未来、そして次シーズンのトレンド ガイド

SSENSE 2017年春夏ウィメンズウェア レポート

  • 文: SSENSE
  • 写真: SSENSE Buying Team

ゲームはレイブ

蒸し暑い地下のレイブ会場で、グリッターで全身をピカピカ光らせている仲間とばったり出会ったらとても感激する。しかし、デジタルな現実逃避手段が無限に列挙されるこの時代に、そんな体験はおそらく不要だ。好きな格好をしたままで自由にバーチャル世界を徘徊できるのに、なぜわざわざ家から出る必要があるだろう。昨日のオタクは今日のプロ ゲーマー。彼らこそ今や真のレイバー、まだその可能性の位置付けが確定してさえいない仮想現実の「何にでもなれる」ライフスタイルにいち早く適応した者たちだ。広大なるインドアでは一体どんなパーティが待ち受けているのか。社会的触角でネットワークの世界をかすめつつ、ぜひ探ってみたいものだ。

ホワイト カラー

パリっとしたドレス シャツとプリーツ パンツが発揮する美しいパワーは、現代生活に存在していないがために、逆に魅力の度を増した。ヤングアダルト世代は、オフィスでのドレスコードが計算された何気ないファッションに変わった時代に大人になった。だから、かつてはホワイトカラー族のユニフォームであったアイテムは、誘惑の領域、ロールプレイを演じる中身のない正装になった。さあ、ブレザーを羽織って、ミーティングをキャンセルしよう。

袖にハート、鍵にペニス

確か精神分析の父フロイト(Freud)は、こう言ったのではなかったか。「ペニスの形をしたキーチェーンが、単なるペニスの形をしたキーチェーンに過ぎない場合もある」。J.W. Andersonのキーチェーンは単に愉快な挑発なのかもしれない。しかし同時に、象徴としての意味もある。私たちの視覚体験には、驚くほど男根のイメージが影を落としている。建築から自動車、消費者向けテクノロジーに至るまで、私たちの建造環境にはペニスが聳え立つ。そんな傾向を紐解くのに、精神分析家である必要などない。

カラーコーンのオレンジ色

今日、絵文字のハッピーなイエローには、蔓延する政治恐慌のレッドが滲んでいる。その結果は、カラーコーンのオレンジ。世界のハンターが森の中で目立つために使う警告の色だ。自分が調和したいと願う社会であれば、カモフラージュは愛おしい。しかし、過激な未来の土台が築かれつつある今は、目立つことこそ必要だ。

誇張した袖

袖には慎ましさを演出する以外の用途がある。長く伸ばせば、手が暖かい。まくれば腕に日光浴ができるし、重要な会議中に上司の目から携帯を隠すことだってできる。コウモリの翼形の袖なら密輸品を隠せるし、長すぎる袖はいかにもスマートなカフスのように折り曲げればいい。袖は着る人の気質の延長線となり得る。そして、その延長は無限に広がり得る。

パンダ、パンダ、パンダ

パンダは、厳密には、ラグジュアリーが伝統とするシンボルではない。しかし実のところ、インターネット ミームに端を欲した象徴としてパンダが登場したことは、2016年という不条理な年でもっとも筋の通った現象のひとつだった。ブルックリンのラッパー、デザイナー(Desiigner)の「パンダ」が瞬く間にヒットソングとなったおかげで、「パンダ」は避けて通れない言葉になった。この曲はBMWの白黒のSUVをパンダになぞらえるが、比喩は外見だけにとどまらない。パンダと言えば、豪奢な様子以外に、何を思い浮かべるだろうか? 緩慢な動き、アイコニックなルックス、竹を齧りながら一日をまったりとすごす気質。まるで、永遠のスパ暮らしではないか。「絶滅危惧」という言葉さえ「限定版」を意味する。かくして、LoeweとDesiignerは集団無意識のなかで並走する。

悲しみのバケーション

目の前に広がるクリスタルのように澄んだ青い海。人気のないビーチに佇むあなた。データの受信は最悪だし、一緒にやってきたパートナーは、恋人というより機内預け入れ荷物に近いことが判明しつつある。どんなに色鮮やかなプールサイド ファッションを着ても、ゴシックな陰鬱が心を掻き乱す。実際のところ、プラットフォーム ウェッジのシューズを履いて、物憂げに遠くを見つめるあなたの視線には力がこもっている。これはあなたの休暇。泣きたければ泣けばいい。

ホワイトソックス

今日、スピーディな快楽でなくては満足を与えない。果てしない観察の流れが私たちに流れ込む。絶えず画像が飛び去る。反対に、テンポが変化した結果、以前は束の間であった快楽が今では永遠のごとく感じられる。例えば、真新しい白い靴下。かつての一度きりの体験を、今日の基準では永遠に楽しめるようだ。

