光速でファッションを考察する『299 792 458 m/s』

ロブ・クリセックとダーヴィト・リースケが雑誌に託した精神

  • インタビュー: Timo Feldhaus
  • 画像提供: 299 792 458 m/s

300ページに及ぶファッション雑誌『299 792 458 m/s』は、2000年代が現在に及ぼしているユニークな影響を考察する。消費主義の加速によってぜいたく品が大衆へと流れ落ち、ハイとローの格差が狭まる中、21世紀の最初の10年間に生まれたスタイルは、テクノロジーの進歩が実現した利便性を内包している。そんな変化はファッション界にも作用して、ファスト ファッションの需要が継続した。ジェレミー・スコット(Jeremy Scott)をはじめとするデザイナーが、老舗ブランドの伝統に対抗する一方、高級ブランドはTargetやH&Mといった大衆向けチェーンとコラボレーションを始めた。あらゆるスタイルがミックスされた飽和状態の中でなんとか注目を集めようと、さまざまなサブカルチャーのハイブリッド スタイルが、さらにリミックスを重ねた時期でもあった。自己表現を求める衝動にかられた結果、ファッション界全体で民主化が進行した。

写真:Rob Kulisek、Dillon Sachs 冒頭の画像:写真:David Lieske

『299 792 458 m/s』の発行人は、アーティストでありファッション フォトグラファーでもあるロブ・クリセック(Rob Kulisek)と、アーティストでありニューヨークのマシュー ギャラリー創設者でもあるダーヴィト・リースケ(David Lieske)。ふたりは意図して「シーズンと結び付かない」ファッションをとり混ぜ、2000年代初期の広告も混在させる手法で、ある種の「時」の不在を作り出す。2016年創刊の『299 792 458 m/s』は、今年の初めに、第2号『The Overworked Body』を出版した。クリセックとリースケはふたりに共通する理念を伝えるため、ティモ・フェルドハウス(Timo Feldhaus)とメールを交換して、雑誌に秘めた精神を説明してくれた。

ティモ・フェルドハウス(Timo Feldhaus)

ロブ・クリセック(Rob Kulisek) & ダーヴィト・リースケ(David Lieske)

ティモ・フェルドハウス:先ず最初に、最新号を『The Overworked Body』と名付けた理由は?

ロブ・クリセック & ダーヴィト・リースケ:去年の秋、マシュー・リンド(Matthew Linde)のキュレーションで、ニューヨークのマシュー ギャラリーとラドロー 38で「The Overworked Body: An Anthology of 2000s Dress」という展覧会をやりました。今回の最新号はそのカタログ的な位置付けです。展覧会は2000年代ファッションの性質を抽出する試みでしたが、本には、展示のほかに関連のイベント、パフォーマンス、僕たちが一緒にプロデュースしたファッション エディトリアルを理論としてまとめた記事が加えてあります。

最新号には、エリザ・ダグラス(Eliza Douglas)がモデルになって、上から下までほぼジェレミー・スコットだけでかためたエディトリアルがありますが、あの発想はどこから生まれたのですか?

Balenciagaの2018年春夏コレクションで、デムナはジェレミー・スコットの初期のデザインに刺激を受けているようでしたから、Balenciagaのショーのオープニングを飾ったエリザ・ダグラスと組み合わせれば、とても面白いものができるだろうと思ったのです。2000年代初頭のスコットなら古典的なフランス人モデルを使ったでしょうが、エリザの外見は、ご覧のとおり、フランス人モデルとは全く違います。そのおかげで僕たちの実験がもっと魅力的になったし、可能な限り時代とスタイルをぶつけてみようという僕たちのアプローチも表現できました。

僕たちも、現在、それと同じような状況にあります。ラグジュアリー業界がソーシャル メディアに牽引されている現状で、ファッション ブランドは100%視覚イメージ先行のブランディングに頼っています。一目で認知してもらえる必要があるのです。微妙な表現の余地はありません

なぜ、ジェレミー・スコットに注目したのですか?

