デジ・サンティアゴの本当の正体
彫刻家兼インスタレーション アーティストが、クラブ キッドとしての過去とラグジュアリーを融合させる
- 文: Durga Chew-Bose
- インタビュー: Adam Wray
- 画像提供: Desi Santiago

ここ数十年の間に、デジ・サンティアゴ(Desi Santiago)は、実績のあるコラボレーター、そして先駆的なクリエイティブ ディレクターとしての地位を確立した。彼は、これまでOpening Ceremony、Loewe、Y-3といったブランドの世界観を描いてきた。また今年4月にはミラノ デザイン ウィークにおいて、Cartierの依頼で工業をテーマに「Precious Garage」と題した期間限定の展示を手掛けた。最大の目玉となったのは、天井から吊るされた黄金に光るコルベットだ。
サンティアゴの錬金術のごとき能力の源泉は、アイデアの捉え方だ。彼に向ってやってくる、あるいは、まるで夢を見るかのように無意識のうちに彼に降りてくるアイデアの数々は、非現実的要素を含みつつも、彼自身の出自に多少なりとも関連している。ニュージャージー出身のプエルトリコ系アメリカ人で、パーソンズ美術大学で金属細工を専攻するも中退したサンティアゴは、90年代にはニューヨークのクラブ キッドとして名を成した。マスクをつけては頻繁に容貌を変え、デジ・モンスター(Desi Monster)として、ライムライトといったクラブに出入りしていた。そんなクラブ通いの時代は、遠い昔の話だ。しかし、ライトに照らされ、踊り疲れた体に再び活力を吹き込む音楽に感情を掻き立てられながら過ごした時代の影響は彼の中で存在し続ける。だから彼は、インサイダーでありながらアウトサイダー的立場をとり、自己を定義付けないが完全に自分を見失うことはしない、という幻想を生きる。
「いつもまず意識するのは、誘惑するってことだ」。サンティアゴは、仕事の端緒をこう表現する。「そういう意識は持っている。誘惑という言葉をあえて使わなかったとしても、自分の感覚としては、観る人をいかに誘惑するかってことなんだ」。彼が手掛けた数々のプロジェクトは、直感的で一瞬にして人を惹きつける。それらは、マイケル・パウエル(Michael Powell)とエメリック・プレスバーガー(Emeric Pressburger)が監督した映画「赤い靴」での幻惑的な最後のバレエシーンを思い起こさせる。そこでは、現実主義が放棄され、潜在意識にあるものが優先される。「俺にとっては何でも、最後は必ず『身体』に帰結するんだ。彫刻だろうと、インスタレーションだろうと、生身の人間の経験が、建築やオブジェよりも勝る」と彼は言う。「身体的な経験は、人の記憶となる何かを提示する重要な機会だ。俺がクラブ キッドの頃だって、自分がどういう格好をしていたかを覚えている。たとえ俺を見たのが一瞬だったとしても、その人間の記憶に俺が刻み込まれているんだ、そうだろ?」そう語る彼の言葉は、言い得て妙だ。サンティアゴが織りなす世界観は、忘れがたい記憶を残す。と同時に、見た人はこう自問せずにはいられない。「今見たものは、現実だろうか。それとも単に自分の想像だったんだろうか」と。

