Mapplethorpeの凶暴な光
9枚の写真で読み解く、ニューヨークの写真家が遺した驚くほど生々しい作品
- インタビュー: Adam Wray
- 写真: Robert Mapplethorpe Foundation

ニューヨーク・クイーンズの中流家庭に生まれたRobert Mapplethorpe(ロバート・メイプルソープ)は、1970年代にニューヨークのアート界で注目を集めた。彼はもともと彫刻やコラージュなど他の領域で表現をしていたが、ポラロイドを使い始めてすぐに写真に専念するようになり、瞬く間に頭角を現した。
ニューヨークのゲイパーティの写真を通して、自身のセクシャリティを探求した彼は、古典的な美と過激で性的なコンテンツの組み合わせによって驚くべき生々しいヴィジュアルを生み出し、それはミニマルな絵画や彫刻が続いた先の10年に対する、スリリングな対比になったのである。彼の影響は、今も商業写真とアート写真の両方の中に脈々と感じることができる。
メイプルソープの芸術家としての関心は、性の問題を超え、他にも多岐に渡るテーマで成果を上げた。彼は人気の肖像写真家であって、あらゆる種類のセレブリティを撮影し、スタジオでは花と裸体の習作を用いて完璧な形へのこだわりを追求し続けた。現在モントリオール美術館で行われているメイプルソープの大型回顧展、「Focus: Perfection—Robert Mapplethorpe」では、性的写真、ポートレート、立体物を撮った静物写真に等しく目を向け、総合的な彼の活動を見渡すことができる。

「Patti Smith」(1978年)
ロバート・メイプルソープとPatti Smith(パティ・スミス)は1967年に出会い、パティ・スミスの自伝「ジャスト・キッズ」(2010年)に詳細が書かれているように、彼らの関係がお互いにとって発展的であったことが判明した。メイプルソープとスミスは恋人としても友達としても、芸術的にお互いを叱咤激励しながら自信を付けていった。メイプルソープはスミスを撮影することで写真家としての技術を磨き、彼の撮った彼女のポートレートの多くは彼女のアルバムのジャケットに使われることになった。そして、ミュージシャンや詩人としての彼女の社会的な顔を形作る役割りを果たした。誰かにパティ・スミスを頭に思い浮かべてもらえば、メイプルソープの写真をいちばん最初に思い浮かべることは想像に難くない。

「Joe/Rubberman」(1978年)
1970年代初期になると、メイプルソープは自身の同性愛を活発に探求し始め、ニューヨークのゲイSMカルチャーへ一直線に身を投じていった。その独特の習わしと出で立ちに釘付けになった彼は、直球のポートレートから、入り組んだハードコアな絵画的描写まで、多岐に渡る手法でゲイのSM愛好家たちを収めた写真を作り出した。世間を騒がせた写真集、「X Portfolio」は後者の手法に分類され、バラエティに富む型破りな性行為を描いたシリーズである。メイプルソープの写真は彼のクリエイションの新しい世界を表現してはいたものの、彼はドキュメンタリー作家ではなかった。レザー、ラテックス、血液、尿の全ては、彼の持つ落ち着いた壮麗な古典主義の中へ染み渡っていったのだ。ここで、彼の持っていた題材の強烈さが、丁寧な演出とライティングを用いて、よく練られた幻想的な静けさへと姿を変えたのだった。

「Leather Crotch」(1980年)
メイプルソープの比較的おとなしい側面である、男性のセクシュアリティを美しく描いた「Leather Crotch」のような写真は、わずかに破壊性を持っており、最終的にはメインストリームのヴィジュアル言語の中に組み込まれたのである。「Leather Crotch」を模倣した股当ての写真は、1990年代から2000年代にかけてのファッションキャンペーンの中に姿を現し、Tom Ford(トム・フォード)期のGucciで、Mario Testino(マリオ・テスティーノ)やTerry Richardson(テリー・リチャードソン)が撮影したキャンペーンがそれである。ポップカルチャーによる包摂を示すのに、広告の中で言及されることほど明らかな象徴は他にない。

「Phillip Prioleau」(1982年)
過去40数年に渡ってメイプルソープが注目を集めて来た全ての物事のせいで、彼のストーリーテラーとしての才能は過小評価されたままである。彼のSM写真にはつい興味を引かれてしまうものの、スタジオでの実践においても彼は印象深いシュールなイメージを作り出していたのだ。例えば、Phillip Prioleau(フィリップ・プリオロー)をモデルにした上の写真。その幾何学的なクオリティーを越えて、交差されたシルクの間にあるプリオーの下げた左右対称の頭、しわの深さ、そしてそれを際立たせる照明の正確さ。その演出は独特の緊張感で満ちている。どれだけの映画や小説が、興味を掻き立てる仮定を提示しておきながら、十分な結論を用意できなかったことだろうか? この上のような写真は、永遠に凍結されることで、そうした問題を回避する。作品が持つ可能性は、それが撮影された日と同じく、今日においても無限のままなのである。

