ひたすらに今日も進む、
ベアトリス・ドモンド

Supreme初の女性スケーターがラウィヤ・カーメアにハングリー精神を語る

  • インタビュー: Rawiya Kameir
  • 写真: Alexis Gross

ベアトリス・ドモンド(Beatrice Domond)の同世代には、名人級の女性スケーターが数多くいるが、彼女は、Supremeのスケート チームに参戦した初めての、そして現時点では唯一の女性だ。ドモンドがここに至るまでの過程は、どこにでもいるアメリカの20歳そこらの若者の場合と同じく、逐一記録されていて、彼女のYouTubeチャンネルにアップされている128本の動画を次々と見ていけば、彼女の成長の様子を見ることができる。2008年の動画では、パームビーチ郡郊外の私道でだらだらとスケートボードの練習をしている姿がある。2010年には、スケートボードのセットアップについての画質の悪いvlogを撮影している。そして11年後の今、彼女は世界クラスのスケーターにふさわしいスタイルと貫禄で、正真正銘のトリックをキメている。

何年もの間、自分で撮影、編集した気骨のある動画を、名高いスケート映像作家でSupremeのメンバーでもあるビル・ストローベック(Bill Strobeck)に送り続けたのち、このフロリダ出身の26歳は、その粘り強さの結果を出し始めた。まずストローベックのスケート ビデオ『Cherry』に出演し、そしてついに、2017年にニューヨークに移り住み、フルタイムでスケートボードをやるようになった。彼女のスポンサーには、VansやFucking Awesomeなど、これ以上望めないくらいの錚々たるブランドが名を連ねている。

その成功にも関わらず、ドモンドは今も、ほぼ毎日6時に起きて公園に向かう。自分の自制心は、スケートボードに必要な素質というより、一所懸命で意欲的という山羊座の性質に由来するものだと彼女は言う。だが、その完璧主義的な性格を、楽しみや好奇心で相殺し、バランスをとるよう心がけてもいる。最近は、独学で古いタイプのポケット シンセサイザーの使い方を覚え始めたし、彼女のInstagramアカウントでずっと前から見られるように、ここ数年間はヘブライ語に対する関心を深めてきた。さらに、スケートボード雑誌『JENKEM』の最近の動画インタビューで、ヘリコプターに乗るという無茶振りをされたときも、果敢にその挑戦を受けてたった。

春の日のニューヨーク。今日は街全体が雨でツルツルだ。文字通りの意味でインフラが崩れかけている街では、土砂降りの雨はよく言って厄介、最悪、悪夢のような事態になりうる。ドモンドにとって、雨は強制的な小休止を意味する。信頼できるボードを持って数々の仲間と一緒に出回らずに、1日屋内で過ごすのは珍しい。電話越しのドモンドは温かく、ざっくばらんで、完全な赤の他人に、ここ数年間の型破りな経験を振り返ることも厭わない人だった。

ラウィヤ・カーメア(Rawiya Kameir)

ベアトリス・ドモンド(Beatrice Domond)

ラウィヤ・カーメア:子どもの頃はどんな感じだったの?

ベアトリス・ドモンド:無口で反抗的。だからお母さんは私に演劇やテニスやアートをさせたんだと思う。もっと他人を受け入れられるように。私はいつも、密かに何かをたくらんでた。大人になった今は、もう反抗的じゃない。そういう感情はすべてスケートボードに向かってる。

初めてスケートボードを見たのは、学校の写真撮影の小道具としてだったのよね。フットボールの球や他のモノではなく、スケートボードに惹かれた理由を覚えてる?

