仮想
現実病
仮想現実は事後惑星の媒体
- インタビュー: Timo Feldhaus
- 写真: Christian Werner

「Second Life」のビデオ作品、「The Nine Eyes of Google Street View」、そして「Sticky Drama」のライブ アクション ロール プレイングにインスパイアされた見事な語り口によって、1981年生まれのジョン・ラフマン(Jon Rafman)はデジタル時代の有名アーティストになった。ラフマンは彫刻家、映画製作者であるだけでなく、現代の考古学と新テクノロジーが私たちの世界に及ぼす影響の評論家でもある。

次に大きな変革をもたらすのは仮想現実(VR)だと思われる。何十年も前にサイエンス フィクションが概念を描いて以来、仮想現実の進展は必然の感がある。今やテクノロジーは成熟した。そして、Googleが資金を提供したMagic LeapやFacebookが所有するOculus Riftなど、豊富な資金に支えられた新興企業による商業的な運営が可能になるにつれ、仮想現実はコミュニケーション、娯楽、そして戦闘の未来像として受け入れられたようだ。ジョン・ラフマンは、かつてない芸術活動の最前線に立つアーティストとして、没入型ビデオを使う実験を通じ、仮想現実という新媒体の言語を学習し形成しようと試みる。
私がロサンゼルスで初めてラフマンに会った2年前、彼は全方位カメラに取り組んでいた。今回2度目の出会いで、私たちはカニエ・ウェスト(Kanye West)がそのミーム性によっていつの日か大統領になりえる理由、Facebookがすでにソフトな形態の仮想現実である理由、リアルとデジタルのあいだにもやは有意義な区別が存在しない理由を分析した。

ティモ・フェルトハウス(Timo Feldhaus)
ジョン・ラフマン(Jon Rafman)
ティモ・フェルトハウス(Timo Feldhaus):あなたの制作方法について、少し教えてください。
ジョン・ラフマン:僕のアート活動は、全体的に、バーチャルとリアルの境界線が曖昧になることが多いんだ。僕にとってVRは自然な展開だった。本当のことを言うと、すごく原始的なレベルのテクノロジーを試してた子供の頃から、テクノロジーが発展するのをずっと待ってたんだ。最近までは既存のバーチャル世界だけをいじってたけど、今は、自分のバーチャル世界を作るツールがあるので、すごく面白い。VRの特徴はとても物理的な特性にあると思う。僕の作品では、その面に特に焦点を合わせてる。
VR病になったことがありますか? バーチャル リアリティ シックネスとかサイバー シックネスとか言うみたいですが、頭痛、吐き気、発汗、無気力の症状が出るらしい。
毎度のことだな、それは。いちばん面白いと思うのは、VRの触覚的な性質をじっくり考えられることなんだ。ひとつのやり方としては、VRで体験してるのと密接に関連する物理空間に視聴者を置く方法がある。
VRに恐怖を覚えることがありますか?
VRには暴力的な何かがある。映画の「マトリックス」に非常に近い何かがある。完全な没入。僕はこの新しい言語を探って、物語や詩の形に発展させたいんだ。視聴者に色々な方法でチャレンジする、つまり、視聴者を裏切ったり方向感覚を狂わせることで、VRの性質に関する主要な特性が明らかになるんだ。でも、僕が自問するもっと重要な疑問は「我々は、完全にヘッドセットの内部に閉じこもらなければ真に超越的な体験が得られないところまできたのか?」 多分、昔だったら、壁に掛かった絵を見つめるだけで、この種の没入体験を持てたかもしれない。今は、社会がとても散漫だから、文字通り現実から引き剥がされる必要があるのかもしれない。
前回ロサンゼルスで会ったとき、インターネットのサーファーは19世紀パリのフラヌール(遊民)のデジタル版だという話をしました。19世紀にパリのアーケードが消滅したように、自由なインターネット文化が死につつあるという説があります。
僕がヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)を好きなの、知ってるよね。




