『アートフォーラム』新編集長の初インタビュー
デイヴィッド・ヴェラスコが、パーティー通い、ポートランドで過ごした10代、アート界への愛憎を語る
- 写真: Marcelo Gomes

19歳を迎えた1997年10月23日、デイヴィッド・ヴェラスコ(David Velasco)は煙草を吸い始めた。子供時代の彼は、どことなくダサく、変わった形の耳をして、変にハキハキと雄弁で、メキシコ人にも白人のどちらにも見えず、いじめられた。12歳で始めた初めての仕事は、家でイエロー ページの校正をやっていた祖母の端仕事を手伝うことだった。ポートランド南東部にあるフランクリン ハイスクールでは、学校新聞の編集長になった。彼の母は15歳の頃、リーディ&ヘルレイザー(Reedy & the Hellraisers)というバンドの26歳のリード シンガーと、屋外に組まれた観客席の下でセックスをしていた。デイヴィッドの父である。15歳のデイヴィッドは、医師の手による自殺幇助を支持する論説を書いた。リード カレッジに進むと、カレッジの図書館で働き始め、殆ど毎晩のようにクロード・レヴィ=ストロース(Claude Levi-Strauss)の著作を読み耽って、深夜2時まで居残った。煙草は性に合わなかったが、喫煙が合法的に認められる年齢になるまでは、クールとタフをよそおうためにマルボロを買うこと自体が彼のスタイルだった。
昨年10月、デイヴィッドは『アートフォーラム インターナショナル』の編集長に就任した。Artforum.comの編集助手から編集者、そしてマガジンの世界で羨望を集める地位へと彼が昇進したのは当然ではあるものの、よくある話ではない。そもそも12年前、Artforum.comに就職できたことからして、夢のような話だった。『アート ペーパーズ』という雑誌が主催するまだ作品が出版されたことのない若いライターたちに与える賞を受賞し、その6か月後に広告欄を見て応募したという、まるで50年代立志伝のような展開だったのだから。「ザ コック」のダンス フロアで最初のボーイフレンドになるライアンに出会ったり、クラシファイド サイトでもうひとりのボーイフレンドのサムと知り合ったり、私生活でも「信ずる者は報われる」が通用するらしい。デイヴィッドは、大多数の人が過去の作品にしか向けない崇敬の念を、現在の作品に向ける。『アートフォーラム』の紙面にダンスを登場させ、パフォーマンスやパーティーをドラマティックに表現する突飛な視点をウェブサイトで育んだ。昨年は、ニューヨーク近代美術館から存命中の現代振付師に関する一連の書籍を刊行し、作品に感動して以来10年間考え続けてきたというサラ・ミケルソン(Sarah Michelson)の号はデイヴィッド自身が執筆した。
そのほかに、デイヴィッドはとにかく室内の鉢植えに凝る。3つのジムの会員である。本人に言わせると、まだ処理が終わってないだけで、ひとつはキャンセル済みだということだが。見た目もとても魅力的な男性でもある。テレビ番組『スキャンダル』で大振りなワイン グラスに目を留め、クレイト&バレルで1個$12.95でいくつか買ってきて、家で使っている。オフィスではバーニー・サンダースを支持する「Bernie Sanders is Magical」と書かれたカップを使っている。2009年からずっと、サウス ウィリアムズバーグのアパート暮らし。家賃の値上げ幅が法律で規制されている、ベッドルームがひとつしかないアパートだ。ふたりのボーイフレンドも、同じ建物内で、それぞれ同じくワン ベッドルームのユニットで暮らしている。ひとりは3階下、もうひとりは1階下。 私がデイヴィッドを訪れるときは大抵困っているときだから、ワイン、テキーラ、ハイにしてくれるポッパーズ、気分を鎮めるザナックスを、いつもこの順番ですすめてくれる。唯一の欠点は、10年前に禁煙して以来、絶対に煙草を置かないこと。実は最近ナン・ゴールディンに1本せがんだのだが、クールにみせるためだったと本人は弁明している。
間違いなく、私たちは友だちだ。


サラ・ニコル・プリケット(Sarah Nicole Prickett)
デイヴィッド・ヴェラスコ(David Velasco)
サラ・ニコル・プリケット:『アートフォーラム インターナショナル』の編集長になってから、どんな風に生活が変わった? 新しい薬でも飲み始めた?
