鏡の国のエス・デブリン
ビヨンセやLouis Vuitton、カニエ・ウェストのためにイリュージョンの世界を作り出す英国の独創的なステージ デザイナーが、マイアミに設置された最新インスタレーションROOM 2022について語る
- 文: Cedar Pasori
- 画像提供: Es Devlin

エス・デブリン。エスメレルダを省略してエスという。数々の受賞歴を持つこの英国のステージ デザイナー は、想像力によっていかに疑念が保留され、好奇心が掻き立てられるかを誰よりも明確に理解している。1995年以降、彼女はそのハイテクなデザインで、バレエやオペラの舞台やシェークスピアの演劇を大きく変化させてきた。そして46歳の今、ポップスターのアリーナ ステージのデザイナーとして名を馳せている。彼女が初めて音楽関連の依頼を受けたのは、イギリスのロックバンド、ワイヤー(Wire)のステージだった。

バンドメンバーが、他には何もないただの4つのキューブの中で演奏している写真を見て、カニエ・ウェストは直ちに自分の2005年の「Touch the Sky」ツアーのステージ デザインを作り直すようデブリンに依頼した。公演初日のわずか10日前のことだった。それ以来、ウェストとデブリンは共にいくつもの意欲的なツアーを作り上げ、その後、デブリンはビヨンセ(Beyoncé)やアデル(Adele)、レディー・ガガ(Lady Gaga)、U2、ザ・ウィークエンド(The Weeknd)のステージ デザインを手がけた。

今ではグラミー賞、ブリット・アワード、Louis Vuittonのランウェイ ショーなどのステージも手がけているデブリンは、これらの大規模なプロジェクトを、「実用的彫刻」、あるいは突出した目的とインパクトをもつ芸術と捉えている。そして昨年になってようやく、デブリンはインスタレーションという形で自身の芸術作品を発表し始めた。まずはロンドンとヘンクで、そして今回、マイアミでのアート バーゼル期間中にエディション ホテルで最新のインスタレーション作品「ROOM 2022」を公開する。様々な客が寝泊まりするホテルの一室をモチーフにした想像力豊かな作品だ。
美術と文学に対する幅広い関心に根ざした、デブリンの総合的な制作活動は、文筆業に携わる両親によって培われた。彼女はその両親の下、ロンドン郊外の静かなイギリスの田園風景の中で育った。両親はよく電車で30分かけて彼女をロンドンに連れて行った。主な目的はロイヤルアカデミーでのバイオリンのレッスンと美術館訪問だった。「かなり奇妙ではあるけれど、私の制作活動は物を書くことから始まったのよ」と彼女は言う。ブリストル大学で英文学を専攻し、その後、芸術と演劇の学校に進んだ。「私はいつも絵を描いたり色を塗ったりしていた。アートが好きだった」と付け加える。「文章を書いていると、いつでもまた絵が描きたくなったわ」

「ROOM 2022」には、そのデブリンの文章とドローイングの両方が存分に表れている。彼女が詩を書き、それを朗読する。声優の声ではなくあえて自分の声を録音し、それを、導入部の映像の中でスケッチや完成予想図、回転するグラデーションに重ねている。この映像はエディション ホテルの一室に作られた特設スペースで見るようになっている。「一筋の光が差し込んできて、私は目を覚ました」と彼女は始める。この光とは、彼女が空間や知覚を操作するためにステージ デザインで使用してきた構成要素としての光であり、同時に、ホテルのカーテンから差し込む光も指している。

2ヶ月前、デブリンはエディション ホテルのベンチに座り、消防保安官が最終点検を行うのを待っている間にこのタイトルのない詩を書いたと言う。「ホテルを機能させるシステムについて考えていたのよ」。オリーブオイルのたっぷりかかったキューブ状のフォカッチャを口に入れながら、彼女は言う。「演劇にとても似てる。いわば、手品の早業、イリュージョンの要素があるという意味でね。その部屋は自分の部屋だというイリュージョンに浸るのよ。ゴミを部屋に置いたままにしたり、ベッドを整えずに部屋を出たりするでしょ。次に部屋に戻ってきたときは、目に見えない魔法で部屋がきちんと片付けられている」。この詩が示唆しているのは、ホテルに対する根拠のない思い込みを利用した新たな建築の可能性でもある。「ホテルを機能させるための想像力を全部取って、ホテルが持つ別の可能性を体現したような建築に適用したらどうなるかしら」
デブリンはイリュージョンを実現するために光と鏡を用いることが多いが、これらは空間の無限の可能性を象徴するものでもある。1998年のバレエ「Four Scenes」の背景から、2016年のビヨンセの「Formation」ツアーにおける、巨大な割れるキューブに至るまで、光線は彼女の舞台装置において繰り返し登場するシンボルだ。光線は、「ROOM 2022」の映像の最終場面でも、カーテンの隙間から差し込む日の光として登場する。また、これはエディション ホテルの部屋で撮影されたもので、観客が映像の中に入り込むような体験をすることを狙っている。「どうして映画を撮らないのかとよく聞かれるの」と彼女は言う。「気付いたんだけど、その理由は、映画の中は実際に歩くことができないからよ。映画に穴を開けて、その中に入り込めたら素敵でしょうね」


