ウィル・ウェルチが「熱烈なファン」を続ける理由
『GQスタイル』編集長を兼任する『GQ』クリエイティブ ディレクターが、ファンであること、雑誌作り、ヴァージル・アブローを語る
- インタビュー: Durga Chew-Bose
- 写真: Jason Nocito

薄曇りの空の下、ビーチを転げまわり、白い砂にまみれた青い眼のブラッド・ピット(Brad Pitt)。熱い情熱とクールな実在感を発散する、両の眉がつながりそうなティモシー・シャラメ(Timothée Chalamet)。ふたりはそれぞれ、俳優としてのキャリアの異なる時期に、共にライアン・マッギンレー(Ryan McGinley)に撮影された。『GQ』の夏の号と3月号の表紙に登場したふたりの写真は、『フェイス』マガジンのルイス・サンチス(Luis Sanchis)の作品を彷彿とさせるが、実は、『GQ』クリエイティブ ディレクターであるウィル・ウェルチが率いるチームが作成したものだ。チームのメンバーは、ファッションに対してアンテナが高く、自然に互いが協力しあい、高い結束力を誇る。彼らは情熱家だ。そんな編集者たちは「ファン」でもある。サブカルチャー、Tシャツ、Tシャツ デザイナーがデザインを手がけたウォーター ボトルを愛する。そして、ウェルチが2015年12月から編集長を務めている季刊の高級マガジン『GQスタイル』では、伝統の殻を破り、意外な可能性を開拓し、ポッドキャスト「コーポレート ランチ」では商品紹介なども交えながら、舞台裏の生の声を配信することで、出版物がより直接的に読者と繋がれることを立証している。
Pradaのショーへの招待状、アルマーニ(Armani)とフューチャー(Future)、ミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Rohe)、ジャズ サックスの名手ファラオ・サンダース(Pharoah Sanders)らの写真、eBayで手に入れたApple「Think Different」キャンペーンのジム・ヘンソン(Jim Henson)特大ポスター…さまざまな過去の収集物が壁面を占めるコンデ ナスト ビルのフロア、少なくとも、ウェルチが愛情を込めて「コンテンツ タワー」と呼ぶ彼のオフィス付近の一角は、 チームの仕事ぶりだけでなく、メンバーが共に過ごす時間の長さをを示している。
3月のある日の朝、『GQ』本社にウェルチを訪れ、その2~3週間後にあらためて電話で話した。

ドゥルガー・チュウ=ボース(Durga Chew-Bose)
ウィル・ウェルチ(Will Welch)
ドゥルガー・チュウ=ボース:つまるところ、厳密に、クリエイティブ ディレクターとは何ですか?
ウィル・ウェルチ:それをわかってる人はいないよ。地球上でいちばん笑える肩書きだ。ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)時代に、なおさら滑稽になった。僕は2003年から2007年まで『ザ・フェーダー』誌にいたから、しょっちゅうラップの会場へ行ってたけど、そこで会う連中は「やあ、『ザ・フェーダー』で仕事してるんだって? 僕はCEOなんだ。僕の仕事を見てくれよ」って感じだった。ところが今は「やあ、『GQ』の人だろ? 僕、クリエイティブ ディレクターなんだ」っ感じ。面白い転換だよ。パフィ(Puffy)とかジェイ・Z(Jay-Z)とかバードマン(Birdman)とか、誰もがCEOだった時代から、僕はクリエイティブ ディレクター、僕にはアイデアがある、の時代に変わったみたいだ。最高にクールな虚構の肩書き、それがクリエイティブ ディレクターだ。
そこを敢えて一言で言うと? 実際にクリエイティブ ディレクターの仕事に就いたら、職務を定義しなくてはならないでしょう? 簡潔に説明すると?
