アメリカが
抱える病

カーラ・コルネホ・ビジャビセンシオが突きつける不法移民の現実

  • インタビュー: Maya Binyam
  • アートワーク: Crystal Zapata

注記および警告:以下のインタビューでは、継続中の精神ヘルスケアおよび治療に関連して、自殺念慮が語られています。

多様な抑圧を体験している人なら誰でも、意識の前提に常に狂気が居座ることになる。「性の政治、男性支配のしきたり、そしてもっとも重要なフェミニズム。これらの考え方を知る前は気が狂いそうだったと語る黒人女性は多い」。ボストンで1974年から80年まで活動した黒人フェミニストレスビアン社会主義組織「カンビー リバー コレクティブ」のメンバーが書いた言葉だ。同じくメンバーのひとりだった作家のオードリー・ロード(Audre Lorde)は「自分の現実が蹂躙されるままにしてはならない」と呼びかけた。「大きな前進はないかもしれないが、少なくとも、狂いそうな気持ちは食い止めなくてはならない」

滞在資格がないままにアメリカで生きる人々をテーマにした処女作『The Undocumented Americans』で、カーラ・コルネホ・ビジャビセンシオ(Karla Cornejo Villavicencio)は狂気の場所から現代史を紡ぎ出す。スタテン アイランド、マイアミ、フリントとアメリカ国内を旅した後に再びニューヨークへ戻り、種々雑多な不法移民と対話したコルネホ・ビジャビセンシオの思い入れは異常だ。彼女と彼らの共通項は法的地位以外に何もない。言い替えれば、共に、失い得るすべてを承知しているということだ。コルネホ・ビジャビセンシオは取材の対象と酔っ払い、苛立ち、現金を詰め込んだ封筒を手渡す。彼らは時に家族を思い出させ、結局は他人に戻り、またある時は親代わりになる。ニューヘイブンでは、国外退去命令に逆らって、地元の教会で暮らしている男に会う。コルネホ・ビジャビセンシオは食料を持っていき、男の子供たちに勉強を教え、問題を早急に解決するように弁護士に掛け合い、親知らずを抜歯されて歯茎がズキズキと痛んだときは同じ教会へ逃避する。男のソファに慰めを求め、男は妻が手作りした食事をスプーンですくって、彼女に食べさせる。

コルネホ・ビジャビセンシオは、自分が「ちょっと狂ってる」ことを繰り返し読者に思い出させる。子供の頃、成績が良かったのを祝って大量のマウスウォッシュを飲み、気を失ったという記述もある。だが『The Undocumented Americans』は回顧録ではないし、コルネホ・ビジャビセンシオは自分以外の何ものも象徴しない。たとえ周囲が彼女を病や犯罪や勤勉の象徴に仕立て上げようとしても。

「出版界とハリウッドが手を組んで、ラテンアメリカ系文学に求めるものを決めたのよ」とコルネホ・ビジャビセンシオは言う。「まるきり洗脳だわ」。そうかもしれない。だが10月には、『The Undocumented Americans』が全米図書賞の最終候補に選ばれた。不法移民の著作が同賞の受賞候補に挙がるのは初めてのことだ。『The New York Times』、『NPR』、『Time』が選ぶ今年のベスト ブックにも名を連ねた。コルネホ・ビジャビセンシオの文体には多少手に負えない不快感があり、とても開けっ広げだ。現実を見据えて現状の打破を求める、パンクの声明文とでも言えばいいだろうか。私に送ってくれた本には、「オバマの今年の読書リストには入ってないはず」と書き添えてあった。だが何年ものような長い数か月が過ぎ、蓋を開けてみれば、オバマのリストにも入っていた

マヤ・ビニャム(Maya Binyam)

カーラ・コルネホ・ビジャビセンシオ(Karla Cornejo Villavicencio)

マヤ・ビニャム:どう、元気?