デイヴィッド・ヴェラスコ:それが全然! おかしなことに、不安感自体は少なくなったんだ。怖がることを怖がるとか、何かやり忘れてるんじゃないか心配するとか、そういう類の観念的な不安がなくなったね。怖れていることが、刻一刻と現実に姿を変えていくから。選択肢は少ないほうがいいよ。そのほうが心が穏やかでいられる。自分がやってることに対して、人に注目されるようになった。
パーティーで注目されたり、もしかしてオフィスで注目されたりも。
見えない存在でいられなくなったから。以前は姿を消すのが好きだったけど、今は自分のデスクへ辿り着くまでに、オフィスを端から端まで横断しきゃいけないんだ。まるで見世物だよ。
あなたが現われると、みんなが大急ぎで机の上を取り繕ったり、イヴ・セジウィック(Eve Sedgwick)の本を引っ張り出したり、新しい鉢植えに水をやったりするわけ?
そうそう。「チーン」って音がしてエレベーターが到着すると、みんなコンピュータの電源を入れて、メイクアップする。なんてね。そんな風に怖がられていないと思うよ。僕は一緒に仕事をしてる仲間が好きだしね。
僕は、ライターという人種が本当に好きなんだ。特定のアート観を打ち出すことよりも、僕は大好きなライターたちを抱えてて、彼らが伝えいことに意味があるんだと思ってる。何を言いたいにせよ、関心をそそる表現である限りね。

私の家賃を賭けてもいいけど、今現在生きて息をしてる編集者で、あなたほどライターが好きな人はいないわ。あなたほど、ライターによくしてくれる人もいない。私のためにしてくれることだけ考えたって、普通じゃないもの。2018年2月号の記事の手直しが遅々として進まなくて、おまけに3000語の依頼に対して12,000語あたりでウロウロしてるっていうのに、お茶は入れてくれるわ、お寿司はとりよせてくれるわ。まるで夜間看護婦並みに世話を焼いてくれる。「A Girl of the Zeitgeist」に書かれてたイングリッド・シシー(Ingrid Sischy)みたい。
シシーと同じことができるんだったら、何も惜しくないよ。編集長っていう今回の仕事に就いたとき、先ず「シシーだったらどうするだろう?」って考えた。 そこで、彼女が編集長になって最初に出版した1980年2月号を開いてみて、答えを見つけたんだ。
あれは、ディラン(Dylan)がギターをアコースティックからエレキに変えた時みたいだったわ。ロザリンド・クラウス(Rosalind Krauss)みたいな人たちは、シシーのやり方をものすごく嫌った。
僕に代わってからの『アートフォーラム』も、嫌われるところがあるといいね。
まぁ、思いがけないことを言うのね。デイヴィッド・ヴェラスコを嫌っている人なんて、一人だって見つけるのが難しいのに。
やることリストの一番最初を「反感を買う」にしようかな。それは冗談として、僕が紹介したいのは、本当に内面に訴えるアートなんだ。次に、それが心に訴えるアートであることを説明できるライター。どういう風にそうなのか、なぜそうなのか、どうしてそれが読者にも知る価値があるのか。そういうことを分かち合えるライターが欲しいんだ。
もともと『アートフォーラム』は専門家、つまり特定の知識体系をなんらかのテーマに関連付けられる人たちを重用するんだ。発言に権威がある人たちを歓迎する。だけど、専門知識が必ずしも人にとって面白いとは、僕は思わない。にわか知識であっても、十分記事を書けて、いわゆるその道の「権威」には提示できなかった何かを指摘できる…そんなライターが沢山いるんだ。これは『アートフォーラム』から歴史学者を抹消するって意味じゃないよ。最初の号では、モリー・ネスビット(Molly Nesbit)やエヴァ・ライエル=ブルハルト(Ewa Lajer-Burcharth)がリンダ・ノックリン(Linda Nochlin)について書いてる。まさに専門家の面目躍如たる内容の素晴らしい記事だ。だけど同時に、ロンダ・リーバーマン(Rhonda Lieberman)の書いたものだったら、たとえテーマが何でも、誰だって読みたいと思うだろ?
