ターニャ・メリルが残す筆跡

ニューヨークの新進の画家がバルテュスと権力、ヌードを語る

  • インタビュー: Eugenie Dalland
  • 写真: Photography

アルバムを最初から最後まで通して聴く行為には、催眠効果のようなものがある。それぞれの曲の間にある見えないネットワークを感じ取るようになり、まるで低周波からなる中枢神経系のように、最初のトラックのビートが最後の曲のエモーションに反響するのだ。

ターニャ・メリル(Tanya Merrill)の絵画が歌を歌うことができたなら、おそらく、これと同じような低音が響いているはずだ。軽いタッチで描かれたロブスターを凝視する猫、むき出しの太ももの上で、指でリズムをとる女性など、彼女の具象的なイメージは、サイズや色彩を超えて互いに対話している。一見気ままに見えるその筆致には、印象派のような雰囲気に写実的な緻密さが合わさっている。そして彼女の絵画からは、しばしば、ある種のユーモアが伝わってくる。たとえば、漫画のような納屋のある庭のシーンでは、テーブルがひっくり返り、動物が農夫に襲いかかっている。だが、そのコミカルな調子の背後で、社会的規範や権力のダイナミクスが掘り下げられているのだ。

ここ3年間で、その高い技術を誇るストロークによって、彼女の作品は着実に注目を集めてきた。最近、コロンビア大学で美術学修士号を獲得した彼女は、Gavin Brown’s Enterprise/Unclebrotherや、ロンドンのAlmine Rech Galleryなど、多くの世界有数のギャラリーや美術館で作品を展示してきた。また、2019年9月にはニューヨークのGagosian Galleryの展覧会で、さらに10月にはパリのアートフェア「FIAC」のHalf Galleryで作品が展示されることになっている。

ターニャと私が出会ったのは14年前。大学1年生が始まる1週間前のことだった。彼女がブルーのノースリーブに、グリーンの長いビーズのネックレスをつけていたのを覚えている。出会った瞬間を思い返すと不思議な気持ちになる。私は、後にその創作活動が深い影響を与え、私自身の活動にも関わることになる人物とまさに出会おうとしていたのだから。私の初の署名入り記事のときも、彼女の初展覧会のときも、お互いがクリエイターとしてのキャリアを積み重ねるたびに、私たちは一緒にお祝いしてきた。そしてターニャは、何年もの間、私が出版していた雑誌『Riot of Perfume』のクリエイティブ ディレクターを務めてくれた。

この夏、ブルックリンにある、雑貨店を改装したアトリエのターニャを訪れ、アーティストから筆跡、美術の歴史の再解釈、そして下半身に何も身につけないことの心地よさについて聞いた。

ユージェニー・ダラン(Eugenie Dalland)

ターニャ・メリル(Tanya Merrill)

ユージェニー・ダラン:あなたのアーティストとしての活動でいちばん古い思い出は、2006年の夏に、Dia:Beaconでソル・ルウィット(Sol Lewitt)のインスターレションの仕事をしていたときのことなんだけど。当時の経験について聞かせてくれる?

ターニャ・メリル:わー、そんなこともあったわね! あれは大学の1年生から2年生に上がる間の夏休みのバイトだった。彼の仕事のやり方を見るのは、すごい体験だったわ。ソル・ルウィットのウォール ドローイングは、彼の指示に基づいていて、それをアシスタントが実行するというものなのだけど、そうした制作過程にあれほど肉薄して、異なるアート制作を見られたのが素晴らしかった。アーティストには、感情的で直接的で、流れに任せてどんな結果になるかわからないような方向に進める人もいれば、一方で、あらかじめ計画した明確な手順があって、それが完全に感情から切り離されたものだから、本人以外が制作できるような作品を作る人もいる。アートとは本当のところアイデアなのか、それとも手を動かすことなのかということや、アーティスト本人によって作られたものでない場合、アートとは何なのかという問いについて考えさせられた。

その経験の中で、特に思い出深いことってある?

2度線を引くごとに使っている鉛筆を削ったこと。線を一定に保つためにね。個人の筆跡の力というものを、本当に強く感じた。

他人のドローイングを見る体験は、読むことに似ている

あなたの作品における言語の役割について話しましょう。大学のとき、あなたが散文や詩をたくさん書いてたのを覚えてるわ。

最近、私が書くことに時間を費やすのではなく、絵を描く方に進んだ理由を聞かれて、耳を傾けてもらいたい、見てもらいたいという欲求について考えていたの。壁にかけた絵画から隠れることはできないでしょ。そういう意味で、絵画の持ちうる影響力が、私はとても気に入っているんだと思う。最近は、自分の線の質と手書きの筆跡を結びつけて考えるようにもなってる。他人のドローイングを見る体験が、どれほど読むことに似ているか。絵の線を見れば、その作家が制作過程について書いた文章を読んで理解するのと同じくらい、多くのことがわかる。ドローイングを見るのがずっと好きだったから、絵画でもその質というか、直接性を保てるようにするのは、私にとっては重要なことなの。あの文字の手書きする感じを絵画の中でも表現したいと思っていて、そう考えると、絵のあちこちに言葉を入れることは、すごく自然な気がするの。跡をつけていると、突然、その線に自然と続くような言葉が浮かんでくる。