カーラ・コルネホ・ビジャビセンシオ:元気よ。今、ニューヘイブンにいるんだ。近くにカラスの家族が住んでてね、いつも何かが起こりそうなときに会いに来るの。父さんが母さんと別れる前にも来たし、私が世話してたティーンエージャーの女の子たちと問題が起こる前にも来た。最高におもしろい鳥なんだよね、なんせ5歳の子供と同じ知能だから。親切にすると顔を覚えるし、苛めた人の顔は絶対忘れないで復讐しようと狙う。餌をあげると、プレゼントを持ってきてくれる。私は死んだ雛と小さい内臓を貰った。

かなり気味悪いよ、それって。

そのまま放っといたら、雨できれいに流された。

『The Undocumented Americans 』で、アメリカにいる資格証明のない移民を「十分に」語ろうと思ったら、「多少クレイジーでなきゃいけない」と書いてるよね。不法移民を公的な立場から代弁しようとする人は、大抵、完璧に健全な精神を象徴しようとするじゃない? ビシッとスーツを着て、原理原則に従って、「専門知識」で論じる。そういうアプローチだと、どういう部分が抜け落ちるんだろう?

先ず私は、自分の精神障害を隠し立てしない。それから自分のことをクレイジーと言うときは、精神障害があることだけじゃなくて、この国で暮らしてると、呪術的思考というか、出来事の間に理性的な因果関係がなくても相関関係があるように思い始めるってことを言ってるの。移民法には精神衛生に関する法律で「よそ者」を規制できる例外が設けてあって、理想のアメリカ国民像を押し出す。要は、申し分のない工場労働者ってことだけどね。不法移民がどれほどそういう国づくりのディスクールを支えているか、そのことを考えないのは健全じゃない。そうでないと、不法移民は常に勤勉であることを証明しなきゃいけないし、企業に強く支配されることになる。

『The Undocumented Americans』用の写真撮影は、本当に気詰まりだった。あんまり調子が良くなかったし、ヘアカラーも中途半端な時期だったし、自分が自分じゃないみたいで、色んな関係を切り離してるところだったの。『New York Times』に本の批評が出てからは、白人とラテン系の両方から、あの写真をものすごく非難された。私のネイルが「下品」だって。爪先を尖らせたスティレットのスタイルで、ベビーブルーのマニキュアで、小さいゴールドの玉がついてるの、私はすごくカワイイと思ってたけどね。それにフェイク ファーのコートを着てたら、「この女性は不法移民なのに、ハーバードへ行って、イェールへ行って、本の批評が『Times』に掲載されて、相変わらずネイルは安っぽいまま?」とかインターネットに書かれて。不法移民を憎んでる保守的な白人と、私が自分たちの代表に相応しくないと感じたラテン系と、両方が怒ってた。

あなたの肩書と写真に写ったあなたと、その食い違いに反応したんだね。

出版界は、肩書を利用して、移民作家に関心を引き寄せようとしたわけ。私が自分の本を宣伝するときは「とにかく何ページか読んでみて。そしたら、ナンセンスばかりじゃないのがわかるから」みたいに言った。「本の中には、ハーバードもイェールも、一言も出てこないから」って。私の本は文学だということを伝えようとしたんだけど、わかってもらえなかったみたい。ラテンアメリカ系と黒人とそのほかの移民グループはひとつの反応を示して、白人の読者はほぼ別の反応だった。

その違いって、何だと思う?

私のイベントでは、移民の世代間のトラウマ、移民とその子供たちの愛情の重荷についてよく話すの。愛情のすごく多くの部分が義務と罪悪感に基づいてるから、大人になる頃には、果たして自分が両親を愛しているのか、両親が気の毒で大きな借りがあると思ってるのか、わからなくなる。

白人は、私に感謝の気持ちがない、とすごく非難する。ラジオ番組の『This American Life』用に書いた文章は、確かに躁的で気狂いじみた調子だったよ。編集の段階でパーソナリティのアイラ・グラス(Ira Glass)にも生意気に聞こえる箇所を指摘されたけど、そんなことはわかってた! 「どういうふうに書いてほしいの?」って聞いたら、「僕から書き方は指図できないよ、書くのは君なんだから」と言われて、「じゃあ、生意気なままにしとく」って答えた。放送後、白人リスナーからくだらないコメントが来た。私が両親を苦しめてるとか、残酷だとか。でもね、ずけずけ生意気なことを言うのは、私が演じるペルソナなの。自分が不法移民の作家だと知ってるから、そういうペルソナをつける。大言壮語のほとんどは、政治に関わることだし、行動と変化を目指してる。私は、人にパンチをくらわせる人は嫌いだし、人に親切じゃない人も嫌い。だけど、ユーモアがあるのは構わまいし、嫌な女でも構わないと思ってる。

