話題のレストラン「ノーマ」が育てる食物の未来
ミシュランの星を獲得した発酵のマイスターことデイヴィッド・ジルバーは、微生物にトレンドを超えた潜在力を見る
- インタビュー: Rebecca Storm
- 写真: Rebecca Storm

1982年版の『ブレードランナー』に、アパートでピアノの前に坐ったデッカードが、古い写真を見ているシーンがあった。カメラが向きを変えると、曇った窓ガラス越しに、炎のようなレッドのネオンの看板がぼんやりと見える。ハリソン・フォード(Harrison Ford)演じるデッカードが立ち上がり、写真を歯で噛みしめ、片手に妙に未来世界的なボトルのジョニー ウォーカー ブラック ラベル、もう一方の手にグラスを取り上げる。2019年を想像して合成された世界には、現実に訪れた2019年から見ると時代遅れとしか言いようのないものがかなり紛れ込んでいるが、ウィスキーはしっかりと助演俳優の役割を果たしていた。発酵の存在は、はるか先の未来にも投影されたわけだ。

舞台は変わって、現在の現実世界のコペンハーゲン。デイヴィッド・ジルバー(David Zilber)と私は、シーズンの狭間でガランとした「ノーマ」のオーク作りのダイニングルームから、スタズスグラーヴェン運河を越えた向こう側、アマー島の丘に建設された建物を眺めている。2025年までに「ゼロ カーボン」都市を目指すデンマークの首都にとって、廃棄物を利用するその熱電供給施設は頼もしい味方だ。なだらかなスロープを描いて広がる巨大な工場の煙突から、途切れることなく蒸気が立ち上る。
「まるで『ブレードランナー』の世界を見てるような気がするよ」と、ジルバーは言う。サイエンスとテクノロジーとフードが重なり合うこの場所へ私がやってきたのは、歴史上もっとも古い過去にまで遡る生命の様相のひとつ、「発酵」の未来について彼の話を聞くためだ。


ミシュランの2つ星を獲得している「ノーマ」の発酵ラボでリーダーを務めるデイヴィッド・ジルバーは、トロント生まれの34歳だ。「ノーマ」をオープンしたレネ・レゼピ(Rene Redzepi)は、先頃、「もっとも時代に繋がったシェフ」と評された。2003年以来すっかり有名になった「ノーマ」だが、ほぼ1年前に新しいこの場所へ移転し、向かいにあるアマー島の熱電工場を設計したビャルケ インゲルス グループが新店舗の設計にあたった。しかし、建築に詳しくない者にとって、牧歌的な道に姿を現す建物群は一見正体が不明だ。 運河沿いに、温室と巨大な倉庫を彷彿とさせる建物が隣り合っている。その向こうには、オランダの著名なガーデン デザイナー、ピエト・オウドルフ(Piet Oudolf)による庭園が広がり、ところどころに湿地を思わせる植物が生えている。

