ニキル・サヴァルの
政治的想像力

新議員は時代の要請にこたえて羽ばたきはじめた民主社会主義者

  • 文: Nathan Taylor Pemberton
  • アートワーク: Crystal Zapata

6月中旬、著述家、編集者、組織活動家でもあるニキル・サヴァル(Nikil Saval)が、ペンシルベニア州議会上院の議席をめぐる民主党予備選にまさかの勝利を収めたことが発表されたとき、そのプロフィールには、37歳の彼が選挙戦に勝利するためにMotorola Razrの折り畳み携帯をやむなくiPhoneに乗り替えたことが目ざとく言及されていた。グループ メッセージを送れなくて、これはもう限界だとなったらしい。べつに特に後ろ暗い秘密ではない―、少なくともフィラデルフィアの政治的基準に照らすかぎり。その詳細は世に逆行する彼の奇癖として披露された。

実際、こうした奇癖は深読みしないほうがいいかもしれない。彼が成し遂げたことの大きさを考えればなおさらだ。サヴァルは、100万戸の低価格住宅の供給とグリーン ニューディール政策を最優先の公約とする綱領を掲げて生まれて初めて政界を目指した。そして、すでに3期を務めフィラデルフィア中心部に巨大な票田を持つ、民主党のマシーン政治家を破ったのだ。それも新型コロナウィルスの感染拡大と、人種差別的な警察活動に対する民衆の抗議デモという危機がコンボで訪れた時期に、新米候補者でありながら馴染みのある戸別訪問という手段を捨て、Zoomによるタウンホール ミーティングや電話かけ作戦、そして時折、介護ホームやフードバンクをフェイスマスク姿で訪問するといった方法に切り替えざるを得なかったなかでの快挙なのである。

個人的習慣と政治的信条を並べてみても、政治家についてわずかでも意味のある洞察が得られることはほとんどない。たとえばバラク・オバマ(Barack Obama)のSpotifyのプレイリストや、ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)がポップ カルチャー用語を並べたて、「Pokemon-Go」とかけて若い有権者に投票を呼びかけるも誰の心にも響かなかったという、無残な試みを考えてみればいい。だが、こうしたやり方をわざとらしいと呼ぶことは、控えめに言って、彼らのような野望を持つ政治的ペルソナが人間のふりをするために振り絞る、とてつもない努力の意味を見過ごしている。時代を左右する有力政治家たちは、血の通った個性を取り入れようとさまざまに試行し、現代アメリカにおける政治的想像力の貧困を露呈してきた。

というわけで7月、予備選挙の勝利からちょうど1か月後に、サヴァルとサウス フィリーの静かな公園に座って話をしたとき、サヴァルが麻のブランケットの上に、あまり使っていないiPhone 11をひょいと投げたのを見て、ふたりの前に音もなく着地したガラスに包まれたメタファーを僕はどうしても無視できなかった。今から1年ほど前、サヴァルは自分―そして世界―と、このジョニー・アイヴ(Johnny Ive)が生んだ現代の不思議との関係性を深く検証した。そして『ザ ニューヨーカー』誌に、iPhoneは「邪悪な美」を宿している、と書いた。その美に、人はなかば催眠術にかけられ、会話の切れ目やコース料理の合間に働く重力に知らず知らずとらえられてしまう、と。

彼と「それ」との関係性は当時からみて改善したか、と尋ねると、サヴァルはiPhoneをもてあそびながら笑った。「ムカついてる。メールのために使ってたらもっとムカついてたと思うけど」

サヴァルはメールだけでなく、TwitterにもiPhoneを使っていない。「こいつを開くと、『ツイートは?』って言ってくるだろ」これもムカつくんだ、と彼は説明した。それでアプリをデバイスから削除してしまった。ニュースをiPhoneで読むこともない。テキスト メッセージはたまに使っているらしいが、僕のメッセージに電話で返事をしてきて、会う時間を決めたところを見ると、たぶんそれも気に染まないのだろう。サヴァルはT9入力の機械的な操作を恋しがる、地球上にわずかに残ったミレニアル世代の一人でもある。T9とは、9桁のキーパッドをタップしてメッセージを入力する、今みると古色蒼然とした感のあるシステムだ。実はそれがけっこう得意でね、と話したあと、サヴァルはこの才能に使い道について考え込んだ。「それって売りになるスキルだったりする?」