実際にどんな仕事をするのか、気にする人はそれほどいないよ。どう説明しても、すべては大勢の人の協力の上に成り立っている事実がないがしろにされてしまう。敢えて言うなら、ファッション部門を監督して、写真撮影に関するすべてのコンセプトと指示を調整する仕事だ。今やどの会社にも最高クリエイティブ責任者がいて、どの有名人もクリエイティブ ディレクターを抱えてる。
クリエイティブ ディレクターには、無限のアイデアが要求されるのではないかと思います。 だけど、そういう一種過剰な期待は、必ずしも間違いや欠陥ではないけど、散漫とした視点ではないでしょうか? 抽象的というか…。
その通り。アイデアを重視する昨今の傾向は、まったく馬鹿げてる。アイデアがあるのは結構だけど、アイデアの半分でもいいから、実践に移す方法をわかってるほうがはるかにいいんだ。数限りなくアイデアがあります、と自分をアピールしたがるのは不可解としか言いようがないね。ケーキ作りに必要な材料を何トン持っていようと、実際にケーキが焼き上がるのでなかったら、まったく無意味だよ。


自分のアイデアが成功することを、どう確信するのですか? 例えば、ライターとそのライターには馴染みのないテーマや意外なテーマを組み合わせた場合、どの程度、普通はあり得ない要素が効を奏するのですか? それとも、忍耐強く直感を信頼して、いつかはストーリーやチャンスが生まれると信じるのですか?
適度に混ぜること、それがすべてだな。『GQスタイル』では、どの号でも確実に、僕だけじゃなく誰もが当然納得できるフォトグラファーやライターの組み合わせが含まれているようにする。だけど、そういう衝動に真正面から抗って、まったく直感に反する何かをやりたいときもある。できれば、速球もカーブも変化球もある内容にしたいね。
つまり、ただ…
ああ、野球の例えを使うメンズ マガジンのエディターというのは、ちょっとマズかったかな。
では、トレンドの最先端を行くこと、言い換えるなら、トレンドにどっぷり浸かるのではなく、むしろトレンドを予測することは、どの程度重要ですか?
雑誌作りやファッション エディトリアルでは、もちろん、その媒体独自の視点を提供している。当然だ。だけど僕が『GQ』と『GQスタイル』でやりたいのは、何がカッコいいかを僕たちが決めたり、次に何が来るかを僕たちが教えるより、今というこの瞬間に、100%参加することだ。ひとつにまとめられていない、沢山の可能性や表現の状態にいること。『GQスタイル』が常に注目するのは、今勢いがあるのは誰か、ということだ。 じっとここに坐ってトレンドを宣言するなんて、すごく退屈だ。それに、僕はトレンドを考える人間でもないしね。僕は、自分をファッション人間だと考えて今のキャリアを始めたわけじゃないんだ。もう何年もファッション業界で働いてるし、ファッションは素晴らしい世界だけど、いつも自然と、距離感がある。
なぜでしょう?
もともと僕が夢中になったのは音楽だし、今もそれは変わらない。君が自分を先ずライターと考えるか、本好きと考えるか、それは知らない。そんなふうには考えないかもしれない。だけど、生まれたときからファッションに興味がある人は沢山いる。一方で、ファッション人間だと感じないのに、臆面もなく業界にいる僕みたいな人間も沢山いる。5~6年前、ニューヨーク ファッション ウィークが始まる頃の話だけど、僕はそんなこと頭になくて、カレンダーを見てようやく「最初のショーに行くことになってるのに、後15分で始まるじゃないか」と気付いたんだ。メンズとウィメンズのショーで、何の心構えもなく会場へ入って、もうびっくりしたね。大勢フォトグラファーがいて、照明があって、音楽があって。こっちではアナ・ウィンター(Anna Wintour)が歩いてる、警備員にはあっちへ押されるって具合で。

ああいう大掛かりなショーは、現在もファッションにとって必要でしょうか?
可笑しいのは、話しながら、自分でもすごく古臭い気がしてたんだ。今は、僕たちみたいなマガジンにせよ、小規模なファッション ブランドにせよ、メジャーなブランドにせよ、全体的にみんな予算が少ないから、クリエイティブ分野にとってはすばらしい時期だよ。撮影でもコレクション ショーでも、制約された条件から最高にエキサイティングなことが起きると、僕は心から信じてるから。この…(笑)
ひょっとして、また野球の例えを使おうとしましたか?
