デザイン ディレクターとの対話:エリック・フー

新しいアイデンティティへ向かうSSENSE

  • インタビュー: Tony Wang
  • 写真: Thomas McCarty

もし気付いていないなら言っておくが、このサイトは今までとは違う。ロゴ、タイポグラフィ、デザイン...すべてが新しくなった。SSENSEの核を成すアイデンティティは変わらない。だが、ブランディングの変更は、アイデンティティを流動的な概念と捉えるSSENSEの信念を明確に示し、さらに推し進めるものだ。明日、昨日の自分でいる必要はない。好きな自分になればいい。

今回の移行には、デザイン ディレクターのエリック・フー(Eric Hu)をリーダーに、SSENSE全体が一丸となって取り組んだ。

LAで生まれ育ったフーは、パサデナにあるアート センター カレッジ オブ デザインを卒業し、イェール大学で美術学修士号を取得した。ニューヨークとモントリオールを拠点とするフーは、世界的なアート集団「Eternal Dragonz」の一員でもある。ディアスポラに影響を受けた「Eternal Dragonz」の実験的な電子音楽は、シドニー、ロサンゼルス、チューリッヒにいるメンバーによって作られている。

フーが承知しているとおり、ブランディングのプロジェクトを任されたデザイナーは、天空を支える役目を与えられたギリシャの神アトラスに匹敵する責任を背負う。誰よりもブランドに精通することを期待され、会社のエッセンスを抽出してビジュアル言語に変えるという目標を達成しなくてはならない。リブランドの場合、要求される水準はさらに高くなる。会社が辿ってきた歴史を考慮する必要もあるし、新たな段階へ向かう準備ができていないファンの惰性も作用する。リブランドは、市場に向けてブランドが自ら大掛かりに展開するスペクタクルであり、安全な外野にいるデザイン評論家が幅を利かす領域だ。

ここで、フーの信念が重要な役割を果たす。フーは、単にデザインで達成しうる限界を押し広げるだけでなく、観衆の視点を新しい方向性へ向ける。何かを巧妙に隠したフーのデザインは、読者 ー 今回の場合はSSENSEの読者 ー に新しい視線を促し、既存の信念を問い直すことを求める。わずかな変更は、最初はミスと勘違いされるかもしれない。大きな変更には思わず目が吸い寄せられる。

トニー・ワン(Tony Wang)

エリック・フー(Eric Hu)

トニー・ワン:本物というのは、特にコーポレートアイデンティティーの場合、難しい言葉ですね。現在目にするブランディングの大多数は、感傷的で空疎です。

エリック・フー:本物という言葉は武器にされてきました。乱用されています。今の社会は、本物産業コンプレックス。本物であるより、本物らしく見えることを気にかける。見せかけの本物が誤った考えだということにブランドが気付けば、それだけ早く、ブランドと本当の会話が始まるんですけどね。

リブランディングは、現代企業が繰り広げるスペクタクルと言えます。ひどく裏目に出ることもある。メトロポリタン美術館やGapが新しいロゴを発表したときは、大きな反発を招きました。

リブランドは、往往にして、気分転換みたいなものです。豚に口紅を塗るようなもの。大衆は、ますます、こうした変更に敏感になっています。以前よりビジュアルに対して目が肥えているし、懐疑的です。

では、どうしてリブランドに踏み切ったのですか?

SSENSEは2003年に設立されました。だから、14歳を迎えたティーンエイジャーが、自分の声を探しているように受け取られるかもしれない。SSENSEは、成長を続けるために、自分たちを表現するに相応しい方法を見つけたいのです。時が経過すれば、当然、そぐわない部分が出てくるものです。だから、リブランドには、これまでと違うデザイン的アプローチが必要です。僕は、今回のプロジェクトをリブランドと呼ぶのは止めて、ブランド移行と呼ぶことにしました。基本を変えるのはでなく、欠けているものの隙間を埋める作業ですから。

現実こそ
究極のアートディレクター

Eric着用アイテム:シャツ(Prada)

では、ただ見せかけではなく、SSENSEを本当に移行させるプロセスに、どのような方法で取り組みましたか?

僕は、SSENSEのアイデンティティに自分たちの理念を反映したかったのです。サイトの読者にとっても、社員にとっても。分類を拒む現在のミレニアル世代の流動性を伝達したかった。どこかに属していながらどこにも属さない、そんな在り方と繋げたいと思いました。

SSENSEはかなり前にスタートしたので、SSENSEに勤務するようになる前に、個人的な関わりを持っていた社員も少なくありません。僕自身はサンフランシスコのベイ エリアの郊外で育ったので、ファッションにはほとんど興味がありませんでした。ファッションと言えば、最新のLouis VuittonやGucciのバッグを見せびらかすサッカー ママたちを連想していました。本物か偽物か知らないけど、学校の駐車場の向こうからでも、はっきりロゴが分かる。ステイタスを見せつける低俗趣味です。その後、大学2年生だった8年前に、SSENSEを知ったんです。Comme Des Garçons、Gareth Pugh、Rick Owensなどのブランドと出会って、僕のファッション観は完全に変わって、ファッション業界に興味を持つようになりました。

SSENSEに関しては、僕自身もとても個人的な話があります。僕の場合、母がファッション業界だから、ファッションに囲まれて育ったんです。でも、肥満のアジア系アメリカ人だった僕には、ファッションに関わる権利はないと感じてました。高校に入るまで、僕は格好良くなる価値がない人間だと思い込んでた。ファッションはスマートな白人のもの。雑誌が発信してたメッセージがそうでしたから。僕がSSENSEを知ったのは大学院時代、SSENSEのSoundCloudのアカウントからだったんです。僕はSSENSEのミックスが好きだったし、選ばれてるアーティストも好きだった。最初、SSENSEは音楽チャンネルだと思ってましたよ。後になって、オンライン ショップだって分かったんです。SSENSEは、僕に響く方法でファッションを伝えたわけです。ファッションに疎外感を感じなかったのは、その時が初めてでした。

