フェイク イージー ブーストの感情吐露
ミーム クリエイターが、強迫的なオンライン行動とリル・Bの重要性を語る
- インタビュー: Adam Wray
- 画像提供: FakeYeezyBoosts

イースト バンクーバーのストラスコナ公園にあるスケートパークの横。僕は、どうにか、周囲から浮き上がって見えるように努めている。というのも、今まで会ったことがなく、写真も見たことがなく、本当の名前すら知らないインタビューの相手に、僕を見つけて欲しいからだ。簡単なDMを送り、携帯をポケットにしまっていると、手を振りながら大股でこちらへ向かってくる人物が見える。スケートパークの向こう側で、誰かが大声で叫ぶ。「スゲー、あれフェイク イージー ブースト(FakeYeezyBoosts)じゃないか??!!?」。もちろん、僕はからかわれてるんだ。分かってる。僕がここでこれから正式にインタビューする男は、ミームでオンラインとメタスペースの間の奇妙なズレを表現する。だが、URLとIRLの境界は取り払われたも同然であり、ミームこそ2010年代を決定する表現形式なのかもしれない。バイラル。参加型。際限なく混同されつつ広がる参照。僕らのミクロ時代のあらゆるクリエイティブな潮流が、ミームへと流れ込む。
ミーム自体が現代の構造を反映しているとすれば、フェイク イージー ブーストこと実名カム(Cam)は、その一端を暴いてみせる。2016年の12月にアカウントを開設して以来作ってきた一連のミームは、幅広いアンニュイを表現しつつ、若者文化の特定の傾向に付随する陳腐な特徴を突きつける。スニーカーに異常な大金を注ぎ込んだ経験者の的を射た精確さで、ファッションの流行を追いかけるハイプビーストやハイファッションの犠牲者たちを悪し様に罵り、不快なほどの的確さでテクノロジーとメンタル ヘルスの関係を浮き彫りにし、誇大な深刻さで、パーティで盛り上がることと薬物を乱用することの微妙な違いを分析する。そして、それらすべては、ただでさえ馬鹿馬鹿しいストック画像を多用した、視覚的なスタイルで提示される。
カムと話をした後、SSENSEのミームを作ってくれるように依頼した。

アダム・レイ(Adam Wray)
フェイク イージー ブースト(FakeYeezyBoosts)
アダム・レイ:ミームとジョークの違いは何でしょうか?
フェイク イージー ブースト:全部のミームが必ずしもジョークだとは、僕は思ってないんだ。個人的には、自分で作ってるものでも、おかしいとも思わないものがたくさんある。
そうですね。あなたの投稿には自己卑下の要素が多々ありますね。今の世代がよく使うユーモラスな手段のような気がします。
まさしく。ある意味で自己分析なんだ。1足のスニーカーにいくらでも金を注ぎ込む誰かを僕が笑い者にするとしたら、それは、僕自身が過去にやったことだから。Jordanの全モデルを買う気でいたからね。ところがある時点で、そんなことして一体どうなるんだ?って。最高にクールなものを手に入れたいとか、クールになりたいとか、そういうふうに思うことが間違ってるってわけじゃないんだ。ただ、他の考え方もあることを教えて、別の角度から見てみようってこと。
ミームについては、大企業がミームのフォーマットを盗用して広告に使っているという話を中心に、大いに議論がありますね。
企業がミームの純粋な独創性を利用しようとして、何ていうか、イマイチなものにしてしまってる限りは、別に問題だとは思わないね。企業というのはいつも後手にまわるから、ほんと。