雑誌の世界で私が気になるのは、コンセンサスの雰囲気があることなの。あれって、時代にそぐわないし、実際に何かの良さを理解することと正反対だわ。あなたは、サラ・ミケルソン(Sarah Michelson)を探そうと思って見い出したわけじゃない。本心から彼女が大好きで、彼女のことを書いてるでしょ。アートとは何か、何であるべきか、そういうことを知る前に好きになってるアーティストっているわよね。多分後になってから、そのアーティストを好きになるべくして好きになったことがわかるんだけど、そもそもの最初の感情はいつまでも残る。言うなれば、そのアーティストの価値がまだ世界に認められていなかったという意味で、報われなかった愛情。
ひとつ、僕が失望してるし、どう対処すればいいものか考えてるのは、アートやアートの役割に対して現代社会が感じてる不信感なんだ。何であれ僕がアートと呼ぶものは、あらゆるものを超越してるというか…僕自身の命より大切だと思うんだ。素晴らしい芸術作品のためだったら、僕自分を犠牲にしても構わない。アートは、僕たちや僕たちの物質的な野望を超越すると確信してるから。芸術に対する畏敬の念をいつまでも持ち続けていたいね。一方で、その状況や悪影響の可能性を曖昧にしたくはない。
でも、そこから道が拓けるんじゃないかなと思う。偉大さや才能や天賦の能力を僕が絶対的に信頼するのは、とても愚かな浪漫主義と結び付いてるんだ。「愚か」って「間抜け」って意味じゃないよ。だけど、浪漫って愚かだろ? 浪漫は感じるもので、理性的な頭脳とは相容れない。理性をもみ消してしまうことだってある。感動させる、強い衝動を引き起こす…アートのそういう情動的な力を信じて、それを明確に伝達したいという思いさえあれば、それだけで僕たちは仕事を続けていけると思うよ。
編集長の仕事に就いたとき、先ず「シシーだったらどうするだろう?」と考えた
偉大さは、アーティストが自分自身であることから生まれるのかしら?
アーティストが自分自身であるって、どういう意味なのかな。僕が好きなのは、自分に備わった強さを投射できるアーティストだと思う。別に、アーティスト自身を好きでなくてもいいんだ。君には何がある? 君の歴史を表した、君だけの鮮やかな絵を描けるかい?って感じ。誰にだって、必ず歴史はあるんだから。
今までに貰ったアドバイスの中で、最高のものは?
うん、結局従わなかったけど、年配のゲイに「君はアーティストだから、銀行屋と結婚しなきゃ駄目だ」って言われたことがある。
あなたは植物が好きよね。花に囲まれてる。とってもデリケートな温室育ちの花、って付け加えてもいいけど。
花は大好きだよ。実を言うと、ホリデー シーズンにママが訪ねてきたとき、もう少しでふたりしてブルーの薔薇のタトゥーを入れるところだったんだ。そういう題材について書いたりするけど…。とにかく僕はずっと、ブルーの薔薇っていうアイデアが好きだったんだ。ノヴァーリス(Novalis)や浪漫主義なんてまったく知らなかった10代の頃から。それに惹かれる何かを感じてたんだろうな。
あなたの好きな花は、文字通り、現実とは思えないほど綺麗だわ。ブルーの薔薇を目にしたら、ふたつのことが頭に思い浮かぶもの。先ず、ブルーの薔薇がありえるの? 次に、どうしてブルーの薔薇は美しいの? あなたの好きな動物は? ひとつは知ってる、タコよね。
そのとおり。タコ、大好き。すごく頭がいい、多分人間と同じくらい頭がいいのに、殆ど似たところがないのがいいんだ。この惑星上で、まったく異質な知性だよ。大抵のものを自由に通り抜けられるし。そういう意味では、脱出をやる魔術師も大好きなんだ。
ペンギンにも弱いんだ。政治家に手紙を書いたことが、人生で2回あるんだけど、その1通目はロナルド・レーガン(Ronald Reagan)元大統領に出したんだ。8歳か9歳の頃だったな。北極、いや南極だったかな、とにかくそこでひどいことをしようとしていて、ペンギンたちのことを考えてください、って。
ペンギンたちのことを考える! で、2通目は?