VRにおいてさえ、哲学者を避けられないということですか?
実際のところ、VRについて考えるにはベンヤミンが最適なんだ。ベンヤミンは新テクノロジーについて思索した先駆者だよ。僕は、テクノロジーがあらゆるものを変えたという意見には賛成しない。現在の葛藤の多くは、過去にも存在していたと認識することがとても大切だ。例えば、情報オーバーロードはインターネット時代の特徴だと思われてるけど、実際は、近世や現代都市が誕生した頃から存在してるんだ。
美術に関して、VRの可能性はどのような点にあると思いますか?
新しいテクノロジーが生まれると、ふたつのことが発生する傾向がある。もっとも一般的には、例えばホログラムみたいに、単に新奇なものが生まれる。それより少ないけど、もうひとつ、変容が生じることもある。ホログラムが大きな可能性を秘めた新しい媒体だと考えて、実験したアーティストがたくさんいる。でも、今振り返ってみると、人類の文化にホログラムは大きな影響を及ぼしはしなかった。僕が新しい形態に取り組むのは、僕たちの現実観の変化に関連した何かを表してると思うから。映画とか写真とか、最終的に広く普及したものは、僕たちが周囲の世界を見る観点、周囲の世界を記憶する方法を変容させた。
僕たちの意識の変化は、テクノロジーの変化に先行する
あらゆる人がTVの横にVRを置くようになるのか、2017年の初めには明らかになりますね。もし直接的に芽が出なかったら、おそらく今後ポピュラーになることはないでしょう。
賭けてる人がたくさんいるよ。ゲーム文化では絶対にビッグになる。映画と美術に関しては、VRという新媒体とその言語を定義する上で、アーティストが貢献すると僕は確信してる。アーティストの仕事が成功したら、僕たちの知覚の変化が理解され始めると思うよ。媒体の変化がそれを反映する。
どんなふうに?
写真がなかったとき、絵画しかなかったとき、人が世界を見る目は現在とは違っていた。鶏が先か卵が先か、どちらが最初か分からないけど、近代以前には何事にも本質があった。剣には名前があったし、魔力があった。物体や絵画にはオーラがあった。ベンヤミンが言ってるのはそのことなんだ。ある意味、哲学は写真や映画やその他大量生産のイメージという新しい形態の隆盛と平行して進んできた。意識という現代の概念が普及するにつれて、人間は「それ自体のもの」、言うなれば実体世界を知覚できなくなったんだ。僕たちがアクセスできるのはリアリティの知覚だけ。自分たちの意識の外側に存在するものは知る術もない。近代以前のように、剣の魔力的な核心を知覚する術もない。僕にとって、写真とカントが提示した意識の概念は平行して存在するんだ。法廷で、写真は証拠に使えるけど、絵画は証拠として使えない。おそらく、絵画のほうがもっと描かれた対象の本質を示しうるにもかかわらず。僕たちは、写真と同じように、機械的に現代世界を見ているんだ。そして、リアリティを対象として捉える。




すると、魔力はどうなるのですか?
魔力はとうの昔に失くなったんだよ。でも、みんながミームの魔力について話してるし、シリアスな報道機関が流すニュースよりミームのほうがパワフルになったって言ってるから、魔力が戻ってきてるのかもしれない。多分、それが僕たちが生きている事後時代というものの根本なんだ。多分、VRはそれを反映してるんだ。僕たちには、全員、誤報が入り混じった自分たち自身のFacebookのフィードがあって、それが僕らのVRだ。
魔力という言葉が出たとき、Magic Leapという新興企業を連想しました。Magic Leapは、明らかに、今世界でいちばん資金が豊富な新規企業で、Mixed Realityというプロジェクトに取り組んでいます。ヘッドセットなしで日常的に体験するVR、現実世界の上に常在する恒久的な層だということですが。
そう、拡張現実。もう何年も前からその方向に進んできてるけど、かなり具体化してる点が新しいニュースだ。スクリーンのポータルを通して合体するだけじゃなくて、その中へ全身を合体できるんだ。
拷問の道具に使えそうですね。
VRの暴力的な側面というのは、そのことだ。たとえほんの短時間であっても、脳は見たものを現実だと簡単に信じ込んでしまう。拷問するために1日18時間VRを体験させたら、当然、それこそ存在する唯一の現実だと考えるようになる。多分もう、VRを拷問に使ってるんじゃないかな。

いわゆるアメリカの「2016年ミームいわゆるアメリカの「2016年ミーム大戦争」の結果に驚いていますか? 」の結果に驚いていますか?
オルタナ右翼がリベラルに対抗して仕掛けたあの戦争は、ドナルド・トランプ(Donald Trump)が選ばれる方向へ作用した。ミームの魔力は本物で意識に作用して国民の意見に大きな影響を及ぼすと、オルタナ右翼は考えたんだ。オキュラス・リフトを発明したパーマー・ラッキー(Palmer Luckey)は、オルタナ右翼のためにミームを生成していたシンクタンクに、秘密で資金を提供していたことが判った。
Facebookのタイムラインのアルゴリズムに潜入したら信頼できそうなニュースだけを入手できるけど、実際にはそういうミームが埋まっているわけですね。
ディアナ・ハバス(Deanna Havas)っていうアーティスト、知ってる? 彼女が最近言ったことなんだけど、僕たちは今現在没入型のミーム リアリティで生活している。ドナルド・トランプはミームだし、彼のパーソナリティも多分にミーム。それこそ、カニエ・ウェストがいつか大統領になるかもしれない理由なんだ。有力なミームになれるから。政治の世界の真実は本当に流動的で、かつてなかった方法で操作できる。単にオルタナ右翼だけじゃない、あらゆるイデオロギーについてそうだ。VRが拷問道具として使われることは恐ろしいシナリオのひとつかもしれない。でも、実際には、Facebookがすでにソフトな形態のVRなんだ。この現実の結晶がVRだ。もはや、リアルとバーチャルをはっきり区別する二分法みたいに安定したものじゃない。
それは第一人称ストーリーの隆盛と大いに関係していますね。本人視点シューティング ゲーム、Facebookのタイムライン、VR体験の共通項は第一人称です。もはや書き手の視点は存在せず、主人公の視覚観点だけが存在する。
そう、とても唯我的で自己陶酔的だ。だけど、正直でもある。だから、テクノロジーが世界を変えたといって非難する意見は嫌いなんだ。僕たちの意識の変化は、テクノロジーの変化に先行する。現出するテクノロジーは、僕たちの変化の産物だ。
- インタビュー: Timo Feldhaus
- 写真: Christian Werner
- 画像提供: Saatchi Gallery、Musée d'art contemporain de Montréal