周縁の評論家ホア・シュー

過去の亡霊は、いかにして未来の思考を変えるか

  • インタビュー: Ross Scarano
  • 写真: Caroline Tompkins

ホア・シュー(Hua Hsu)は文筆家であり、大学教授であり、本人の言によればガラクタをため込む蒐集魔だ。この最後の肩書も、その重要さでは他のふたつに引けを取らない。シューの書く文章は、最近、再刊された1974年のアジア系米国人作家による作品コレクションでも、UKのダブステップを牽引するブリアル(Burial)の新作コンピレーションでも、はたまた、ヒップホップの大御所ドクター・ドレー(Dr. Dre)でも、本人の言う「他よりも強いバイブスを持つ」過去の遺物たちを丹念に掘り起こす。38枚組のウッドストック記念ディスクセットに彼が見出すのは、ベビーブーマー世代の神話。「過去があれば、過去について語るべき物語がある」。あるいはアーティストでラッパー、そして思想家でもあった故ラメルジー(Rammellzee)を検証しては、「はずれ者の生き残り戦略」と「理解されうる世界の辺縁で、なお他者の驚嘆を誘いながら」生きることの意味に瞠目する。

シューは周縁の存在を愛し、他の人間なら捨て去りかねない物たちを集めるコレクターだ。アメリカ華人博物館では「The Moon Represents My Heart(月亮代表我的心)」と題する、中国系移民社会の音楽を取り上げた展覧会を共同でキュレーションし、Instagramでは、ZINE(ジン)からレコード発売の記念グッズまで、長年自分がため込んできた品々のコレクションを披露している。歴史のメインストーリーをひっくり返すことのない物語が、彼を仕事へと駆り立てる。それは若かりし頃から変わらない。「僕はロラパルーザのフェスに行っても、2番ステージで今ひとつぱっとしないバンドの演奏を、1日中聴いてるようなタイプだった」と、シューは眼鏡の奥でかすかに微笑みながら言う。「でもいずれにせよ、それはオルタナティブなカルチャーを大規模に商業化したものにすぎなかったのだけれど」

マンハッタンのチャイナタウンにあるMOCA(アメリカ華人博物館)が火災の悲運に見舞われ、8万5000点の収蔵品が焼失したと思われたとき、シューは『ザ ニューヨーカー』誌に寄稿して、彼一流の奥深く丁寧な手法で、失われたものの大きさを検証した。そして、MOCAの活動の独自性、つまり捨てられた日用品たちは現代の優先順位から逸脱しているからこそ人々に過去を想像させるのだという博物館の信念に辿りついた。シューはこう書いている。「アメリカ人の生き方は、中国人社会学者フェイ・シャオトン(Fei Xiaotong)が述べたように、前進することがすべてだ。1940年代に合衆国を訪れたとき、彼がとりわけ戸惑ったのが『スーパーマン』だった。人の形をした可能性の権化が、ひたすら前へと猛進する。アメリカ人はスーパーヒーローを信じたが、幽霊は信じなかった。幽霊は人を過去へと引き戻す。幽霊は歴史なのだ」

42歳のシューはイリノイ州で生まれ、ベイエリア、正確にはクパチーノで成人した。彼の両親は台湾から合衆国に移民して、カリフォルニアの大学院で出会った。一人っ子のシューは、両親と自分は、アメリカで一緒に成長してきたと話す。家族みんなで流行の音楽を聴き、例えばガンズ・アンド・ローゼズ(Guns N’ Roses)への愛を共有した。作家メアリー・H.K.チョイ(Mary H.K.Choi)のインタビューでシューが使った言葉を借りるなら、親子で仲良く「文化変容」を果たした。そんな純粋な意気込みや熱心さは、2017年以来、スタッフライターとして『ザ ニューヨーカー』に書いてきた多くの記事や、英語学の准教授として教鞭をとるヴァッサー大学の教室にもにじみ出ている。彼はまた、非営利団体Asian American Writer’s Workshopの理事として、若い作家を世に送り出す支援をし、同団体のカウンターカルチャー勢力としての立ち位置を保つために、プログラムの計画や戦略の策定にも携わっている。