アダム・レイ(Adam Wray)
デジ・サンティアゴ(Desi Santiago)
アダム・レイ(Adam Wray):あなたのファッション界における直近の活動は、ミラノ サローネ国際家具見本市で、サン レモ ガレージを会場にして行われたCartierとのコラボレーションでしたね。あのプロジェクトのどこに惹かれたんですか?
デジ・サンティアゴ(Desi Santiago):Cartierは、俺が高臨場感型インスタレーションを手掛けていて、Louis Vuittonや Alexander McQueenともコラボしているのを知って、声をかけてきたんだ。ミラノサローネでCartierがやりたかったのは、完全に既成概念を破ることだった。Cartierはもともと、日常的なものに解釈を加えて、最高峰のラグジュアリーに仕立てるコレクションをやっていた。俺も前からずっと、そういうことに興味があったんだ。たとえば何かを意味する記号、シンボルや原型を用いて、別次元へと高めたり、単にミックスしたりすることで、縦横無尽な広がりをもった何かを作ることにね。どういった形でそれを実施するかは重要だし、精密さも必要だ。俺の作品は明らかにもっと極端だけど、彼らはさまざまな解釈に聞く耳を持ってくれた。Cartierは若い頃から憧れの存在だったし、俺は美術大学で金属細工を学んでいたんだ。前世では、ジュエリーデザイナーだったに違いないな。おじもジュエリーデザイナーだったし、祖父はプエルトリコの製鋼所で働いていた時、鋼鉄のくずから自分の娘にジュエリーを作ってやっていた。だから俺のDNAに刻まれているんだ。
多くの有名ブランドとのコレボレーションや、あなたが仕事上インスタレーションを設置するスペース、たとえばホテルといった場所には、往々にして一定の制約がつきまといますが。
その点では俺はかなり恵まれている。自分のプロジェクトに関しては、かなりの権限を与えられてきたから。それに、ある程度の制限要因があることを理解して、その範囲内で何ができるかを考えられなかったら、腕のいいコレボレーターとは言えないだろ?若い頃は、パーティーばっかり開いていて、それからナイト クラブのアート ディレクションをやるようになった。そこから空間というものに向き合うようになって、ライティングとか、錯覚がもたらす効果や、煙やら鏡やらを使うようになった。衣装もたくさん手掛けたし、ジュエリーもやった。それから彫刻を学ぶために大学院にも行った。ありとあらゆるものが互いに関連しているんだ。俺はずっと、真のアーティストとして認められるためには、ギャラリー界からお墨付きをもらうことが必要だと思っていた。俺のファッション的な側面や、クラブ キッドとしての側面は、自分の作品が一流ギャラリーで展示されるようなって初めて認められたことになるってね。けど、大学院生だった時に、ある瞬間、気づいたんだ。俺がやる全てのこと、創り出す全てのものは、俺が誰であるか、そして何たるかによって決まる。だから全て、俺独自のものなんだってね。それに気がついた途端、すごく気が楽になったよ。
あなたが行動を起こすとき、世の中に向けて何かを送りだすとき、自分の中に迷いは残っているのでしょうか。それとも、その過程で迷いが消えるものなのでしょうか?
いまだに自問自答しながらやっているよ。それは必要なことだと思う。


あなたの作品の多くは、アーティストやブランドとのコラボレーションです。良いコラボレーションには何が必要ですか?
精神と精神で対話すること。俺は、人の表現方法、人が視覚的にどうコミュニケーションをとっているかをうまく理解できるようになってきた。同じような意志を持ったアーティストと一緒にいると、まるで二つの新しい表現手段が生まれたようで、対話することができるんだ。
それ自体がスキルですね。
自分の心を開いて、直感を信じることの一環だ。俺は、自分から出て行って売り込みをかけるようなことは絶対しない。それは全く戦略的じゃないないから。いつも俺は、洞窟、つまり一種の心理的洞窟に一人で座っている自分を想像している。そこへ、誰かが俺を訪ねてきて、そこから物事が転がりだすんだ。
直感を信じたことで、方向性を見失ったことはありますか
ないな。いつもいい結果につながった。小さい頃は、大人になったら自分がどうなってるんだろうって、よく想像していた。その頃から、自分がどこで何をしたいか、なんとなくわかっていたんだ。クリエイティブな世界でやっていきたいってね。だから俺は今まで、自分の歩む道を妨げる周囲の雑音をできるだけ排除しようとしてきた。
若かった頃、クリエイティブな世界を目指したいと明確に思った、ある特定の瞬間はありましたか?
こういう人生を生きたいって、自分でずっとわかっていたと思う。心の奥底でね。俺には兄がいたんだけど、亡くなってしまった。兄は13歳年上で、俺にアート、ファッション、音楽への扉を開いてくれた。
お兄さんはDJだったんですよね?
ああ、その通り。抜群のセンスの持ち主だった。ファッションも好きだった。俺は、いつも兄の気に障ることばっかりする嫌な弟だった。彼が夜でかけると、部屋に忍び込んで、レコードをあさっていたんだ。グレイス・ジョーンズ、ニナ・ハーゲン、クラウス・ノミなんかのレコードがあった。当時、俺はかなり幼かったけど、既にそういうものに興味をそそられた。兄はゲイでもあった。だから、その意味でも、俺の手本なんだ。彼が亡くなった時、なんとなくそのバトンを俺が引き継いだ。兄は俺よりもだいぶシャイで、俺の方がずっと自分に自信をもっていた。だから俺が、彼の思いを受け継いでいかないと、って思ったんだ。
今、手掛けているシアター プロジェクトについて教えて下さい。
「Seeing You」というタイトルで、観客があたかも実体験してるかのような感覚を味わえる高臨場型劇場体験のプロジェクトなんだ。監督兼クリエイターのランディ・ワイナー(Randy Weiner) と監督兼振付師のライアン・ハフィントン(Ryan Huffington)とのコラボだよ。ライアンとは数年来の友達なんだ。ランディとライアンが劇を一緒に手掛けることになって、俺に衣装と舞台セットをやってくれないかって連絡をくれた。舞台設定は1940年代、第二次世界大戦中のニュージャージー州のホーボーケン。4人の若者が徴兵されて、その中の一人が熱にうなされて見る夢の中の世界で、戦争に対する不安を描きながら話が展開していく。劇中では空間的な仕掛けが色々あるから、空間に対する概念を変わるのが体験できるんだ。

