TV番組「アイ ラブ ディック」

クリス・クラウスから「ヤング ガール」へのアドバイス

  • 文: Fiona Duncan
  • 写真: Max Farago / Total Management

1997年、クリス・クラウス(Chris Kraus)は、投影、権威、強烈な欲望を描いた書簡形式のロマンティック コメディ「アイ ラブ ディック」を出版した。20年という年月と数千枚のセルフィーを経た後、ギャグのようなタイトルを付けられたこの小説は、大衆向けのテレビ番組になる(監督はジル・ソロウェイ(Jill Soloway)。

2012年、当時「クラウスのカルト性」と呼んでいたテーマについて、私は調査を始めた。私を含め、クリス・クラウスのファンは増殖していた。最初はモントリオール、後にマンハッタンに独立系の書店を構えた私は、そこそこ若く、イメージを重視する多数派女性が彼女の本を買い、その数が増えていることに気付いた。それからの4年間、私はこの現象を追いかけた。ロンドンへ飛んで、この存命の著者をテーマにした会議に参加した。新たな言及がメディアに登場するたびに、それらを全部アーカイブした。彼女と親しいエミリー・グールド(Emily Gould)やアイリーン・マイルズ(Eileen Myles)だけでなく、多くのクリス・クラウス読者にもインタビューした。無論、時間と手間を割いてくれたクリス本人にも。「アイ ラブ ディック」のテレビ番組化が公表されたのは、私が研究成果を発表しないと決めた後だった。発表しない理由は、自分のトレンド観察癖を一種の心の病と考えるようになったから。それと、私にとって、クリスが現実になったから。

腰を振る歩き方、そして同じように思わせぶりでつかまえどころのない物腰がクリスの特徴だ。10代のような背格好と言えなくもない。すべてを映す鏡のような視線は、透明で冷めている。目だけで微笑むことができる。詩的かつ理論的であり、常識的。都会を生き抜く術を心得ている。不動産業のビジネスに携わっていることで、発言の自由が保証されている。生活費のために、自分のアートからの売り上げを当てにする必要は全くない。

クリスにとって、「アイ・ラブ・ディック」はすでに過去の話だ。1997年以後、3冊の小説、2冊のエッセイ集、何冊かの政治的な小冊子を出版したし、ロック スターのような知識人として、各地を回り、教え、指導してきた。加えて、Semiotext(e)での編集も続けている。シルヴェール・ロトリンガー(Sylvère Lotringer)、エディ・エル・コールチ(Hedi El Kholti)のふたりと共同運営しているSemiotext(e)は、1990年以来、自著の出版元Semiotext(e)でもある。

Semiotext (e)の拠点はロサンゼルスだった。しかし、2000年代に入ってバブルが崩壊する直前、クリスはロサンゼルスで所有していた不動産物件の大多数を売却し、ビジネスの拠点をニューメキシコ州アルバカーキへ移した。ひとつだけ手元に残した物件が、現在住んでいる場所だ。偽造IDが売られ、カナダグースに餌をやれるマッカーサー公園から数ブロック、小高い丘の上に建つクリスの家からはハリウッドのサインが見える。門の背後には二軒の家。ひとつは内装がオレンジ色と木目調、もうひとつは淡いピンクと白に統一されている。インタビュー当日、敷地の周囲はコインランドリーのような匂いがした。私たちのインタビューは2件の撮影の合間だったから、クリスは完璧なヘアとメイクで現れた。オレンジ色の家の正面にある部屋は、撮影の用意が整っていた。小さなテーブルを挟んでふたつの折りたたみ椅子が斜めに配置され、ライブで観客とステージを連想させる。(クリスはかつて女優、演劇の学生、映像作家だった)。私たちは本について録音もせずに話し始め、しばらくしてようやく私は訪問の目的を思い出し...

フィオナ・ダンカン(Fiona Duncan)

クリス・クラウス(Chris Kraus)

フィオナ・ダンカン(Fiona Duncan):今、取り憑かれたようにファニー・ハウ(Fanny Howe)を読んでいるところなんです。

クリス・クラウス:いいわね。彼女は天才よ。

あなたは「Hatred of Capitalism」の序文で、ファニー・ハウはクレイジーだと言ってますね。

ええ。彼女があの表現を好きだったかどうか知らないけど! 褒め言葉だったのよ(笑)。

あなたが出版する本の著者には、クレイジーな人が多いですか? そもそも、クレイジーって、どういう意味ですか?

