ユーザー体験:
ラスベガス ストリップ

ラグジュアリーと第一級の芸術作品と巨大マルガリータ三昧の一週間

  • 文: Adam Wray
  • 写真: Adam Wray

1984年のサイバーパンクの大作『ニューロマンサー』の中で、ウィリアム・ギブスン(William Gibson)は自由世界 (フリーサイド)とよばれる周回軌道宇宙リゾートを想像した。「こりゃ、大きいチューブでね、そこにモノを流しこむわけ」と小説の登場人物は言う。「観光客、詐欺師、何でもいい。ただし、目の細かい現金濾過器がいつでも動いてるわけで、人間が井戸をくだっていくときも、金はここに残る仕組み」

自由界 (フリーサイド)は、明らかにラスベガス ストリップからインスピレーションを受けている。ストリップは地上のモハーヴェ流域にあるとはいえ、すでに少し宇宙ステーションのような感じがする。街の中心から外れ、人工的で、光り輝く偽りの可能性が人を惹きつけてやまない。

ストリップは、電気で動く街の心臓部であり、中心の大通りに沿って再現された世界の名所とともに、今ではラスベガスを象徴する場所となっている。資本が集中している場所の中でも、地球上でこれほど不条理な場所はない。約8kmにわたるストリップには、ド派手な数十億規模のホテル兼カジノ兼ナイトクラブ兼レストランの巨大複合施設が並ぶが、アメリカでも最も乾燥した地域に位置し、国内最大の貯水池と、永続的な神話によって支えられている。そして「ベガスでの出来事は、ベガスでの事」というお約束以外、他の場所で再現できないものは何もないにも関わらず、地球上でも最も人気のある観光地のひとつであり、2017年には4300万人近くの人が訪れている。

僕はここに家族の休暇で来ている。そしてラスベガス最初の夜、僕たちはストリップをあてもなく散策し、プラスチックの飾りのついた巨大なフローズン マルガリータをすすり、人びとを中に閉じ込めて方向感覚を失わせるよう設計されたホテルやカジノを探索した。この設計のせいで、建物全体が、内部の構造を刻々と変えながら生息するひとつの巨大な生命体のように感じられる。多くの複合施設にはテーマがあり、魅力的なまでに捻りのないスタイルで表現されている。ベネチアがテーマのホテルはどんな感じかというと、当然、ゴンドラがある。決して雲の形が変化することのない空の絵が描かれた天井の下、高級ブティックが立ち並ぶ白い壁に囲まれた運河を、ゴンドリエーレが歌いながらゴンドラを漕いで案内してくれる。

これらのブティックは、ティアラについた宝石のように、至るところに見られる。現在もギャンブルによって年間何十億ドルもの収入がもたらされるものの、2008年の世界金融危機後、ストリップの経済の中心は、クラブイベントや食事やショッピングに移行している。ほとんどの高級複合施設において同様の構造がデフォルトになっており、点在するギャンブルやホテルの部屋やレストランを中心として、そこからハイエンドなブティックでのショッピングにつながっている。初日の晩遅く、さんざんあちこち出たり入ったりして、甘いフローズン ドリンクのお酒で酔っ払った僕たち兄弟は、ウィン ラスベガスを彷徨っており、その中で Pradaのショップに立ち寄った。そこで、僕は兄弟たちにクラウドバスト スニーカーの価格について説明を試みたが、ダメだった。その後数日間、ストリップを行ったり来たりする中で、僕は数え切れないほどの、実質的に全く同じラグジュアリー ブランドの店舗を見た。Louis Vuittonなど8店舗もあったのだ!そして、いずれも置いている商品は同じだった。

昨今、リテールでもてはやされているバズワードに、「実験的」という言葉がある。市場に侵入し、優勢になりつつあるeコマースへの対抗策として、リテーラーは顧客をブティックに引き込むための方法を見つけようと躍起になっている。そして、彼らの思いついたアイデアの大部分は、レストラン、カフェ、マルチメディア インスタレーション、スパリゾート施設など、全方位をカバーする快楽主義的なおもてなしにつながっている。とにかく客を店舗におびき寄せ、フーディのひとつでも買って帰ってもらえるくらい快適な体験を提供できるものであれば、何だってよいのだ。

ベガスで数日間過ごして、僕は次のことを確信するに至った。これらのリテーラーが本当に求めているのは、あらゆる活動が溶け出して、儀式化されてシームレスな商業的な振る舞いとなるような、ストリップの体験を再現することなのだ。ラスベガス神話はあまりに巨大なために、ラスベガスを訪れること自体、通過儀礼のように見える。ただそれを「やった」と言うためだけにやるものではあるが、それには、お金を湯水のように使うことが、もれなく求められる。休暇になると、僕の祖父はいつも「ケチるためにここに来たんじゃない」と言ったものだ。良くも悪くも、この祖父の格言が僕の心に残っており、ベガス以上にこの格言がしっくりくる場所はないように感じられた。ストリップという場所にいると、これまで僕が全く興味を持ったことのないギャンブルでさえ、バカみたいに素晴らしいものに感じられた。ここでは、考えなしに浪費することが、什一献金を払うような、敬虔ともいえる行いに見えてくる。多分、エディ・スリマン(Hedi Slimane)が巨大なスロットマシーンSaint Laurentの旗艦店のいくつかに設置したとき、彼は僕たちに何かを伝えようとしていたのだ。