ニューヨークの市長だったブルームバーグ宛て。喫煙が禁止されそうになったときに、禁煙ほどニューヨークのナイトライフを短期間で破壊するものはない、そしてニューヨークにとって、ナイトライフほど大切なものはない、って書いた。たしか23歳だったと思う。
じゃあ、それまでにニューヨークにいたことがあるわけね。5分くらい?
うん。
完璧だわ。あなたにとって、ナイトライフとは?
すべて。『ビレッジ ボイス』のマイケル・ムスト(Michael Musto)のコラムは、毎週欠かさず読んでた。リストに目を通して、クィアなテーマのバーやダンスに軒並み顔を出すんだ。お開きになって照明がついたら、地下鉄に乗ってブルックリンへ帰る。ドリンクを注文できるカネはなかったから、二日酔いの心配は全然なかったよ。
月曜の夜は、「ザ コック」でやってた「ホーム スクール」という馬鹿げたパーティー。ジョン・ジョン・バトルズ(Jon Jon Battles)ってDJが、ポップスのヒット曲を手当たり次第にミックスしてね。ブリットニー・スピアーズ(Britney Spears)の『Toxic』、ホール(Hole)の『Celebrity Skin』、ビヨンセ(Beyoncé)の『Crazy in Love』てな調子。ボーイフレンドのライアンと出会ったときは、ビースティ・ボーイズ(Beastie Boys)に合わせて踊ってたんだ。ライアンは、その先ずっと一生、彼がいるダンス フロアには僕もいて欲しいって言って、自分の携帯に「デイヴィッド ダンサー」って僕を登録したんだよ。


出かけるのが仕事の一部になったわよね。Artforum.comは『Scene & Herds』という奇想天外なパーティー レポートを連載してたけど、私、あれは読むのも書くのも楽しかったわ。『Scene & Herds』の舞台裏はどんなだったの?
たとえば何を知りたいのかな? あれは、僕がアートの世界への愛情と憎しみを学んだ場所だよ。『アートフォーラム』に入った最初の週に、オフィスで僕だけがデジタル カメラを持ってることがわかってね。何で僕がそんなものを持ってたのか不明だけど、モノを買わずにいられない性分だったからじゃないかな。とにかくそういうわけで、 ガゴシアン ギャラリーで開かれたマイク・ケリー(Mike Kelley)展の大掛かりなオープニングに行って写真を撮ってこい、とジャック・バンコウスキー(Jack Bankowsky)に命じられた。デビッド・リマネリ(David Rimanelli)は当時、既に僕が好きだったライターのひとりだったけど、誰の写真を撮ればいいか、親切に教えてくれたよ。ネイト・ロウマン(Nate Lowman)とその頃ネイトが付き合ってたタラ・サブコフ(Tara Subkof)のところへ行って、写真を撮影した後で名前を訊ねたら、タラが「私が誰か、知らないの?」みたいなことを言うから、「僕が知らないってことは、それほど有名じゃないってことだな」って答えておいた。
アーヴィング・ペン(Irving Penn)には、写真を撮っていいですかと訊ねて目玉をくらったよ。「くだらんことを訊かずに、さっさと撮れ」だって。僕の撮影の腕前はひどかったけど、カメラを持つことは好きだったな、その場を支配してるような気分で。撮影をちょっとしたショーに仕立てることができたんだ。
金持ちの奇妙な世界に入れるのは面白かったよ。金持ちや彼らの風変わりな生活をからかって、同時に、付き合いを楽しんで、友達になって、アート世界の表層のメカニズムを知ることができた。おそらく、ほんとうは表層だけじゃなかったんだろうけど…。あのコラムは、出来がいいときは狡猾で、面白くて、美味しくて、ヒエラルキーを下側から歪ませる。出来がよくないときは、逆にヒエラルキーに実体を与えてしまう。その両方をやってることが多いけど。
「両方」って答えは好きだわ。とっても便利だもの。
