男社会を吹き飛ばせ
SilasとAriesを手がけるイタリア人ストリートウェア デザイナー、 ソフィア・プランテラが固定観念に真っ向から挑み、秘蔵アーカイブ画像の数々を公開する
- インタビュー: Edward Paginton
- 画像提供: Sofia Prantera

イタリア生まれのデザイナー、ソフィア・プランテラ(Sofia Prantera)は、新時代のストリートウェアを提案する。ファッションの扇動家や古風なジェンダー二元論に逆らうウィメンズウェア。彼女の作り出すストリートウェアは性別に縛られない。プランテラの関心は、究極の問い、つまり女性のためのストリートウェアとはどのようなものなのかという極限的で、本質的で、最も過激な方法を探ることにある。そして、男性により男性のために作られる従来のストリートウェアの慣例に真っ向から挑む。
卒業後直後に伝説のスケートショップSlam City Skatesにデザイナーとして参加し、90年代後半にはSilasを立ち上げるなど、プランテラはストリートウェアにセンシュアリティ―と洗練されたスタイルをもたらしてきた。男性優位のテリトリーに活力を吹き込みつつも、そこにある反逆の精神と気軽さをくまなく伝えることが、あくまで最優先事項であることに変わりはない。
90年代、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズ大学でファッションを学んでいるとき、チューターにストリートウェアはファッションではないと言われたとプランテラは話す。当然、このような見解は今日では完全に廃れてしまっているが、当時の彼女はそれに対し、「私はイタリア人なので、ストリートウェアはDNAに染み付いてるんです」と答えたのだった。
現在プランテラは、実現不可能な三角形、あるいはペンローズの三角形を使ったPalaceのロゴデザインを考案したファーガス・パーセル(Fergus Purcell)と手を組み、Ariseを創設して、ウィメンズウェアの領域をさらに押し拡げている。エドワード・パジントン(Edward Paginton)に自らのデザインの本質について語るプランテラが見据えるのは、いつかジェンダーのスペクトラム自体が遠い昔のこととなる未来だ。

冒頭の画像:スーザン・チャンチオロのRUNコレクションの動画の中の私。私の腕にはアーティストのフィル・フロストが絵を描いていて、このイメージは『Cube Magazine』がイタリアで出版した彼の単行書から。
Holmesは私の最初のブランドで、このミニコミ誌にはふざけた偽広告やファーグ(ファーガデリック)やジェームス・ジャービスを特集したジャッキー スタイルのフォト ストーリーなどが掲載されていた。みんなで一緒に仕事をしたしたのは、このときが初めてだった。
エドワード・パジントン (Edward Paginton)
ソフィア・プランテラ(Sofia Prantera)
エドワード・パジントン:何に惹かれてロンドンで学ぼうと思ったのでしょうか。読んでいた雑誌などですか。
ソフィア・プランテラ:雑誌にはまったく興味がなかったんだけど、そんなとき『The Face』や『i-D』みたいな雑誌が出てきた。これらの雑誌は、それまでどこでも探求されてこなかったような新しい考え方を示しているように思えた。イタリアには当時、『Frigid Air』という雑誌がひとつあって、それがサブカルチャーに対して似たようなアプローチを取っていた。そこには、危険に見えるようなことや、今まで見てきたものとは違うことが載っていた。
最初ロンドンに来たときは、それが目的だった。その後まもなく、私はスケートボードの世界に入った。間違いで入ってしまったようなものだったけど、完全に間違いというわけでもなかった。最終的にそのサブカルチャーの世界に入ることになって、それが他でもない私自身になったわけ。
ハイファッションとの衝突は常にあったわ。私はヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)やBodyMap、レイ・ペトリ(Ray Petri)とか、そういうのすべてに興味があった。でも同時にスケートウェアのもつ強さにも興味があったの。私がファッションの世界に足を踏み入れ始めた頃には、どのハイファッションももはや重要ではなくなっていたし。だからこそ、私はスケート カルチャーに魅力を感じたんだと思う。そこには新しい反逆の精神があるように思えたから。