一緒に過ごした2時間、彼は僕から少し離れた地面にリラックスして座っていた。黒い髪は、パンデミックの最中らしくぼさぼさだ。ブラウンの四角いフレームの眼鏡をかけ、濃色の麻のパンツ、スリッポン サンダルを履き、仕上げに手作りのコットン マスクをつけている。そんなサヴァルはこれから州議会上院議員になろうとする人物というより、若い父親のように見えた。実際、その通りなのだが。フィラデルフィア市の景観保存活動に携わる妻のシャノン(Shannon)がフルタイムで働くあいだ、彼は11月の選挙の準備をしながら、日々、息子の世話をして暮らしている。6月初め、妻とふたりでジョージ・フロイド(George Floyd)殺害に抗議する全市的なデモに参加して、幼い息子と離れたのは数か月間ぶりであることに気づいたという。

インドのバンガロールから移民してきた両親のもとに、ロサンゼルスで生まれたサヴァルは、南アジア系米国人として初めて、ペンシルベニア州全州にかかわる公職に選出されることになる。最近、フィラデルフィアのブロード ストリートで行われた大規模な抗議デモ中に撮影されたビデオの中で、彼はゆったりとしたインド風民族衣装のコットンのクルタを着て群衆に語りかけていた。フェイスマスクを通して、アメリカの人種差別と帝国主義という双子の悪魔を激しく非難する。緊張して上ずった口調を和らげるのが、すぐにそれとわかるカリフォルニア アクセントだ。

まもなく州議会上院議員になろうとしていることが、いまだにピンとこない。書類に追われて悲惨な有様になってることを除けばね、とサヴァルは冗談めかして言う。その代わり、彼は自身の政治的想像力を維持するために、2011年にこの街に移り住んでからずっと、大きな成功を収めてきた活動を続けている。それは地元を組織する現実的な仕事だ。彼が共同設立者である「Reclaim Philadelphia」は2016年に設立された革新的な政治団体で、スタッフは主にバーニー・サンダース(Bernie Sandars)の初大統領選に駆けつけたボランティアたちの緩いネットワークで構成されている。このグループが初めて選挙で担いだのがフィラデルフィアの改革派地方検事、ラリー・クラズナー(Larry Krasner)だった。クラズナーの選挙によって、サヴァルと「Reclaim」はフィラデルフィアのちょっとした政治勢力に数えられるようになった。サヴァルの選挙スタッフの多くは、「Reclaim」の仲間たちが流れてきており、11月に向かって、彼はこの団体の活動を活発にすることを計画している。資金を集めて州各地のさらなる激戦区で民主党候補に有利な投票活動を呼びかけるためもあるが、歴史的に大統領選の勝敗を握る州をまとめて、ジョー・バイデン(Joe Biden)を勝たせるためなのは言うまでもない。なにしろ、今回は僕らの人生で掛け値なしにもっとも重大な結果をもたらす大統領選なのだ。

今のところ彼の心は、候補者として掲げたみずからの政策と、未曽有の危機が国家を襲うなかで間もなく選出される議員としての新たな責任とのせめぎ合いに挟まれている。だがこの状況に圧倒されもしり込みもせず、それをチャレンジだと受け止めているとサヴァルは言う。「こんなふうにラディカルで、多人種が関わっていて、しかも若者がほとんどを占めていて、資本主義の土台、つまり文字通り国家の礎に挑もうとする運動は見たことがない。すごくわくわくする。だけど同時に『ああ、でも自分は選挙で選ばれた公人として、この時代と渡り合わなくちゃいけないんだ』とも思う」