「Louise Bourgeois」(1982年)
肖像写真家としての仕事は、メイプルソープにとって貴重な収入源であっただけではなく、ネットワークを構築するためのツールであり、新しいテクニックを試すための実験場でもあったのだ。前衛アーティストのAndy Warhol(アンディ・ウォーホル)からKathy Acker(キャシー・アッカー)、またLouise Bourgeois(ルイーズ・ブルジョワ)やAlice Neel(アリス・ニール)のような著名アーティスト、ミュージシャン、アートディーラー、そして彼の相当な報酬を支払える一般市民など、ニューヨークの実力者たちを彼は写真に収めた。

「Self-Portrait」(1980年)
メイプルソープは丹念に名声を追いかけ、作品同様に自分をどう売り込めばいいのかわかっていた。自分の遺産を作り上げることに熱心で、自らを神話化することも辞さなかった。キャリア初期から晩年まで撮り続けたセルフポートレートでは、様々な美の基準を持ったポーズを採用し、彼のユーモアを示すと同時に、ひいては迫り来る死までを計算してみせたのだ。

「Calla Lily」(1988年)
メイプルソープの古典的な嗜好を考えれば、彼のいくつかの最高傑作が花にインスピレーションを受けていることは驚くに値しない。型破りなアングルでアプローチし、そのゆったりとしたカーブとくっきりとした突起に焦点を当てることで花の繊細さを強調する。アートでもっとも使い古された被写体のひとつを使い、彼は極めて独自の作品を作り出したのだ。自分のように花を撮った人物はひとりもいない、メイプルソープはそう言い切った。なぜなら、誰も彼が見るように花を見なかったからだ。しかし、彼がそう言い放った当時はそれが真実だったかもしれないが、今日では違う。この写真に宿る禁欲的で不気味な優雅さによって、世界中の人々は確実にメイプルソープの目を通して花を見るようになった。もしくは、少なくともそう見ようとしているのだ。

「Derrick Cross」(1983年)
メイプルソープの作品に絶えずあるもっとも重要な批評は、彼がいちばん好きな被写体のひとつ、黒人男性の扱いについてである。セレブリティのポートレートやSMの写真作品においては、被写体がそのアイデンティティをフレームいっぱいに満たすことができる仲介者である。例え、彼の性的な写真が被写体のパーソナリティのひとつの面に着目して他を排除していても、人はそれが演技なのだとわかる。それに反して、黒人男性の写真の多くは花の静物写真とより共通点を持っている。どちらも形にこだわった習作であり、光、形状、テクスチャー、そして構図の探求である。ここでメイプルソープは男性を生の素材として扱い、彼のお気に入りのいくつかの配置を選び、彼らの身体を抽象的に組み立てた。そうすることで、彼とモデルとの間にある不安定でエキゾチックになる力学を捕らえたのだ。しかし、こうした扱いを脳や魂のない花びらを束ねる花に施すことと、太もも、ペニス、肩甲骨を、もともとそれらが属していた人から切り離すのは完全に別問題なのだ。

「Thomas」(1986年)
メイプルソープによる黒人男性の写真を集めたシリーズ、「Z Portfolio」の紹介文で、もうひとりの白人ゲイ男性であるEdmund White(エドマンド・ホワイト)が、メイプルソープの写真は無責任ではあるが、正直に欲望を表現しているとしてそれを正当化した。人間は誰に惹かれるかを自分ではコントロールできないとホワイトは主張し、自ら検閲して世界の美しい作品を否定することは、屈辱的、または人種差別的な考えを暴くよりも悪影響を及ぼすだろうと言う。これらの写真は、対象化と搾取という今日でも依然として重要な疑問を投げかけてはいるが、熟考を重ねるために正当化される必要などどこにもない。この写真は、純粋なヴィジュアルの美しさ、その深さやテクスチャーで観客を引き付けてきて、見る者が考慮しなければならない複雑で厄介な力学をやがて明らかにするのだ。写真から答えを見出すことはできないし、メイプルソープはけっしてそうするつもりもなかった。彼は、疑問を投げかけることすら意図していなかった。彼はただ、物事をある特定の方法で見たかっただけなのである。彼の実践は、彼自身も認めているように自己中心的なものであった。彼はいつも仕事をいちばん大切にし、欲望とパーフェクションを丹念に追求することによって、数十年経た今でも、刺激し、挑発し、虜にする集大成を作り上げたのである。
- インタビュー: Adam Wray
- 写真: Robert Mapplethorpe Foundation