本全体を通じてだけど、日雇い労務者とか配達員とか保護シェルターにいて自由に水道も使えない人とか、あなたが関わり合う男性は、少なくとも話を読む限り、父親みたいな立場になるね。でも同じ男たちに対して、あなたが父親的存在になることもある。あなたの人生は親子の関係に収束するみたい。どうしてそうなるのかな。

私にとって、親子関係は本当にトラウマなんだ。私たちラテン系のコミュニティでは、大抵、男が働きに出て、重労働して、人種差別で酷使される。だから家族は、家に帰ってきた男を殉教者みたいに考えて、妻や子供たちに対する男たちの虐待をかなり許してしまう。虐待に加担するわけじゃないけど、そういう男の生き方が世代から世代へ引き継がれていく。これは『The Undocumented Americans』を書いてるときにわかったの。わたしにも一端の責任があったんだよね。仕事から帰ってきた父さんにひどい傷があったり、ヘイト クライムを受けてきたり、そういう耐えられないイメージを今でも覚えてる。そういうとき、「父さんにも、父さんと同じような他の男たちにも、絶対二度とこんなことを起こさせるもんか」と思った。カレッジ時代や20代の若い頃は、ラテン系やバングラデシュや、とにかくどんな人種でも移民の男が何らかの攻撃を受けてたら、間に飛び込んで、喧嘩を始めてたもんよ。父さんのことを考えたし、そうするのが私の責任だと思ってたから。

でも成長するにつれて、私と弟が父さんから受けた心の傷がわかってきてね。私たちが父さんを英雄みたいに考えてることを、父さんは知ってた。だから、ちょっとばかし私たちを虐待した。よくあることなのかと思って色んな人にインタビューしてみたら、そのとおりだった。特に、中年以後で、失うものが少なくなった男に多かった。そういう場合、大抵妻はお払い箱よ。男についてアメリカへ来るために仕事も若さも捨てた妻たちが、自分で食べていかなきゃいけなくなる。子供たちは、バラバラになった家族の残骸を拾い上げるしかない。

人にパンチをくらわせる人は嫌いだし、人に親切じゃない人も嫌い。だけど、ユーモアがあるのは構わないし、嫌な女でも構わない

自分は「ドリーマー」とは「違う」って、どこかに書いてたでしょ。ひとつには「ドリーマー」っていう耳障りの言い呼び名で、不法移民の子供たちが親と対立する立場に置かれるし、市民権という形で社会に認められるために色んなことの否定を要求するから。

先ず私は生まれつきヘソ曲がりで、感傷的なことや甘ったるいことが大嫌いだから、「夢なんか持ってない。夢なんかない」と思ったし。16歳未満で家族とアメリカへ移住して、国内で教育を受けていれば、正規の書類がなくても条件次第で永住権を取得できる。この点でドリーム(DREAM)法には賛成。私は条件に該当するし、私のアイデンティティは多くの点でドリーム法に関する位置付けに合致するはずよ。だけどドリーム法にかこつけた「ドリーマー」なんて、 白人のアメリカ人が私たちに同情して作られた言葉だもん。どうだってよかった。

「ドリーマー」が大学生の座り込みに形を変えたときは、現状の改革を目指す積極的な行動だ、素晴らしい、と思った。ほんの短期間で、「ドリーマー ムーブメント」が社会の注目を集めたもの。だけど結局はくだらなかった。学生の身分が基盤だったから。ドリーム法の対象になるドリーマーが、全員、学生なわけじゃない。ドリーマーの大多数は、学校からドロップアウトしたリ、軍隊に入ったり、レストランで働いたり、日雇い労務者だったり、父親と一緒に建設現場で働いてる。学生の座り込みは現実のドリーマーを塗りつぶして、僕たちは立派な学業を修めて大学を卒業するんだぞ、って主張しただけ。そんなこと言ったって、ラテン系の統計を見れば、大学の卒業まで漕ぎつける割合は低いのよ。ほんの例外を削りだして、自分たちは特別なんだから市民権の取得を認められるべきだと主張したのが、ドリーマー ムーブメント。