ジェレミーの2000年春夏プレタポルテ コレクションは、ブランディングとは何かを改めて考えさせます。スコットは、アメリカ労働者階級の出身で、独学のデザイナーです。数シーズン前にパリ デビューを果たして、あえて不快なまでにありきたりなバッグや典型的な「パリ風」ラグジュアリー ウェアに(当時はまだ無名でしたが)自分の名前をあしらったデザインを発表していました。彼のコレクションは、Yves Saint Laurentや、Pierre Cardinをはじめとするフランスの老舗ブランドが自ら招いたライセンス地獄、由緒あるクチュールの世界から陳腐な家庭向けブランドへの没落に指を突きつけています。

写真:Rob Kulisek

後にKeringと改名したPPRは、フランソワ・ピノーの下で急速に成長しつつあったファッション ブランドのコングロマリットでしたが、そのPPRに1999年に買収された当時、Yves Saint Laurentは、ソックスからライターに至るまで167件のライセンス契約を結んでいたのです。ジェレミー・スコットは、その後のコレクションでも、ファッション界で意味を失いつつある「Y2K」すなわち2000年的ビジネス モデルを糾弾しています。「Paris」という文字を鏡像のように逆さまにプリントし、長年にわたってクチュールを育んだブランディングとしての「パリ」を自分の名前と並べて使いました。いくつかの作品では、それが中心的なプリントです。2001年春夏プレタポルテでは反抗的なアティチュードをさらにエスカレートさせ、自分の名前も「Paris」の文字も消して、代わりにドル紙幣を連ねた模様をバッグ、ドレス、シューズに登場させました。ちなみに、ドル札の肖像は歴代のアメリカ大統領ではなく、スコット自身に置き換えてあります。

僕たちも、現在、それと同じような状況にあります。ラグジュアリー業界がソーシャル メディアに牽引されている現状で、ファッション ブランドは100%視覚イメージ先行のブランディングに頼っています。一目で認知してもらえる必要があるのです。微妙な表現の余地はありません。

2000-2003 Jeremy Scott、写真:Rob Kulisek

展覧会「The Overworked Body」 キュレーション:Matthew Linde

2000年から2010年にかけてのファッションを総体的に説明すると?

均一的に説明することは不可能です。10年全体を特定のスタイルで説明できなくなったのは、おそらく2000~2010年が初めてでしょう。そうすることができないほど、非常に多くのスタイルとファッション シーンが同時発生しました。ただし、明確な特徴はありました。ニュー メディア革命の結果、ハイファッションの消費、手軽さ、生産に関心が高まったことです。そのような背景から、RodarteとTarget、Viktor & RolfとH&Mといった提携も生まれました。ハイファッションは、90年代末まで、マージナルなオタク的関心を持つ人や数少ない富裕階級のものでした。反対に、デザイナー ウェアが日常生活に溢れ、多かれ少なかれ標準となった現在、僕たちは2000年代ファッションの影響をあますところなく身をもって体験することができます。

10年全体を特定のスタイルで説明できなくなったのは、おそらく2000~2010年が初めてでしょう

2000年代初頭をポストミレニアル世代に説明するとしたら?

ポストミレニアル世代は、非常に情報豊かで物知りのようですから、いかなる説明も不要です。少なくとも、僕たちはそういう印象を持っています。「Grailed」のような転売サイトでRaf SimonsHelmut Langの初期の作品に付けられた値段を見れば、過去の特定の世代の作品にどれほど人気があるか、一目瞭然です。デビッド・カサヴァント(David Casavant)のような若者は、新たな伝統となった有名ブランドのアーカイブを運営することでキャリアを築いています。そもそもブランドを誕生させたデザイナーには、この点を不快に思う人も少なくありません。デザイナーとは未来に目を向ける職業ですから、自分たちの過去とは必然的に相反する関係なのです。ヘルムート・ラング(Helmut Lang)などは、完全にファッション界と縁を切ってしまいました。

Susan Helmut、Cianciolo Lang、写真:Jack Pierson

90年代後半には、ファッション界に大きな勢いがありました。Jeremy Scott、Raf Simons、Viktor & Rolf、Chalayan, BLESSMcQueenなどのブランドが大きく成長し、パリには「Colette」のコンセプト ストアがオープンし、『パープル』や『セルフ サービス』やバーナデット コープレーションの『メイド イン USA』といった雑誌が発刊されました。この世代でも、同様のことが生じうるでしょうか?