「友達というのは、自分のクレイジーな部分をあなたに見せてくれる人」。私とシルヴェールがよく言い合ってたドゥルーズ(Deleuze)の素晴らしい言葉よ。私たちが出版するのは、全員、私たちがクレイジーな部分を知ってる作家のような気がするわ。それが作品にも明白に現れてるし、だからこそ彼らの作品が好きなの。Semiotext(e)は、会社であるのと同じくらいに、キュレーションした作品でもあるの。すごくたくさんの原子が結合して構成したビジョンや美学のようなもの。相互のつながりで広がった拡大家族。どの作家でも、1冊以上出版することが多いわ。

Semiotext(e)の
スタイルは、
古いカシミアの
プルオーバー セーター

何を出版するかについて、意見がまとまらないことはありますか?

全然意見がまとまらないってことはないわ。時々、シルヴェールがXを好きで、私はXが好きじゃなくて、エディは中立の立場ってことはある。だけど、それで喧嘩になったことはないわね。基本的に、うまく続く結婚と同じ。1人があるプロジェクトを絶対やるべきだと思って、他の2人がそうでなくても、それでいいの。やらせてみましょう、って感じね。

2012年に初めてお会いしたとき、私はファッション ジャーナリストでした。あなたはSemiotext(e)の本を2冊、薦めてくれましたね。2冊とも意識を変えてくれるような本でした。特にティク-ン(Tiqqun)の「Theory of a Young-Girl」。(もう1冊はBernadette Corporationの「Reena Spaulings」)。この2冊について話してもらえますか? ファッションに敏感な人たちにとって、これらの本が意味を持ちうるのはなぜでしょうか?

「Reena Spaulings」では、レーナが下着の撮影をしているあいだに、ニューヨークが爆発して大惨事になるでしょう。すごく可笑しいわ! アリアナ・レイネ (Ariana Reines)が翻訳したティクーンの「Theory of a Young-Girl」は、すごく2012年にマッチしてたし、今でも古くなってないわ。ティクーンは「ヤング ガール」の記述を、ジェンダーや年齢から切り離して、元来属している領域で定義してるの。つまり、実存的で、大量消費的な状態。主人公は、底無しの欠乏感の中で微笑みつつ戸惑いながら、人を満足させたいという絶え間ない欲望に苛まれてる。

Semiotext(e)のメンバーで、誰のスタイルが一番ですか? どんなスタイルですか?

ロサンゼルス時代のSemiotext(e)スタイルは、古いカシミアのプルオーバー セーターだったわ。色はキャメルかネイビーかブラック。少なくとも私の場合は、リサイクル ショップで買ってた。多分、私たちはみんな、エディの真似をしてるのよ。彼のスタイルが一番だわ。

エディはどんな人ですか? いつSemiotext(e)に参加したんですか?

エディ・エル・コールチは、2001年にSemiotext(e)のデザインを始めて、2004年に共同編集者になったの。彼が来るまで、Semiotext(e)はどこか時間が止まってたわ。当時は、男の子向けの本、シルヴェールが担当してたForeign Agents Frenchの理論書、それから私の女の子向けの一人称フィクションだけだった。エディは素晴らしいアーキビスト兼アーティストでね、モロッコで大きくなって、パリで暮らして、その後ロサンゼルスへ来たのよ。驚くほど広範囲の文化に精通してるから、Semiotext(e)が扱う範囲がどんどん広がったし、色んなニュアンスも生まれた。セックス、カルチャー、政治、文学。今でもきちんとは定義できないんだけどね。そのほかに、編集主幹もやってて、企業っぽくない、とても創造的なやり方で、Semiotext(e)をパワフルでプロフェッショナルな事業へ変えたわ。

Semiotext(e)の本の表紙はどれも素晴らしいですね。お気に入りはありますか?