いや、さっきの野球ほどではないけど、同じくらい体育会系のノリの話。多分、ドキュメンタリー映画の『ゲット ラウド』だと思うけど、ジャック・ホワイト(Jack White)がアンプのどこにギターのピックを置くか、話してるんだ。彼は、少なくとも1歩分遠くへピックを置いとくんだって。ピックを拾って、ちょうど歌の出だしにマイクまで戻って来られる距離。急いで行動しなきゃいけないプレッシャーが好きなんだそうだ。ロックンロールには、ちょっとだけ遅れるのがいい。基本的に、そのほうが歌が盛り上がる。そういう意味で、ジャック・ホワイトは面白いやつだ。ザ ホワイト ストライプスは彼とワイフか妹だかのデュオで、楽器がふたつ、ステージで使う色は黒と白と赤の3色だけでね、小さくまとめて大きなことをやるんだ。まあ、そういうわけで、野球とザ ホワイト ストライプス。特にいつも考えてることでもないのに、今日はどうしたことか。
最近の号の表紙について話してください。例えば、ジェームズ・ハーデンの表紙。
彼は超個性的なハイ ファッションを、何の苦もなく着こなした。ネオン カラーのBalenciagaからシークインをあしらったComme des Garçons、Louis Vuittonのレイン ポンチョ、花柄のGucciまで、まさにぴったり。すごく賑やかな撮影だったよ。
アイリス・アプフェル(Iris Apfel)風のジェームズ・ハーデンは、お気に召しましたか?
100%満足だ。それ、今までで一番いい表現だよ。彼も楽しんで着たということだし、とにかくよかった。
これまでの表紙や内容で、怖気づいたことはありますか?
6月のコメディ特集号。ファッションなら自信があるし、弱気になることもない。だけど、コメディはちょっとした挑戦だったな。特に、これまでの『GQ』はコメディがすごく上手だったから。僕も今まで色々とやってきたけど、おかしくて大笑いする写真はいちばん経験不足だ。

ジョークは怖いですよね。
ジョークは怖い。特に、スチール写真にするとね。
あなた自身は面白い人ですか?
尋ねる相手次第で、答えは違うだろうね。僕自身の答えは「それほど面白くはない」。どうかな。
変な質問でしたか?
いや、とてもいい質問だよ。ただここには、面白い人間がたくさんいるからね。実は、チームと、これからやる撮影のことを話した後、昨日は寝不足のままスケジュールをこなして、夜にはもうへとへと。面白いアイデアをひねり出そうとしたけど、エレベーターに乗った瞬間「やれやれ、腹が減ってイラつくアイデアばっかり思いつく」。昨日の夜は、ちっとも面白い人じゃなかったな。(編注:ちなみに、このインタビューの後、『GQ』は6月号で、痛快なまでにパンチの効いた表紙を公開した。Photoshopを使った修正ミスが話題となった、『Vanity Fair』誌の表紙の写真をネタにしたものだ。)
とても親密なチームのようですね。寄宿舎で共同生活してるみたい。
寄宿舎ね…。褒め言葉ということにしておこう。ここには巨大な絞り染めのタペストリーもあることだし、グレイトフル デッドのポスターも貼ってある。寄宿舎みたいなオフィスと言われても、腹を立てるわけにはいかないな。
GQにとってのリスクは何だと思いますか?