ファッションは進化と変化を続け、常に動いています。僕たちがファッションを愛する理由もそこにあります。2010年代には、すでにゴーシャ・ラブチンスキー(Gosha Rubchinskiy)やデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)をはじめとする非常に優れたデザイナーが登場して、現在のラグジュアリー業界に通用する表現とスタイルを見つけています。現在は、かつてないほど多くの人がハイファッションに参加したがっていますから、安価で多数の商品を提供できなくてはなりません。

『The Overworked Body』誌で非常に感心するのは、広告のセクションです。ベルリンのデザイナーのコスタス・ムルクディス(Kostas Murkudis)やウェンディ&ジム(Wendy & Jim)など、2000年代の古い広告と、Ottolinger、Telfar、GmbHといった現在の若くてヒップなブランドを、非常におもしろく組み合わせてあります。あれらのブランドは、どこに共通点があると思いますか?

最新号は、特定の時期にとらわれないことを目指しています。ファッション誌の場合、ひとつには、広告されているコレクションから特定の時期との結び付きが生じます。最新号に使った昔の広告はすべて2000年代のもので、展示のためにリサーチした資料ですから、本に含めるのは当然といえば当然でした。新しい広告は、僕たちが高く評価して、できるだけサポートしたいと思っているデザイナーやブランドです。最後にBLESSのルックブックを掲載したのは全体をまとめるためもありますが、それだけでなく、ヴェストリッヒ・ワグナーで行われた『The Overworked Body』公式発表でのコラボレーション、 それとマシュー ギャラリーで同時開催されるBLESSの家具展示へ繋ぐ意図もありました。

展覧会「The Overworked Body」 キュレーション:Matthew Linde

Stefano PilatiによるYves Saint Laurent、写真:Rob Kulisek

敢えて雑誌の形態を選んだ理由は?

僕たちは、それぞれに、あるいは一緒に従来のようなアート本をプロデュースしようとした経験がありますが、書籍の流通の仕組みに不満を感じたことから、自分たちの雑誌を始めるアイデアが生まれました。1冊の書籍にした場合、成功すれば大きな報酬が約束されますが、失敗すると投資した努力のすべてが無駄に終ります。そこで、ギャンブルのようなリスクのない方法を選びたいと思いました。その点、視覚的なアイデアを発表する場として、定期刊行物は比較的使いやすいし、主体性も保てます。

視覚的アイデアに関連して、映画から影響を受けることはありますか?

最近、ローランド・クリック監督の『デッドロック』(1970年)を下敷きにしたファッション エディトリアルを仕上げました。持ち込んだ雑誌には断られましたが、そのおかげで、次号は拒絶されたアイデアに捧げる『The Rejected』号とすることに決まりました。

僕たちが加速すればするほど、時間は意味を失っていきます

最後に、『299 792 458 m/s』は何を表しているのですか?

『299,792,458 m/s』は、真空で光が進む速度、普遍的な物理定数です。その正確な値が、1秒あたり299,792,458メートル。特殊相対性理論によれば、あらゆる通常の物質、すなわち宇宙の情報のあらゆる形態が移動しうる最大速度、それが光速です。同時に「時間」の限界と崩壊も表す普遍定数ですから、僕たちの仕事に共通するものとして、とても魅力を感じたので名前に選びました。

僕たちが加速すればするほど、時間は意味を失っていきます。新刊のファッション雑誌が意味を持つためには、特定のシーズンと結び付かず、あるいはシーズンというコンセプトに対抗して、あらゆる時を同時に表現しなくてはなりません。いずれにせよ、僕たちは今、そういう現実を体験しています。ソーシャル メディアは、現在起こっていることのすべてを仲介する点で、非常に大きな働きをしています。僕たちは雑誌という形態を利用し、光速で思考し、時代との関連性を徐々に失いつつある環境の中で、自由自在に時を移動しているのです。

写真:Rob Kulisek

  • インタビュー: Timo Feldhaus
  • 画像提供: 299 792 458 m/s