新アートの巨匠 テイバー・ロバック
コンピュータ フロンティアを開拓する
アメリカ人アーティスト
- インタビュー: E.P. Licursi
- 写真: Eric Chakeen

テイバー・ロバック(Tabor Robak)は、デジタル アートのミケランジェロと呼ばれている。一見大げさな比較だが、ロバックの作品に関する重要な現実を指しているのも事実だ。デジタル革命がいかにも素人臭い稚拙な画像生成の隆盛と関連する時代にあって、ロバックのデジタル動画作品は非常に複雑で、細かいディテールまで入念に構成するため、制作には数ヶ月を要する。





最新作は、ロバック自身がデザインしコード化したソフトウェアを使って、リアルタイムで生成される。それを見ていると、パワフルなコンピュータによってレンダリングされるアートの可能性へと、思いが飛んでゆく。ベルニーニ(Bernini)の「サモトラケのニケ」を、コンピュータはどんな風に見せるだろうか ローマの由緒ある一族ボルゲーゼ家の現代に蘇ったようなテクノロジー界の大御所がいたら、ルネッサンス彫刻が表現した人体に代わるべきホログラムを作らせるだろうか。
ブルックリンのアパートメントにロバックを訪ねたE.P. リクルシ(E.P. Licursi)が、ロバックの作品とデジタルアートの未来について対話した。


