違うネオリベラルのエリート集団になったんだ。オバマのときは、アカデミックな世界とアイデンティティ政治だった。それから、いつも経済の話。要は、金だ。ビル・クリントンはそのことをよく知ってたから、ドナルド・トランプの話をやめろ、トランスジェンダーの問題について話すな、それでは選挙は勝てない、ってことを夫人のアドバイザーに教えようとしたんだ。それでも、彼らは止めなかった。今、オバマは6,500万ドルで本を書く契約を手に入れたし、おそらく1 回の食事が4,000ドルを超えるレストランでボノとランチをしてる。それが民主党の行き着いた場所、最終的に選挙の勝敗を決めたものだ。例えばボノが、この国に起こったことは気分が悪くなる、倫理的に最悪の事態だと言うとき、彼は6,400万人のアメリカ国民を無視してるんだ。6,400万人の市民を否定した発言だ。トランプ陣営は、決して投票者を否定しなかった。西欧世界の支配体制を批判したんだ。道徳的優位性を掲げた左派は投票者だけを否定した。

確かにドイツや他のヨーロッパ諸国でも、普通は左派と考えられる知識人たちが、アイデンティティ政治に注目しすぎるリベラル エリートのメディア言説を批判しました。なぜか? それは、大抵左に投票する労働者階級が、自分たちが排除されたように感じる政治アジェンダに抵抗して、右派に投票したと確信しているからです。

常識だよね。人は、ゲイだとか、女性だとか、肌の色といった事実で規定されるものじゃないんだ。だから、自己犠牲や痛みを知ってる。アイデンティティ政治は、人間性よりも目に見える事実を強調する。衣食住を確保することで頭がいっぱいの大多数にしてみれば、男女別トイレの廃止の議論なんて不快なだけだ。ケイトリン・ジェンナー(Caitlin Jenner)は「女性のみなさん、この国は20兆ドルの赤字を抱えているんです。どちらのトイレで用を足すかなんて、私はどうでもいい。私たちは赤字を解決しなくてはなりません」と発言して、アカデミックでリベラルなトランスジェンダーたちの不興を買った。ドナルド・トランプは「そうだそうだ、私のビルで用を足せばいい。全く気にしないよ」と応じた。トランプの価値感はころころ変わるし、チャンスさえあればどこでも行く。だが、様々な問題に関して、トランプは本質的にショービジネス リベラルなんだと思う。常識は雨霧消散して、あらゆることが誇張されて、トランプが好きかどうかの抗議票になったんだ。現在進行中のことを止める抗議だ。僕たちはただの人間だという事実に立ち返ろう。黒人の女の子でも、ゲイの男の子でも、トランスジェンダーでもない。あなたは人間で、僕たちは同じひとつの国に住んでいて、この国で起きていることを理解する必要がある。過去10年続いたエリート主義的ネオリベラルの波、東西両海岸の左派とアイデンティティ政治は急速に過去のものになったよ。

世界的な消費者文化を、どう考えますか? ファスト フード、ファスト ファッション、ファスト ミュージック、ファスト イメージ。世界は企業が作るファスト プロダクトで溢れています。消費者の嗜好に応えているし、手軽だからどんどん消費される。反対に、複雑さ、品質、洗練はなくなりつつある。そういう手軽で陳腐な商品は、私たちの文化を鈍化させると思いますか?

おそらく近い将来、3つの企業が全てを所有して、商品として何を作るか、僕たちにどう行動させるか、というルールが支配するようになる。そんな世界では難しいことだね。例えばフェイスブック。あれは多くの若者が参加した、人生で初めての企業だよ。企業としてのフェイスブックがユーザーに依頼したのは、性的な投稿をしないこと、他のユーザーに対して親切であること、何でも「いいね!」すること。いいね、いいね、いいね。それだけでみんな去勢された時計じかけのオレンジになった。そこで自分の声を届ける唯一の方法は、フェイスブックという企業ののルールを従順に守ることだし、フェイスブックが製造する人間は、今君が言ったとおりだ。企業が牛耳る世界ではそういうことが起こる。

現在の消費文化で、変わり者、実験、夢のための空間はあるんでしょうか? 意味をなさない何か、商品化することさえ困難なものは、どこにあるのでしょうか?

君が描写している人間になることは、あるレベルではとても難しい。あらゆることが企業化されている現在、精神病者や夢想家がどこにいるのか、彼らの世界がどこで花開くことを許されるのか、僕には分からないよ。表現、自己表現に非常に多くのルールがある。かなり珍しいけど、時には過激な作品に出くわすこともあるんだ。だけど、ほとんどの場合、メインストリームに作り直されたり、吸収されたりして、無難なものに変わってしまう。かなり微妙繊細なやり方でない限りはね。

そう、微妙でなきゃダメですね。

ムーブメントというものは目に見えない形で始まって、突然、何かが過激になる。でも、過激なインスタグラムなんてあるかい? ツイッターは過激か? ポルノですら、ある意味では企業の製品だよ。DIYカルチャーだったら、そういうやり方で自分を表現しようとする意識が強いはずだと思うかもしれない。でも、僕たちの文化は非常に批判的でもある。それがクリエイターの精神にどう作用すると思う? 自分自身をどう表現したいか。それを考えるとき、ガイドラインに従わなきゃいけないんだ。まあ、社会のガイドラインなんて、本当にくだらないもんさ。主として、とても中産階級的、とても一般的。波風立てないのが原則だ。

人生に対するどのような信念が、作家としての成長を助けましたか?

70年代の古い曲を引用するなら「自分だけの歌を作ればいい」、他人がどう思おうが、気にするな。今だけじゃなくて、若手の作家だったときにも、よく口にしてたんだ。これをやったら僕の両親がどう思うかとか、LAにいる友達がどう思うかなんてことを気にしてたら、そりゃもう大変だよ。何人かにそれを言われてはっきり理解したんだ。だから、なおさら、そのことをもっと書いて世に出さなきゃいけない。アーティストのやるべきことは、社会が押し付けるガイドラインの番人や何が許されて何が許されないかを決める奴らのたわごとは無視して、耳を貸さないことだ。

  • 文: Robert Grunenberg
  • 写真: Christian Werner