サヴァルのもっとも「売れる」スキルは、人間の生活のあらゆる面に影響を与えるモノや建築に向ける批評的な眼差しだ。ニューヨークのコロンビア大学で学部生だったとき、親友に説き伏せられて都市学を研究した彼は、このトピックをブルックリンの文学雑誌『n+1』で長々と追求し、最終的に雑誌の共同エディターになった。『n+1』時代、サヴァルはニューヨークのさまざまな出版社で編集補助の仕事を次々にこなしたが、稼いだ金は最低限の生活費を賄うことさえできなかった。同僚たちを動かして組合を作ろうとしたがうまくいかず、サヴァルは出版界からきっぱりと足を洗って、2007年、スタンフォード大学の博士課程に進んだ。そこで彼はマルクス主義の文学批評家、フランコ・モレッティ(Franco Moretti)の下で学ぶことになる。

当時はイラク戦争が日常の悲劇で、アメリカの勝利による初期の多幸感は24時間放送のケーブル ニュースによってどんどん色褪せていった。サヴァルは黒人解放運動家の著作やベトナム戦争の歴史、毛沢東主義に関する文献を読むことに没頭しはじめた。それからまもなく、彼は両親が家を売ってインドに戻らなくてはならなくなったことを知った。二人が所有していたピザ レストランをたたんだ後のことだ。またひとつ、不況がもたらした犠牲だった。寄るべなさ、それがその頃について彼がもっともよく覚えている感情だ。「ああいう経験、そして僕自身、家賃が払えないこと―、そのすべてが重層的に決め手になった」と彼は言った。「僕は左翼思想の歴史を読みはじめた。どう運動を組織するべきか理解したかったんだ。『労働と独占資本』というハリー・ブレイヴァマン(Harry Braverman)の本には、20世紀全体を通じて労働が衰退してきたことが書かれていた。僕はそこに自分を見つけた。それは僕にとって重要なことだった」

このことと、搾取されたホワイトカラー労働者としての経験とが、サヴァルの最初の著作である近代アメリカにおけるオフィス空間の年代記に昇華することになる。2014年に刊行された『Cubed: A Secret History of the Workplace』は書評で熱心に取り上げられ、仕事に関する「重要な探求」の書という太鼓判を押された。サヴァルにとってこの本は明確な教訓を持つストーリーだ。人間と、人間が暮らす環境のあいだの関係性は、多くの場合、デザインの失敗と理論の過誤の物語であり、このふたつをそれぞれ導いたのが各段階における搾取的欲望だ。資本主義が我々の社会を定型化し、生産性を上げるために効率的な条件を創造しようと全力で試みた結果、日々、何百万もの人々が無抵抗に受け入れている広範な貧困が生まれてしまった。

「労働とホワイトカラーの仕事の歴史について本を書くつもりだったんだけどね。それが結果的には、根本的には労働問題である問題を、デザインによって解決しようとしてきた歴史を書くことになった」とサヴァルは説明した。「デザインと仕事、デザインと資本主義のあいだにはこういう関係があったんだ。建築でもインテリアデザインでも。それが僕にとってすごく刺激的な研究テーマになった」

『Cubed』の成功によって、サヴァルは『ザ ニューヨーカー』と『ニューヨーク タイムズ』紙の『T Magazine』に定期的に寄稿するようになった。最近では、『T Magazine』でコンセプチュアル アートのような建築で知られる、日本人建築家、藤本壮介の紹介記事を書いている。ちなみにサヴァルがこの記事を雑誌に送ったのは2019年の終わり頃で、州議会上院選に出馬を発表する数日前のことだ。今でも、こうしたテーマについて書くことには深い満足感がある、とサヴァルは言う。『Everything is Architecture』という仮の題をつけた2冊目の著作にとりかかっていて、すでに何章か書き上げた。今回は、レイ&チャールズ・イームズ(Ray & Charles Eames)や、バックミンスター・フラー(Buckminster Fuller)、エットレ・ソットサス(Ettore Sottsass)といったデザイナーたちのストーリーを通じて、近代デザインの歴史に焦点を当てる予定だ。