アートワールドには自分は独善的でないと装うエリートが多い。それはとりもなおさず、自分たちはご馳走を手にしてて、それを食べられるってことさ。資本主義の崩壊を歓迎する一方で、世界最大規模の資本主義から大儲けできるんだ。アートとアートの世界に向けられている疑念の中心は、そういう矛盾だ。特権と、何というか、本当に奇妙で急進的な思考の風変わりなバブルが、アートの世界には存在し続けるんだ。
アーヴィング・ペンには、写真を撮っていいですかと訊ねて「くだらんことを訊かずに、さっさと撮れ」と目玉をくらった
ちょうどいいわ、あることの見返りとして別なことを社会的に手に入れることが持つ、裏側の可能性について話しましょうよ。ここからは空想上の聴衆に向けて話しかけてると思って。さて、昨年の10月、ナイト・ランデスマン(Knight Landesman)から性的に不適切な行為、脅迫まがいのセクハラ、その他を受けたことを理由に、以前『アートフォーラム』誌社員だったアマンダ・シュミット(Amanda Schmitt)が訴訟を起こしたというニュースが流れました。社員の大多数は一般の人たちと同じくニュースで知って、共同発行人は…まあ、どう言ったらいいのか、きちんと編集されていない声明を発表した。で、ここでデイヴィッド、あなたが登場するわけだけど。あなたは、編集論説なんかで既に発言していることもあるし、ランデスマンと『アートフォーラム』が係争中だから、言えないこともあるでしょう。
注意してほしいのは、「ランデスマン」と『アートフォーラム』の区別なんだ。ふたつの別個の実体なのに、どうも混同されてるみたいだから。ナイト・ランデスマンは『アートフォーラム』の4人の共同発行人のひとりだった。それなのに、ランデスマンだけが、ただひとりの発行人、あるいは発行人以上の存在だと思ってた人が多いんだ。とかく派手で社交的な人物だったからね。彼が辞任してから僕が自問し続けてることのひとつは、ランデスマンに対する個人崇拝によって、現に僕たちが仕事をしてる現場の実態が、どう歪曲して受け止められていたのかということ。みんな、ナイトに取り入れば『アートフォーラム』に潜り込めると思ってたんだろうか? ナイトは編集者じゃなかったのに? 雑誌の内容を決めるのは編集者だよ。
その通りだわ。ナイトは、自分の権力を誤用しただけじゃなくて、権力の範囲を偽ってた。『アートフォーラム』の外では、ナイトはとても広い影響力があったわ。彼の影響力を疑ったり、アート雑誌の代表には広告を売れる人間がいいんじゃないかなんて冷やかす意見は、一度も耳にしたことがないもの。でも、今回の件は、いわば兆候を表してはいるわね。例えばジェフ・クーンズ(Jeff Koons)は、自分をセールスマンだと言う。ラリー・ガゴシアン(Larry Gagosian)はポスターを売り始めた。そういう意味では、ナイトの失脚は象徴的かもしれない。無価値で不当な見返りがまかりとおってる体制全般への告発として。
もちろん象徴だよ。規制がなくて、しかも合法な市場は、アート界くらいのものだ。カネを隠しておくにはもってこいの場所さ。特別な才能がなくても、いっぱしの人物を気取れる場所でもある。つまり、本当に才能がある人たちは悔しい思いをすることが多い世界だ。 コネがなくてアートの世界へ入ってくる人間は、自分も業界人と同じように行動しないと仲間になれないと思ってる。
世界中で一番実力と無関係な業界で、僕は一体何をしてるんだろうと思うことがよくあるよ。この業界には人が溢れてるし、どうしてみんなこの業界に行き着いたんだろうと思う。その答えを聞いて気分が良くなることは、ほぼ皆無だね。


アート界の内情を知ってたら、それでもArtforum.comに応募したと思う? それとも、裕福な家庭の後ろ盾とか、コネや立派な経歴がないことを心配して、萎縮して応募しなかったと思う?