シューは、実現することのなかった未来に向かって、たゆみない、そして一風変わった努力を注いだ過去の人々に向き合う。こうした幽霊たちの物語を語るとき、彼が追求するのは、現在をよりよく理解すること、そして、現代の言説によってすでに決まっているかに見える未来とは異なる未来像を描いてみせることだ。評論では、過去に起きたことをピンポイントで取り上げ、そうした事物や考え方を利用して、来るべき未来へと投影する。シューの処女作『A Floating Chinaman』(2016年、ハーバード大学出版局) では、実験的中国人作家H.T.ツィアン(H.T. Tsiang)を取り上げるなど、こうしたアプローチの好例だ。大学に留学するために合衆国に移民したツィアンは、1930年代から40年代に、パール・S・バック(Pearl S. Back)をはじめ、アメリカにおいて中国や中国文化の権威とされていた少数の作家たちにノーを突きつける、型破りな形式の小説や戯曲を自費出版した。ツィアンは、生きているうちに作品を評価されるという点では失敗したが、失敗は未来にとって不可欠だ、とシューは書く。「失敗は常に、選択された道に対する代替の道を内包する。少なくとも失敗は、そもそもの始めに誰かは選択肢に気づいていたことを我々に思い出させてくれる」

1月の寒い月曜日、僕らが会ったのはスーがカルマンフェローとして2冊目の本を書いている、ニューヨーク公共図書館から数ブロック離れた中華料理店だった。ランチのスペシャルサービスをやっていて、前菜を3皿注文すると、4皿目が無料になる。入口近くの赤い「特別」ブース席の一つに座り、スーは、彼独特の穏やかなゆったりとした口調で、今度の新しい本では僕自身の過去について書いているんだ、と説明した。その本はこの作家の特徴である、書き手は黒子に徹する作品群の中で、独自の辺縁を占めることになる。スーがMOCAコレクションについて書いたように、「積もった塵の下には、宝物の可能性が眠っている」のだ。

「それは僕の蒐集癖を満たしてくれるけど、同時に、ずっと集めてきたたくさんのものを、この時のために手放せそうな気にもなっている」

ロス・スカラノ(Ross Scarano)

ホア・シュー(Hua Hsu)

ロス・スカラノ:自分の仕事を見る目は厳しくなるほう?

ホア・シュー:物を書くことは、本能的なレベルで考えたり感じたりしていることを表現しようとすることだから―それを言語に翻訳することはすごく難しい。何か書くたびに「もっと明快にわかりやすく書けたはずなのに」って反省するよ。

ご両親は読書家?

今この瞬間、父は間違いなくスマホを見てるね。移民の両親のもとで1980年代に育ってきて、ふたりが何を読んでいるか知らなかったから、両親を知識階層に属する教養人だとは考えなかった。ふたりは英語を完璧に話すし、英語の本も読むけど、だいたいにおいて、読むなら中国語の本だろうな。僕が子どもの頃はよく台湾に滞在したんだけど、家族で台湾にいたときは、本屋でずいぶん時間を過ごした。僕は中国語が読めないから、「何を読んでるの?」って訊くんだけど、そのたびに答えに驚かされた。世界経済の理論みたいな本かと思えば、「ああ、これは有名な料理評論家が、台北でぜったい行くべきレストラン50店を紹介してる本だよ」なんてこともあった。

ご両親は家ではどんな音楽をかけてた?

子どもの頃、父がすごく音楽好きだったおかげで、僕は音楽はダサいと思ってた。両親はふたりとも70年代の初めに大学院留学でアメリカに来たんだけど、戦後の台湾で育ったから、それまでにアメリカ文化をいろいろ学んでいた。こっちに来てすぐ、父はコロンビア ミュージック クラブに入った。ほんのわずかなお金で10枚くらいLPが受け取れるとか、そういうサービスだよ。音楽は両親にとってすごく重要だったけど、ふたりともその理由をきちんと説明できなかった。不思議なことにね。いや、本当は不思議じゃないのかな。ふたりは単に普通の人間なんだと思う。僕は評論家で歴史家だから、自分がなぜあるものを好きなのか、あるいはそうでないのかをできる限り正確に説明できなくちゃならないけどね。父についてはすごくはっきり目に焼き付いてる記憶があって、それは僕がすごく苦手だった幾何学の問題の解き方を教えてくれながら、ガンズ・アンド・ローゼズ(Guns N’ Roses)のニューシングルでミックステープを作ってる姿なんだ。その時点でもう、なんだか妙な場面だと思ってたよ。父は仕事でアジアに行くことが多くて、韓国や台湾で海賊版のテープを買ってきていた。みんなでドライブ旅行のときに聴くように、自分でテープを作るんだ。一時、父は台湾に住んでいたんだけど、アメリカに帰ってくると、一晩中MTVをテープに録画していた。深夜から朝の8時まで、VHSのビデオテープにミュージックビデオを8時間分ね。そして台湾に戻ると、2台のVHSビデオプレーヤーを使って、お気に入りのビデオを集めたVHSテープを自分のために作る。数か月ごとに、そういう8時間のビデオテープに溜めた当時流行の音楽を吸収していたんだ。