夢遊病

睡眠と覚醒の状態を区別するなんて、退屈じゃないだろうか。次のアポイントメントの場所まで、夢遊状態で歩けばいいのだ。ベッドから転がり出て、そのままパーティに直行したっていい。今だかつて、快適性がこれほど古典的かつ意外に見えたことはなかった。スモックのチュール、ラッフル、ルーシュのシルク、サッシュの付いたシアなファブリックは、散文的単調を真夏の夜の夢へ変貌させる。

クロックス クライシス

Christopher Kaneが宝石をあしらったクロックスは、多くの問いを投げかける。このデザイナーは、一体、誰を「釣って」いるのか? アーティスト同士の誠実な交換というより、ファッション業界の相乗効果を意味するようになった「コラボレーション」という言葉を馬鹿にしているのか? この種のかなりあからさまな皮肉が、消費者に受けるのか? あるいは、シェフや看護師に人気のあった悪名高いスポンジ サンダルの特殊な形に、本当に惚れ込んだのか? トライポフォビア(集合体恐怖症:小さな穴の集合体に恐怖感を抱く症状)を引き起こしかねない構造を、少しばかり薄気味の悪いものと捉えているのか? そして、私たちがこのような疑問を問うこと自体、すでにデザイ

戦う脱ストレス スタイル

商取引のペースが私たちの自然のリズムをはるかに超えて加速するにつれ、リラクゼーションは自然発生する事象ではなく、戦略的な行為としての側面を強める。そこに求められるのは、分刻みの計画、専門家チーム、非常に重要な意味を持つ適切なギアだ。その結果、ドレスダウンは闘いのニュアンスを帯びるようになった。オルセン姉妹(Olsen Twins)のヨガ ゴシック スタイル-これ自体、執拗なパパッラッチ集団を撃退しようという試み-の系譜に連なる戦う脱ストレス スタイルは、一言で言えば、フレキシブルな実用的ウェアで自分を保護することに尽きる。批評家はカニエ・ウェスト(Kanye West)のYeezyコレクションに批判的だが、敵対的なレジャーという新しい概念を提示したことは否定できない。

虹の彼方

実験を目指す過程では、多様性こそ新たな心の友である。色彩と重層はあらゆる場所に存在する。衣服、タマネギ、ヘアスタイル、そして今やGucciのプラットホーム スニーカー。汚らしい歩道からわずか数ミリの距離をすり足で歩く必要などない。最新のスタイルとクッションの効いたプラットフォームが与えてくれる、地上数センチの安全な高みへ上昇しよう。カラフルなレイヤード ケーキを着ることさえ、夢ではない。

ボディスーツの時代

服を着ることは、時に難しい。エネルギー効率が要求される時代には、困難を極めることさえある。それでなくてもワイヤレス イヤフォンの片方が見つからずにイライラしているときは、それ以上の余分なストレスを排除することがとても大切だ。ボディ スーツが紛れもなく現代の必需品である理由はそこだ。ブラジャーや下着やシャツを選ぶことなんて、忘れてしまおう。たった1着のウェアで十分。いちばんの利点は、はみ出したシャツをウェストに突っ込むために、すでに枯渇気味のエネルギーを費やさなくてもいいことだ。

ビバ! スポーツ リュクス!

多くの批評家がラグジュアリーなスポーツウェアの終焉を惜しんだ。なのに、そんな批評家たちが消え去った後も、スポーツ リュクスはなお健在だ。トラックスーツやウィンドブレーカーやトレーニング ショーツをランウェイに載せて新たな付加価値をつけることは、もはや目新しくない。なおかつ、可能性を否定することもできない。この「汎トレンド」は、ファッションのもっとも本質的なプロセスのひとつを現している。すなわち、現実世界からアイデアを抽出し、ファンタジーのレンズで濾過すること。かくして、ノスタルジーは商品へと生まれ変わる。

ハイブリッド論理

ファッションは、社会の価値観や文化の流れが物質の形をとって現れたものに過ぎない。私たちの集中力の持続が細分され、私たちの焦点がタイムゾーンに沿って分断されるとき、それが最低限衣服に期待できることではないだろうか? 私たちが同時にあらゆる場所に存在することを期待されるとき、衣服が先例に倣うのは当然ではないだろうか? 雑種性は単に「新しいノーマル」ではなく、競争力のある強みだ。傾倒への恐怖ではなく、柔軟への取り組みだ。

  • 文: SSENSE
  • 写真: SSENSE Buying Team