私は自分の感情のままに進むだけよ。何かを見れば、自分はそれが好きだとわかる。それがホッケーのスティックだった可能性もあるけど、そのときは、たまたまスケートボードだった。家に帰って、お父さんにスケートボードをねだって買ってもらったんだけど、ウォルマートのやつだった。それでお母さんのところに行って、お母さんから本物のボードを買ってもらったのよ。両方[のボード]に感謝したわ。今もそのふたつは家にあるんだけど、こんなのでどうやって3〜4年間も滑ってたんだろうっていう代物よ。

手持ちのもので間に合わせるしかないときもあるからね。

その通り。トラックをデッキに固定するためのプレートがあるじゃない? それが壊れてしまったとき、私はテープと接着剤でくっつければいいやと思って、そのまま滑ってたのよ。今振り返ってみると、正気の沙汰じゃない。

多くの人がスケートボードに関心を持つようになるのは、仲間を探してるからだと思うんだけど。

大人になった今は、どうして人は仲間と一緒に滑りに行くのか、わかるわ。でも子どもの頃は、「自分ひとりの時間が過ごせていいわ」って思ってた。当時は人と話すのがまったく好きじゃなかったから。

折に触れて「痛みは一瞬、でも諦めた後悔は一生続く」という言葉を引用してるけど、あなたにとって、この言葉にはどういう意味が?

まあ、そのときは辛いからね。苦痛だったり、まったくお金がなかったり、食べていけなかったりする。でもそれを乗り超えて、「これは一時的なこと、永遠には続くものは何もないんだから」と思えるようになれたらいいなと思って。以前の私は、高校で人生が決まると思ってた。今でも覚えているけど、友だちギャビーのパーティーに行けなくて、「これで私の人生は終わった」って大泣きしたことがあるの。今では「ギャビーって誰だっけ?」って感じだけどね。

スケートボードには特に、こういう特殊な、信じる気持ちが必要とされるところがあるわね。中でも空中を飛んでるときは、「自分はボードと同時に着地するんだ」という確信を持たなきゃならない。

うん、スケートボードは人生よ。それがすべてっていう意味ではなく、人生の教訓を教えてくれるという意味で。私はよくお母さんに「スケードボードみたいにやりなさい」と言われたわ。スケートボード以外のどんなことをやるときでも、やる気や情熱、粘り強さ、諦めない才能といった、スケートボードから学んだことを取り入れろって。宿題にも、バスケットボールの試合にも、新しいことを学ぶときにも、それを活かせって。

どういう経緯で『Cherry』の映像出演から、公式にSupremeで滑ることになったの? その間の期間はどんな感じだった?

私は学生で、ただスケボーをやって、ちょっとした動画を作っては、それをビル[・ストローベック]に送ってた。そうしてただひたすら滑り続けていたら、チャンスが巡ってきた。秘密なんて何もない。ただ滑る。滑り続ける。それだけ。インタビューを見てると、皆「ただ滑ってろ。本当にそれが好きなら、そのうちわかる。すごいスケーターになれる」と言っていて、私は「勘弁してよ。何か特別なことをやってるのに、教えたくないだけでしょ」って思ってた。すごく悲しいよね。だって私は「自分がこういうのをやるようになったら、どういう風になっているかを皆に教えてあげるんだ、皆の成功を助けてあげるんだ」と思ってたから。人は成功すると、過去のことを忘れてしまうことがある。だから「ちょっと、自分が飢えた若者だった頃のことを思い出して、本当のところを教えてよ。私たちに希望を与えてよ」って思ってた。でも本当に、ただスケートボードを続けるだけなんだよね。ただ滑って、それが本当に好きで、正しい理由でそれをやっているなら、人はそれをわかってくれるし、スケートボードは自分を受け入れてくれる。

マネタイズするというゴールさえないまま、趣味に没頭できるというのは、本当に特別な何かがあるからよね。最近の世の中を見ていると、どんな趣味でも全力でやらなきゃいけないと思えてくるけれど。

少なくとも、私はこうして[スケートボードの]仕事をするようになったんだよね。もっと若い頃、Instagramが登場する前は、何かを選んからといって、別にやり遂げなくてもよかったし、ただ自分だけでやって、自分のためのちょっとした楽しみにしているだけでもよかった。でも今は、私たちの誰もが本気じゃないとだめだと考えてる。あるいは、Instagramのフォロワーのためとか。

当然のことながら、いつだって黒人の優れたスケーターはいたわけだけど、ここ最近は特別な感じがする。個人のスケーターだけじゃなく、集団として、黒人カルチャーがスケート カルチャーやスタイルを推し進めているような。