ベガスで数日間過ごして、僕は次のことを確信するに至った。これらのリテーラーが本当に求めているのは、あらゆる活動が溶け出して、儀式化されてシームレスな商業的な振る舞いとなるような、ストリップの体験を再現することなのだ

ストリップに飽きることなどあるのだろうか。もちろん、飽きる。それもすごい速さで。その累積効果には唖然とするほかない。あたかもトランス状態にあるかのような、頭を強打されたかのような衝撃だ。好むと好まざるに関わらず、そのモザイクのようなリズムに心を奪われてしまうのだ。スロットの音、凝った装飾タイルを張った床、押し寄せる波のようにエンドレスに続く大通りの車の流れ、ベラージオの前で30分おきに見られる、ブルーノ・マーズ(Bruno Mars)や「America the Beautiful」に合わせて動く噴水の演出。1964年の『Esquire』誌に寄せた記事で、トム・ウルフ(Tom Wolfe)は次のように書いている。「まるでラスベガスのどこかにいる誰かが完全に手持ち無沙汰になってしまうことに対する、共通の恐怖心があるかのようだ」。だが、ストリップを数日間うろうろした後に僕が思ったのは、どちらかといえば、完全に手持ち無沙汰なのと、やることで手一杯の差は何だろうということだった。

そしてベガス滞在の最終日、僕はある別の種類の過剰を見つけた。2009年、シティセンターという複合施設がストリップの南端にオープンした。MGMリゾーツ・インターナショナル社と、ドバイ政府の投資会社ドバイ・ワールド社が85億ドルをつぎ込んだジョイント ベンチャーで、都会的に洗練されたストリップの新時代を切り開くことを意図して作られた。それは、ホテルやカジノ、ラグジュアリー ブランドの店舗、そして分譲マンションからなるコミュニティとして構想され、世界で最も人気のある建築家らが、その建物を手がけている。さらに約4000万ドル相当の美術コレクションが、すべて一般公開されている。

シティセンターは、ダニエル・リベスキンド(Daniel Libeskind)が設計したショッピング モールを通じて、直接ストリップと連結している。このモールは、リベスキンドのトレードマークである尖った角柱のスタイルにならってか、ザ ショップス アット クリスタルズという不自然な名前がつけられている。入り口近くの、中にレストランが入っている巨大な木の彫刻の下で、僕はシティセンターのアート コレクションの地図が描かれたパンフレットを手に入れ、僕だけの宝探しゲームに乗り出した。

「Akhob」と題したジェームズ・タレル(James Turrell)のインスタレーションは、Louis Vuittonの旗艦店の上にある。これは予約して無料で体験できるガンツフェルトである。ウェブサイトの説明によれば、ガンツフェルトとは、「ドイツ語で、視界が完全にきかないような経験で起こるような、空間認識能力を完全に失った状態を表す言葉」だそうだ。これは、タレルの作品に代表される手法だが、スマートホンの時代には圧倒的にふさわしく、とりわけストリップでの活動を中断するにはうってつけだ。今日、芸術作品が本当の意味で人々の注意を引くには、観客を物理的に端末から引き離すしかない。実際、「Akhob」では携帯電話の持ち込みが禁止されている。その効果は、まるで別世界に行ったかのようで、自宅にホリゾントと照明の装置を備えた大きな洞窟のようなスタジオを持っているのでなければ、これを再現するのは非常に難しい。たまに美術鑑賞を楽しむ程度の人にとって、わざわざ見に行く価値のある作品は、世界にそう多くない。

だがクリスタルズには、現に2つのタレルの作品があり、もうひとつの作品はモールのほぼあらゆる場所から見ることができる。MGMのいくつかの不動産を結ぶモノレールがあり、タレルはこのモールの駅を「Shards of Color(色の破片)」という、タイトルそのままのインスタレーションでライトアップした。駅は緩やかに循環する色のついた照明で照らされ、その光は壁の切り出しを通してモール全体で見ることができる。これは本当にインスタ映えする。

シティセンターの奥深くで、僕はヘンリー・ムーア(Henry Moore)の彫刻がクリスタルズアリアのカジノの間にさりげなく置き去りにされているのを見つけた。数百メートル離れたところでは、駐車場に続くアトリウムの壁にドナルド・ジャッドの木版画が何げなくかけてある。カジノには巨大なマヤ・リン(Maya Lin)作品が設置され、ホテルの車の乗り入れ口にはジェニー・ホルツァー(Jenny Holzer)のトゥルイズムの言葉の作品が、巨大スクリーンに映し出されてスクロールしている。

複合施設にある他のホテル、ヴィダラの方まで行き、チェックイン カウンターの後ろに掛けられたフランク・ステラ(Frank Stella)の作品を座って見ながら、僕はひとり考えていた。どうしてこれらの作品はここにあるのだろうか。チェックイン カウンターの後ろの壁がステラだろうが、額に入ったストック写真だろうが、何もないただの壁だろうが、はっきり言って、誰が気にするというのだ。これらはすべて何のためなのか。

  • 文: Adam Wray
  • 写真: Adam Wray