キャスパーはPalaceの店舗で需要管理の仕事をしていて、よくうちのためにモデルをやってくれる。彼女を見ていると、何年も前の若かった頃の自分を思い出す。これは、この秋ローンチしたVans x Ariesのコラボレーションのために取り組んだ映画のスチール写真から。
では、どのような経緯でSlam City Skatesで働くことになったのですか。
友達のひとりがSlamのクルー全員を知ってて、彼らが新しいプロダクト デザイナーを探しているから、一緒にきてやってみないかって言われたの。それで行ったら、Slam Cityで働くことになった。あそこでの仕事は楽しかったわ。すごくオープンで、何でも好きなことをやらせてくれた。彼らが完全に無関心だったのか、そういう狙いがあったのか、全然わからなかったけど、かなりの無秩序状態に見えたわ。他の会社なら怖気付いてやらないようなこともやらせてもらったし、あの頃は最高だった。

AriesのTシャツでいちばんよく売れた4種類のうちのひとつの「PerfumeTシャツ」。香水瓶の純粋なブランド戦略を偲ばせる、誰もが知っているフォントを使用している。これはブランドの盗用に言及するために作ったもので、Ariseをブランドを超越したブランドへと高めている。
そこからどのようにして、別のものへと進化していったのでしょうか。またその精神をどのようにして維持したのですか。
当時、私はラッセル・ウォーターマン(Russell Waterman)という人と一緒に仕事をしていたんだけど、ビジネスの構造上、自分たちのブランドを立ち上げない限り、どこにも到達できないと気づいたの。ラッセルには子どももいたから、彼は大人だったと思うけど、あるとき、彼が「自分たちでもっと管理できるようなことを自分たちでやろう」みたいなことを言ったの。
それでSilasをやるために辞めた。このとき、私たちにはケンっていうとても優秀な日本人のディストリビューターがいたの。彼は今、Supremeのディストリビューターをやってるわ。彼がSupremeとSilasを同時に販売し始めたの。私たちにとって彼は本当に重要な存在よ。というのも、入荷数を制限する「ドロップ」と言われる仕組みを考えたのが彼だから。元は、彼が思う通りに私たちのビジネスを構築するためのアイデアだった。店舗を空にして、それからこの、毎週入荷する方法をとった。私の知る限り、この方法はケンのアイデアだったわ。

これは私たちの最初のブランドブックのためにファーグが制作したイメージ。このBourgeois Bizarreのロゴは、私の生い立ちを露骨にディスっている気がしてすごく好き。
今はもはや制御不能なのではありませんか。
必要にせまられてやってたんだと思う。それが当時の日本人のショッピングのやり方だったから。日本ゼロ年代の初期は景気が良かったし、海外ブランドにも飢えてた。だから、それを買いたがる人たちのブームがあった。私はこんな方法は今まで見たことがなかったし、ケンは必要に迫られてこういう方法を構築したの。それが今の経営方法になった。

ファーグによる、別のブランドブック。モービッド・エンジェルのアルバム タイトルと『American Hardcore』の歴史のオリジナルのコピーを使ったもの。
あなたが2011年にAriesを始めたときは、ストリートウェアというのはまだ「禁句」といった感じでした。どのようにしてここから差別化を図っていったのですか。
本当にそうだったわね。ストリートウェアを始めた第1ラウンドで、私はストリートウェアの死を経験したけれど、それからも私はずっとストリートウェア一筋だった。ファーグと私がAriesを始めることにした当時は、Ariesにはかなりドレッシーな側面があった。そしてAriesは、自分たちがやりたいことは何でもできるような手段であるべきだと決めていた。2010年に作った初めてのコレクションは、昔のGildanでやったスプリンターTシャツの変なリミックスだった。私はあの重いTシャツのスタイルみたいなのがすごく好きなのよ。私たちは、ただGildanのTシャツを買って、ラベルも残したままにして、その上にプリントしてしまえばいいって考えたのよ。それからシルクのドレスやジュエリー、ジーンズを作った。色んなもののミスマッチね。
パリでそれを見せたときは、誰にもまったく理解されなかった。大失敗だった。何というか、それがユニセックスだということが理解されなかったの。ファーグも私も、同じTシャツを着たいと思っていたし、それなら、メンズのTシャツとウィメンズのTシャツを作る必要なんてないでしょ。私たちは、このふたつを区別する意味なんてないと考えていたわ。