かなり前から黒人はいたけれど、インターネットのおかげで、自分たちを見せられるようになった。人に私たちを売り込んでもらう必要なんてない。私たちが自分で売り込むから。カリーム・キャンベル(Kareem Campbell)、スティービー・ウィリアムス(Stevie Williams)、ジェイソン・キャラウェイ(Jason Callaway)なんかは、全員こんなにもインパクトがあって、これまでとは違う味わいをスケートボードにもたらした。先日、ちょうどイアン・レイド(Ian Reid)と話してたときに、彼は、「スケートボードなんて白人がやるもんだろ」って、よく人に言われたと話していたわ。でもね、ニューヨーク出身のベテラン スケーターたちは全員ラテン系か黒人なのよ。人びとが、私たち黒人を売り込みたくなかっただけなの。それはそれで悲しいことかもしれないけど、今では、「あんたたちに残された道は、二つに一つしかない。私たちを売り込む手伝いをちょっとして、わずかばかりの金を稼ぐか、それが嫌なら、こっちは全部自分たちでやって、儲けも全部キープする。それはあんたたち次第」って感じ。とにかく黒人たちはいつだって素晴らしいわ。

年齢を重ね、新しい場所を見る機会を得て、自分自身のアイデンティティとの向き合い方は、どう進化したと思う?

私たちはキリスト教系の私立校に通ってたんだけど、お兄ちゃんが先に入学した。ある日、お兄ちゃんが2年生くらいのときだったかな、お母さんが学校に行って「ちょっと待って、本当なの?」ってなったの。お兄ちゃんが学校全体で唯一の黒人だということに初めて気づいたのね。そういうわけで、私たちはすごく守られて育ったし、人種差別はいちども経験したことなくて、人種差別とは遠く離れた環境で育ったの。大人になって世間に出てみると、うあー、最悪って感じ。なんだか難しいし、今まさに身をもって学んでいる最中。やっと目を開いて、目隠しを取っているところで、私には初めての体験よ。

世間は、黒人である以上、抑圧される側にいると決めつけているようなところがあるわね。たしかに人種差別は現実だけど、その歩みは皆、人それぞれ。あなたが言うように、目隠しを取ってみてどういう感じがする?

新鮮で、ワクワクする。でもこの世界はすごくヘビーだから、悲しくもある。息がつまりそうにもなる。人を助けたいし、与えたい。ニューヨークにいる今、実際にホームレスの人たちを見ることもある。そのせいで自分が変わってきてる感じがするけど、完璧ではいられないから、そのせいで打ちのめされた気分でもあるわ。私は彼らの全員を助けたいのに、実際は、3人の人にお金をあげただけ。物乞いのサインを持った片足の人の横を通り過ぎないといけないのは、心が痛む。フロリダではそういう経験はしなくて良かった。だから、「これまで自分はこういう人間だと思っていたけど、本当にそうだったのかしら」っていう葛藤を経験してるところ。

多くの人は、もうホームレスの人々の存在が目に入らなくなってるよね。

うん。そういうのを見てきて、私もあんな風になるの? って思う。そのうちに自分という人間が何者かわからなくなってくるのだから、すごく辛い。ごく些細なことだってそう。以前家にいた頃は、たいてい8時にはベッドに入ってたのに、今じゃ10時まで起きてる。「これが私? この人は一体誰?」ってなるよ。私が育った故郷じゃ午後6時をすぎたら何もやることがないの。今はまだ学んでる最中で、そういうことに気づき始めたばかりなの。私はあんまり変化が好きじゃないから、自分と闘ってる。でも変わってもいいのよね。今は、自分がどういう人間なのか理解している途中なの。

Rawiya Kameirは多分野で執筆を行うライター、エディター、評論家である

  • インタビュー: Rawiya Kameir
  • 写真: Alexis Gross
  • スタイリング: Amelian Kashiro Hamilton
  • ヘア&メイクアップ: Nena Melendez
  • 写真アシスタント: Story Beeson
  • スタイリング アシスタント: Lauren Geiger
  • 翻訳: Kanako Noda