ビバリー・グレン=コープランドの素晴らしき世界

神に導かれた、あるミュージシャンの復活

  • インタビュー: Fiona Duncan
  • 写真: Heather Sten

昨年暮れ、とある日曜の午後に、ビバリー・グレン=コープランド(Beverly Glenn-Copeland)とそのバンドは、ニューヨークのロングアイランドにあるMoMA PS1で、詰めかけた聴衆を前に演奏した。チケットは完売。グレンが「生誕の地」と呼ぶアメリカ合衆国を訪れたのは2000年以来、初めてのことだった。フィラデルフィアで生まれ、18歳のときに渡ったカナダを気に入り自分の居場所とした76歳のアーティストは、後述の政治的理由から「もうアメリカの地を踏むことはない」と考えている。だが、彼にとってはアメリカ最後のパフォーマンスであったMoMAでのコンサートも、オーディエンスの多くにとっては、グレンの音楽との出会いの場であった。音楽通の友人に誘われてやってきた彼らは、グレンの高尚な音楽の熱烈なファンとなって会場をあとにした。デヴ・ハインズ(Dev Hynes)やロビン(Robyn)、コートニー・バーネット(Courtney Barnett)、デヴェンドラ・バンハート(Devendra Banhart)、フォー・テット(Four Tet)といったアーティストたちを含む多くのグレン ファンは、まさにこのような形でその数を増やしてきた。口コミの力と、雄弁に語る音楽そのものの力によって。

1986年に発表された、電子音楽の楽曲を集めたアルバム『Keyboard Fantasies』を、日本人のあるレア盤蒐集家が2015年頃に再発見し、世に紹介したことが、グレンの現在の成功をもたらすきっかけとなった。そのサウンドは小さな葉を打つ雨粒のように、あるいはぐっすり眠ったあと、そっとすり寄って起こしてくれる友のように、瑞々しくリズミカルだ。昼間は校長先生として、夜はクラシックピアニストとして働く父と、お腹にいるときから我が子のために何か奏でていた母に育てられたグレンは、当時住んでいたオンタリオ州の片田舎で、初期のアタリ社製コンピューターを使ってこのアルバムを制作した。希望に高鳴る胸の鼓動を思わせる軽快なドラム、オーケストラ風の音に重なるエレクトロニックな響き、そして慰撫するような伸びやかな声。『Keyboard Fantasies』は、ミニマルでありながら重厚なスケール感を漂わせる。明快に歌われる詞が、自己啓発系の陳腐な焼き直しに陥らないのは、グレンが歌うからこそだ。「手放そう、さあ、手放そう」とアルバムのラストを飾る曲で、彼は歌う。「いいんだよ」と。

1970年に作った、自らの名をタイトルにしたデビューアルバムはその時代の音、フォークジャズを聴かせてくれる。ジョニ・ミッチェルのクールな『Blue』と対照的に、ぱちぱちとはぜる焚火のように温かい。一方、最近復刻された『Primal Prayer』はオペラ的で壮大な広がりを感じさせ、西アフリカ、ケルト、カナダの先住民族という彼のルーツが浮かび上がる。これはもともと、自身のトランスとしてのアイデンティティを表現する言葉を、ケープコッドの浜辺で読んだ本から発見したちょうど10年後の2004年に、フィニックス(Phynix)名義で発表した作品だ。ゴスペル、賛美歌の合唱、単調に繰り返される詠唱をドラムやテクノ、ポップスと組み合わせたサウンドは、時に映画『マトリックス』で、ザイオンの洞窟を包んだレイヴシーンにも似た熱を放ち、確信と歓喜に満ちている。天を統べる大いなる力を召喚するのは、既存の宗教を連想させる言葉を慎重に避けた歌詞だ。神はゴッドではなく、ラテン語の「デオ」として現れる。「デイオー、デイオー、デイオー、デイオー…」と繰り返される歌声が耳にこびりつく。

今、音楽界をはじめ、カルチャーシーン全般において、ニューエイジ的な神性なるものがリバイバルを果たしている。アイデンティティの対立を先鋭化させる政治、心の病の蔓延、壊滅的な環境への不安が溢れる時代に、ホリスティックな心の養分への希求が起きているのだ。アリス・コルトレーン(Alice Cltrane)が残した1982年から1995年の音源「Ashram Tapes」、カニエ・ウェスト(Kanye West)率いるサンデー・サービス・クワイア(Sunday Service Choir)、チャニ・ニコラス(Chani Nicholas)の占星術に集まる人気も、「blessed」つまり「祝福された」という言葉がキーワードになっているのも、すべてこのムーブメントの一部だ。そして、クエーカー教徒のコミュニティで育った、創価学会員のビバリー・グレン=コープランドが注目を浴びつつあるのも、その延長線上にある。