新しい本は自伝的なものになるとか。

今、書いている本は、職業ライターとして、あるいはセミプロとして僕が書くようになるずっと前から書こうと思ってたことなんだ。一言でいえば、大学時代に僕の人格形成に大きな影響を与えた友情と、その悲劇的な結末について書いてる。2000年代の初めには、一人称で書く文章のマーケットはまだ本当には出現していなかった。それは僕にとって幸運だったな。というのは、この物語を書ける自信がまだなかったからね。

具体的に90年代のカルチャーのどんなところに、今、見直す意義があると思う?

90年代に関する何かが、現代を生きる助けになってくれるかは、僕にはわからない。ただ、思うんだけど、別の生活の形、今とは違う「当然」の感覚を想像するのはものすごく難しいよね。僕にとってそれは、例えばインターネットを使って誰かに何か送ってくれるように頼み込んで、それを相手が郵便で送ってくれるのを待つ場面の描写みたいな、単純なことだったりする。ダイヤルアップ接続で掲示板にアクセスして、自分が聴いたことのないレコードを持ってる、国の反対側に住む大学生に連絡をとる。相手にカセットを2本、うち1本は労を取ってくれたお礼の分として郵送すると、相手はレコードをテープにダビングして送り返してくれる、といったような。

90年代でも60年代でも1880年代でも、過去に営まれていた生活の、質感というか手触りみたいなものがあって、僕らにはそれを体験することはできないけど、かつて人々がどう生きていたのか、そうした生き方が、世界に対する彼らの想像や期待をどう形作ったのかを考えることは有益だよ。自分たちがどんな世界に向かって進んでいきたいのか、答えを見つける助けになるかもしれないから。

それで思い出した。1974年のアンソロジー『Aiiieeeee! An Anthology of Asian-American Writers』についての最近の論考で、そうした作家たちのことをこう書いてるよね。「書き手たちが後世のアイデンティティという区分に吸収されるとともに、彼らの追求した地平は忘れ去られた」と。

僕はいつも未来について書いている。そして、僕らみたいに余計なしがらみを抱えていないアーティストたちが、未来をどんなふうに想像するかについてね。「これがキャンバスで、これが絵筆なら、できるものはみんな同じになるだろう」と思うかもしれないけど、同じじゃないんだ。なぜなら、人は想像し、予見できるものによって制限されるから。僕は過去の人たちが何を予見でき、何を予見できなかったかに興味がある。『Aiiieeeee!』だけど、この本について教えられたとき、「こいつらはみんなミソジニストのくそったれだ」って感じだった。確かに、一部の作家の作品には、ミソジニー的要素が明らかに見て取れる。でも、彼らもまたひどく制限を受けていたんだ。自分たちが知るアジア系アメリカ人作家は他にいないという事実によってね。だとすれば、どうなるか予測がつくよね? でも彼らは共に道を見つけようとする、彼らなりの小さな仲間だった。僕はそこにユートピア的な何かがあると思う。

僕はいつも未来について書いている。そして、余計なしがらみを抱えていないアーティストたちが、未来をどんなふうに想像するかについて。

今、ポップカルチャーの中で、意味のある世論喚起というのはどういうものなのかな。グラミー賞でタイラー・ザ・クリエイター(Tyler, The Creator)のコメントを聞きながら考えてたんだけど。