すべてを公開して、秘密は一切なし
今日、レゼピはレストランに住み込みの犬「ポンズ」と一緒に庭へ出て、携帯で蝶を撮影している。ちなみに、そのビデオは翌日インスタグラムにアップしてあった。倉庫みたいな建物には、屋根に上る階段があって、屋上にはもっとたくさんのプランターが置かれているが、私たちはそちらへは向かわず、ガラスのドアを通って建物の中に入る。壁から天井まで、すべてが木材(デンマーク オーク)、ガラス、コンクリート。壁に嵌め込まれた小さなテラリウムには苔とゼラニウムが入っているが、シーフードのシーズンには水槽に変わる。周囲は何段もの棚に貯蔵食品を入れた大きなガラス容器が並び、「シカの脳」とか「梨と松の燻製 マルメロのアクアビット漬け」といったラベルが貼ってある。サインが残された壁もある。走り書きのあるレンガを指して、ジルバーが「あの上のは、デイブ・チャン(Dave Chang)のサインだ」と、教えてくれる。「ここを出ていくときは、僕もサインしておくよ」
キッチンの方向へ向かうと、ほのかにニワトコの花の匂いがする。何十人という見習いがテーブルに並んで、泡のような花房を選り分けているのだ。香りを放つ熟したイチゴのトレイが、乾燥機らしきものに入っている。ほぼ全面ガラス張りの屋根に覆われたダイニングでは、ひとつだけ離れたテーブルに、巨大なホタテ貝を飾った木板がかけわたしてある。私の視線に気づいたジルバーは「シーフードの季節にちなんだアート」だと言う。
見学の案内、内部の紹介ツアー、何度も尋ねられたであろう質問へ辛抱強く答えるのも、手慣れたものだ。昨年、新拠点で再オープンしたこともあって、特に最近は回数も多いことだろう。ジルバ―の説明が台本読みのように聞こえることも少なくない。当然だ。その道のマイスターとして、常に説明を求められるのだから。そのジルバーによると、発酵とは、簡単に言うと「微生物の助けを借りて、ある食物を違う食物に変容すること」。世界に名だたる発酵専門家は、言い飽きた、しかし興味をそそる説明を繰り返す。知識の乏しい聞き手であるにもかかわらず、日々容器に詰め込むデータ – 塩、密封、温度管理 – を解説する段になると、ジルバーは明らかに輝きを取り戻す。

発酵と聞くと、ポップ カルチャーやSNSで起きているトレンドと思うかもしれないが、実は長い年月にわたって存在してきたものだ。何千年とは言わないまでも、確実に何百年もの歴史がある。パッチワーク、タイダイ、ラテを作るときに身につけるレザーのエプロン…伝統がトレンドになる昨今だ。「人類が食物を保存するために、ただ乾燥させるだけじゃなくて、最初に使いこなせるようになった技術が発酵だ。そのことを忘れないでほしいね」と、ジルバーは言う。「今発酵に起きてることは、トレンドじゃなくて、理解の広まりだよ。どんな技術でも、広く普及するとはるかにパワフルになる」
レゼピと共同で『ノーマの発酵ガイド』を書いたのも、普及が大きな目的だった。「閉じられた扉の向こう側だけで囲われていた発酵というパワーを外にも開放して、その意義を正しく理解できるキッチンにいる人たちのもとに届ければ、ひとりひとりが意見を発信するようになる。みんなが発酵食品を買うのを止めて、自分で作り始めたから、流行のように見えるだけだ。みんな自分の成果に満足して、写真を撮って、投稿して、シェアする。突如として、手作りの発酵食品がトレンドになったように見える。だけど実際は、発酵食品が理解されつつあるということなんだ」

だが、私たちが様々な食べ物がいかに身近になったかを話しているのは、地球上でもっとも崇拝されているレストランのひとつのすぐ外だという事実も、指摘しておかなければならない。そこで提供されるのは、カビに覆われたグリーン アスパラガスと野生のハーブのサラダ、シーバックソーンとクロフサスグリのバタフライといった、伝統のスカンジナビア料理と創作料理の両方にまたがったメニューだ。新しいシーズンの予約は、受付開始からわずか数時間で満席になることも少なくないし、ワインとフードを組み合わせたテスト メニューは580ドル前後の値段だ。
「何かを発信する場を与えられたのなら、とにかくやってみて、世の中のためにその機会を利用すればいいんだ。そうすることで矛盾も生まれる。だって、レストランで出す20種類の料理のために、どれだけ膨大なエネルギーが注がれてるか、考えてみてよ。テスト キッチンだけで6人が詰めて、徹底してユニークな料理を生み出している。一方で、ラボで生産しているものは殆ど、似たようなものを買ってきてちょっと手を加えれば、同じ程度の味を出せるんだ。出来合いの醤油を買って、出来合いの味噌を買って、薄めて使えばいい。だけど、僕たちがラボで色々な可能性を探ることには、はるかに大きな意味があるし、本を書いたのもその一環だ。すべてを公開して、秘密は一切なし」。この点で、ジルバーとレゼピが指揮をとる「ノーマ」は、いわば「秘密のレシピ」を売り物にするシナリオをひっくり返し、伝統をオープンソースのコードにしてしまう。
ファッション業界から注目され、高級オンライン ショップのコンテンツ プラットフォームにインタビューされるのはどんな気分か、ジルバーに尋ねてみた。今日のスタイルは、J.W. Andersonのパウダー ピンクのパンツ、Margielaのペイント スプラッター スニーカー、Etudesのモック ネック。とてもファッショナブルだ。「ラグジュアリーは、人の頭の中で生まれて、人との相互作用の中で存在するものだから、今日価値があると思っても、明日はどうなるかわからない」。ジルバーは言う。「モノが欠乏しているときは、食物が手に入ることに大きな価値がある。それだけでラグジュアリーだよ」