反知性主義ではないけど、
多くの人を対象にした
デザインを目指したかった

アウトサイダーの視点は重要ですね。異質であることは、SSENSEの歴史を貫くパワフルな底流です。設立したのは10代のときにシリアからカナダに移住してきた3人の兄弟だし、ファッションの中心地でもテクノロジーの中心地でもないモントリオールで、ファッション テクノロジー企業を立ち上げた。社員の多くも、いわゆる従来のファッションやテクノロジーの出身ではありません。メインストリームより、社会周辺のインディペンデントなカルチャーに関心が向いているのです。

SSENSEは、常に、より広い世界に関心を持って来ました。異種混合の文化、多様性、矛盾に興味を向けます。もちろんそれも、ブランディング要素のひとつです。どうすればエレガンスと荒削りを同時に表現できるか? どうすれば、洗練されていると同時に率直な手法で、アイデンティティを浮き彫りにできるか?

Eric着用アイテム:シャツ(Prada)

SSENSEのブランド移行を通じて、分解したかった権力構造はありますか? 包含ではなく、排除の方向へ作用していた構造です。

僕はイェール大学でグラフィックデザインの修士過程に通いましたが、あそこのプログラムはとても理論的で知性的なことで定評があるんです。実際は、外から見るよりずっと手作業が多いんだけど、学校の評判に応えなきゃいけないというプレッシャーを感じることがありました。商業と無関係に制作する環境は素晴らしかったけど、アカデミックな考え方や課題に大きな割合を占めたレポートの作成が、僕にはある種の排除のような気がしました。デザインが一握りの限られた集団のものになる。反知性主義のつもりはなかったけど、僕は、より多くの人を対象にしたデザインを目指したかったんです。

「#nofilter」は
すっかり陳腐になった

SSENSEの新しいアイデンティティには、それがどう表現されていますか? 例えば、新しいタイポグラフィの採用とか?

荒削りな生の素材を、エレガントかつ上品に表現しようと思いました。例えば、ちょっと見ただけでは、当たり障りがなくて平凡に見えるけど、よく見ると本領を発揮し始めるフォント。ヘッドラインはArialのような標準フォントに見えますが、すぐに、何かがズレていることに気づくはずです。数字の「8」は上下が逆さまだし、「r」はごつごつしてるし、「s」は傾いてる。でも、段落全体は、すっきりと洗練されて見えます。補助フォントはTimes New Romanのように見えますが、あれは選択肢の中でいちばん退屈なフォントですよ。誰のコンピュータにも入ってる。でも、私たちが使っているのはTimes New Romanじゃありません。オリジナルより細くしてあるんです。ブランディングは「これなら私でもできる」から「理解できない」まで幅広い範囲があるけど、SSENSEのブランディングは「ああ、これなら、そのうち私でもできるかもしれない」というところを目指しています。そこから、いろんな野心が生まれます。

ファッション界は、白人とヘテロセクシュアルという観念に基づいて、幻想の世界を構築していました。しかし、現在のハイパーリアルなテクノロジーの時代では、ファッション界の外で生まれるイメージのほうがよほど現実で、同時に非現実な感じがします。シリアには空爆の後にポケモンGoで遊ぶ子供がいて、日本ではホログラムのポップスターのコンサートが満席。現在の現実は、幻想以上に幻想的ですね。

現在は、舞台装置を使って幻想の世界を作り出す手法から、もっとドキュメンタリーに近いスタイルへ移行しています。何カ月もアート ディレクションを詳細に検討して大掛かりなキャンペーンを仕込んでも、国会で喧嘩があって、そこで誰かがルネッサンス絵画そっくりな写真を撮るかもしれない。そしたら、そっちのほうが苦労したキャンペーンよりよく見える。現実こそ、究極のアートディレクターです。4Kのスポーツ写真と毎秒2,400コマという高速カメラが活躍する時代です。現実世界で起きている狂った出来事を捉える能力に、ファッションは対抗できません。

アーティストのジョン・ラフマン(Jon Rafman)は、時にGoogleのストリートビューのほうが人間よりいい写真を撮ることを教えてくれました。ファッション エディトリアルに、スポーツ専門の写真家を使ってもいいじゃないですか? 新しいテクノロジーや革新を受け入れてもいいじゃないですか? 本物の新しい段階としてね。「#nofilter」というハッシュダグがすっかり陳腐になったのは、見せかけの美点を発信する行為だからです。恋人が化粧をしているのに気付かないで、「化粧をしてない君のほうが好きだよ」と失言した男と同じ。ノー メイクに見せるナチュラル メイクだとも知らないで、メイクが上手なことを褒める代わりに、彼女を祭り上げた。そういうことが分からないようではダメですね。

ファッション ブランドにとっては、見せかけを受け入れることがもっとも信頼しうることではないですか?

そう思います。すべては作り物だけど、それでも世界に関心を向けている。そう伝達する方法があると思います。本物を探し求めることなく、自分の生きたいように生きられる自由を提供するべきです。その鍵は、皮肉ではなく、懐疑的な視点を後押しすることにあります。

すべては作り物だけど、
それでも世界に
関心を向けている
  • インタビュー: Tony Wang
  • 写真: Thomas McCarty
  • スタイリング: Michael the III
  • ヘア&メイクアップ: Soraya Qadi / Judy Inc.