タイラーのOdd Futureは、活動を始めたときの無知さ加減と、その後の成長の対比という点で、ビースティ・ボーイズに比較されてるらしいね。今の政治的な声の多くは、身体と個人に焦点が合いすぎてるような気がする。自分の感情体験、自分の心の反応、自分の立場といった具合に。いかに境界を越えるかを示すお手本の多くが、個人的姿勢の域に留まっている。タイラーしかり、ヤング・サグ(Young Thug)しかり、リル・ナズ・X(Lil Nas X)、ミーガン・ジー・スタリオン(Megan Thee Stallion)、カーディ・B(Cardi B)も、それは「自分は何だってなりたいものになれる」という精神そのものだ。時が経てば、そこから何が生まれるかはわからないけど、そうしたものは、社会の成り立ちを動かす声とは少し違う。

カルチャーの流れは速い。そしてカルチャーを取り巻くビジネスもどんどん動いていく。教えるのが好きなのは、僕に挑戦してくる若者たちが周りにいてくれるからなんだ。物を書くことにせよ、教えることにせよ、こうした仕事が少しでも実を結ぶには、若者たちが何らかの答えを見つけてくれるだろうと信じるしか手はない。

これまでの資本主義全盛期のほうが、線引きがどこにあるのかを見極めやすかったし、明らかに搾取的だから、悪を指摘するのもずっと簡単だった。90年代とジン カルチャーについていろいろ本を読んでいるんだけど、振り返ると、そういう諸々すべてが、いかにカルチャーを若い世代に再び売りつけるかというシステムに収斂していったのがすごくよくわかる。これが資本主義の特徴なのかと考えさせられるよ。

シューは周縁の存在を愛し、他の人間なら捨て去りかねない物たちを集めるコレクターだ。

H.T.ツィアンは映画の『フェアウェル』にどんな感想を持っただろう?

まずA24って会社が何か、説明してやらないと。でも、その質問は難しいな、ツィアンの政治スタンスは妙に反動的だったからね。羨ましがるかも。「俺だって出られたのに」って。ただ、こういうより大きな文化の構造が、煎じ詰めるとメロドラマの中で個人がとる選択に行き着き得ることに、違和感を持ちそうな気がする。

H.T.ツィアンについて僕がすごいと思うのは、彼の初版本を見つけるたびに、必ず署名があることなんだ。彼は誰かに対面で本を買わせ、相手のためにサインした。今僕らがいるようなレストランに入っていって、「私の本を買ってください」ってね。彼にとって文化がどう動いていくかというモデルは、誰かをこういう思想とかキャラクターに強制的に向き合わせることの上に成り立っていたから、彼なら、『フェアウェル』の家族の物語よりも、もっと摩擦のあるものを望んだだろうな。みんながお互いに愛し合ってるという平衡状態に、すべてが回帰する物語ではなくてね。

評論とキュレーションをつなぐものとは何だと思う?

どちらの仕事も世界にビジョンを提示することだけど、キュレーションに参加して初めて気づいたことがある。キュレーションというのは、実ははるかに特異なものなんだ。MOCAの展覧会を企画したとき、僕の取り組み方は、常にライター的だった。つまり、あれもこれも全部取り上げておかなきゃ、というふうに。でも、MOCAの学芸員のハーブ(Herb)とアンドリュー(Andrew)に言われたんだ。「いや、これは僕らなんだ。これが僕らの仕事なんだ。何もかもを入れる必要はない。すべてを詰め込んだら、圧倒的すぎて観る人が受け止められなくなる。あなたが展覧会に欲しいものを選ぶだけでいい。それが展覧会なんだ」とね。それで目を開かされた。物書きは誰かに何か書き落としたと指摘されはしないかと、いつも身構えているから。

火事のことを読むのはつらかった。ああいった喪失体験をあなたはどう消化するんだろう?

