松任谷万璃と初音ミク:不特定多数が作るスター
サウンド アーティストが、ホログラフのポップ スターと合成音声を語る
- インタビュー: Charlie Robin Jones
- 写真: Haw-Lin Services

「音楽には20年毎に革命が起きると言った、音楽雑誌のジャーナリストがいました。1967にはウッドストックと各地の都市にヒッピーが集結した『サマー オブ ラブ』、 1987年にはレイブ、そして2007年には別のクリエイションが盛り上がりました。ドラッグには無関係で、インターネットが基盤で、口コミでエネルギーが拡散していったんです」
ベルリンを拠点に活動するサウンド アーティストの松任谷万璃は、最初の本当に超ビッグなバーチャル ポップ スターが誕生した経緯を説明する。初音ミク、ボーカロイドと呼ばれる音声合成技術に与えられた少女のホログラフだ。初音ミクに魅せられた松任谷が中心となって、ローレル・ヘイロー(Laurel Halo)が音楽、ダレン・ジョンソン(Darren Johnston)が振り付け、ラターボ・アベドン(LaTurbo Avedon)がビジュアル アート、マルティン・ズルツァー(Martin Sulzer)が3D アートをそれぞれ担当したコラボレーション「Still Be Here」が完成した。この作品は一連の素晴らしいビデオとライブ(正しくは、ライブに見える)パフォーマンスで構成され、エッセイその他を援用して、初音ミクが自分の歌を通して自分自身と向き合う。9月22日の最終公演は、ハーグのTodaysArtFestivalで開催予定。「私は声から出発するんです。声は正直だから。コントロールしてるつもりでも、声は持ち主の内面を伝えることがあります」。 松任谷の仕事は「ふたつの面があります。聴かせたいサウンドの投影、そしてサウンドを発している存在の本当の姿」

「Still Be Here」以前に松任谷が手がけたプロジェクトはすべて、デジタルによる増幅と人間の声が露呈するもの隠蔽するものの中間領域に位置した。蒸発する水分の輪をボリュームの増減スイッチに変え、松任谷自身の声のサンプルを起動するサイボーグ ウィッグに「意味と結び付かないマン−マシン生成の詩」を語らせ、大人には聞こえない周波数で演奏される童謡を書いた。合成音声の伝達能力に注目するベルリンの実験的なラジオ局Cashmere Radioでは、新番組でそのような活動分野の探究を継続していく。「視覚と聴覚両方のアバターを使うことで、私たちの知覚の境界を超える自由が生まれるんです。同時に、高尚なアートに認められている過剰な意味付けを消滅させることができます」。これらの写真で松任谷が着けているマスクは、同じ力学に異なる角度からアプローチする手段だ。「現実と想像を隔てる空間を移動する、何かに『なる』動き。コスプレやカラオケはその最たる例です」

松任谷が打ち込んでいる、話す−聞くという通常の身体的な関係から声を切り離す行為は、無理なく初音ミクに結び付く。ブランドのコンテンツがアニメーションとして落とし込まれ、それ自体で疑問の余地のないポップ スターになった初音ミクは、史上もっとも大きな成功を収めたネイティブ広告かもしれない。3D ホログラフの体を与えられたミクは、世界中でコンサートを開き、登場した歌は10万曲を上回る。そう、「10万」は誤植ではない。世界の何百万人というファンが、クリエイティブ・コモンズ(Creative Commons)のライセンスを利用して初音ミクの音楽を作るのだから。だが初音ミクは、見かけに相違して、進化人類でもないし脱資本主義でもない。札幌に本社を置くクリプトン・フューチャー・メディア株式会社に作られたミクがデビューを飾ったのは10年前、同社のボーカロイド ソフトウェアの広告だった。歌とこのソフトウェアの関係は、要するにドラム セットとRoland 808 ドラム マシンの関係だ。初音ミクという名前は「未来からやってきた最初のサウンド」を意味するが、2017を迎えた現在、ミクはほとんど古めかしく見える。 2013年Louis VuittonショーでMarc Jacobsとコラボレーション、2014年のレディー・ガガ コンサートでオープニング、同年の深夜トーク番組「デイヴィッド・レターマン(David Letterman)ショー」でパフォーマンス等々、西欧世界での脚光は短命ながら華やかだった。ミクには、何かとても古くから存在するもの、とても「人間」的なものがある。事実、ミクと繋がるのは、進化人類世界の可能性より、はるか昔から人間が共有してきたトーテム、すなわち、共同体によって作られ共同体に奉仕する表象である。