確信が持てないものが、なんとかうまくいくだろうと当てにすること。僕たちは張り詰めたロープの上にいるんだ。それは最後の完成品で感じる。でも、絶対あってはならないのは、誰かが素晴らしいアイデアを提案したのに、ほかの誰かが「そんなの絶対実現しないさ」と言ったおかげで、そのアイデアを追求しない、ということ。それが、ここでは許されない過ちになる。
『GQスタイル』がAlyxのデザイナーのマシュー・ウィリアムス(Matthew Williams)、ミュージック アーティストのデーモン・マクマホン(Damon McMahon)とやったコラボレーションについて、ライターのメアリー・H・K・チョイ(Mary H.K. Choi)がツイートしましたね。チョイは、『GQスタイル』が「熱烈なファン」であるところが、とても好きだと言っています。「自分たちの興味をかき立てるものとか、何かを発掘するやり方が、私が成長期に憧れた兄たちを思い出させる。エディターたちの『好み』がはっきり見てとれる」。あなたもツイートをシェアして、感謝の印に白い鳩と星の絵文字、そして#alwaysbeyourself – いつも自分自身であること – を付けましたね。
あれは本当に嬉しかったな。メアリーは、これまで僕たちが声高に掲げたことのない『GQスタイル』の使命を表明してくれた。全身全霊を注ぐこと、それが素晴らしいものを作る唯一方法だ。毎回新しい号を作る度に、僕は皆に言うんだ。「コンデ ナストが僕たちに何ページも使わせてくれるなんて、信じられるかい? 僕たちの好きなように、使えるんだぞ」

ファンであることと部分的に重なる、あるいはファンであることやファンであることから派生するコンテンツやクリエイティブ ディレクションには、どうアプローチしますか?
僕はいつもファンの立場だと感じている。マガジンを作ったり、記事を書いたり、被写体の写真を撮る行為は、アートの二次的な形態だ。ずっとそう思ってる。一次的な形態に関わる人、つまりゼロからものを作ったり、想像力から何かを作り出す人を、僕は尊敬するよ。良くも悪くも、僕はそういう人間だ。ジャーナリズム、殊に僕たちがやってる類のマガジン ジャーナリズムには、エゴがあってはいけない。エゴのない優れた批評もあるけど、概して、批評にはエゴがある。実際、そこが難しいところだけど、僕にとって価値があることをやってる人を尊敬するように、僕は生まれついてるんだな。それがロサンゼルスやアントワープやアトランタのちっぽけなショップのオーナーであろうと、ハリウッドの有名な俳優であろうと、『GQ』の表紙に登場したパフィであろうと、それは関係ない。
一次的な形態に関わる人を尊敬する傾向はあるけれど、最後は自分の直感にしたがう…。
そう。誰かを尊敬に値する人物だと思って、実際に尊敬するのは、盲目的に何も判断しないことじゃない。人の性格には、ありとあらゆる欠陥が潜んでる。それを探るのは面白いよ。隠れていたり、複雑に絡まっていたり、ほかの部分とずれてたり…。
ファン心理には、率直なものや感傷的なものから客観性のない闇雲でつまらない崇拝まで、幅広い様相がありますが、『GQスタイル』が大切にするファン心理は、どこかその中間のようですね。
そのことを説明するのにぴったりの例がある。アンドレ3000(Andre 3000)の記事。僕はジョージア州アトランタで青春を過ごして、16歳のときはアンドレ3000のアウトキャスト一色。ありったけの時間、ありったけの悩み、ありったけの逃避願望と喫煙願望を抱えて、アウトキャストを聞きながら車で走り回っていた。それが僕の青春の大部分だった。

野球やジャック・ホワイトの話より、いい出だしですね。
それ来た。さっきの話を思い出して内心大笑いしてたんだ。野球とジャック・ホワイト。絶対笑いものにされると思ったよ。
ご親切にどうも。
いや、本当だよ。僕の運命は君の手に委ねられてるんだから。とにかく、ティーンエイジャーの頃の僕には、アウトキャストとグレイトフル デッドしかなかった。特にアウトキャスト。どう表現しても足らないくらい、純粋に正真正銘のファンだった。だからアンドレとメールをやり取りするようになって、7~8か月それが続いて、アンドレがついに取材に応じてくれる気になったとき、僕は自問したんだ。「一体どうやったら、アンドレを崇拝する僕の気持ちを脇へどかすことができるだろうか?」。全身全霊で仕事に打ち込みたいとは思ってるけど、やはり必要な一線は画す必要がある。僕自身、誠実なジャーナリズムとそうじゃないジャーナリズムの違いは知ってるからね。
自分でも、また、記事を書きたいですか?