マーシャ (Masha Tupitsyn)の「Beauty Talk and Monsters」の表紙は素晴らしいわ。マリリン・ミンター(Marilyn Minter)の作品。エディは、私が担当したキャシー・アッカー(Kathy Acker)の表紙をデザインしてくれたところなの。以前にキャシー・アッカーの服を撮影した、写真家のカウシーリャ・ブルック(Kaucyila Brooke)の写真を使ってるわ。ハンガーにかかった、幽霊みたいな彼女の黒のレザージャケットが表紙。

1997年、キャシー・アッカーは50歳でこの世を去った。友人であり文学の同志であったウィリアム・S・バロウズ(William S. Burroughs)が亡くなったのも同年。アッカーとバロウズは海賊であり、クールの代名詞だった。言葉に対してあまりに真剣だったため、その終焉を求め、終焉を迎えるまで言葉を切り刻んだ。しかし自由を愛したキャシーは、女性であるがゆえに窮屈だったパブリック イメージを嫌悪した。彼女はいつも金銭的に困窮していた。アッカーが亡くなり、「アイ ラブ ディック」の出版から間もなくして、クリス・クラウスは以前Semiotext(e)が出版したことのあるアッカーの生涯を調べ始めた。(Semiotext(e)はバロウズ本も出版したことがあった)。このプロジェクトはしばらく中断していたが、ようやく伝記の執筆を終えた。タイトルにキャシー・アッカーの名前を冠して、8月にSemiotext(e)から出版する予定だ。

フィオナ・ダンカン:キャシーからは、とても固い意志を感じました。

クリス・クラウス: 彼女には、文筆家として立派なキャリアを築くという確たる決意があったの。それが彼女の選択の多くを決定した。裏目に出たこともあったけどね。80年代の過激な「バッド ガール」のイメージは印象的だったけど、彼女をひとつの時代に閉じ込めることにもなったわ。作品が彼女の写真のイメージから切り離されるまで、20年かかったのよ。キャシーはものすごい熱意でアイコンとしての地位を追求したけど、それをマーケティングのツールとして使うようにもけしかけられた。彼女の作品は難解で、すごく知的だった。だから、もっと売り出せるように、パンクの元祖みたいなバッド ガールとして売り出すっていう、出版社のアイデアを受け入れるようになったの。

彼女は、自己矛盾が多かったのですか? 相手によって違う自分を見せるとか?

それは間違いないわね。アーカイブを辿ってるうちに他愛もない嘘を見つけるのは、ちょっと後ろ暗い楽しみだったわ。同じことを、ある人にはX、他の人にはYと言ってるの。執筆するときは、ある男性を選んで「物言わぬパートナー」にしてる。時には恋人だったり、そうでなかったり。たいていは恋人だったけどね。彼女はその男性に向けて熱烈に手紙を書いて、執筆内容を共有していたの。手紙の一部が本になることもあった。「Don Quixote」までは、いつも誰かに向けて書いてたのよ。

あらゆる本はラブレターだと思います。私が執筆するものも、ほとんどは誰かひとりの…

秘密の受取人がいる気がするのね? 私もそうよ。

あなたの書いたアッカーの本の受取人は誰ですか?

エディね。私とエディは、どうやって歴史が作られるかについて、何年も話してきたの。この本は、それがテーマになってる。私たちはふたりとも、古き良きニューヨークへのノスタルジーに強い嫌悪感を持ってたの。70年代や80年代のニューヨークの歴史は、すごく神話化されてるわ。私は、実際の人生とそれが歴史化されるときのギャップが分かる程度には長生きしてきたから言えるけど、それってすごく恐ろしいことよ。だから、70年代や80年代を正直に描写することが、私の目標のひとつだった。キャシーが私の大好きな作家だから、この本を書いたわけじゃないの。キャシーの生涯をリサーチすることが、違う時代のもうひとつの歴史を作り出す方法になったわ。時間の中を移動する指標として、彼女を使ったの。すごく複雑で矛盾に満ちてるから、魅力的な指標よ。好きになれないところもたくさんあるけど、最後にはそれを補う。彼女自身は作り物の脆さと無力さで補っていたと思ったかもしれないけど、本当は、大変な努力と規律で埋め合わせてるのよ。努力と規律。最後まで残るのそれだわね。

このインタビューで、
ボーイフレンドのことを
話そうとしてるのかしら?

過去の神話には、どんなものがありますか? 神話化するのは誰ですか? それは何のためなんでしょうか?