人類、あるいは21世紀の人類が、完璧さを追い求め、微調整を繰り返す欲求は、発酵に関する限り、自然であると同時に誤った考え方でもある。発酵を成功させるには、非常に明確で特殊な条件が求められるが、どうすれば微生物という生き物を思い通りに操作できるだろうか? 「いちばん興味深いことは、微生物が自ら『家畜化』したことだよ」。ジルバーによると、発酵が辿った過程は人類と微生物の「共進化」だ。「そのためには、両方が合意して、相互に利益をもたらす必要がある」。私が理解するに、それは、発酵食品は人類の役に立ち、微生物にとって、人間は繁殖して繁栄できる状況を整えてくれる、ということだろう。
味噌の部屋には、無数のガラスの容器が積み重ねられている。豆から作る「ピーソ」、イノシシの麹、 鱒の卵のガラム…マリーゴールドのイエローから、琥珀色、ストロベリー ショートケーキのピンクまで、微生物のコロニーは虹のようにカラフルだ。
一体どこまでが人間の仕事で、どこからが微生物の仕事なのか。境界線を引くことはできないと、ジルバーは言う。「今だって、僕たちの手には微生物が存在している。このままラボへ行って、手でイチゴを混ぜたら、イチゴの味は微妙に変わる。多分「ノーマ」のスタッフだってその味の変化はわからないだろうけど、顕微鏡で見れば、誰が混ぜたかによって全部違うはずだ」。人類が主導権を握りたがる傾向は、発酵という行為にも現れているが、「微生物は自己創造する」のだという。その点は、ジルバー自身にもあてはまる。今「ノーマ」にいて、発酵食品について語っているのも、もとはと言えば、数年前、自分が何故スタッフとして適役なのかを簡潔明瞭に記述した手紙を「ノーマ」へ送ったことに端を発する。そしてキッチンで2年働いた後、発酵の分野を任され、新生「ノーマ」としておそらく最大のアップグレード – 温度管理された9つの部屋からなる発酵ラボ – を仕切るまでになった。

産業が手を尽くして自然界を支配しようとしても、自然は人類社会の外側、僕たちの意思でどうこうできない次元で存在している
ラボでは、今日、乳酸菌で発酵させる完熟前のイチゴの準備が進められている。白っぽい緑色のイチゴに塩分を加えた後、真空状態で密封する。トレンドであれ、あるいはジルバーが言う「理解の深まり」であれ、発酵食品が私たちの体にもたらす利点を考えると、発酵の全体像を把握しやすい。
コンブチャは消化器官を健康に維持する効果がよく知られている。乳酸菌で発酵させた野菜は、体に良いバクテリアを供給する。梅干しは二日酔いを解消する即効作用がある。私たちの体が発酵食品の味を感知する仕組みなっているのは、「はるかに健康を増進してくれるから。発酵した野菜は、その分微生物が働いてくれたおかげで、消化しやすいし栄養素も吸収しやすい」。麺類に醤油を垂らすと、塩だけを振りかけるよりずっと美味しくなる。それは発酵の副産物であるアミノ酸やグルタミン酸が、人の体内では非常に生成しにくいからだ。「発酵した大豆と米の組み合わせは、それぞれ単独の場合よりも、あるいは両方とも発酵させない場合よりも、栄養価が高い。相乗効果というか、発酵についてくるおまけというか、とにかく完璧。スゴイことだよ」。発酵は、栄養価を高めるだけでなく、食物を保存する働きもあるから、積極的に奨励する価値がある。食品の無駄を削減する意味でも、発酵は不可欠な手段になりつつある。