本来の僕には、編集とイメージ作りのほうが向いてる気がする。それに実際のところ、『GQ』へ来てみたら、信じられないほどレベルの高いライターがまわりにうようよいるから、どうも僕はライター向きじゃないらしいと自覚したよ。
クリエイティブ ディレクターとしてのあなたの仕事について話そうと思ったら、ヴァージルと、ヴァージルが3月にLouis Vuittonメンズウェアのアーティスティック ディレクターに指名されたことを、避けて通るわけにはいきません。
話はいつでも、結局、ヴァージルへ戻る。
現在、時間をかけてクリエイトする人たち、もしかしたらコラボレーションも上手くできない人たちの場所が残されていると思いますか?
僕たちがやってることはイメージ作りだ。TwitterやInstagramやFacebookを使って、自分の生活をクリエイティブに表現してみせなきゃいけない。掲示板や伝言板に参加してるキッズを頭に置いてね。ヴァージルはその輝ける手本だ。カニエ・ウエスト(Kanye West)のクリエイティブ ディレクターからどんどん進化して、今や Off-Whiteのオーナー兼デザイナー兼クリエイティブ ディレクター。次から次へと作り続ける。質に関しては幅広く意見が分かれるところだけど、彼の作るものを歓迎する人が必ずいる。今の時代、とにかく作り続けること、どんどん積み上げていくことが、批判や悪口や否定を粉砕する一番の方法かもしれない。ヴァージルは、ひとりのセレブが崇められるパラダイムを粉砕した。それは紛れもない事実だ。その結果、セレブの背後にいる成功の立役者にみんなの目が向くようになったんだ。


Louis Vuittonの舞台裏にいながら、以前にもまして視線を浴びるようになった。
『マイレージ、マイライフ』でジョージ・クルーニー(George Clooney)が演じた主人公は、しょっちゅうあちこち飛び回って、地に足が着いてないから、人間らしさに欠ける。帰る場所、自分の居場所がない。ヴァージルは、空港のラウンジでもwifiを使える飛行機でも、それを自分の場所にしてしまうことがこの世で一番クールな目標みたいに感じさせた。それにヴァージル自身があれほど憧れを集める存在でいるには、旅行もひとつの役割を果たしているから、Louis Vuittonへ参加したのは自然な論理の帰結だと思うよ。もともと、船の長旅に持っていくトランクから始まった会社だからね、Louis Vuittonは。僕からしたら、筋が通っている。
では、最後に、『GQ』と『GQスタイル』の長期的なプランを教えてください。先ほどちょっと話に出ましたが、不可解で、冗長で、質問と回答のかみ合わないセレブのインタビュー記事が求められるように、奇妙なものを狙う現在のメディアのあり方が反映されるのでしょうか?
ある程度キャリアの未来が予測できる36歳としては、何に関しても、長期的な自信は持てないな。短期的、中期的には、とても良い感触を持ってるけど、それも実際にどうなるかはわからない。インタビューには、今という時代にとてもマッチする何かがあるね。失われた古き良き技の要素もある。確かに今は、奇妙なことが良しとされる時代だ。奇妙なものは、アートまがいあるいは真にアート的なものと、重なり合っていることが少なくない。ということはつまり、とてつもなく下手くそなものが、奇妙だからという理由で、優れたものと混同されることも多いわけだ。どうやら僕たちの文化は、芸術性を内包する奇妙さと、ただ無意味に奇妙であることを識別できなくなったらしい。だけどそこには、「試す」ことが許される大きな余地がある。そういうチャンスを、僕は無駄にしたくない。
Durga Chew-BoseはSSENSEのシニア エディターである
- インタビュー: Durga Chew-Bose
- 写真: Jason Nocito