世界の終りに咲く3000本のチューリップ

美術家ダニエレ・フレイザー「Temporary Red Dot」の記録

  • 文: Durga Chew-Bose
  • アートワーク: Sierra Datri
  • 画像提供: Daniele Frazier

球根たちは4月の終わりに花を咲かせるはずだった。3000本の赤いチューリップ。直径約8.5メートルの丸い群落だ。12月、アーティストのダニエレ・フレイザー(Daniele Frazier)は、地元ボランティア、ニューヨーク市警察の研修生グループ、公園局職員の助けを借りて、「Temporary Red Dot (今だけの赤い点)」と題するパブリック アート プロジェクトのために、ブルックリンのハイランド パークに球根を植えた。チューリップは2種類。「大きくていびつな」レッド エンペラーと、「花が閉じると三角になる」レッド スクエアドだ。3月20日、ダニエレは大きな葉をつけた緑の茎に囲まれた、1輪の赤いチューリップの写真をメールで送ってきた。いよいよ始まるのだ。チューリップたちは早めにつぼみをつけた。花びらはぎゅっと閉じ、ロブスターの爪のような円錐形が、そのときを待っている。その赤はひときわ目を引いた。始まりの赤らしく。

そして、状況は変わった。私が構想していたのはダニエレの作品を紹介するストーリーで、チューリップのお披露目を記録する写真付きのエディトリアルだった。私たちは何か月もその計画を立てていたが、新型コロナウイルスのために、他のあらゆるものと同じく、その記事も中止になった。今、物事の時系列について考えるのは不思議な気がする。何しろ、どの1週間も、金曜日と火曜日を繰り返し、そしてなぜかまた金曜日が来るような現実が続くように感じるからだ。

3月も末になる頃、ダニエレはまたプロジェクトの写真を送ってくれた。うっすらとした膨らみが盛り上がりはじめていて、それを見た私はピザの生地を連想した。写真の背景に写る木々の枝は裸だ。その翌日、彼女がInstagramに投稿したのは、チューリップを遠景にして公園のベンチを手前に写した1枚から始まる一連の写真。「Temporary Red Dot」がどんな場所にあるのかがこれではっきりした。その後、私はハイランド パークの他のエリアに対するチューリップたちの位置関係を理解しようとした。その円はひとつの図形―テニス コート―の東側、そして別の図形―野球の内野グラウンド―のすぐそばにあった。

チューリップと一緒に、ダニエレは2枚の手書きの看板を立てていた。英語とスペイン語で「チューリップを摘まないで」と書かれている。モントリオールのデスクに座り、私はフランス語でその言葉をつぶやく。「ヴイエ ヌ パ キュイイル レ テュリプ」。この反応は何気なくやってくる。いつも口ずさむ歌のように、頭の中でヒューズが弾けたように。意識の集中点を探すことが次第に無意味になっていくなかで、「Temporary Red Dot」は私の意識の着地点、いやむしろそれが漂っていく目標になる。私はダニエレのInstagramの投稿で日付を意識する。1週間を、伸びていくチューリップの背や、プロジェクトの前でセルフィーを撮影する通行人の、ダニエレがシェアする写真によって体験する。彼らの多くはマスクをつけはじめている。時間そのものがその含意を失った今、チューリップたちは時の流れの中のポイントになる。

ダニエレが毎日チューリップを訪れることが、視覚的な日記の役目を果たす。私にはそれ以外に何もない。私はダニエレをフォローし、飢えたように翌日の投稿を待つ。ある日の赤は、けばけばしいとは言わないが、思いがけない鮮やかさで、彼女はそれを「バグった」と表現する。まるでスマート フォンのカメラでは、この燃える赤の色調を捉えるには力不足だというように。自然がスマート フォンの不具合を引き起こしえたことが、束の間の驚きをもたらし、私はその画像のスクリーンショットを撮った。別の日には、ダニエレはチューリップのクローズアップを載せた。そこは彼女のアパートから歩いてほんの7分の、赤い円形劇場なのだ。

彼女のプロジェクトは、アグネス・ディーンズ(Agnes Denes)やミエルレ・ラダーマン・ウケレス(Mierle Laderman Ukeles)のような先駆的夢想家たちの作品と共鳴する。ディーンズの最も有名なパブリック アート作品「Wheatfield―A Confrontation」(1982年)は、後にバッテリー パーク シティが建設される埋め立て地で2エーカー分の小麦を収穫したプロジェクト。昨年、ザ シェッドで開催された彼女の全キャリアを回顧する展覧会の主題となった。ダニエレが個人的に崇拝するウケレスは、もう40年近く、ニューヨーク市衛生局付きアーティストとして活動していることで知られる。50年にわたって集積されてきた彼女の作品は、抽象的で、同時に散文的でもある。ゴミで作られた彫刻は、単調な反復作業を芸術の実践へと変えるものであり、それは再生、メンテナンス、そして日常生活という実践のサイクルに、根本から取り組むというものだ。