どういう経緯で、初音ミクの仕事をするようになったんですか?
私の仕事は、音声を出発点にしてるんです。有機的な「本物」の声もずいぶん扱いましたが、その後、自動音声や合成音声を取り上げるようになりました。初音ミクを作った会社では、女優の声を録音して、それを非常に短い基本的な音の要素に挿入して、それぞれの部分を合成して元に戻して、初音ミクの歌声にするわけです。歌詞とメロディーを入力すると、初音ミクが歌った歌になる。それまで、声は合成されてなかったんです。シンセサイザーは弦楽器のパートでも管楽器のパートでも、何でも演奏できたけど、声の代用はありませんでした。
つまり、メロディーだけが存在してたわけですね。実際のところ、初音ミクは歌わせるより、話させるほうが難しいのではありませんか?
ええ、歌うだけのボーカロイドだから。ひとりで喋らせたら、聞いている側としては自分自身を投影するのはなく一歩引いたところから聞く、いわばブレヒト風のものになるでしょうね。


すべてが強烈にブレヒト風ではありませんか?
パフォーマンスって、そういうもんじゃないかしら。初音ミクは常にパフォーマンスを行う存在として利用される。同時に、絶対的に「もうひとりのあなた」です。初音ミクを作って、初音ミクが行動の主体であるふりをしているけど、実際は、100%作った人の反映です。
初音ミクには非常に大きなファン文化があります。それとあなたの仕事は、どのように作用しますか?
世界中にすごい数のファンがいますからね! 基本的に、そのファンの世界で初音ミクの全体像が作られるのです。クリエイティブ・コモンズ(Creative Commons)のライセンスを利用して、初音がダンスをするときの背景と動きが無数のファイルとして作成されます。私たちがそういうファイルから利用した既存の要素もありますが、もちろんその後、ラターボ アベドン(LaTurbo Avedon)の創作もアップロードされました。 初音との関係には、ふたつの面があります。ディストピア的な「主人と奴隷」の関係を投影する場合、初音は肉体を持たない体に囚われたデジタルの魂というキャラクターです。でも最近では、単なる道具として使われることもあります。初音を誕生させたクリエイターでさえ道具だと考えているし、感情的な思い入れはまったくないと、インタビューで答えています。つまり、非常に空想的か非常に事務的か、どちらかですね。
あなたから見て、どちらが不気味ですか?
不気味?
あの異様な現象のどちら側ですか? たまたま肉体を持たない、本物のポップ スターがいる。その対極は、単なるコードの連なり、道具という定義です。初音ミクは同時に両方として存在します。操り人形であることを歌って、しかも生みの父は彼女を一連のコードとみなしている。
それで私たち自身の内面がずいぶん明るみに出ると思いませんか? 初音を自分流に定義して、望みどおりに動かす。 ファンについても、同じことが言えます。結局のところ、初音に関して何を認めて何を認めないか、それを決めるのはファンですから。そういう監視的な側面は、非常に面白いです。実は初音が妊娠してるバージョンをダウンロードできたんだけど、1週間後には削除されました。別のウェディング ドレスを着てるバージョンは、すごく注目を集めたんです。ファンとしては「誰と結婚するの?」が気になったみたいで、 「僕たちの」ミクと呼んでました。私たちアーティストが違う方法で初音を使おうとしたときも、かなり意見が分かれました。コアなファンの機嫌は損ねたくないですからね。

