いつか
今とは違う時


ヒルトン・アルスの追憶

  • 文: Hilton Als
  • アートワーク: Camille Leblanc-Murray

このスイムスーツを着ていたときの僕について、何か書いてほしいと依頼された。これはかなり努力を要する作業だ。かつての僕、当時の僕のことを書こうと思ったら、幾人かの体の上を這い戻らなくてはならない。もちろん本物の体じゃない。いくら過去から、あるいは過去の状況から自由になろうとしても、いまだに僕の中に残っている彼らの記憶だ。そこには、このスイムスーツを着てこの写真を撮られた日の夜も入っている。

辛くないふりを装ってはいたけれど、あれは辛い時期だった。想いを寄せる相手をうるさく悩ましたりしなければ、僕が望む愛は直にやって来るんじゃないか。そんな希望をまだ捨てなかったことだけが、苦しみの原因だったかもしれない。何も求めなければ、僕の望みを口にしなければ、彼は戻ってくるかもしれない。とんだお笑い草だ。僕が取り戻したかったのは、ジャン・ジュネ(Jean Genet)のページから抜け出たような青年だった。ここではBと呼ぶことにしよう。実際のところ、映画監督のトッド・ヘインズ(Todd Haynes)は、ジュネの小説に触発されて『ポイズン』の制作を準備していたとき、Bに出演を依頼して断られたのだ。

Bは、美しくて寡黙なユダヤ人の青年だった。彼の沈黙にはとても力があった。彼が考えていることを知りたいと願い続け、一方で、彼が首を縦に振ったらどんな気持ちだろうと思い巡らしてしまう、そんな青年だった。まだふたりとも30前だったあの頃の1年間、僕たちは恋人だった。このスイムスーツを買う何年か前のことだ。一緒に過ごした1年でわかったことのひとつは、彼が自分を嫌悪し、ニュージャージーの出身であることを嫌悪し、母がシオニスト団体「ハダッサ」のメンバーであることを嫌悪し、その母が知りうる限りのあらゆる方法で彼を甘やかしたのを嫌悪していたことだ。彼はアーティストではなかったが、ニューヨークで記号論的なアートの道へ進むことに冷え冷えとした魅力を感じていた。彼は、何かを作れるほど長い時間、気を休めることは決してできなかった。ユダヤ人であり、美しく、彼なしには存在しない何かの一部であるという事実を、僕は彼に納得させようとした。わからせたいと思った。

僕たちはもう数か月前に終わっていたのに、離れることができなかった。だから、当時僕が仕事をしていた雑誌の編集者から、夏を過ごすために借りた別荘へ来ないかと誘われたとき、僕は外国から訪れていた以前の学友と別れた恋人を同伴することを了承してもらった。今考えると、ふたりも一緒に連れて行ったのは、僕自身のために予防線を張る手段だった。上司にあたる編集者は僕を気に入っていたし、多分愛情を感じていただろう。だが、忌避され、愛の破片さえもない状態にすっかり絡めとられていた僕が、どうして彼の誘いに気持ちを向けられただろうか?

ハンプトンズの少しはずれにある貸別荘へ行って、僕は初めてエクスタシーをやった。効き目が現れると、報われない恋人への圧倒的な恋慕は感じなくなった。それより泳ぎたかった。このスイミングスーツを着たのはそのときだ。貸別荘にはプールもあったので、僕は何度も折り返して泳ぎ続け、水と僕自身に関する僕自身の思考に抱擁されている気分を味わった。泳いだ後は、みんなでハンプトンズのゲイ クラブへ行き、シンセサイザーの音楽に合わせて踊った。別荘へ戻ってBと一緒の部屋へ入ったとき、やはり愛はなかった。愛の不在は時として欲望を掻き立てる。僕はBをいくぶん手荒に扱い、最後は別々のベッドで眠りに落ちたことを覚えている。僕たちは、眠るベッドも違っていたし、それぞれに考える愛も違っていた。

別れることになった冬、僕たちはパリやロンドンへ最後の旅行をした。「僕たちふたりのためにいいはずだ」とBは言った。彼が別れたがっているのはわかっていたのに、ともかく一緒に出かけたのは、いくら現実と矛盾していようが、僕は希望を捨てきれなかったからだ。Bは20代の数年をフランスで過ごしていたから、フランス語を話すことができた。ホテルへ入ったとき、彼がコンシェルジュに何を話しているのか、部屋へ案内されるまで僕にはわからなかった。彼はツイン ルームを指示していたのだ。僕たちはアメリカでも別々のベッドだったから、同じことだった。僕は僕を愛せないものを愛した。

スイムスーツはロウワー ブロードウェイのCheap Jack'sで買ったものだ。ウールなので水に浸かったら重くなる、などということは考えもしなかった。買った理由は、僕はずっと1920年代の水着のスタイルが好きだったから。それに、一時期にせよ素晴らしい友人であった青年も、写真に写っているようなスイムスーツが好きだったからだ。ハンプトンズのクラブへ繰り出すとき、僕はスイムスーツを乾かすために出しておいた。そして、僕がその部屋に坐り、Bが受け容れてくれさえしたらと愛を無理強いしているあいだ、ぽたりぽたりと雫を垂らし続けた。外国から僕に会いに来ていた友人が借りた車で、僕たちはクラブから別荘へ戻り、それから夜遅い便で帰国する彼をケネディ空港まで送った。道中、僕は、その前の年にエイズで逝った親友が僕のために作ってくれたテープをかけた。ニコ(Nico)の「60/40」が入っていた。ところが、エクスタシーでさえ何も引き起こさなかった今ではずいぶん昔の夏の宵に、すごく疲れていた僕はテープを車に置き忘れてしまった。僕を愛してくれた誰かが、僕に遺した唯一のものだった。だから僕は大騒ぎした。

結局、テープは無事に手元に戻ってきた。逝ってしまった彼は、僕のと同じようなスイムスーツを買ったことがあったが、彼のはArmaniだったし、コットンだった。それを着たときの彼の若々しい肉体を覚えている。彼がいるからこそ、どんなに一生懸命忘れようとしても、本当にすべてを忘れたいとは僕は思っていないのだ。

Hilton Alsは、アメリカのライター、キュレーター、演劇評論家

  • 文: Hilton Als
  • アートワーク: Camille Leblanc-Murray
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: October 27, 2020