ソニアに会ったのは38番のバス。一目見て、彼女の姿に惚れ込んだ。バス停に立ちっぱなしで何とか電話番号を交換しようとしたのに、彼女の携帯も私の携帯もうまく作動しなかった。彼女が連絡をくれることはないだろうと思っていた。
あなたのストリートウェアの世界についての考えを聞かせてください。非常に男性的な分野として認識されることが多いと思うのですが。
ほんと、そう(笑)。こんなこと言っていいのかわからないけど、先日、誰かにAriseが入ってると言われて、Hypebeastの今年の100人を見ていたんだけど、選ばれた人の中に全然女性が入ってないのよ。「少しは女性がいるはず」と思ってたのに、本当にほとんどいないの。多分100人以上選ばれている中で、女性は12人とかその程度だった。
あなたはずっと女性が男性のような服を着るポストパンクなスタイルを好んでおられますね。スタイルを通してジェンダーの境界を曖昧にさせるような…
私がいつもボーイッシュな服。ずっとサブカルチャーに魅力を感じてきたから。でもサブカルチャーは、いろんな意味で、男性が牽引しているようだった。ストリートウェアが女の子用の「BABE」Tシャツで溢れかえったときのことだけど、私はそれにちょっと反感を覚えたの。それは私が着たいものじゃなかったから。女性用とか、女性だけに特別に作られるものなどないって、ずっと思ってた。
ブランドとしてのAriesは、はっきりと性的でないものを目指していて、それが特にあなたの信念として重要のように見えます。この解釈であっていますか。
私は性的なものがあっても別に構わないと思う。でも、やり方によって、私が魅力を感じるものと、そうでないものがある。権力の問題よ。権力を握っているのは誰か。言うなれば、私にとって重要なのは、女性が自分の強さを感じられるようなものを見せることなんだと思う。
ハイファッションでは、女性の存在はとても強い。興味深い方法とイメージで女性を描くすばらしいファッション フォトグラファーがいる。むしろ、ストリートウェアでの女性の描かれ方に対して腹が立つことの方が多かった。 当時は、女性を物として見ているようだった。「スケートするのは男で、女はその横に座っている人」みたいなね。「女性はただのチアリーダー」みたいなところがあって、それが本当に嫌だった。「このぴちっとしたピンクのものが女性バージョンです」っていうような。今思い返しても、あれには心底腹が立った。

97年の私。冷蔵庫に貼っているステッカーには、Holmesの「groove with Jesus」やケニー・シャーフ、 映画『リキッド・スカイ』のステッカー、メアリー・フレイやクロエ・セヴィニーが働いていた店のものがある。『KIDS/キッズ』が公開されてクロエが有名になる前、彼女たちはロンドンの来るとうちによく滞在していた。
この既存のストリートウェア業界に合わせるプレッシャーを感じたことはありますか。
もっと若い頃には感じてたかも。でもそれは、女性らしくするという意味で。今は私もだいぶ強くなって、そんな必要もなくなった。イタリアでは、それがすごく目につくけど。文化的にもっと肉食系だから。イタリアにいると、女性はより無防備に感じることがある。ここロンドンではあまりそんな感じはしないから、ずっとやりやすい。とはいえ、一般的にセクシーと見られるものに従うのか、快適で、勇気づけられて、心強く感じられるようなものを選ぶのか、女性は常にこの二項対立の板挟みになる。私たちは昔ながらの女性像からだいぶ遠ざかったとはいえ、多分、まだ完全じゃない。女性はいつもセクシーなものとして描かれる。女性はいつも、そのコンセプトと戦ってるのよ。
定義できないものであることの強みとは、どのような点でしょうか。
より多くの余地が生まれるところ。言っていることが明確でないと、方向性を定めるのはずっと難しい。「これが私の長所で私のブランドが対象としているのはこういう人です」って言える方が、何かを提示するのも、マーケティングするのもずっと簡単よ。私はそういうのから離れて、とても曖昧なものになりたい。そうすることで、未来にさらなる余地が生まれると思うから。どこにも属さないっていうこのアイデアはかなり気に入ってる。
Edward Pagintonはロンドン在住のライター兼ディレクターである。『The Guardian』、 『032c』、『Modern Weekly』、『The Travel Almanac』および『Nowness』など多数のメディアで執筆を行なっている
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