あなたの作品は、極めて独自な位置に存在している気がするわ。そこであなたは、美術の歴史と対話しているだけでなく、権力のダイナミクスの転覆といった現代的な議論も交わしているような。

最近の自分の作品は、3つの異なる権力のヒエラルキーによって説明できると考えていたところよ。1つ目は、巨大な歴史画や宗教画は小さなサイズの静物画や風景画よりも注目されて当然という、美術史の絵画のジャンルにおける、今は廃れてしまったある種のヒエラルキー。それは、当時、文化的に何が重視されていたかを垣間見るひとつの手段となる。2つ目は、自然界における権力構造、食物連鎖の構造ね。捕食者と被食者の対立関係、そして人間と自然の間の絶え間ない闘争がある。たとえば、私の猫と魚の絵や、人間と馬の関係に見られるような、所有と獲得のサイクル。3つ目のヒエラルキーは、ポップカルチャーや、文学、映画の中でユーモアと暴力の両方を通して表現される、現代における権力のダイナミクス。最後のひとつについては、私自身が今、経験している世界そのものや、自分の作り出したシンボルやナラティブを使って、身の回りで起きていることについて語ること、といってもいい。

作品の中でも特にそれらのヒエラルキーの組み合わせを象徴しているように私が思う、バルテュスの「白いスカート」を元にした絵について聞きたいのだけど。

バルテュスの絵画の思春期前の少女たちは、自らの性に目覚めるか目覚めないかの、中間点にいる。自分でもあの感覚はよく覚えているわ。自分の身体との関係に目覚め、新たに、性的な感覚に目覚めるあの感じ。彼は、その特別な時期を捉えただけでなく、それに伴う身の毛のよだつような関心も一緒に捉えていて、とても面白い作品だと思う。彼の視点について論争が巻き起こるのは当然よ。実際、すごく気色悪いもの。でも彼の絵はとても美しいし、驚くほど正直だと思う。私が描いたあの空間には、もっと動きや行為の主体性がある。そこには、私自身の女性に対する称賛があるの。もはや若い女の子の絵ではなくなく、自分の存在する場を支配するひとりの女性の絵なのよ。

あなたのバージョンにおけるもうひとつの違いで私が好きなのが、彼女の下半身が完全にヌードなところ!

それ!絵に「白いスカート」とタイトルをつけながら、彼女のスカートがそこにないところが私は気に入ってる。(笑) 下半身裸って、すごく勇気が湧いてくると思うの。下半身裸でも平気って、すばらしい感覚よ。

ドローイングや絵画で、同じアイデアを何度も繰り返し描くことについてはどう?

ひとつのアイデアのために、たった1枚の絵を描いて、その作品しか存在しないようなアイデアというのは、すごく難しい。私はひとつの考えを本当によく知りたいと思っていて、あらゆる側面からそれについて考えてみたい。たとえば、猫の静物画シリーズではどうなるか、皿の上にあるのがロブスターではなく、魚だったらどうなるか。配置を変えたり、入れ替えたりすることで様々なことが起きて、ちょっとした文脈が生まれる。たとえば、猫と一緒に魚を描いて、だけどその後、すごく似た見た目の魚がまったく異なるシリーズにも出てくることがある。中に様々なアイデアが全部入った大きな帽子みたいに、私がそれを振ると、それぞれのアイデアがそこから出てくる感じ。

こういうアプローチって、昔行われていた、絵画のためにいくつも習作を制作する行為に似ている気がするのだけど、同時に、今日私たちがどれほど瞬く間にイメージを消費するかにも気づかされるわね。

コロンビア大学にいたとき、アーティストのピーター・ハーレイ(Peter Halley)のアトリエを訪問したことがある。彼はキャリア全体を通して、ずっと幾何学的な絵画を制作していて、基本的に似たようなモチーフの異なるバリエーションを作っていた。彼の作品には尊敬しかないわ。彼には、アーティストには2種類いるという考えがあるの。ひとつの素晴らしいアイデアがあって、それに人生のすべてを捧げるアーティストと、常に新しいアイデアを見つけ出すタイプのアーティスト。面白い考えだと思う。もしかするとその通りなのかも。私にはわからないけど。でも、どういう風に人が作品を作るかという点については、そこに少なくとも真実の片鱗があると思う。

絵やドローイングが完成したというのは、どうやってわかるの?

どういう絵にしたいか自分の中にイメージがあって、目の前にあるキャンバスが、頭の中のイメージと重なるまで、そのイメージに向かって作業していく。その絵が、最初にあったイメージの記憶を完全に消してしまって、ただ目の前にあるものだけしか見えなくなったら、完成したとわかるわ。

Eugenie Dallandはニューヨークを拠点にする、ライター兼スタイリスト。年1回刊行されるアート&カルチャー雑誌『Riot of Perfume』の創設者兼発行人である

  • インタビュー: Eugenie Dalland
  • 写真: Photography
  • スタイリング: Eugenie Dalland
  • ヘア&メイクアップ: Justine Sweetman
  • 翻訳: Kanako Noda
  • Date: September 3, 2019