黒人、女性、
現代を描く
ステラ・メギー

一夜にしてハリウッド進出を
果たしたフィルム メーカー

  • インタビュー: Fariha Róisín
  • 写真: Christian Werner

トロントで生まれ、現在はロサンゼルスで活動する映画監督ステラ・メギー(Stella Meghie)の芸術性は明らかだ。だが、繰り返し登場するテーマがある。メギーが語るストーリーはさまざまな黒人家族を中心に展開するが、もっと重要な存在は複雑で生気溢れる黒人女性だ。彼女たちは芸術性に溢れている。情熱的で行動的だ。メギーは黒人映画製作者としての立場から、ブラック フィルムがアイデンティティの影に覆われている現状のみならず、世界と関連しうる同質性を証明する。

色遣いやフレームの構成も独特だ。成長期にたくさん見たというスパイク・リーやウッディ・アレンの影響が、人物描写に表れている。まったく記憶にない祖父が、現れるなり玄関口で急死する「Jean of the Joneses」は、思いがけない事態を乗り越える黒人家庭を描いている。登場人物のコミカルな関わり合いを底流に、深紅色や金色、写真家フィリップ−ロルカ・ディコルシア(Philip-Lorca diCorcia)の作品を彷彿とさせる演出された威厳が使われているが、そこに、「The Royal Tenenbaums」(邦題:ザ・ロイヤル・テネンバウムズ)と同じく、若い世代の特異な行動が絡む。ニコラ・ユーン(Nicola Yoon)の小説を基に、アマンドラ・ステンバーグ(Amandla Sternberg)が主人公を演じる最新作「Everything, Everything」(邦題:エブリシング)は、新しい視覚世界が見せている。明るい虹のようなパステル色は、同じ写真家でも、ペトラ・コリンズ(Petra Collins)の世界がスクリーンに再現されたようだ。

2本の映画で高い評価を与えられ、その暖かさと才気でハリウッドに認められたメギーに、夏の日差しがふりそそぐ7月の朝、話を聞いた。

ファリハ・ロイジン(Fariha Róisín)

ステラ・メギー(Stella Meghie)

ファリハ・ロイジン:ファッション広報の仕事を辞めて、映画脚本を学ぶためへ学校に戻ったのが2009年ですね。どうして、ファッションから脚本へ転向したのですか?

ステラ・メギー:元々、クリエイティブなライターになりたかったのよ。作家か、ジャーナリストか、まだ自分でもはっきり分からなかったけど。結局、レコード会社の「Def Jam」の面接を受ける機会があって、ニューヨークで働き始めて、最初の夏はファッション業界紙の「Women’s Wear Daily」で見習いもやったの。出だしがファッションと音楽だったわけ。ライターになるよりは広報の仕事を見つける方が断然簡単だったから、当座はそこに落ち着いたんだけど、ずっと続けるのは無理だった。仕事を変えるチャンスを狙ってたの。何か、自分が情熱を注げることをやりたかったし、当時情熱を持ってたのは映画だった。

とても自然なプロセスだったみたいですね。多分、あなた自身にとってはすごく大変な時期もあったと思うんだけど、あなたに関する記事を読んだり、あなたの成功を見ていると、すべては成るべくして成ったような気がします。

ええ、当時は、全然自然な流れとは思えなかったわ! 単に、人生でやりたいことを暗中模索してる25歳ってだけ。ずっと貧乏なままなのかしら、と思ったりね。だから、脚本を勉強できる修士課程を探して、あちこちの学校に願書を出してみたの。それで、ある学校に入学が認められたから、身の回りのものを鞄に詰め込んで、すぐにロンドンへ移った。学校を終えて、「Jean of the Joneses」の脚本を完成させて、映画作りの資金が集まるまで、長い時間がかかったわ。何をするにも、何年もかかった。

何年もかけて作品を完成させて、それを発表するのは、どんな体験でしたか?

奇妙な体験。だって、あっという間に話が進んで、何が何だか自分でもよく分からないくらいだったもの。資金が集まって、2週間後には撮影を始めてたのよ。それまで長い間、考えて、想像してた映画だから、どんどん進んだわ。撮影の初日、現場へ行ったときは、現実じゃないみたいだった。「これからこの映画を監督するんだ。どうしたらいいんだろう。直感しかないわ」

「Jean of the Joneses」で、主人公のジーンが黒人の愛とロマンスについて書いているとき、別のキャラクターが「奴隷って時代遅れ?」と尋ねますね。過去の歴史を持ち出した攻撃です。「12 Years A Slave」(邦題:それでも夜は明ける)もそうでしたが、そういう語り口は多いし、とても必要だと思います。でも、あなたがやろうとしているのは、そういうことから離れて、黒人の愛と黒人の人生を語ることですね。

そう。ああいう視点のストーリーも絶対必要だし、大切だと思う。ただ、私の目指すものじゃない。私がやりたいのは、私が直に知ってるような若い黒人女性たちの、現在のストーリーを語ること。私が一番やりたいことはそれなの。重いストーリーを担ぐのは、他の人に任せるわ。

私が直に知ってるような
若い黒人女性たちの、
現在のストーリー

どうして「Everything, Everything」を選んだのですか? 黒人少女の複雑な内面とユニークなあらすじですか? そういう意味では、珍しい作品でしたね。

ええ、そこに惹かれたの。黒人が主役の台本は少ないわ。それが先ず現実としてある。その上に、恋に落ちる若い黒人の女の子となると、ほぼ皆無。大抵、暗くて歓びとは無関係のストーリーばかり。

ロサンゼルス・タイムズ紙のインタビューを読みましたが、既成の映画界にはうまく当てはまらない作品があって、そういうストーリーを語りたいと...。例えば、どんな作品ですか?

あれね! あれは、私が書いたオリジナル脚本のことを言ってたの。3本あるわ。業界では、本の脚色かフランチャイズでないと、映画にするのはすごく難しいの。映画会社は乗ってくれない。そういうこと。最近は、ごくたまに日の目を見ることもあるけどね。私が書いた脚本は、おそらく自主制作するしかないでしょうね。映画会社からオファーされるのは、大抵、脚色かフランチャイズだから。

そういう点で、ハリウッドは「映画界は人種主義じゃない。ステラも、バリー・ジェンキンスもいるんだから」と言い逃れることができると思いますか? 映画会社が支配する業界で仕事をするフィルム メーカーとして、どう感じていますか? ハリウッドの映画界は、本当に変わりつつあるのでしょうか?

分からない。この1年はいい年だったわ。今のところ、自信を持って言えるのはそれだけね。いい年だった。これからもいい年がたくさんあるように、願いたいもんだわ。

映画界を目指しているフィルム メーカーへのアドバイスは?

「Jean of the Joneses」を映画にしたかったとき、わざわざ向こうから骨を折って資金を提供してくれる人なんて、いなかったわ。実現するには、私の方から、どうにか道を見つける他なかった。賢く仕事をして、技術を上達させて、もっと腕を磨く。そうすれば、映画が実現するわ。人がチャンスをくれるのを待ってちゃダメ。そんなこと、ありえないんだから。私は、懇願して、隙を狙って、説得して、ようやく「Jean」を映画にできたの。「Everything, Everything」の場合は、真剣な態度を貫いたわ。「私たちはこの映画を制作する必要があります。そのために、私がいるのです」。ほんと、図々しくならなきゃ。か弱い花のまま、萎れちゃダメよ。

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