4月3日、上空から見下ろした眺めは、まだぽつぽつとまばらだった。散らばる赤の点が形作る円盤。ドローンカメラを使って、ダニエレは空中からプロジェクトを記録した。そして「スマイリーフェイスみたい…、花が満開になって丸を塗りつぶすまで、もう少し」とInstagramに投稿した。ダニエレの話では、ハート形にしようという提案が何度もあったが、彼女は円にこだわったらしい。

地図上の赤い点。新型コロナウイルスの確定症例数は世界で数百万にのぼる。死者の数は数十万。私がこれを書いている今、ニューヨークの状況は極めて危機的だ。ニューヨーク在住の友人たちとのグループメッセージは沈黙し、間をおいて再び活発になる。これが今のメッセージのやりとりのパターンだ。爆発と静止。「そのうち何とかなるわよ、でもストレスがね」と友達の誰かが書く。彼女のテキストの吹き出しにピンクのハートが次々につく。後で、同じ友達がツイートする。「みんなそうだとはいえ、これに馴れていけるって、ほんとに狂ってる」。その晩遅く、グループメッセージの交換が再開する。誰かが書く。「終わってる」。吹き出しに、ランプが灯るように1、2、3、4、5とハートがついていく。

もし儀式と日課の違いが、その行動の背後にある心の持ちようにあるとすれば、「Temporary Red Dot」はその両方の意味を兼ね備えている。それはダニエレにとっては散歩、私にとっては仕事と食事以外の日課という点で「To Do」であり、同時に儀式的な何かでもある。あのチューリップたちは世界の縮図だ。象徴的でありながら平凡。1日の存在に確証を与え、同時にただの花であり続ける。「Temporary Red Dot」は、見え方が定まらないという、奥ゆかしくも、つじつまの合わない印象を形にするプロジェクトだ。チューリップたちはすべてが静止した世界で、移ろう変化を表している。都市閉鎖のさなかにあって、彼らは「外」だ。ダニエレが記すように、チューリップたちは私たち人間すべてにとって手放すことの象徴だ。「私は花たちが咲く時期をコントロールできなかった」と彼女はメールに書いてきた。「いつまで咲いていてくれるかもコントロールできない。そして来年、再び咲くことを止められない」

球根は寒さに当たることが必要だ。それは、ダニエレとプロジェクトの過程について話すあいだに私が学んだ多くの事実のひとつにすぎない。寒さが開花を呼び覚ます。球根が花を咲かせるまでに必要な生化学的プロセスは、私の初歩的な理解を超えているけれど、私はダニエレがチューリップの球根を植えていた12月―あの遠い昔のような数か月前を振り返る。毎日が、ますます打ちのめされるニュースと共に訪れる今、私は近い過去さえうまく把握できない。近い過去は―12月よりももっと最近の2月や3月の初めでさえ―記憶の中の濁ったどろどろの部分によどむ濃い霧となって、現実についてのどこか甘やかな比喩に覆われている。たとえば、ほんの2か月前、同じ曲を何度も何度も繰り返し聴いていたなんて、私はどういうつもりだったんだろう、とか。今週の月曜は昨日のぼんやりした午後と見分けがつかず、明日の朝はこの逆説的な春に巻き取られ、夜や昼と融合した奇怪な塊になるというのに、あの頃はみずから進んで人生をループさせていた。そういえば、午後3時になると、毎日が引き取り手のない何かのように感じるのはなぜだろう。この日々の円環を、どのファイルにしまえばいいのだろう?

「Temporary Red Dot」の辛辣さは疑う余地がない―それはまるで格言だ。「3000本のチューリップが咲くとても、そこに見る人はなし」。だが、見くびってはならないのは、膨れ上がるチューリップが、私たちの悲嘆と正比例していることだ。私たちは籠り、チューリップは咲き誇る。花々は密集し、ひしめき合って咲いている。まるで寄り添うことの、今は失われたつながりの記憶のように。毎日、私たちの前には、山ほどの不安と、ミュートできない警報と、「その日その日をやり過ごす」という呪文が立ちふさがる。緊急時に明らかになることは、注意を払っていなかった者にだけに突きつけられることを、私たちはまたもや思い出す。

ある朝、私は、今は亡き前衛映画の巨匠、ジョナス・メカス(Jonas Mekas)の名作『ウォールデン』の一部分を観ていた。初め『日記、ノート、スケッチ』と題されたこのプロジェクトは、60年代後半に、4年間をかけてBolexの16mmカメラを使って撮影された。そのタイムカプセルにはニューヨークの日常が、幕間の説明のテキストとともに収められている。

