すべては
デジャヴ
77歳のスイス人写真家
ハンス・フューラーが、
女性、仏教、セネガルでの
捕虜体験を語る
- インタビュー: Timo Feldhaus
- 画像提供: Camera Work

「私たち人間はもうすぐ機械になると思いますか?」
でもちょっと待ってください 読者の皆さん。この質問は少し早過ぎました。
ハンス・フューラー(Hans Feurer)は中庭に座り、ビールをオーダーする。指にはフィルターのないキャメル。「1本頂いていいですか?」「ご自由に」。頭上に広がる快晴の空へ、煙が漂っていく。美しいシャツを着たフューラーは77歳。地球上の、ほぼあらゆる場所を制覇してきた。今日、ファッション写真家のフューラーがスイスの小さな山村にある自宅からベルリンへやって来たのは、「Camera Work」ギャラリーで、70年代から90年代にかけての主要な作品が展示されるためだ。
「どうして写真家になったんですか?」
「女性が好きだから」
フューラーは不良だし、確かにそう見える。面白い話をしてくれる温和なおじいちゃんではない。旅で経験したことのすべてが、顔に滲み出ているようだ。陽気な冷静さ、楽観主義、旺盛な混じり気のない好奇心。ここに座っているのは世界人だ。言葉はたいした意味を持たない。存在感がものを言う。
フューラーは、決してスタジオで撮影しない。人工の光を使わない。後処理をすることも、ほとんどない。地球上のどこであっても、自然光を使って、風景の中で、人間と仕事をする。種も仕掛けもない。デジタル写真へ移行したのは2002年だ。
「アナログ写真には、代え難い独特な魅力がありませんか?」
「私はそこまでは言わないね。携帯で撮っても、ハッセルブラッドで撮っても、良い写真は良い写真だ。クオリティの点では違うかもしれないが、私は、別にクオリティだけを問題にするわけじゃないから。写真には力がなきゃいかん。大事なのは写真の魂で、技術的なクオリティじゃない」

Camera Work提供 Eeva Ketola「ペンタックス カレンダー」(セイシェル バード島 1976年)

Camera Work提供「ELLE France」掲載(1980年)

「ピレリ カレンダー」(1974年)
「では、良い写真とは?」
「私の場合、先ず頭の中にイメージを描いて、それを絵にして、次に写真に撮る。哲学的な信念から言えば、私は禅僧だ。つまり、不要なものを剥ぎ取って、本質だけを残す。望遠レンズとある一定の焦点深度を使えば、自分が欲しいものを精確に絵にできる。それ以外で目に入るものは、不鮮明な雰囲気に過ぎない。香水みたいにね。写真は光と影だ。影は光と同じくらい、写真にとって不可欠なものだ」
スイスでアートを学んだフューラーは、その後ロンドンで、グラフィック デザイナー、イラストレーター、アート ディレクターの仕事をした。1966年にランド ローバーを買い、イギリス南部のサウサンプトンから南アフリカまで旅した。2年間におよぶ旅で、キャリアの岐路に立ち、写真家になることを決意した。ロンドンへ戻った青年は新しいキャリアをスタートさせ、以来何千枚ものファッション写真を撮影して、伝説の写真家と呼ばれるまでに成功した。イタリアの自動車タイヤ メーカー「ピレリ」が制作する有名な「ピレリ カレンダー」の1974年版に起用されると、傑作をものにした。もっとも影響力のある雑誌の数々と仕事をした。Kenzoの斬新な1983年度広告キャンペーンでポーズをとったイマン(Iman)は、不滅の存在になった。それから30年を経て、今ではOpening Ceremonyのウンベルト・レオン(Humberto Leon)とキャロル・リム(Carol Lim)が指揮を執るKenzoで、新キャンペーンを撮り終えたばかりだ。
だが、1996年にセネガルで捕虜になったとき、機転を利かさなかったらすべては無に帰していただろう。
「釣りをしてたら、反乱軍に捕まったんだ。イギリスのスパイと勘違いされて、処刑されそうになった。椅子に縛られて、カラシニコフを頭に突き付けられて...。周りの杭には生首が刺さってたよ。『スイス人だ、イギリス人じゃない。証明できる』と叫んだら、『どうやって証明するつもりだ?』と怒鳴り返して足枷を緩めてくれたから、シュープラットラーを踊って見せた。昔からのフォークダンスだよ。尻をピシャリと叩いて、ヨーデルを歌って、要するに、ヨーロッパから来た典型的な野蛮人を演じたわけだ。すると連中、地面を転げ回って笑ってた。そこからは上手くいった。言う通りに首領の写真を撮ってやったら、無事放免されたよ」
フューラーは話し続けている。僕の頭の中では、今しがた見てきたばかりの展示の大判写真が広がっていく。目を疑うほど美しい景色と光の中に佇む女性たちは、超現実に見える。どうやって撮影できたのか、僕には分からない。もちろん、現実のみが存在し、それを技巧が捉えただけなのだが...。

