現代と繋がる「へザース/ベロニカの熱い日」
1980年代の郊外における危険な美学を紐解く
- 文: Adam Wray

ティーンムービーには正当な敬意が払われない
ティーンムービーは、その時代の美的センスや価値観を示すうってつけのサンプルである。「初体験 リッジモント・ハイ(1982年)」や「スーパーバッド 童貞ウォーズ(2007年)」など、ティーンムービーを立て続けに見れば、1980年代中期から2000年代中期にかけて、アメリカ中流階級の若者像の変遷が大体分かる。1988年に発表されたマイケル・リーマン(Michael Lehmann)監督の「ヘザース/ベロニカの熱い日」は、ティーンムービーの中でも、特に創意工夫に富んだ作品である。アメリカの郊外に向けた非常にドライな風刺、それも死に関わる不気味な不条理と鮮やかなイメージが強烈な対照を成す風刺は、教訓を教える典型的なティーン映画と正反対に、深いアンビバレンスだけを残す。舞台はオハイオ州の小さな町。ウィノナ・ライダー(Winona Ryder)扮するベロニカ・ソーヤーは、ウェスターバーグ高校の人気グループの中で、唯一ヘザーという名前ではない。カリスマ性はあるがタガが外れたベロニカのボーイフレンドJ.D.を演じるのは、クリスチャン・スレーター(Christian Slater)。やがてベロニカとJ.D.の悪戯は度を越して、同級生を殺し始め、それを自殺に見せかける。ふたり以外の全生徒が、当惑しつつも自殺がトレンドとなった世界へ適応していくにつれ、外見と階級支配に取り憑かれた社会への痛烈な批判が浮かび出る。大きく膨らませたヘアスタイルとパッドを入れた肩は完全に80年代のスタイルであり、表層だけがすべての世界においては、当然ながら着衣がメッセージを発する。郊外版「アメリカン・サイコ」と言える「ヘザース」は、今も共鳴を続ける。


「自殺するかしないか。それは10代が下すもっとも重要な決断」
最初から最後まで「ヘザース」は夢のようだ。100%幻想でもなく、真の悪夢でもなく、ちょっとバランスの狂った現実が疑うことなく受け入れる不条理の増大に満たされていく。シュールな雰囲気を作り出している大きな要素は、4人の女性キャラクター(3人のヘザーとウィノナ・ライダー扮するベロニカ)の服である。派手な色使いの大胆なデザインと柄、けばけばしいアクセサリーは、ミッドセンチュリー モダンからギラギラしたプレッピー風チェック、大仰なレースに至るまで、あらゆるスタイルのオン パレードだ。2016年の現在「ヘザース」を見ると、アレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)による華美なGucciコレクションと思わず比べてしまう。それらは、自分のステータスを示す衣装であり、ポストモダニズムを生み出した時代の鎧だ。パッドを入れていからせた肩のような意識的な変装は、Browneの演劇的ランウェイから、Jacquemus、デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)が手がけるVetementsとBalenciagaに至るまで、ウィメンズウェアで復活している。


我買う、ゆえに我あり
「ヘザース」の中盤あたりで、ベロニカが今は亡きヘザー・チャンドラーのロッカーをこっそりと開けて、思いがけない情景を目にする。ヘザーの本、雑誌、写真、雑貨はまるで誰かを待っていたかのように整頓され、予期せぬアート作品が添えられているのだ。それは、ロッカーのドアに貼られた絵葉書サイズのバーバラ・クルーガー(Barbara Kruger)作品「I Shop Therefore I Am (我買う、ゆえに我あり)」。映画を見ている者は、そのシーンがレーガン時代の特徴であった浅はかで軽率な消費文化に対する批評であることを納得する。つまり、舞台と観客を隔てる第四の壁越しに送られた目配せだ。「ヘザース」の世界では、このカードが巧妙な視覚的ギャグとして機能する。どうやらメッセージ本来の意味は、念入りにセットされたヘザーの頭をすり抜けて、額面通りに受け止められたらしい。彼女はメッセージを完璧に理解していた、というもっと興味深い可能性もありうる。「自殺したことでヘザーには深みが出た」とベロニカは日記に書いたが、人間としての深みがずっと存在していたとしたら? 仮にそうだったとしても、非情な物質主義アートの熱狂者は、ヘザー・チャンドラーが最初ではなかったろう。
「10代のくだらない苦悩は死体を数える」
「ヘザース」が今も心に響くのは、ストーリーやイメージだけでなく、皮肉っぽい引証句的台詞を散りばめた脚本のおかげである。「What’s your damage? (どこが悪いの?)」は映画から離れてポピュラー カルチャーの一部になったし、「Fuck me gently with a chainsaw (そんな馬鹿な!)」というフレーズをどこで初めて耳にしたか、ほとんどの人は忘れないだろう。テキスト ベースのコミュニケーションが絶え間なく続く今日、インパクトのある短文は以前にもまして威力を発揮する。胸に書かれている場合はなおさら。Vetementsが2016年秋冬コレクションを発表した時、マルーン カラーのフーディにパイロン オレンジで書かれた「May The Bridges I Burn Light The Way(私が火を放つ橋が、私の行く先を照らすように)」に、インターネットのコメンテーターたちはたちまち反応した。フォーチュン クッキーにでも入っていそうな、いかにも深遠そうで不可解なフレーズ。実を言うと、そこにはメロドラマ的な重みがある。というのも、このフレーズは90年代のティーンドラマ「90210」に登場し、「ヘザース」のスタイリッシュな脚本と類似した印象を与えるからだ。Vetementsの2017年春夏コレクションではスローガンが多用されていないので、野心的な業界人は「ヘザース」の台詞を拝借したフーディを作るかもしれない。ヘザー・チャンドラーの名言「If you want to fuck with the eagles, you have to learn to fly (鷲をものにしたかったら、先ずは飛ぶ方法を学ぶこと)」あたりはどうだろう。

「過激は必ず印象に残る」
クリスチャン・スレーター扮するJ.D.は、ダイナミックに着飾るヘザーやベロニカと著しい対極をなす。彼女たちは数分毎に衣装を取り替えているように見えるが、J.D.ははるかに控えめだ。主に、色あせたブルー ジーンズ 、くたびれたブーツ、シングル フープのイヤリング、シンプルなTシャツとボタンアップ シャツという80年代後半の典型的だらしなさを、ミディ丈のコートで覆う。登場するシーンでいつも羽織っているこのコートは、彼のスタイルをつなぐ糸だ。今や疎外された10代のはみ出し者御用達と相場が決まっているトレンチは、3人を殺し、高校を吹き飛ばそうとするキャラクターが不気味にも将来を予知したチョイスだったわけだ。同時に、ステレオタイプな外見に従おうとする圧迫感は、行動に反映され、人格を形成するのか、という疑問を投げかける。ほとんどの高校を支配する徒党や典型の枠を社会は超えられないと確信したJ.D.は、本気の劇的解決策を考案する。満足できない現状を維持するより、潜在的に悲惨な未知の領域へ舵を切ろうとする世界において、J.D.のねじれた二値論理は痛烈に痛いところを突く。
- 文: Adam Wray