ビバリー・グレン=コープランドの「さらばアメリカ」コンサートでは、彼の人生を描いたドキュメンタリーも上映された。その1ヵ月後、私たちはニュー ブランズウィック州の小さな町にある自宅に戻ったグレンに、じっくりと話を聞いた。分厚いフェアアイル セーターにくるまった彼は、自然との分かちがたい絆、世代を超えて相手を思いやる心、癒し、そしてクィアのメンターとしてのみずからの役割について語った。会話を終えたのち、グレンは妻のエリザベス・グレン=コープランド(Elizabeth Glenn-Copeland)への感謝の言葉を、記事に付け加えてほしいと言った。「彼女は、私がこの世を去る前に、私に訪れた歌が世界の聴衆に届くことを何年も祈り続けてくれた。このような支えがなければ、今の自分に起きているようなことは決して起こり得ないと、世界に知ってもらいたい。そして私の場合、その支えをくれたのは、自身も真のアーティストである妻だったんだ」

フィオナ・ダンカン(Fiona Duncan)

ビバリー・グレン=コープランド(Beverly Glenn-Copeland)

フィオナ・ダンカン:あなたは、「母なる地球」がリミックスを作ると発言しておられます。複雑な遺伝子を材料とする私たち人間は、「すでに存在しているものを組み替えたリミックス」だ、と。このリミックス アーティストとしての母なる地球、という考え方について、もう少しお話しいただけますか?

ビバリー・グレン=コープランド:私は、かつて創造された物質が今ここに存在している物質だと理解している。万物は、今、存在しているものが組み替えられてできている。宇宙もその中に浮かぶ母なる地球も、絶え間なくその組み換えをやっているんだ。「リミックス アーティスト」という言葉は使ったことがなかったが、たしかに地球は究極のリミックス アーティストだね。

こうした自然観は、ジャンルを横断し、リミックスを取り入れたあなたの音楽作りに関係があるのでしょうか?

私の言うリミックスは、若い世代の考えるのとは違う。『Keyboard Fantasies』では、すべての音を、とても小さなリズムマシンを使って一から作っている。私が使った1983年から1984年のモデルのアタリ社製コンピューターのおかげで、まるで本物のオーケストラの楽器が揃っているかのように幅広い音を再現することができた。無理して耳を澄ませば、ヴァイオリンの音だと思えなくもないよ。他にも、従来の楽器では出せないような音をこのマシンで作り出すこともできたんだ。『Keyboard Fantasies』には入ってないが、水鳥のアビの声を録音して使ったこともある。前からよく言ってるが、私から生まれる音楽はどれも、本当はこのちっぽけな「私」から出てきたものじゃないと思っている。それは伝送されてくるんだ。私はそのプロセスの一部に過ぎないんだよ。

PS1でのコンサートで、40年かけて少しずつあなたに伝送されてきたという曲を紹介しましたね。

うん。1970年に、ギターを弾いていたら8小節のフレーズが浮かんだ。それが頭を離れなくて、何か曲を思いつこうとしたが、駄目だった。その後も3回チャレンジして、やっぱり何も出てこなくてね。それが8年くらい前に、一気に降りてきた―。たった1時間で、曲が書けたんだ。それもすごく深いものがね。ものによっては、こちらの受け取る準備ができていないということなんだよ。それが「Prince Caspian’s Dream」という曲だ。

今回のニューヨークへの旅は、「我が生誕の地への別れの挨拶だ」ということでしたが、なぜもうアメリカを再訪しないとお考えなのですか?

私がトランスジェンダーだからさ。今の政権は異性愛を規範とする考え方が極端に強い。私のようにアメリカとカナダ両方の市民権を持っていても、どんな入国管理官に当たるかで、国境を越えるのはぞっとしない体験になりかねない。ひとりで演奏するわけじゃないし、バンドのメンバーの外見はいろいろだから、彼らをそういう目に遭わせたくないんだ。概して、今の政権下でのアメリカの政策は私の人生観と真逆だ。恐怖に基づく政策だからね。この点はアメリカだけに限った話じゃないが、アメリカは強大な国だから、そこで作られる流れに他の多くの国が追随する。経済力に引っぱられてね。アメリカは率先して恐怖心を煽っているんだ。アメリカで演奏して、オーディエンスとエネルギーを感じ合いたいとは思っているから、情勢が変わればまた行くかもしれない。

今、暮らしていらっしゃる場所はどんな環境のところか教えてください。

妻のエリザベスも私も、なるべく手つかずの自然に溢れた場所でないと暮らせなくてね。今の家がある土地を選んだ決め手は、13本の立派な大木が生えていたことだった。堂々とした巨大な松や、常緑樹や、他にも落葉樹がね。常緑樹にとても惹かれるんだ。彼らは本当に大昔から生きているから。私はどうしても大地のそばにいないと駄目で、屋内ではインスピレーションが湧かない。夜空や星を見ることが必要なんだ。植物や木々に囲まれることもね。妻は庭づくりが得意で、我が家の土地に、自然をそのまま生かしながら注意深くデザインした素晴らしい庭を作っているよ。

何でも
できる
人間は
いない

私の周りにも、都会を離れてもっと郊外の田園地帯に移りたいと話している人が大勢いますが、彼らが街にとどまっているのは、生活がどんどん苦しくなっても、コミュニティが必要だし、働いて生きていかなくてはならないからです。「どうやってお金を稼ぐか」が不安の種なんです。それから、私には多くのクィアの友人がいますが、彼らには「自分は安全に暮らせるだろうか、『仲間』を見つけられるだろうか」という気がかりもあります。もっと自然に囲まれた生活に憧れながら、怖くて動けない若い人たちに、どんな助言がありますか?