いえ、誰も名指しする気はないわ。でも...分かるでしょ? あの時代の回顧録とか写真展とか、一過性のものが今まですごくたくさん企画されてきた。まるで、70年代や80年代のニューヨーク シティが最後のアバンギャルドだったみたいにね。いつだって最後のアバンギャルド。回顧録って、誰かの成功ストーリーを語りながら、その過程で多くのことを編集してしまう。そうやってアート界のスターが作られるのよ。その過程で、周囲の人たちや、倦怠や、実際に生た時間の質感は全部消えてしまうの。

真実の神話もあるのでしょうか?

同時に、真実で嘘。誰かにとっての真実は、常に、他の誰かにとっての嘘なのよ。重要なのは、歴史が現在にどう語りかけるかということ。

ここで、クリスは訊ねた…

私たちは、このインタビューで、ボーイフレンドのことを話そうとしてるのかしら?

ひとりの人間を
知っていくことって、
ガールフレンド役の
オーディションみたい

ボーイフレンドについて話すこともできます。私は、いつも最後は、男女関係や愛に行き着いてしまうんです。

私はたくさんの人と寝たわ。でもボーイフレンドがたくさんいたわけじゃない。ロサンゼルスに初めて越してきたとき、パートナーのフィリップに出会う前は、できるだけ多くの人と寝ようとしてたの。欠乏感を埋めるためにね。今は、一夫一婦制の、言わば退屈な生活を送っているわ。でも、そんなに退屈でもないかもしれない。ボーイフレンドに関することって...舵取りが恐いわ。ひとりの人間を知っていくことって、ほとんどガールフレンド役のオーディションをしているみたい。それって最悪よね。

分かります。若い女性に相談を持ちかけられることは、よくありますか? 私の経験からすると、あなたのファンは、基本的に、たくさんの「ヤング ガール」ですね。「アイ ラブ ディック」の信奉者…。

しょっちゅう! 去年の夏、ジョアンナ・ウォルシュ(Joanna Walsh)と一緒にロンドンでイベントをしたんだけど、そんなのばっかりだったわ。チケットを買ってくれたお客さんに事前に質問を出してもらって、ステージ上でそれに答える企画だったの。まるっきり身上相談のおばさんよ。

その時の質問を何か覚えてますか?

三角関係について、すごく難しい質問があったわ。それからもちろん、盲目的な恋の話もいくつかね。

そんな「ヤング ガール」には、どんな作家を薦めますか?

私にとって大切な作家は、レイチェル・ナーゲルベルグ(Rachel Nagelberg)、ナターシャ・スタッグ(Natasha Stagg)、ジョニ・マーフィー (Joni Murphy)、ナターシャ・スブラマニエン(Natasha Soobramanien)、セシリア・パヴォン(Cecilia Pavon)、エミリー・グールド(Emily Gould)、シェリア・へティー(Sheila Hetii)。自分と同時代のあらゆる層の作家を読むのは良いことよ。過去の作品を読むのも良いことだわ。バルザック(Balzac)の「娼婦の栄光と悲惨」は、特に独身だった頃、私にとって重要な作品だったわ。

1日の読書量はどれくらい?

一切読まない時もあるし、1~2時間の時もあるわね。

同時にたくさんの本を読むタイプですか?

私は、一夫一婦制の読者よ。

Semiotext(e)が次に出版する本は?

秋にジャッキー・ワン(Jackie Wang)の「Carceral Capitalism」を出版する予定。彼女は、制度に組み込まれた人種主義、特に刑事司法制度に関する人種主義問題について、素晴らしい仕事をしてるわ。それから、ゲイリー・インディアナ(Gary Indiana)の作品も再版しているところ。今季には「Three Month Fever」を出すわ。ジャンニ・ヴェルサーチ(Gianni Versace)を殺害したアンドリュー・クナナン(Andrew Cunanan)の精神分析的な伝記よ。クリス・グラゼック(Chris Glazek)が序文を書いてくれたわ。それから、インビジブル コミッティ(Invisible Committee)の「Now」っていう新作にも取り組んでいるところよ。まだ原稿は受け取っていないけど。

  • 文: Fiona Duncan
  • 写真: Max Farago / Total Management