バーバラの花壇

公園を歩いた。
空気の中に胸湧きたつ
春の気配があった

街に、窓に、本に、
あらゆる場所に
積もりゆく塵を撮る

病んだニューヨークと
憂鬱の一日

その表現は直截的で自然だ。一緒に夕食を作るメカスの友人たち。こちらへ向かって歩いてくる人々と、歩み去っていく人々。バルコニーのフラワーボックスに土を払い落とすバーバラの両手。ニコがいて、セントラルパークの手漕ぎボートがああって、窓に映る景色がある。その穏やかな視線は受身ではなく、現在が過去になるあの特異な過程に結びついている。そして記録することが、いかに私たちの内なる狂気を宥めてくれるかにも。

この映画について、メカスはかつてこう語った。「私にとって、『ウォールデン』は街の至るところに存在する。人は街を、他の誰も決して見ることのない自分だけの小さな世界に縮小できる…私のニューヨークは自然がいっぱいだ。『ウォールデン』は私が見たかったものの記憶の欠片でできている」。彼の言う欠片、そのわずかずつ積み重なる変化は、終わり、すなわち必然的に訪れる運命、あるいは死の予感の中に感知される。彼の言う欠片たちは、羽をもつ何かだ。

今、私が見るのは赤だけだ。それは「赤を見る (see red)」、すなわち「激昂する (see red)」という言い回しの正反対の意味を持つようになった。4月7日、ダニエレはまた空中写真を投稿した。ドローンははるかに高度を上げている。私たちは鮮やかな赤い点を、公園の木々の頂きを、遠い地平線に街のスカイラインをさえ見ることができる。すばらしい眺めだ。それは、赤い点や丸、丸くて赤いものを見るや、これまで目にしたすべてのウイルス関連のストック写真を連想してしまう今の私たちに絶妙に結びついている。この角度から見たその丸は、産毛の生えたシールのように柔らかそうだ。4月8日、ダニエレは夜のチューリップの写真を投稿する。カメラのフラッシュが神秘的な情景をほのかに浮かび上がらせる。夜の赤いチューリップたち、ほっそりした木々のシルエット、闇の帳に包まれた自然の、デヴィッド・リンチを思わせる不気味な静寂。4月9日は雨。赤い花びらに雫がつき、光は青みがかった灰色を帯びる。誰かがダニエレのInstagramの投稿にコメントする。「まあああああいにち(evvvvvery day)、これを見て笑顔になってるわ。ありがとう、ダニエレ!」このプロジェクトに没頭するあまり、私にはこの「v」の文字の列が、5つ並んで咲くチューリップに見える。

V V V V V

去年、アニエス・ヴァルダ(Agnès Varda)は死去の数か月前にインタビューを受けて、遺作となったその映画が完成したら、しばらくゆっくりするつもりだと語った。「もうそんなにむきになって働きたくないの。少し家で静かに過ごしたいわ…この年齢になると、1分1分が、最後の瞬間のようなものよ。それをひしひしと感じるの。今あるものを楽しまないとね。チューリップが老いていくのを見ることだってそう。好きなのよ、それを見るのが。時間が経てば経つほど、とても奇妙な姿になる。私は、モノが自然に、密やかに壊れていくのを見るのが好きなの」

1969年10月、ヴァルダはメカスと『ヴィレッジ ボイス』紙で対談した。ふたりがアートの創作についてかわしたやりとりは、メカスの非難めいた辛辣な発言で、緊張をはらむものになった。いつの間にか、ふたりの映画監督はチーズケーキについて語り合っていた。「『ライオンズ ラブ』を撮っていたとき」とヴァルダが言う。「いわゆるアート作品を作っているつもりはなかった。そこでのアートとは、チーズケーキを焼いてるときと、同じ類じゃないかしら。私はケーキを焼いているときも、映画を撮っているときと同じアーティストなの」

ヴァルダのチーズケーキとヴァルダのチューリップ、そしてダニエレの「Temporary Red Dot」。それらはすべて、ただ眺めたり手放したりすることで慰めや息抜きの感覚が得られるという発明や、球根を植えて待つこと、あるいは鳥のように上空から見晴るかすことが人を誘う、あのあえかな領域に属するものだ。再生や回復の一切のメタファーを忘れよう。今この段階の、この危機の中にあって、存在するのはぼんやりとした不明瞭な1日という時間だけだ。時を経ることは、3000本のチューリップが咲いて散り、そして来年の春にまた芽を出すことを見届けることにとてもよく似ているかもしれない。確かなものはほとんどなくても、訪れるものはある。始まりの赤のように。来年の春―、あの矛盾に満ちた奇妙な未来のように。

Durga Chew-BoseはSSENSEのマネジング エディターである

  • 文: Durga Chew-Bose
  • アートワーク: Sierra Datri
  • 画像提供: Daniele Frazier
  • 協力: ボランティア、Colorblends Wholesale Flower Bulbs、The Forest Park Trust
  • 翻訳: Atsuko Saisho
  • Date: May 1st, 2020