萎縮して、それでも応募しただろうな。どうかな? 決まりごとを知らなければ、同じことを繰り返すこともないからね。僕が育ったオレゴン州ポートランドは、『ポートランディア』より、トーニャ・ハーディング(Tonya Harding)のポートランドに近いんだ。当時、例えばコーヒー ショップの壁に貼ってある悲しい絵や詩を目にして「アートの世界」の片鱗を知り始めたとき、僕が想像した「アートの世界」は、進歩的になれて、クィアな人たちと付き合えて、周囲にありふれてたドラッグとか虐待とか、そういう諸々の悪循環をやり過ごせる場所だった。
僕の想像と現実が違うことが最初に分かったのは、ニューヨークのギャラリーが開いたディナーに初めて参加したとき。ライアンと一緒に行ったんだけど、ぼくたちふたりとも菜食なんだ。ところが、ベジタリアン用のメニューがなかった。まったく驚いたよ。だって、アート界の人間は大抵ベジタリアンだろうと思ってたから。
アート界の人たちは大抵ベジタリアンだろうと思ってた…。道徳的に考えたら、それしか選択の余地はないから、ってこと?
そう(笑)。だから、アートの世界は菜食主義だろうと思ってた!
あなたのお友達には、ベジタリアンじゃない人もいるでしょ。
うん、そのことで非難するつもりはないよ。道徳的な選択であるとは思わないけどね。だって、牛を目の前にしたら、僕は自分で殺して食べられるとは思えないから。でも、ビーガンではないんだ。乳絞りなら、僕にもできると思うから。
セックスと似てるから。
でも、まったくの偽善かもしれない。レザーは着るからね。
それもセックスと関連してるから。
そうだね。今までやったうちで最高の仕事は、「スパルタカス レザーズ」のレジ係。ポートランドの高級アダルト ショップで、あそこの乳首用ピンチは世界的に有名だったんだ。
では最後を、言葉で締めくくりましょう。一番最近知った新しい言葉は?
「Kakistocracy(悪徳政治)」。君と一緒に知ったんだよね。すごく便利な言葉。
一番最近、スペルを思い出せなかった言葉は?
「Assassin(暗殺者)」。まいっちゃうよ。昔はスペルの達人だったのに。ママは自分では絶対認めなかったけど基本的に失読症だから、僕がスペルを覚えてママの役に立ってたんだ。ママが手紙か何かを書き始めると、必ず部屋の向こう側から「 ______ はどうスペルするんだっけ?」って大声で訊いてくる。僕がまだすごく小さい頃からそう。困ってる母親くらい、子供をやる気にさせるものはないさ。
『アートフォーラム』で禁止したい言葉は? 編集者が言葉を禁じるなんて前代未聞だけど!
言葉を全面禁止にするのはどう? 冗談さ。疲れてるだけ。先ず、「Abjection(卑屈)」。意味に反して精彩に欠ける言葉だから。それから「Resonates(共鳴する)」。美しい言葉だけど、使われすぎて陳腐になった。「Donnée(主題)」。この禁止令が適用されるのは僕だけ。artforum.comで調べてみたら、『アートフォーラム』の歴史を通じて「Donnée」が使われたのは11回、そのうち7回は僕が犯人だった。もとはと言えば、ジョーン・ディディオン(Joan Didion)が使った言葉なんだ。彼女だけの言葉にしておけばよかった。そう言いながら、次に書く文章にも、また使っちゃうんだろうな。
「緊張が反復され続ける中で、卑屈という主題が共鳴する。それらの緊張は、境界上を遍歴するこの肥沃かつハイブリッドな空間で、繰り返し折り合いをつけられる」って感じ?
そうそう。「弱冠22歳のアーティストが追求する卑屈は、生気に満ちて共鳴する一組のGIFとアーティスト自身が『Fetty Wap』に合わせてリップ シンクする動画によって、余すところなく形を与えられた。皮肉を湛えた彼女の青白い皮膚は、ポストコロニアル理論の倒錯した実践を再考することを無頓着に促すと同時に、本能的主題の罠に我々を捕らえ続ける」とかね。
Sarah Nicole Prickettはカナダ出身のライター。『アダルト マガジン』創始者でもある
- インタビュー: Sarah Nicole Prickett
- 写真: Marcelo Gomes