だけど、ドリーマーの強制国外退去処分を延期して就労許可をくれるダカ(DACA)法には、本当に感謝よ。おかげで私も執筆でお金を貰えるようになったし、飛行機に乗ってリサーチに行けるようになった。そりゃ市民権があっても国外退去させられることはあるけど、本国に送還される恐怖心は以前より少なくなったもんね。でもね、すごく罪悪感があったんだ。だって、大学を出たから何だって言うの? 大学出なら労働倫理があって、誠実で、高潔なわけ? 私がクラスの首席でハイスクールを卒業して、ハーバードを出られたのは、圧倒的に幸運のおかげ。感情的に不安定なことは多かったけど、ちゃんと食事が用意される家庭だったし、近所も安全だった。家庭内で身体的な虐待を受けることもなかった。資本主義国家のメインストリームである金儲けに使える能力を持って生れついたし、母国語のスペイン語も話せない。その上、標準化試験を受けるのが好き。こういうのって、大衆から除外すべき突然変異であって、ご褒美に市民権を与える類のことじゃないよ。

私にメールを寄越すたびに、ほぼ毎回、自分へのご褒美を書いてたよね。ちょっと漂白剤を入れたお風呂に浸かるとか、前髪を切るとか、お母さんをセフォラへ連れて行くとか。「自分へのご褒美」に医学的な意味があるなんて、思ってもみなかったわ。ただ、ちょっとした贅沢だとばかり。

私にはかねがね自殺念慮があって、お医者さんにも話してある。恐がる医者もいたけど、そうじゃない精神科の先生を見つけたの。何もかも、全部打ち明ける。「生きていたくありません」って。生きなきゃいけないことはわかってるんだ。そのほうが良いことがたくさんある。両親の生活が私にかかってるし、弟の生活もある。私がいなかったら、両親の面倒を見るのは弟の責任になるし、私が死んだら、私のパートナーも愛犬も悲しむだろうし。それに今は、ラテン系コミュニティにも必要とされてると思う。

だから、生きることにしてる。そのためには、毎日、自分に投資しなきゃいけないの。自殺念慮を食い止めるためじゃないよ。さんざんケタミン投与の治療を受けてるから、それはもう大丈夫。ずいぶん助かった。そうじゃなくて、毎日喜びを見つけるため。幸せになるためじゃない。私が幸せになるのは不可能だから、ただちょっと楽しみなことを探すだけ。

おいしいコーヒーがあれば朝起きるのが楽しみになるし、定期的に髪を染めれば鏡に違う私が映る。時々は、何にも反応しない日、ベッドに横になったまま、頭にアイスパックを乗せて、ポッドキャストでカルトに関する放送を聞くだけの日が必要なの。ハイスクール時代に好きだった音楽を聴くこともある。幸せだったことを覚えてるのは、ハイスクール時代が最後だから。

そこが、本の写真に対する反応で完全に勘違いされたところだね。ネイルやフェイク ファーのジャケットを安っぽいというのは簡単だけど、そういうものが生きていく上での支えでもあるのに。

パンデミックの前は、ネイリストにやってもらってたんだ。外出したときにきれいな爪をした人に出会ったら、私は彼女のネイルを褒めて、彼女は私のネイルを褒めて、お互いの手を握ってつくづくネイルを眺めるのよ。そういう何気ない触れ合いにはすごく親近感があったな。私は少しずつ慣れていくタイプなんだけど、 そういう女性たちは最初から相手を信じて疑わないのよ。「これすごくステキ」、「そろそろリフィルしなきゃね」、「この次は違う形にするつもり」、「別のネイリストに浮気しちゃった」なんて言葉で、お互いに軽薄な虚栄心を認めあう正直な時間。白人大多数のイェール出に支配された世界で、そういう女性たちはほとんど有色だった。彼女たちの仕事が何だろうが、私がどんなに落ち込んでいようが、私たちはいつもネイルを磨きたてる。そうすることで、すごく強くなった気がするからよ。ネイルをしてもらえた頃が懐かしいわ。

_ Maya Binyamはニューヨーク在住のライター。『Triple Canopy』のシニア エディター、『The New Inquiry』のエディターである_

  • インタビュー: Maya Binyam
  • アートワーク: Crystal Zapata
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: December 21, 2020