連邦政府全体にわたり、行政府をはじめ多様な権力の上層部を抑制のきかないファシズムが支配する一方、それ以外のアメリカには、政治変革の高波が押し寄せつつある。2018年にブロンクスのバーテンダーから、合衆国でもっとも注目される政治家にのぼりつめたアレクサンドリア・オカシオ・コルテス(Alexandria Ocasio-Cortez)に代表される、「新左翼」の候補者たちは自分たちの非伝統的なバックグラウンドこそが、当選へのカギだと見ている。彼らは人間だ。あなたや僕のように、何十年もの経済的不平等に苦しんできた人々だ。彼らは学生ローンや、崩壊寸前のインフラや、すり切れた社会のセーフティ ネットという重荷を背負っている。人種や民族、ジェンダー、セクシュアリティを理由に差別の暴力に苦しめられてきた。彼らの両親は家を失い、経済発展の梯子から滑り落ちてしまった。無慈悲な資本主義の設計図に記され、時とともに先鋭化した基準通りに築かれた社会環境。彼らはその申し子だ。

堂々と社会主義と革新を主張する候補者が、雪崩を打って選挙に勝利するなかで、サヴァルの勝利も、この国の政治的想像力の巨大な広がりをもっとも明確に示す例のひとつだ。富裕な弁護士や実業家がひしめき合う現在の政治システムにおいて、これは、人々が可能性を感じる誰かにみずからの未来を賭けようとしていることの証左だ。システムや状況は不変の構造物ではない。それは変えられる。その変化は「社会主義者」という言葉で有権者を刺激しようとする、もはや手垢がついた試みの失敗からも実感できる。それを証明するエピソードとして、サヴァルが話してくれたところによると、対立候補は彼を「文学かぶれマルクス主義者の雑誌エディター」と嘲り、ネガティブ キャンペーンを画策していたらしい。サヴァルはそう聞いたものの、この攻撃は一度も利用されなかった。選挙区の有権者はそんな主張に動かされなかったからだ。

「人生のほとんど、僕は楽天的ではなかったんだ」とサヴァルは言う。「僕はマルクス主義の流れを汲んでいるのにね。歴史的にマルクス主義の伝統は、楽観主義なんだけど」バーニー・サンダースの2016年の大統領選以来、その楽観的な感覚は膨らむ一方だとサヴァルは話す。そういえばサンダースは、予備選のほんの数週間前に、突然サヴァルの出馬を支持すると表明した。いつものとおり、文化評論家であるサヴァルはその楽観主義を一枚岩の塊だとは考えていない。それは「ブルー ウェーブ」や投票データに関する会話ではめったに口にされない類の、ニュアンスが込められ、徐々に高まっていく希望であり、当選に結びつく条件や個人的バックグラウンドに関する固定観念に規定されない、もっと流動的な政治の表出なのだ。

政治的なものに集中することによって、サヴァルは社会環境に関する個人的関心に熱中する自由を得た。そして彼の政治はさらに明確になり、未来へのビジョンは研ぎ澄まされていく。それは個人の解放のモデルだ。よき政治はよりよき文化を生み出し、よりよき文化は、さらに進歩的な政治を創出する。コミュニティを組織すること、そして選挙に勝利することを通じてサヴァルが建設を目指す未来では、人々は安価な住宅や、化石燃料に依存しないインフラや、無料の医療に対する権利を得るだろう。そうして初めて、人々は全力で追求できる。幸福になる権利を。サヴァルにとって幸福の追求の対象は、大手の雑誌に、自分が魅力を感じる文化的ディテールについてあれこれと文章を書くことだ。「僕はこういうものがまだ重要である世界で生きていたいだけなんだ」と彼は言う。「みんなが自由に文化を作り出せる世界がいい。こういうムカつくものも、ムカつかないものも文化として共存できる世界。それができないなら、本当に負けだ。いったい何のためにお前は闘ってるんだって話になる」

Nathan Taylor Pemberton はフロリダ州出身で現在はブルックリン在住のライター兼エディターである

  • 文: Nathan Taylor Pemberton
  • アートワーク: Crystal Zapata
  • 翻訳: Atsuko Saisho
  • Date: September 1st, 2020