そういう不安は、我々のように、一つのパラダイムが終わりつつあり、これから非常に新しい何かが生まれてこなくてはならないと気づいた人間なら、ほぼ誰でも持つんだよ。ポジティブな意志として希望を抱き、願いが現実になるという信念を持って、その希望と関わりのある人たちとなるべく多くつながりなさい。何でもできる人間はいない。ここが大事なんだがね。私たちのこれまでの生き方で、とりわけおかしいことを一つ挙げるなら、人間は個として自立していて、何でも自分でできるのが前提とされているところだ。それは現実に反している。人間はそういう生き物じゃないからね。

今、世代間の対立や反目が世の中に蔓延しています。どうすれば異なる世代がお互いを思いやる心を育んでいけるか、何か感じることはありますか?

親というものは、大体において子どもを生き延びさせ、成功させたいと本能的に思っている。利益を上げろ、金を稼げ、もっと利益を、もっと金をというのが基本の社会の中で、親たちはやむを得ず言ってきたんだ、「金を稼げ」とね。その言葉は、現実を見て実際的な判断から出ているんだが、極度の恐怖に根差してもいる。私自身の両親にも、そういう恐怖があった。私がトランスジェンダーで、異性愛の規範から外れていたから、その点では余計にね。そのために母はおかしくなりそうだった。だって、そんな私がどうやって生き延びられる?

これまでの人生で体験した、世代間の対立と和解について教えてください。

おもに自分の生まれた家族との関係を通じてだね。私が自分を理解できた範囲でだけど、ありのままの自分でいたいと主張したことで、両親は少しずつ調べて、知ろうとしはじめた。当初は、彼らが発見したことは偏っていたけどね。手に入った情報は、私みたいな人間は病んでいる、というようなものばかりだったから。でも、両親が―父は私がまだ27か28くらいの若い頃に亡くなったので、おもに母だが―私の話を辛抱強く聞いて、ようやく、「いやいや、そうじゃないんだ」と教えてくれる文章や人に巡りあえるようになってきた。はじめは社会の規範と違う私のアイデンティティに悩み抜いていたが、そのうち心から応援してくれる味方になった。20年間、母は本当に素晴らしい支えであり続けてくれたよ。

あなたは、自分が信じる人生の目的は、私たちは世界を変え、救うためにここにいるのだという「事実」に向かって進め、と今の若者たちを励ますことだと繰り返しおっしゃっていますよね。若者たちの中に、私たちを力づけ、変化へと導くどんな力や知恵を見出しているのですか?

たまたま私が老人で、40年間、私を通じて生まれてきた音楽に、そういうメッセージが込められているらしいというだけだよ。我々は、本質的には素晴らしい存在だという事実についてのね。今の社会に目をやると、私たちは「もしこうだったら」オーケーだと言われて生きている。「もし」という条件を満たせば大丈夫だとね。つねに何か条件がある。こういう外見「だったら」大丈夫。こういう服を「着れば」安全。どこかに雇われて、この金額より多く「稼げば」安心。今まさに生まれようとしている曲のメッセージは違う。あなたは大丈夫どころの騒ぎじゃない。完璧にゴージャスで、完璧に素晴らしくて、完璧に最高だ。一番難しいのは、それを本当に悟ることなんだ。私自身、努力して目指していることであり、妻が目指していることでもある。彼女は60代だけどね。そこに到達するには一生かかる。ただ、あなたの世代はちょっと違うな。もともとそのことに気づいているみたいだ。ちょっと待てよ、何かがおかしいぞ、とね。今、世界中で、希望や思いやりを基盤にした生き方、兄弟姉妹やその他の人とのつながりを土台とした生き方を大切にする人たちが、人類という家族として、巨大な力を結集しつつある。恐怖ではなくて。私はただ、「そうそう、合ってるよ、そっちにどんどん進みなさい」と声をかけているだけ。互いに思い合う心の側こそが未来であり、恐怖の軍団は過去のものだ。そこに未来はない。

Fiona Alison Duncanは、カナダ系米国人の作家、アーティスト、イベントオーガナイザー。著書にSoft Skull社から2019年に刊行された『Exquisite Mariposa』がある。また文学的な社会イベント「Hard to Read」を主催している

  • インタビュー: Fiona Duncan
  • 写真: Heather Sten
  • 翻訳: Atsuko Saisho
  • Date: March 2, 2020