E.P. リクルシ(E.P. Licursi)
テイバー・ロバック(Tabor Robak)
E.P. リクルシ: あなたが美術の学士号を取得されていると知って、驚きました。てっきり、コンピュータ サイエンスを専攻されたもの思っていたので。
テイバー・ロバック: 美術学校に通ってたときはまだ、コンピュータの技能をアートに利用することを思いつかなかった。コンピュータに関しては、子供の頃から徐々に上達してたんだ。人生を通じて、コンピュータがずっと僕の親友だから。出始めのバージョンのPhotoshopを使って、13歳のときから奇妙な仕事をやって金をもらってた。だから、ほとんどは、実際に使いながら覚えていったんだ。でも学校に入ったときは、画家になる気だった。絵を描くという活動、あの直接的なところが好きでね。でも、最終学年になる前に、同級生と比べて僕が際立ってるのはコンピュータの能力だって気が付いた。
子供の頃、アニメにすごく興味がありましたか?
うん、アニメの豊かな視覚世界で長い時間を過ごしたもんだよ。ゲーム、アニメ、ポケモン カード...。手に入りにくかったこともあって、子供時代の僕には日本のアニメがほんとに大切だった。20年前はまだテレビで「ドラゴンボール Z」さえやってなくて、レンタル ビデオで見るしかなかったんだ。おまけに日本語だったし。それか、日本のスーパー マーケットへ出かけて、レンタルする。とにかく、手に入れること自体が、僕自身の大冒険だった。
自分でもアニメを作りましたか?
作ったよ。僕は早くから、Photoshopのインターネット掲示板に参加してた。そこでやってたのが「Photoshop テニス」。どういうものかというと、Photoshopを使って何か抽象的な画像を作る。子供だと、顔の部分に骸骨とをオーバーレイした男と雫の垂れている星とか。それを他の人に送ると、そいつが何かを付け足す。そういう素人の場が、Photoshopにはあったんだ。バブルとか球体とかキラキラした輝きとか、商業的には使い道のないクールなエフェクトで遊べた。
アートに対する興味に火が付いたのは、どんなきっかけで?
主として、視覚表現がそれ自体独立して存在する領域だと思ったから。美術史が好きでアーティストになりたいと思ったわけじゃない。自分のやりたいことができて、それをサポートしてくれるコミュニティが必要だったからだよ。美術館へ行ったって、中には僕が知らないアーティストだっている。全部の作品の歴史なんて知らないけど、僕は作品を楽しむことができる。絵の中にある構成、色彩、構造を、深く理解できる。
そういうインターネット初期の掲示板は、現在のRedditや4chanとかなり違いますね。初期の掲示板で創造性が養われたと思いますか?
当時は、もっともっと匿名的だった。そして、もっと友好的だった。今は、どこであれ、インターネットに何かをポストするなんて、僕はすごく怖いね。少なくとも、リアルタイムでコメントが返ってくる場所はごめんだ。以前は純粋な協力精神があったし、とても建設的だった。まだ発展途上だったから、かなり独特な雰囲気だったしね。今より奇妙な場所だったよ。
デジタル アート分野の人々を悩ませることのひとつに、映画のCG画像があります。特に、とても精密な作品を制作するあなたにとっては、8,000万ドルもかけたまがいもののアニメーションがアクション シーンに使わるのを見ると、がっかりするんじゃないですか?
かつての僕は逆の立場にいたから、難しいね。ニセモノを作る、できるだけニセモノらしく作る、ってことをしてたからね。ある時点で、気が済んだんだと思う。同時に知識も付いてきて、そういう映像の作り方に神秘もなくなった。今、大掛かりなヒット映画にほとんど魅力を感じないのは、自分に対するちょっとした失望でもあるな。前はそういうグラフィックからインスピレーションが湧いたのに、もう刺激されなくなった。
アート批評では、もっとも基本的な分類として、抽象と具象を対立させた図式上に作品を位置付けます。あなたの作品は、そういう二分的な分類に挑戦しますね。
両極のあいだのどこかに場所がある。その場所へ移行する瞬間は、精神が移行する瞬間だ。そこは心が移り変わる瞬間だから、僕の心を躍らせる。いつも、空を見上げるときを考えるんだ。雲を見ているか、犬の形をした雲を見ているか。その雲と犬のあいだに瞬間がある。それが、空想、創造、閃きが生まれる特別な魔法みたいな瞬間だ。その瞬間には、自分が何を眺めているのか、まだはっきり分からなくて、アイデアが少しずつ形になっていく。僕が探してるのは、そういうもの。単に、視覚的に大きな刺激を感じるからかもしれない。何か、内面に触れるものがあるんだ。
アート批評家には、絵画や彫刻を優位に位置付ける人が多くて、制作の過程に大きな関心を寄せます。私からすれば、技術の点でも理論的な複雑さの点でも、あなたの制作過程は高尚な絵画や彫刻に何ら引けを取りません。アート界で抵抗を感じたことはありますか?
美術学校にいた頃はまだ、テクノロジーの合成的で人工的な性質へ強い抵抗が周囲にあったけど、時が経つにつれて、テクノロジーへの欲求が自然に育ってきたと思う。ニューヨークに来てからは、美術としての正当性という点で、抵抗を感じたことはあまりないな。そのことについては、絵画とか彫刻とか、古くからあるジャンルの観点からよく考える。僕にとって、絵画や彫刻は素材に制限されない。むしろ、素材に対する視点だ。だから僕はよく、絵画的な作品を作ってるような気がする。彫刻作品を作ってるような気がする。同時に、制作の過程を通じて、写真と映画の歴史とも関わってる。実時間生成ソフトウェアには、それが一番強く関わるんじゃないかな。ほんとにハイブリッドなメディアなんだ。
批評では、あなたの綿密な制作過程を強調されることが多いですね。ひとつの作品に数ヶ月、時には数年の歳月をかけるとか...。アイデアはどこから生まれるのですか?
僕は、アイデアやインスピレーションのリストとアウトラインを大量に持ってるんだ。最初の頃はスケッチブックに描くことが多かったけど、その後はいろいろなコンピュータのプログラムを使うようになった。リアルタイムで生成される作品を作り始めてからは、ソフトウェアの進歩が制作に反映してる。だから、初期の段階で、ソフトウェアのアーキテクチャを真剣に考える必要があるんだ。もう線形じゃない。丁寧に扱わないといけない生き物だ。ファイルを詰め込みすぎると開かなかったり、クラッシュしたり、不具合が生じたりする。ソフトウェアのアーキテクチャーが解決できたら、次に勉強しなきゃいけないことが分かる。僕の作品は、どれを取っても、僕が学ぼうとしいる技術が必ず存在してるんだ。
おそらくアートという概念ができたときから、作品を作るために、アーティストはチームを必要としてきました。あなたの場合は、ソフトウェアとコードの組織化ですね。
喩えて言えば、現在僕がやってるのは、スタジオでひとりの男をプログラムすることだ。そいつはあらゆるリソースを利用できて、リソースをどうやって組み合わせたら良いかについてもいろんなアイデアを持ってる。あとはスイッチを入れれば、コンピュータがせっせと仕事をする。
その後で、手を加えるんですか それとも、生成された結果を無作為に受け入れる?
すべては、無作為のコントロールだよ。さっき言ったような手順を踏んで制作すると、不規則に、理想的なものが生まれることがある。ピクセルを慎重にひとつひとつデザインして配置して作り出す完璧な瞬間より、はるかに良いもの。きれいだと感じる雲を見つけたり、捨てられたゴミの山に芸術的な美しさを感じることに近い。非の打ち所のないものを作り出すことは、無理やり服従させることだ。膨大な時間をかけて、すべてを完璧にしていくと、なんて言うか、自分をさらけ出すことが制限される。細部の細部まで間違いなく満足できていた過去よりも、今の作品の方が、はるかに僕自身が出てるように感じるよ。
もうひとつ、あなたの制作過程で興味をそそられるのは、膨大なファイルに伴うリスクです。
巨大なファイルをあちこち動かして、数ヶ月もレンダリングを待つのは、クリエイティビティと正反対だ。死んだような気分。いつ何時、おかしなことが起こるか分からないからね。そう思うと、ゾッとする。それに、コンピュータにとっても、レンダリングはいちばん過酷な作業なんだ。だから文字通り、コンピュータが壊れる危険がある。ほんとに、物理的に、コンピュータが壊れてしまうんだ。ようやくレンダリングが終わったら、今度は数テラバイトのビデオ ファイルが出来上がる。それを他のハードディスクに転送するには「ああ、素晴らしいじゃないか。別のハードディスクへ転送するのに4時間待ちだ」
デジタルでの制作に利点はありますか?
思考過程にとても近いと思うんだ。僕が追求している種類の抽象作品は、頭の中にイメージが浮かんで、はっきりした輪郭も残さずに消えて行くのと、よく似てる。さっき言ったことは別にして、物理的な制約がないことは大きな利点だよ。それに、素材も絶えず開発され続ける。今のテレビは、1年前の2倍の色数を出せるんだ。スクリーンに写し出される色彩が、突如として新しくなって、僕にとってはとてもエキサイティングだ。今、現代アートの世界では、デジタルやデジタル ツールがすごく目新しい。特にVR。単なる目新しさとある種の技術を見分けるには、高度な訓練を積んだ鑑識眼が必要だろうな。アートは目新しさが好きだけど、目新しさというのは、誰がそれを最初に目を付けたか、誰が最初に儲けたか、ってこと。僕の頭にあるプロセスは、スローで着実だ。






- インタビュー: E.P. Licursi
- 写真: Eric Chakeen