ミーム文化で僕がすごいと思うのは、ミームが機能するスピードです。積極的にミームに参加していないと、基本的にその輪に入り込めない。爆発的なバイラルになるミームのほとんどは、15年後には、誰も意味を説明できないだろうと思います。
たぶん無理だね。バイラルになるミームの内容って、ほとんど場合、15歳から25歳ぐらいの層だけを狙ってるんだ。間違いなく一時的。実は、正直言うと、それが僕がミームを評価してるひとつの理由だ。僕はミームを、作品というより日記だと思ってる。時の中の一瞬にすぎなくて、おそらく消されたり消えたりするだろう。僕はそれで構わない。インターネットは、まさに脳に直結したパイプだ。アイデアが思い浮かんだら、すぐに送り出せばいい。携帯さえあれば、10分ほどでミームを作れる。その昔はフォトショップが必要だったことでも、今はiPhoneでできるからね。リル・B (Lil B)が最初にフリースタイルを発表して、フリースタイルが何百も出現したときのことを、僕は思い出すんだ。心の中にあることや考えてることを、全部吐き出せる。すごくカッコ良いと思ったな。衝動的な行動なんだろうな。
病みつきになりますよね。
そうなんだ。ソーシャル メディアにひっきりなしに投稿している人で、そうじゃないっていう人がいたら、ほぼ嘘だな。もちろん、投稿することで得るものもある。そういう仕組みなんだから。いいね!は認められた証だ。それを意識することで何かが違ってくるのか、僕には分からないけどね。
僕自身、ツイッターのアカウントをしばらく削除した時期があったんですが、自分のつまらない考えをシェアすることに、どれほど病みつきになっていたかに気づいたとき、ちょっとショックでした。何かを思いつくと、たいして面白くなくても、それで何かしなきゃいけないような気がするんです。ツイートしないんだったら、この馬鹿げた考えを誰にテキストすればいいんだ?って。一体誰に毒づけばいいんだ、って感じでした。
何かをシェアしたい、作りたい、発信したいという衝動が、僕には確かにある。評価されてることも、間違いなく感じる。朝起きると、何かを出す、何かを発表する必要性を感じるんだ。それで気分がスッキリする。もちろん、得られる満足感はどんどん薄くなっていくけどね。ドラッグや酒となんら変わらないよ。ほとんど同じ。僕は依存症の専門家じゃないけど、つながりあったとしてもなんら驚かないね。同じドーパミン受容体を刺激し続けてるって聞いても、驚かない。
いいね!は認められた証だ。それを意識することで何かが違ってくるのか、僕には分からないけどね
あなたの投稿全部をひとつの作品として読んだら、全体を貫く1本の線があると思いますか?
何度も繰り返してる、似たようなテーマはあるよね。音楽かファッション、パーティかドラッグ。でも僕には、僕自身の感情の地図に見える。ある種、全体を貫いてる線だと思うけどね。似たようなテーマで5件か6件か10件くらいの投稿が続いてたら、その日に気分が悪かったのか、それとも二日酔いだったのか、後から自分でも分かるよ。普通、僕はミームを作って30分以内に投稿するんだ。あれこれ考えたりしない。99%はその瞬間に閃いたアイデアだから、何であれ、その日の状態が反映されてる。
ミームというのは、30分以内にまとまらないアイデアは結局ものにならないフォーマットだと思います。ところで、今使っている名前を選んだ理由は?
先ず、覚えやすくて印象に残るから。ソーシャル メディアでニセモノのRaybanの広告を見たりするだろ? ああいう感じ。「わあ、ニセモノのYeezy Boostsだ。ニセモノのスニーカーを売ってるんだろうな」と思わせる。それから、若者の文化と結びついた名前だから。ヒップホップで育つキッズたち、そういう若者たちが経験する居心地の悪さ、それは僕も経験して知ってる。何とか上手く自分を合わせようともがいたり、一体自分がどこに行けば馴染むのかすらわからない。そういうアイデンティティの危機感。そもそもそれがハイプビーストのアイデンティティじゃないかい? 自分を世間に合わせようとしてる...。
なるほど、そうですね。僕は、350 Boostは不気味な、触れてはならないものだと思ってるんです。あの靴のデザインは好きなんですが、タダでもらったとしても履かないだろうなと思う。あれが欲しくて列に並んだんだろうな、と思われるのが嫌だから。
それに、売れば金儲けもできるしね(笑)。

- インタビュー: Adam Wray
- 画像提供: FakeYeezyBoosts