変身願望でもあるんですね。あまりに社会が窮屈だから、みんな違うものになりたいと思ってる
「オタクたちを怒らせるな」。クリエイティブなプロジェクトをやるときの、第一のルールですね。ただし敢えて戦いを挑むなら、「僕たちの」ミクと信じることが不自然なのは、自分とは別の存在を所有する、支配するという考え方に通じるからです。初音が実際は別の存在ではないことは別としても、空恐ろしいですよ。初音はコードに過ぎないんですから。
だから、誰も傷つくことはないんじゃありませんか? 初音が単なる表現で、感情や人間らしい共感を持たないのなら、コードや描画にすぎません。でも、初音が存在しないとは言いたくないですね。私は初音が存在してると思ってますから。ただ肉体を持った人間ではないだけです。実際に被害を被る人がいないのなら、初音を貶める方法で扱うのは悪いことでしょうか? 私には答えられません。
何十万もの人が16歳の女生徒を通じて歌うときは、なんと言うか、自己は消滅するのではありませんか? それに関して、あなたの別の作品を思い出すんです。例えば、あなたがパフォーマンスした サイボーグ シンギング…
「サイボーグ シンギング」は、自分と声を完全に肉体から取り出すプロジェクトでした。人体の働きの延長というか、増大というか。ウィッグをつけて、白い手袋をして、自分作の楽器を使いましたが、ウィッグの内側に加速度計、手袋にセンサーがあって、それで私の声のサンプルが動作する仕組みです。サウンド自体は予め録音した音素から選んだので、言うなれば、初音と切り貼りしたウィリアム・バロウズ(William Burroughs)とウィジャ ボードのミックスって感じかしら。ミックスされて、言葉、あるいは言葉のように聞こえるものが生成されてアウトプットになるわけだから。何に聞こえるかは、聞き手次第。
音声はテクノロジーとのインターフェイスになりつつありますが、私たちが形成する社会に対して、それはどんな意味を持つでしょうか? 「シリ」や「アレクサ」が女性として分類される現実は、非常に多くを物語っていますね。
私もびっくりしました。「シリ」は女性の声に聞こえたのに、ダウンロードしてみたら男性の声だった。聞き手にとって魅力があるようにデザインされてるんじゃないかしら。初音の場合もそうです。特定の資本主義社会がそう求めるんです。日本では女の子の学生ものが売れる。だから、初音は制服を着てる。


実際、共同体に構築され、共同体に強化されている。それが、資本主義後の創造形態のように思えるのです。そういう解釈は単純すぎますか?
共同体に創造されているけれども、結局は、商標をつけたボーカロイド ソフトウェアを売るための企画です。初音のイメージも含めて、とても大掛かりな広告キャンペーンです。最初は女性の唇だけでボーカロイドをスタートしたのに、その後、唇からキャラクターが構築されました。現実の人間の姿ではなく、漫画のイメージになったのは、日本独特ですね。日本はそこら中漫画だらけ。自転車だってちっちゃなマッシュルームとか漫画風のトラを使って宣伝されてます。変身願望でもあるんですね。あまりに社会が窮屈だから、みんな違うものになりたいと思ってる。
面白いですね。単なるアニメではなくて、アイデンティティが関わっているのですか?
日本人のアイデンティティはアニミズムにも関連してるし、事実、いろんなものに神があると考えます。
神道は、万物に霊が宿ると考えますね。
ものを人格化することは珍しくありません。だから、初音を本当の人間と考えるのも簡単なんです。アメリカやヨーロッパのYouTubeでは、反発があったんですよ。「こりゃなんだ? なんで、こんなものを信じるんだ? 大金を払ってまでコンサートで見ようとする人間が、どうしてそんなに沢山いるんだ?」って。もちろん、日本人だって初音が本物の人間はないことは知ってますよ。でもファンが一堂に会すると、そんな知識は重要でなくなる。本当は人間じゃないという認識がファンを結び付けて、さらに共同体としての結束を高めるんです。私は実際にはコンサートに行ったことがないけど、行ってみたいと思ってます。ものすごいエネルギーらしいから。

私たち自身の内面がずいぶん明るみに出ると思いませんか?
完璧なポップ スターですよね。いい歌を歌わせてもらって、物理の法則に邪魔されることもなくて...。
日本のポップ界はすごくコントロールされてるから、初音を置き換えられることが好都合なんです。本物じゃない人間でも、本物と同じように役に立つ。複数の場所にも同時に存在できますしね。初音の特色は、人間のポップ スターにつきものの問題がなくて、超人間にだってなれるのに、危機や挫折を経験することです。もちろん、ほとんど作られたものですけどね。2007年から2012年にかけては初音が至る所に登場していましたが、最近は陰りが見えてます。最盛期は終わったみたい。
完全に疲弊してしまうのが、初音のいちばん人間らしい将来ですね。
その法則は決して死なないバーチャルな存在にも作用すると、私は思います。初音ミクの前にも別のバーチャル アイドルのプロジェクトがあったんですけど、今も残っているのは、すごく古いウェブサイトといくつかのファンからのコメントだけで、それもだんだん少なくなってます。90年代のプロジェクトで、まだホログラムの技術もなかったけど、ミュージック ビデオもあって、一時期は人気があったんですよ。それから、消えちゃった。
悲しいですね。
とても悲しい話だけど、人間が辿る道と同じでしょう? 束の間の名声。永遠にスポットライトを浴びる人はいないんです。
- インタビュー: Charlie Robin Jones
- 写真: Haw-Lin Services