テクノロジーの進歩と産業の中核には、不安が潜んでいる。どの程度のスピードで進めばいいのか? 止まる必要が生じたときは、どうやって止まればいいのか? 伝統が急速に発展すればテクノロジーになるのか? 遺伝子組み換え作物 (GMO)について、ジルバーに尋ねてみる。「基本的に、GMOは安全性の確認やバランスを無視してるからね。自然はバランスを保った状態で安定するんだ。だから、有機体を継ぎ接ぎして、元来の働きを変えて、正常な状態ではやらなかったことをやらせるようにしたら、とても大きなリスクを負うことになる」
ここでジルバーは、遺伝子学の見地から農業に携わっている人物と話したときのことを教えてくれた。その人物は、キャッサバイモやコメやサツマイモなど、どこでも生育するが米国では市場価値が非常に低い作物の改良に、一生を捧げている。病気に対する耐性や栄養素を高めれば、何百万人もの人々の生活を変えうるからだ。GMOに対する私たちの視点は、産業と農業の複合体制に大きく左右されている。「一般に目にするGMOは、例外なく、貪欲な企業が自分たちの目的のために作り出したもので、素晴らしいテクノロジーを使っているかもしれないが、そこまで人のためになっていない」
ジルバーが挙げた実例は、おそらく、テクノロジーは、その使い方に応じて良くも悪くもなるという証明だろう。工場式農業やGMOは、特殊な方法で季節による制約を取っ払うが、食料を保存して栄養素の生産量を高めることは、基本的に発酵のやることと同じだ。果たして発酵は、産農複合体制に対抗するアンチテーゼになりうるだろうか?「精神的には、イエス」と、ジルバーは答える。「産業がいかに手を尽くして自然界を支配しようとしても、自然は人類社会の外側、僕たちの意思でどうこうできない次元で存在しているから」

発酵に対する理解の深まりを「トレンド」と位置づけ、技術そのものではなく用途が問題であるにもかかわらずGMOを悪と決めつけるように、私たちは、何に対しても主観的な視点を当てはめて、レッテルを貼りたがる。実際はどうであるかにかかわらず、私たちがどういう理念でパッケージするかで世間の見方が変わる。体験は、体験者次第で変わる。イチゴの微生物の特定のコロニーを誰が司どるのかは、 誰の手でかき混ぜたかで決まるのと同様に。
培養に関わる媒体者にとっては、そこから手に入れるものだけではなく、そこへ残すものにも重要な意味がある。『ブレードランナー』は、大量消費によって疲弊した2019年のディストピアを予想した。画面に描かれた世界が、身近で現実になっているのは目につかなくても、到来しつつあることは感じられる。イエローのレンズの奥で日の光に目を細めているジルバーが徹底した経験主義者であることは、疑いようもない。「味覚そのものが、完全にダーウィン的な概念だ。僕たちの感覚は、この世界で生き抜くために、精密に調整されている。味覚と、ある程度の嗅覚だけが、世界から体内へとり入れるものを決めるために特化した感覚なんだ」

Rebecca StormはSSENSEのフォトグラファー兼エディター。『Editorial Magazine』のエディターも務める
- インタビュー: Rebecca Storm
- 写真: Rebecca Storm
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: July 31, 2019