ヘアサロンへ行きたい

ティアナ・レイドの悲嘆と美容室の無機的な慰安

  • 文: Tiana Reid
  • アートワーク: Megan Tatem

忌々しい世界的パンデミックの真っ只中の5月に父さんが死んだ後は、本当にもう、それ以上お祈りを聞くのはまっぴらだった。お悔やみも願い下げ。弔問客に出すトレイに盛られたコーンブレッドなんか、見たくもない。生まれつきの跳ねっ返りだから、ベルモントやニューポートなんてタバコは吸いたくない。お酒も飲みたくない。何もかも無視してしまいたかった。息を引き取る前、父さんが痛みに呻く声を一晩中聞いていたとき、金切り声で叫びたかった。お葬式を中座して、二度と振り返りたくなかった。家族の中の、美しく手に負えない「アンファン テリブル」になりたかった。

だが、本当のところ、私はどこへも行かないし、何もしないだろうとわかっていた。あまりにもウィルスの蔓延が怖かったし、30歳の「分別を弁えた一人前の女性」であろうとしたし、心の痛みが大き過ぎてあれこれを拒絶できるようなエネルギーはなかったし、多少に関わりなく、父さんへの愛着を理由に自分へ注意を集めるつもりもなかった。その代わりに、気分が良くなることを想像した。ヘアサロンへ行くことだ。どんな種類のヘアサロンでもよかった。濃い眉をワックスで整えてもらってもいい。悲惨な状態の爪を綺麗にマニキュアしてもらってもいい。私の家族は、黒人家庭の道徳にしたがって恥ずかしくない体裁を整えることに専心していたから、見苦しくない外見のために私が時間をとることに異存はなかったはずだ。

大抵の場合、私は髪を編んでもらうのを想像した。予約もなしに125th ストリートにある建物の前階段を駆け上がり、呼び鈴を鳴らし、最低10分は待たされた後、内階段で愛想のない2階へ上がり、人気のない廊下を歩いて、火事でも起きたら大変なことになる窮屈な部屋へ入りたかった。その混み合った空間の中のどこでもいいから、4時間でも10時間でも座っていたい。ただそれだけ。叶わぬ夢だ。私はニューヨークから800キロも離れた場所にいたし、ヘアサロンは休業中だったから。父さんのお葬式の2日前には、外出制限に抗議するミシガン州の白人住民数百人が州議事堂前で「ヘアカット作戦」を実施していたが、私の空想は本気で過激だった。

去年の夏の大半は、私ひとりの意気揚々たる行進でもあるかのように、三つ編みが体のまわりで揺れていた。2011年にカレッジを卒業してから、ずっとベリー ベリー ショートにしていたから、三つ編みは目新しかった。2019年にゲイ専用のオンライン デートを体験して以来、 私の中で目覚めた「モンスター ウーマン」を大事にするようになったのだ。5月、学期最終日の翌日、私はヘア ドレッサーのところへ行って、持参した写真を見せた。バルバドスでブジュ・バントン(Buju Banton)のコンサートに出演したときの、リアーナ(Rihanna)の写真だ。髪は節くれだった太い三つ編みで、イエローとグレーのチェッカー模様のスーツを着ている。ブジュと一緒に写った写真では、特に聞き分けのない三つ編みが1本、今にも牙を剥きそうな毒蛇みたいに垂れ下がって、リアーナの顔を分断している。6月、プロ スポーツのチームの中でいちばんエキサイティングなトロント・ラプターズがNBAファイナルで初優勝を決めたときは、先っちょが渦巻きになったストレートの自毛で、カワイ・レナード(Kawhi Leonard)に声援を送った。

本当のところは、家族から離れて夢想に浸る口実が欲しかっただけだと思う。金銭の交換によって約束される無機的で単純な取引のなかに、身を置きたかったのだ

7月になる頃には、熱く落ち着かない自分の内面と外見を一致させたい気分だった。そこで永遠と思えるくらい長い時間をかけて、細い三つ編みにした。ヘア スタイリストが奇跡的な技で私のナチュラル ブラックの髪に編み込んでくれたプラチナ ブロンドは、チョコバニラ ミックスのソフトクリームが描く捩れた軌跡みたいだ。そのヘア スタイルから生まれるちょっとしたドラマが楽しかった。角を曲がった瞬間、出くわした人の心臓が一瞬止まるのが聞こえるみたいで、ダウンタウンのホテルでは「そういうのは、今まで見たことがない」と白人男性に言われたこともある。8月に入ると暑さは耐え難く、おまけに私はモントリオールとジャマイカへ行く予定だったから、とび色の付け毛のコーンロウにした。そうすれば髪が顔にかからないから手間要らずだと思ったのに、実際は顔が丸出しになるのが嫌で、大抵、シマウマ柄のバンダナを巻いていた。学校が始まる9月になった。おそらくその学期は教える講座がなかったせいで、今度は「先生っぽい」スタイルにしたくなった。肩までの長さの90年代風ボブにしたところ、母さんは気に入った。

そんな具合に、色々と精神の筋力を鍛錬した去年の夏だった。今年も夏がやってきた。私の髪は過去10年でいちばん長く、去年ほどいじられていない。コロナウィルスの感染が広まっていく期間、すでに難しくなっていた周囲の人たちとの関係は爆発寸前の状態になった。コミュニティはバラ色の言葉で語られる場合が多くて、緊縮で締め付けられた状況でリソースを奪い合う厄介な争いやトラブルの処理は、曖昧にぼかされる。ご存知のとおり、黒人の男たちは、ヘテロな男性支配的願望がある種の祈りであるかのごとく、神聖なるマッチョな場所として床屋を崇めたがる。労働時間の延長、独特の言葉遣い、客にまつわるゴシップ、独創的なスタイリング、統制とは無縁にシンクロナイズされた動き、ヤッピーたちの残酷さ、集団的な沈黙。床屋であれ美容室であれ、資本主義下の現代はそこで行われる儀式を脅威に晒し、同時に真価を明らかにする。

私の精神が崩壊し始めたとき、少なくとも髪だけはどうにかしたかった。本当のところは、家族から離れて夢想に浸る口実が欲しかっただけだと思う。金銭の交換によって約束される無機的で単純な取引のなかに、身を置きたかったのだ。およそ思慮分別とは無関係な、おおらかで瑣末な物事に徹したかった。それまで幾度となく体験した、他人と同じときに同じ空間を共有する感覚を味わいたかった。しがらみから解放されたかった。

髪を編んでくれるヘアサロンが、いかにも愛らしくて、ロマンチックで、手放しに懐かしい場所に聞こえるとしたら、おそらくそれが真実だからだ。去年の夏のいつだったか、私は、今行きたいと切望しているまさにそのヘアサロンにいながら、出て行きたくてじりじりしていた。全部編み終わらないうちに帰ってしまおうかと、本気で考えたほどだ。肉体的に途方もなく不快なのは、我慢できた。私は、賢くて情緒不安定なところのある大人の女性だった。でもその日目にしたのは、生まれつき刺激に過敏な頭皮に泣き顔になり、それが人にはどう見えるだろうという恥ずかしさと弱さに圧倒された私自身の有様だった。突然襲ってきたパニックを、私はどうにか押さえ込んだ。闇の中を手探りしながら、その場に留まった。苦しむ父さんのそばに留まり、お葬式から逃げ出さなかったのと同じように。そして、留まることで、真新しい人になったような気がしたのだ。

Tiana Reidは、ニューヨーク シティ在住のライター。コロンビア大学で博士号を取得予定

  • 文: Tiana Reid
  • アートワーク: Megan Tatem
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: July 21, 2020