Camera Work提供「Iman, Kenzo, Lanzarote」(1983年)

&emsp「Nova magazine」「Twen magazine」掲載(1970年代頃)
世界が変わったのか、
それとも写真が
変わったのか?
それらの写真にある色彩、不可思議な直接性、文化の産物と自然の融合、あらゆる文化に内在する完璧な世俗性。その中に、僕がずっとデジタル化と結び付けてきた超現実的な視覚世界が存在することに、突如として気付く。現在はあらゆる場所にフォトショップの魔法が出現し、高解像度スクリーンが人工的な鮮明さをもたらし、インターネットが全面的に世界を統合する。ところが突然、あたかも夢のように、数十年前に現像されたフューラーの写真の中に、現代世界の先駆けが見える。
僕は、友人でアーティストのティムール・ス・チン(Timur Si-Qin)を思い出す。彼はテクノロジーと自然と文化が新しい現実になりつつあると確信している。商業文化が幾世紀も経てきた人間文化の伝統様式と密接に絡み合っていると、強く信じている。ス・チンの展示では、様々なアッサンブラージュに融合された現代の商品が、自然物としてステータスを主張する。テクノロジーは文化の産物であると同じように自然の産物とする前提の上に、ス・チンの信念は成り立っている。自然と文化を別物と考えるのはおそらく全く間違った考え方に根ざしている、と言う。機械、電話、車...人間が作り出すすべての製品は、海で生まれるムール貝と同じくらい自然なものでありうる。人間は特定の鉱物資源を抽出して、それを物体に変えているのだ。
それらの物体は、ファッションの流行のように、来ては去る。岸辺に打ち寄せる波のように。夜に太陽が沈み、翌朝また昇るように。先頃発見された3万8千年前の石器時代の壁画が、独特の点描画法で、近代画家のヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent van Gogh)やジョルジュ・スーラ(Georges Seurat)の作品を予期させるように。
それらの物体は、ファッションの流行のように、来ては去る。岸辺に打ち寄せる波のように。夜に太陽が沈み、翌朝また昇るように。先頃発見された3万8千年前の石器時代の壁画が、独特の点描画法で、近代画家のヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent van Gogh)やジョルジュ・スーラ(Georges Seurat)の作品を予期させるように。
世界が変わったのか、それとも写真が変わったのか? フューラーが生み出したシュールで褪せることのない商業写真を吸収するにつれ、僕は目眩がしてくる。超現実という前提が現れる前、世界はもっと超現実だったのかもしれない。
フューラーは私を見て、万事お見通しのように微笑む。私の頭の中で起きていることに、自分がどんな役割を果たしているかを察しているように...。「ある時から、もうルポルタージュはやらない、自分の『夢の投射』だけをすると決めたんだ。マス コミュニケーションで、できるだけ多くの人の目に触れて反応を喚起する、ってね」
「あなたの写真は、人間を拡大し誇張しているように感じます。自然へ回帰し、文化の中で、写真という技術を使って。あなたが作り出したイメージの中で、女性は超人になり、現実は超現実になります」

「Jil Magazine」掲載(1983年)
現在人間が思いつく考えは、
オリジナルではない。もう
自分たちで歌ったり作ったり
しているわけではないから。
人間がやっているのは、
どこかをクリックして
端末を眺めることだけ

Camera Work提供 Ingmari Johansson「Queen Magazine」掲載(ロンドン、1969年)

Camera Work提供「ELLE France」掲載(1988年)

Camera Work提供「Iman, Kenzo, Lanzarote」(1983年)
「いいかね、私は人間の官能性を見せようとしているんだ。見る人がそれを感じて嗅ぎ取れることが、重要なんだ。私は写真を信じる必要がある。写っている人物が実際に存在すると、信じられなきゃいかん。そうでなければ私が心を動かされることはない」
「人間は最終的に消滅して、ロボットや機械みたいな形になるのでしょうか?」
「現在人間が思いつく考えは、オリジナルではない。もう自分たちで歌ったり作ったりしているわけではないからね。人間がやっているのは、どこかをクリックして端末を眺めることだけだ。ますますロボットに近づきつつある。星をぬって、何年も旅を続けられる日が、間もなくやってくるだろうね」
「それこそ人間が意図する目標なのかもしれないですね。ロボットになること」
「さて、どうなんだろう。おそらく、その方向の何かだろうね」
「まだ明らかにされてない秘密があるのでしょうか?」
「何もかも、さらけ出されてるさ」
「すべてが写真に捉えられている?」
「すべてはデジャヴだ」
「世界でいちばん光が良いのは、どこですか?」
「いたるところ。いつだって、同じひとつの太陽だから。もちろん光線は変わる。日中は、雪のように純白で、スポットライトのように硬い。早朝や夕暮れは、拡散して、柔らかくて、金色だ。素晴らしいのは逆光だ。魔法が始まるとき、私の仕事が始まるときだ。影のない光はありえないよ」
- インタビュー: Timo Feldhaus
- 画像提供: Camera Work