この映像がホテルに滞在するという経験の土台にある心理を見せるものだとすれば、それに続く2つの迷路は、プライバシーと秩序を提供してくれるホテルに内在するシステムを表している。最初の迷路の内部は、エディション ホテルの廊下を模しており、部屋の扉には不規則な数字が並んでいる。そしてひとつの扉を除き、すべてに鍵がかかっている。鍵のかかっていない扉はさらに別の小さな廊下へと続いており、そこにも扉がある。そして、そこでもまた、3度目の同じ体験が繰り返される。「私たちはこの部屋に入れば、そこが自分の部屋になるというホテルのシステムを当たり前のものだと考えてる」とデブリンは言う。「どんなに壁が分厚かろうと、隣に人の声が聞こえるという事実から目をそらしているの。これらの組織的なシステムを作り出すという選択をしているのよ」と言うと、彼女は一旦言葉を切る。「自分自身を守るためにね。貝のように。そうせざるをえないから」
最後の迷路の前に、参加者は、内に閉じ込められた想像力、あるいは「奇術」の象徴であるゾートロープの円形の空間に出る。デブリンはここに、詩に出てくるホテルの廊下のイメージを注ぎ込もうとしているのだ。ゾートロープのアイデアは、19世紀の奇術書に由来する。この本は昔の舞台で行われたイリュージョンに関するもので、デブリンに言わせれば、浮遊する頭や箱から飛び出す骸骨のような簡単なトリックに対する「ビクトリア朝の人々の興奮」がよく伝わってくるものだ。「ゾートロープは私のパズルの重要なピースのひとつよ。人類がイリュージョンに魅せられてきた歴史を貫くものだから」と彼女は言う。「ROOM 2022」のゾートロープの画像の多くは、数ヶ月前の友人の結婚式の様子など、デブリンがiPhoneで撮影したもので、連続して動いているようなイリュージョンを作り出す。子どもたちや恋人たち、地平線、ダンス、花火などの場面とエディション ホテルで撮影されたタイムラプス映像が、くるくると回り輝く色彩とともにあっという間に過ぎ去っていく。

デブリンの作品の中心には、記憶と「新しいものに惹かれてやまない人類」というテーマがある。特に、脳が海馬を通じて短期記憶と長期記憶をどのように処理するかが関心の中心だ。「ゾートロープの部屋は、ホテルにおける海馬がヒポドロームと出会う場所よ」と彼女は冗談めかして断言する。語源を考えたとき、ギリシャ語で馬を意味するヒポという語によって、古代ギリシャで行われていた馬の競技場を意味するヒポドロームと、人間の脳の海馬が繋がるというわけだ。ヒポドロームには、ゾートロープのもつ馬のギャロップのような回転のリズムのイメージがあり、それは、記憶が頭の中で構築されるイメージにも繋がる。デブリンにとっては、脳が連続するイメージを処理する方法は、初期の映画製作にも繋がるものである。「何か新しいものを学ぶと、私たちの脳はこの少しのドーパミンを噴出させて報酬と快感を与えるのよ」と彼女は説明する。「新しい、新しい、新しい!って脳が感じると、ピュッピュッピュッって出る感じ」と言って、耳の上で指を弾いてみせる。
ゾートロープの横にある最後の扉は、壁から天井まで鏡で覆われた最終迷路へと続いている。ここで、観客は無限に続く自分と想像力が姿を表すのを目にする。彼女は言う。「かれこれ20年近く私は鏡を使って、物理的な法則と空間の次元に逆らってきた。小さな空間を無限の空間に拡大するのよ」。2003年のウィーンでの『マクベス』では、彼女は回転する箱の中央に 鏡を置いた。2016年制作の、いちばん新しい単体のインスタレーションである「Mirror Maze(鏡の迷路)」では、Chanelの後援を受け、臭覚に焦点を当てた旅を作り出している。

デブリンのインスタレーションをまず最初に見るのは、彼女の親しい友人たちだ。彼らは、消防保安官が点検をしている最中、思いがけずやってくる。彼女はインタビューを一時中断するとLouis Vuittonのクリエイティブ ディレクター、ニコラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquière)を招き入れる。彼もまた、ブランドのランウェイ ショーで何度も彼女と一緒に仕事をしている。インタビューに答える途中で、デブリンはメッセージを読むのを手伝ってくれと言う。差出人は、高名なキュレーター、ハンス=ウルリッヒ・オブリスト(Hans Ulrich Obrist)だ。「君の居場所がわからない。ピンクのバーにいる」昨年、オブリストは、デブリンに彼女の初の単独のインスタレーションである「Miracle Marathon」と「Poemportraits」の2つをロンドンのサーペンタイン ギャラリーで制作するよう依頼した。彼女はエージェントのアンジーの方を向いて、面白い挑戦だと言わんばかりに微笑む。「ハンス=ウルリッヒを探してくれる?」彼女が叫ぶ。「スーツを着てメガネの背の高い人よ。見つけたら、おーいって叫べばいいから」
彼女のこのような溢れんばかりの活力を見る限り、このインタビュー前の4日間にわたり作品を設置してきた疲労はまったく見られない。ましてや、12年にもわたるブレインストーミングが、この7,000平方フィートの空間を占める作品のコンセプトとして、やっとまとまったようには見えない。彼女は明言する。最近では単独のインスタレーションが注目されているが、自分ではふたつの異なる仕事の区別はしていないのだと。そして「コンサートと劇場において、観客もまた儀式におけるパフォーマーとして不可欠な要素なの」と説明する。「観客の役割を主役として定めるかどうかの問題ね。私はいつでもステージ デザインをただの彫刻や環境芸術やインスタレーションのような芸術するアプローチでやってきたわ」
観客の役割を主役として定めるかどうかの問題ね

私が、「ROOM 2022」はどれほど身体的な衝撃を作り上げることに成功しているかを強調すると、彼女はこう答えた。「誰も感動させられないのなら、わざわざやる必要なんてないでしょ。私の言う意味、わかるかしら」
彼女の言う通りだ。
Cedar Pasoriはアメリカを拠点にしているアート ライター兼編集者である
- 文: Cedar Pasori
- 画像提供: Es Devlin