アーカイブを管理し、そこで働く人たちのことを考えると胸が痛むよ。今、僕らが生きている世の中では、ミニマリズムとか物を手放すことが賞賛される。そのことにはそれなりの立派な理由がある。僕らが暮らす環境の危機的状況を見れば、単に物を所有するためだけに新たに物を生産するのは馬鹿げたことに見えるし。でも、僕は昔から自分の人生を取り巻くガラクタ、両親の人生や祖父母たちの人生にまつわるガラクタにどうしても惹かれてしまうんだ。

僕は両親が持っていたモノたちに魅せられながら育った。うちはいつも、郊外の2階建ての家に住むことが多かったんだけど、引っ越すたびに、両親は台湾から持ってきたいろいろなモノのコレクションを減らしていった。ガレージに小さな本棚があって、アルビン・トフラー(Alvin Toffler)の『未来の衝撃』とか、ニクソン(Nixon)大統領の訪中関連の本とか、母が集めた奴隷制と白人の優越性についての急進的なパンフレットなんかが並んでいた。長い年月を生き延びたにしては、すごく雑多な物たちの集積だったんだけど、それらは確かに生き延びたんだ。そうやってとっておいた物たちを両親がなぜとっておいたのか、その理由には意図のようなものはたいしてなかったんだろうけど、ふたりが特定の品々をすごく大事にしていることは伝わってきた。例えば、母が移民してきたとき持ってきた鞄とかね。その鞄は今でも僕が時々使ってる。祖母がつけていたネックレスもそうだ。誰かがリサイクルショップで見つけるような、何の価値もないような品々が、両親にとっては意味のある物たちだった。そして、ふたりが意味を見出さない物もあって、僕は、いうなれば、そういうものの意味を見つける責任を引き受けた。MOCAのコレクションは、そうした物たちが山ほどあったという意味で特別だった。ジャック・チェン(Jack Tchen)とチャーリー・ライ(Charlie Lai)がゴミ箱あさりで見つけたような物たちがね。火事で失われてしまったことはすごく悲しい。でもああいったコレクションのいいところは、他の人たちの品々で、また築き上げられることなんだ。

自分の家族の歴史に対してある種の責任感を持っているということなのかな。

そういう言い方をすると、それはまったく馬鹿げて聞こえてしまうなあ。

なぜ?

これは一つには、世代の問題なんだ。移民世代はとにかく生き抜いて、明日を見ることだけに必死だ。そしてある程度の安定を手に入れると、その子どもたちが、いろんな物にこだわるというか、真剣に考えたりするようになる場合もあるんだよ。今度の本を書いてるおかげで、僕は90年代のヘンテコなビラやチラシや記念品なんかを集めたい欲にますます火がついた。それは僕の蒐集癖を満たしてくれるけど、同時に、ずっと集めてきたたくさんのものを、今、この時のために手放せそうな気にもなっている。

お別れの儀式をしないとね。

これまで21年間、クッション付きの封筒に入れて持ち歩いてきた物たちをついに手放せるんだものね。

例えばどんな物?

手紙、レシート、古い煙草の箱、飛行機のチケット。そういったものが全部、この一つの瞬間に繋がってる。

手放したらすっきりしそう?

たぶん、実際に書くことほどではないかな。ただ、この本を書くことになったおかげで、1998年に聴くのをきっぱりとやめた曲ばかり入れたプレイリストをずっと聴いててね。友人が死んだ後、その日まで聴いていたほぼすべての音楽を聴くのをやめて、自分の人格をいわば再起動して、まったく新しいものを聴くようになった。だから、90年代半ばに流行った、どこか脆いインディーポップスのこういうプレイリストを聴くのは久しぶりだった。今聴くと、すごくいろんな感情が沸いてくるよ。

図書館で執筆することは気に入ってる?

かつて社会がこうしたものを万人に向けて提供していたということに、建物に入るたびに圧倒されてしまう。もっとも、最近では図書館に来るのは主に観光客だけどね。すごくインスタ映えするから。でも図書館のそういう一面も好きなんだ。僕らは自分たちの狭いセンターにいて、くそ真面目にプロジェクトに向き合ってるけど、トイレに行こうと一歩外に出れば、誰も僕らのやってることなんか気にも留めない。それは僕にとって、注意書きみたいなものだ。肩に力を入れすぎるなっていう。僕の仕事場にいるこの人たちは全員、僕のプロジェクトなんてどうでもいい。彼らが僕に望むのは、トイレの場所を教えることだけなんだって。

Ross Scaranoはブルックリンで活動するライターであり、エディターである

  • インタビュー: Ross Scarano
  • 写真: Caroline Tompkins
  • 翻訳: Atsuko Saisho
  • Date: March 23, 2020