どの程度、あるいはどのように実体験のような臨場感を味わえるのですか?
会場には120人の観客が入るんだけど、基本的にはホーボーケンの街を体験するんだ。観客は、小さいグループに分かれて、空間的な仕掛けを体験する。一部の観客は個人的に1対1の経験もする。実験的な試みであることは間違いない。
劇中では、登場人物が熱にうなされて見る夢を中心に話が展開していくそうですが、ご自身の夢はよく覚えているほうですか?
かなりの頻度で夢は覚えているよ。夢は、波のように次々押し寄せてくるんだ。シリーズのように互いに関連している夢は覚えているけど、しばらく忘れてるものもある。
夢には何らかの意味があると考えますか?
全ての夢とは言わないけど、繰り返される夢にはね。俺の人生で、繰り返されてきた夢が2つあるんだ。一つは、俺がどこかにいて、建物群を見ていると、巨大な津波のような水の壁が現れて、それが押し寄せる直前に目が覚める。これは子供の頃から繰り返し見ている。もう一つは、いわゆる金縛りにあう夢だ。

怖いですね。私自身は経験したことないですが。
そうか、君はラッキーだね。俺は金縛りの夢を見たことがあるし、母も祖母もきょうだいたちも経験しているけど、あれはすごく恐ろしいよ!恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい。部屋にあるベッドで横になっていて、動けない。息を吸おうとする。ありったけのエネルギーを注いで、指を一本動かそうと集中しなければならない。ものすごい労力が必要で、その間、息ができない。やっと指を一本動かせた瞬間、金縛りが解けて目が覚めるんだ。
先程、シンボルに興味があると言っていましたが。
おそらく、自然と興味が植え付けられていたんだろう。俺の両親はバーを経営していて、俺はそこで育ったんだ。バーの上階に住んでいたよ。そして俺は今、人が集まったり参加したりする場を創ることを生業としている。両親の店には、競馬のブックメーカーたちがよく出入りしていたし、プエルトリコ文化も身近にあった。例えば、数字が持つ重要性。数字は、家族にとっていつも重要なものだった。もし誰かの家に行ったら、その日の競馬で、そこの住所の番地に賭けたりとかね。アーティストとしての考え方、クリエイティブ界で駆け出しだった頃の考え方は、そういったものが指し示す意味を直感的に辿っていって、その方向へ進んでいくことだった。
クラブ キッド時代を含む初期の頃には、あなたはアイデンティティに関わる、かなり極端で実験的な領域に多く手を出していたように思います。それらにおいては、マスクが決定的な意味合いをもっていました。あなたのマスクに対する興味は
マスクは、いつも俺の活動の一部だった。多くの人は、長い間、俺の顔を見たことがなかった。俺は外見を色々いじってみるのが好きだったし、神話にも前から興味があった。だから、常に姿形を変える架空の人物を演じることにしたんだ。時によっては、俺はファッション界の人間じゃなくなり、アートの世界の人間でなくなり、シアターの世界の人間でなくなることがある。だから俺はいつも外から内側の世界を見ているような存在で、マスクはいわばその2つの世界をつなげる架け橋なんだ。
- 文: Durga Chew-Bose
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